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グラの気ままに徒然日記

日々の菜園アクティビティ、旅先での思い出コレクッションetc.

炮ロク山ハイキング

2025年06月12日 19時25分51秒 | 登山

2025/6/12

小6の孫が下校するまでの貴重な時間を

娘と私達夫婦の3人で、豊田市東部の里山ハイクに出かけた。

 

麓の集落から1,8キロで目的の🅿️着

先着車1台

舗装路約15分の標識には、

車道だと1.9キロ、近道なら450m

迷わずショートカットを選んだが、、

昨日の雨水が、容赦なく山道を流れ

滑るし💦

 

ヒルとスリップにヒヤヒヤ🫩

やがてガードレールが現れて

林道終点に

 

トイレ、水場あり

往路はそうぞうの道、復路は思いやりの道に。

丁度下山してきた男性から、たくましさの道はキツイと聞き、左に。

植林帯から脱したとおもったら、

巨大な反射板が!

山頂直下

ラッキー✌︎  晴れとる☀️

麓では、今にも降りそうだったのに

 

ナンとも立派な😲

上から

 

山頂の日陰に群生してた

アマドコロ

中古だけど新調したスマホで検索

どうやら咲いた後のようだ。

 

午後、帰宅した孫といつものスケッチ対決💥

私は、丁度読了した大沢在昌の本の表紙絵

 

孫はママのスマホを借りて

身長もスケッチ力も圧倒的に伸び盛り‼️

 

 

明日は、紫陽花

 


茶臼山で紅葉狩り

2024年11月07日 19時15分18秒 | 登山

2024/11/07

豊田ライフ3日目は茶臼山へ

 

茶臼山高原道路

標高1000m越え付近から茶臼山を望む。

ゴール地点入口付近の池

 

更に上部のゲレンデに向かう途中

紅葉真っ盛り🍁のトンネルスルー

 

 

ゲレンデ真下の🅿️から登り始める。

 

 

中央付近からの振り返りパノラマ風景

中央は萩太郎山

 

 

山頂

20分位で到着

年々山頂の整備が進んでいる。

10年前は灌木が生い茂っていて

もっと狭かったもんだ。

 

山頂でランチ

おにぎり、オクラ、四角豆、

熊野のミカンと多気の次郎柿

 

芝桜の丘

 

遠くに南アルプスが覗く。

その案内MAPが2ヶ所もあったが、

奥三河や稲武の山⛰の案内はないのは残念だ。

 

長野県方面

 

愛知県方面

 

 

 

 

下山したら、🅿️から紅葉を水彩絵の具で描いている人がいた。

 

 

リフト乗り場の🅿️からの風景

 

朝、9時過ぎに娘の運転で出かけ、

2時前に帰宅した。

 

 


桧塚奥峰/明神平登山~台高山脈北部

2023年09月25日 11時48分21秒 | 登山

2023/09/25

・・・道なき道・・踏み跡を見つけの苦難の連続・・・

達成感より無事に怪我無く下山できた喜びが勝る山行となった

9月23日(土)

桧塚奥峰~明神平周回登山

 

はじめに>

過去経験したことがない厳しい山行でした。

前回の予定に手違いが生じて隣の木梶山に変更した経緯もありリベンジのつもりだった。

それが、思わぬ恐怖体験に・・

 

目的の桧塚奥峰山頂では、おにぎり、ミカン、サイダー

涼風が気持ちよく肌寒さを感じるほどですこぶる順調であった。

その後、ガスで視界が怪しくなったが明神平では

「幻想的やなぁ~」とまだ余裕綽綽であった。

 

いよいよ下山す

時間的余裕もあるし、自分にとっては4度目だし、

容易ではないが数カ所注意すれば、と楽観的であった。

しかし

その記憶も直近でも既に20年以上前のこと

ルートはすっかり荒れ果てていて

過去の記憶と経験も全く役立たなかった。

 

明神平の天理大学山小屋の裏から谷に降り始めるや私の頭は大混乱をきたした。

深く切れ落ちた谷を避けるトラバース道は長い風雪を経てズタボロで、

その度にルーファイに手間取り遅々として進まない。

きつい斜度の傾斜地をトラバース中にうっかりスリップでもしょうものなら、まさに奈落の底!

