イタリア旅 7日目の午後
カプリ島からソレントへ
前の島とはまるで風情が異なる自然の要塞といった感じがした。
中世の戦闘の歴史は人々をこのような懸崖の地へと追いやったのだろうか!?
アマルフィーへの道
親愛なるサエコへ
君がこの手紙を読むとき、おそらく私はもう娘と妻に(天国で)あっていると思う。
中略
我々は今回の計画に、アマルフィと言う名を付けた。君ならば、あのアマルフィと言う町の謂れについても知っていると思う。伝説の勇者ヘラクレスは、愛する妖精を世界で最も美しい地に埋葬した。
今を生きる私たちの目にも、あの町は本当に美しいと思える。
なぜなら、あの町には今もってイスラム世界の影響が深く溶け込んでいるからだ。
キリスト教徒の聖なる祈りの場であるドゥオモさえも、アラブ風の工芸模様を持つファサードを備えている。裏手には、イスラム建築に特有の、尖塔をずらしたアーチで飾られた「天国の回廊」が造られている。
中略
アマルフィは、イタリア最古の海洋都市国家である。
ピサやヴェネチア、ジェノバといった名高い都市国家よりも実は古い歴史を持ち、十、十一世紀には共和制国家として繁栄を極めた。地中海の要衝であるため、アラブ諸国との交易は多かった。
しかし、商売のために仕方なくイスラム文化を取り入れた街を築きあげたのでは決してない。彼らは文化の一つとして、イスラムを受け入れていたのである。
・・・真保祐一 「アマルフィー」(扶桑社)P356抜粋・・・
再びナポリの宿へ戻る。
タイムアウト!
次回は、ピサやベネチア?
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