まさにそんな場面の連続であった。

 

 

一部始終を以下の画像で詳述したかったのだが、下山中はスマホを構える余裕もなかったし

あのリアルはまさに筆舌に尽くしがたしであったが頑張ってみます。

 

 

まず、当エリアは台高山脈の北部に位置し奈良と三重の県境なので双方から登ることが可能である。

奈良側からだと大又林道が登山口で、三重側だと千秋林道からとなる。

台高山脈とは、北は高見山から南の大台ケ原(日出が岳)に至る長大な稜線をさす。

 

 

 

和歌山街道を左折し蓮ダムの上流に向かう

やがて木屋谷雨量観測所標高583m)駐車地に到着

広い空き地だが、その先の通行止めゲートのチェーンを外せば自己責任で通過可能だったので

約30分の節約になる誘惑に負け先に進むことにした。

登山口の近くの幅が広くなった路上に駐車

メンバーのAさんとTさん

松阪市のAさん宅に7時集合で、Aさんの🚙に便乗

・・・毎度このパターン・・・若干心苦し・・・

 

マナコ谷登山口 9:00スタート

杉林の中、急登が続く・・・

1時間半ほどで杉林を突破

清々しい尾根となる

好展望地で給水休憩

三峰山や遠くにクロソ、大洞・・・あと一息だ

稜線上の鞍部に到達!

そのまま左に折れ桧塚へ向かう(画像中央)

桧塚 標高1402m    11:09

ブナの疎林野中山名版を確認し引き返し先ほどの鞍部を越えて桧塚奥峰に向かう。

桧塚奥峰 標高1420m 

初めて登った時には、山名版は太く2mほどで白骨化した老木にかかっていた記憶がある。

その様は独特で他山には無いモノであった。今もその名残をとどめようと3本の足場で・・・

三重の最高峰・池小屋山が見えているはずだが・・・

右奥は吉野から熊野に伸びる大峰山脈

昼食を済ませ明神平を目指す 12:28

途中最後の展望所

手前の尾根の先には前回の木梶山があると思う。

その尾根の手前の谷筋が下山道となる

最後の稜線上に到達

奈良と三重の県境尾根

A氏が磁石で確認中だがガスが出てきて現在地も確認できないらしい

ここを右折して明神平の中央部を目指す

視界不良だが明瞭な通路で安心

3張りテントを見つけた!

中央部に立つ山小屋・・・入口に天王寺高校山岳部と・・・知らなかった

小屋ベンチで最後の休憩をとってから下山をスタート 13:40

天理大学の山小屋裏から下山が始まるのだが、

しばらく尾根上を歩いてからに降りるか 初めから谷芯を下るべきか決めかねていた。

いずれも歩いた経験があるのだが、目の前の現実が私の記憶と差があり過ぎて

下山開始からいきなり両岸切り立つV字の谷で自然と我々との死闘のゴングが打ち下ろされた!

湿った巨石の谷芯歩きと急斜面を攀じ登っての高巻くこと約90分 

ースマホを構える余裕もなかったのでうまくお伝え出来ないことが歯がゆいー

ようやく見覚えのある本流との奥山谷出合に達することができた!

 

しかし、さらに危険な場面が次々と現れるのであった。

出合の谷芯を越え正面の斜面に取りつく。

古くなったロープは以前のルートなのか、

見当違いでその左下を攀じ登った。

以前は谷芯も歩いた記憶があるが、これよりすべて右岸を高巻くことになる。

踏み跡を辿っていると、突然、土石流のせいか急斜面の表土が剥がされた岸壁に行く手を遮られる。

その度にルーファイに迫られる!

先導のT氏が斜面を苦心惨憺登って活路を開こうとするが、テープも踏み跡も発見できない。

それでも無理に突破しようとすれば3人とも無事に通過できる可能性は低い!

しかし、脱出口は無いはずがないと思い戻ってみると

最初通過した時には誰も気づかなかった踏み跡がひょんなところで発見できたりするものだ。

そんなことを繰り返しているうちに、突然、眼の前の踏み跡が明瞭な登山道と変化し始めた。

同時に、先導するT氏の「林道が見える!」と弾むような声が谷間に響き渡った!

登り口から200~300m上流に架かる万歳橋に降り立った❣ 4:25

 

まさに、かすり傷ひとつ負わず「生還」できたのはラッキーとしか思えない。

 

その要因として思いつくこと

1⃣ いつものソロ登山なく3人パーティーだったので、ルーファイする際も3倍の速度で発見できた事

2⃣ 常に話し合い悲観的にならずに冷静に行動できた事。ただし話題の専らは病話で後は旅と山談議

3⃣ 高齢になると体力は落ちるがその分慎重になれた事

4⃣ 若い頃なら、「エエイッ!」とやって上手くいかずも備えが効くが、我々はそうはいかず滑落必至との自覚がある事

5⃣ 日没まで十分な時間的余裕があったこと

6⃣ それまでの高温が嘘のように絶えず涼風が吹いていて無駄に体力を消耗せずに済んだこと

7⃣ 谷間にかかわらずアブ,ヒルなどに遭遇せずに集中できた事

8⃣ 縦走時にはYAMAPが大いに役立ったこと 但しバッテリー持参も接続コードを忘れたことは痛かったが

 

以上、

達成感より安堵感の方が勝る山行は過去なかったと思う。

今後の山とのかかわり方について学び多い山行となった。

 

 

 

 

 


久々の投稿~大杉谷滝巡り(日本三大秘境?)イン三重県大台町

2023年06月22日 10時39分25秒 | 登山

2023/06/22 今日は

~PCでの写真取り込みが容量満タンとなり不可状態でしたが娘に「スマホからやればええやん」、で思い出した次第

ブログ上の農園仲間の皆様には、当方、後期高齢者故のご心配をおかけいたしごめんなさい。今後ともよろしくお願いいたします~

 

大台ケ原から伊勢市への大河宮川の源流部・大杉谷へ!

前々からお誘いいただいていた元職場の同僚と3人でやっとご一緒出来ました。

 

絶好の登山日和!

この吊橋も車で通過 7:37

途中停車して、六十尋滝を案内 7:49

二人は初めてだったらしくて良かった

一尋は両手分らしいです。

宮川ダム貯水池の最上流部の第三発電所(登山口)を8時出発し、2~3個目の吊り橋 9:45

今回の山行では最も広大な景観で、後は両岸迫る窒息しそうなシーンの連続です。

千尋滝

日本でも有数の多雨地帯ですので、昭和初期には林業が盛んで、この滝の約100メートル上部には大台林道があるはずです。

現在は一般車通行止めですが・・・

六十尋滝の十倍以上の命名は大げさですが、下部は木々に隠れているけど大スケールです! 10:13

本コース最大の名所・シシ淵 

先行のハイカーもアリさんみたいです。

ここで折り返す人が多いです。

割れ目の先に覗いているのはニコニコ滝です。 11:04

シシ淵の左岸を高巻きますが、その足元の無名滝は梅雨時限定の滝です

岸壁を穿った鎖頼りの隘路を過ぎて一息つくと先ほどのニコニコ滝が全貌を表します。11:34

やがて大日嵓吊橋の上に出ます。11:50

十数年前の台風で吊橋が切れて長くこのコースも閉鎖されていました。

更に昔、人が落下して裁判事件もあったとか・・・

吊橋上から大日グラを望みますが全体は収まり切りません 11:52

やっと、桃ノ木山の家に到着しましたが通過! 13:00

彼らは、いぜん、この手前で引き返したとかです。

がけの灌木が恐怖感を消してくれます。

昨年だったか、滑落しての死亡事故はこの辺りではないカナ?

目的地に到着! 13:52

日本百名瀑 七ツ釜 

3段しか見えませんが、まだこの上に続くのでしょう。

日頃から農作業で足腰は鍛えてるから、と思ってたけどバテバテで六時間弱かかってしまいました。

退職して数年後には4時間22分でここまで来て、さらに粟谷小屋で宿泊し、

翌朝日出が岳に登頂して一気に登山口まで下山しています。

農作業と山歩きでは筋肉の使い方が違うのですね。

記念撮影も見事逆光

 

5:00 津市自宅発~8:00登山口~13:50七ツ釜滝~18:15登山口~21:30自宅着

次回は2週間後の山行を約束しました。

行き先は私が決めるようですが、台高か大峰か鈴鹿か、さて迷うなあ。

 

明日は久々の菜園ニュース、楽しみです。

 

 


レーの思い出~インドヒマラヤ遠征

2023年03月11日 17時12分57秒 | 登山

2023・03・11

”暑いなあ”が挨拶代わりの今日この頃、

スケッチブックのせいもあってつい長話になってしまったけどこれが最終です。

SHS88  India Himaraya Expedition

1988年7月、ラダック連邦直轄領(旧ジャムカシミール州)の最大都市レーを拠点に、マシロカンリ峰に登った記録だ。

ジープ数台に分乗し盛大に砂埃をあげ、未知の世界へ進入すると誰もが無口となった。

乾燥しきった大地は白く、草木一本も見当たらない。

時折、インダス川の支流に出合うと、そこには柳の木が生えていたりする。

半日ばかり、川の浅瀬を横切ったり、凸凹道に胃が飛び出す寸前にその日の目的地であるチョクシ橋(Choksti Br.)に着いた。

橋の真ん中にテント(絵では7張)を設営し終えると自由時間となった。

所在無げに橋上から轟音轟く激流を見入る者、上流へとそぞろ歩く者、ひっそりテント内にとどまる者・・・

やがてヒマラヤの☀が対岸の山に隠れようとした頃、センチメンタルな空気を一掃する喧騒が下方から接近してきた。

5~6名のポーターたちが、7~8頭のヤクを率いてやってきた! ヤク達の背には、左右に大きな荷がぶら下げられていた。

中には、数頭の鶏が入った竹かごを背にしたヤクもいた。

そのニワトリたちは私たちのキャンプ地で放し飼いされていたが、数日で鳴き声は聞こえなくなっていた。

すっかり日が落ち、月明かりがチョクシ川からの峻険な山腹を驚くほど赤く染めていた。

ガリ版を日本から持参したので毎日発行し、隊員は勿論ポーターにも配った。

(スケッチブックにはさまれていた一枚)

ベースキャンプを設営し自由時間に印刷したようだ。記事内容に沿ってこの日の行動を思い出してみた。

「この日は、9時前にチョクシ橋を出発し、右岸高く作られた生活道を上流に向かった。まもなく、Choksti村に着き、1回目の休憩。

ポーター達は、食料やテント一式を背負ったヤクを追い立てながら先行している。その後、5回の休憩を採りながら午後2時過ぎベースキャ

ンプ予定地に到着。手分けしてテントを張るが、生徒達の動きは緩慢だ。高所順応がスムースに進むよう意識的な動きなのかもしれない。

スタート後、隊長は口酸っぱくなるほど「ビスタリ(ネパリー;ゆっくり)、ビスタリやぞ!」とことあるごとに呼び掛け、5人の高校生全

員を山頂に立たせたいとの思いが伝わってきていた。しかし誰もが4千mの高地は初体験だし、身体に及ぼす負担に個人差が出ることが後に

判明することになった。私たちとは少し離れた場所に、ポーターとキッチンボーイ達がテントを張り昼食の支度にかかり始めた。ヤクが1頭

崖から落ちたらしく、手間取っていたらしい。急斜面の道だからスリップすれば川まで滑り落ち、途中で止まっても重い荷が邪魔でまず助か

らないだろう。遅めのランチの後、自由時間だが何もすることがない。昼寝をするもの、右や左の斜面を昇り降りして高所に身体を慣らそう

とするもの、そんな時私はスケッチするのが常であった。その時の様子は、次のスケッチで・・・」

 

スケッチブック見開き2ページにBase Campと、その周辺で高所に身体を順応させようとする学生たち

隊長の全員集合を合図に夕食前の4,400mまで高所順応登山。

「歩く歩幅を狭くして、ゆっくりと、息は大きくシッカリ酸素を吸うんやぞ!」

しかし、残念ながら1名の生徒が明らかに高山病にかかり、テント内で寝込んでしまい呼びかけても反応が鈍い。

まずい状態だ!

モレーンと言って氷河の上に瓦礫が堆積した土地なので、多少草も生えていて少し離れた湿気の多そうな場所を掘り返すと

冷水(氷水)が湧き出してくる。

私は、タオルをその水に漬し彼の額に当てがってみたがピクリともしない!

危険な状態ということで緊急下山させることになった。

引率の2名の教師と通訳のマヘンダーで、チョクシ村まで連れ帰り、翌朝軍のヘリコプターでレーの病院まで無事搬送してもらった。

リエゾンオフィサーのラトゥール氏の存在が生かされた場面だった。

翌日は、高度4,730mまで登りABC Camp (アタック・ベースキャンプ)を設置した。

目的の山のすそ野になるのか、広いカールで富士山より1000mも高所なのに、牛が草を食んでいたり、

我々一行は、朝、病気の娘を背負った父親が病院にいく途中に遭遇しているが、この峠を越えてたのだと納得した。

夏場には麓から高地の牧草地まで家畜を移動させてカルカという石積みの家でひと夏を過ごすらしい。

私たちが登ってきた道は登山道ではなく村から村への生活道そのものであり、このキャンプ地は峠なのだと納得した。

 

私はこの日大変な失敗を犯していた。救護班というより薬屋さん役だったのにベースキャンプへ置きっぱなしにしてきていた。

折から、生徒の中には「頭、イタッー!」と声をあげるものが出始めている。高山病の症状だ。

まだ大丈夫と言っているが、今夜にも、又山頂アタック中に重症化でもしたら・・・

私は意を決し、BCキャンプまで薬を取りに戻ることにした。

体調すこぶる良くて、クライミングハイもあってか、飛ぶが如く駆け下りたもんだ。

途中、我々の遠征を取材に登ってきた新聞記者さんを驚かせてしまった。

しかしその記者さんの健脚ぶりには仰天する。一日でABCキャンプまで来て、その日のうちに麓に待たせたタクシーまで戻るという。

しかもその足で、近くの6千m級の山に挑戦中の中高年隊へ取材に向かうと言っていた\(◎o◎)/!

 

無事に、薬(利尿剤)を持ち帰り、頭痛の生徒たちに飲ませた。高山病に効果があるらしい。

隊長は1日か2日、高所順応を兼ねてBCキャンプまで往復してから山頂アッタックを考えていたようだが、天気も下り気味で、

隊員たちの体調も考慮して、明日アタックを決行することにした。

左ページ:雲に隠れたㇴン峰とクン峰  右ページ; ㇴン、クンの右の鋭鋒

ㇴン、クンは共に7000m越の鋭鋒というより太い杭が2本立っている感じの双耳峰だった? 

テント見えず? どこだったか記憶がない。

多分、ABCキャンプから少し登ったところだ。そして目の前が目的の山だ。

翌早朝、

隊長から、できる限り早く出発したいが、水分の準備をしている暇がないから後から追いかけ、届けてくれと言われていた。

私は二つ返事で了解したもんだ。

隊長を先頭に隊員たちは慌ただしくABCキャンプを後にして山頂アタックに出かけた。

私は彼らを見送り一人残って、近くに流れる雪解け水を煮沸してから冷えるのを待って隊員たち全員の水筒に詰めて、

両肩から左右にたすき掛けにかけ彼らの後を追った。とても重要な任務の遂行に私の胸は高鳴り、まるで空を駆ける気分であった。

どれだけの時間が経過していたものか、登頂を終えた彼らが下山してくる姿が見えた!

私は私で使命感に燃えていたが、できれば登頂も、という欲もあり全身から力が抜け落ちる瞬間だった。

それでも気持ちを切り替え、早く彼らに水分を補給させたいという思いがわいてきた。

再び私の背中に羽が生えたようでワッセワッセと下山してくる彼らに駆け寄った。

抱き合う彼らはみな涙目で、やり切った感が全身にあふれていた。

 

隊員たちが緩斜面を思い思いの進路を取って下山する姿を後方から眺めながら無事登頂の余韻に涙が止まらなかった。

隣のリエゾンも同じで共に止まらぬ涙をぬぐうことなく肩を組みながら隊員の雄姿を脳裏に焼き付けた。

私のクライミングハイも最高潮に達し、つい愛用していたミノルタのカメラを彼にプレゼントする約束をしたことが悔やまれる。

この遠征中、ことあるごとに私のミノルタへの興味が尋常ではないことが分かっていたから。

 

 

下山途中チョクシ村でゆっくりとくつろぐことができた。

石と日干し煉瓦で作られた家屋が4~5軒、周囲の畑では折から大麦の収穫が行われていた。

当地では一年に一作物しか育たなく、ほとんどが大麦を栽培し、おりしも収穫期真っ只中であった。

村人総出で、谷間に彼らの歌声が流れまさに牧歌的であった。

家屋の周りのたわわに実ったアプリコットを数個もぎ、少し離れた所からスケッチしながらいただいた。

物珍しいのだろう、子供たちがはにかみながら私を取り巻きスケッチをのぞき込んできた。

屋根のタルチョが谷間に吹く風にたなびいていた。

帰国後、朝日新聞の一面を飾っている登頂場面の写真にも何か非現実な気がした。

その後、2~3年に一度のペースで海外遠征をした。

カザフスタンからの天山山脈、韓国と続き、ネパールの植樹活動は他のメンバーで毎年実施したものだが現在はどうなっているか不明だ。

 

「レーの思い出」自己満足の記/最終話

 

WBC観戦後始めたらこんな時間になってしまった!ヤバイ 

 

(只今午前2時過ぎ)