今朝、
らすからさんのブログを拝見したら
Coccoさんの『風化風葬』という曲が
紹介されていました。
ドキリとしました。
なぜって、今日15日11時から
風さんの葬儀お別れ会があるから・・。
11時になったら祈りを捧げようと思いながら
今日も風さんのページを見て
いつもどおりランキングのクリックをして
お友達のブログ巡りへ。
そして目に飛び込んできた
『風化風葬』というタイトル。。
食い入るように見つめました。
歌詞の意味、そこに込められた意味、そして
らすからさんご自身の想い。。
どれも深い内容で、残念ながら今の私には
コメントする言葉が出てきませんでした。
なのに、勝手に一部引用させていただきます。
これから書こうとしている記事は、
全く違った話であり、またお恥ずかしい
思い出についても書くつもりなので
らすからさんには申し訳ないのですが・・。
らすからさん、ごめんなさい。でも、
今日という日に、あれこれと思い巡らす
きっかけをもらったことに感謝しています。
『風化風葬』は全く未知の曲でした。
らすからさんのブログから引用させてもらうと
「風化風葬」の歌詞は、失恋を歌ったもの。
好きだという本心とは裏腹に、相手に別れを告げ、
気丈にその場を立ち去ろうとする内容、と言えるでしょうか。
他にも深い意味が込められているそうです。
歌詞やその意味については、
らすからさんのブログをご覧下さい。
この歌詞の内容から私がまず連想したのは
随分昔に自分が書いた詞でした。
つまらない詞なのですが、たまたま
学生時代に先輩が曲をつけてくれたので
頭の片隅に一部残っていたのです。
お恥ずかしい詞ですが、こんな感じです。
紫陽花の色が深まっていく六月
君が告げた別れの言葉
知っていたのかい?僕の心
無理に笑ってる君の顔と
あの雨音が忘れられないよ
何故男性の立場なのか自分でも分かりません(汗)
ちなみに、この詞を書いた頃、私は
片想いばかりで本当の恋愛は未経験(恥)
なぜ別れの場面など想像したのやら・・。
覚えているのは、「移り気」という紫陽花の
花言葉をやけに嫌っていたことです。
あれは心変わりではなく深まる思いなのだ、と
それだけ言いたくて書いたような気もします。
この花言葉については、このブログでも
記事にしたことがありました。
その時は恥ずかしくて、この詞に触れようとは
思いませんでしたね。
(少々図々しくなってきたかも?笑)
何故自分から別れを告げるという
場面を想像して詞に書いたのか・・
やはり臆病な自分がいるような気がします。
嫌われること、忘れられることへの不安。
そんな気持ちが「忘れられないよ」という
言葉を空想の彼に言わせたのかもしれません。
まだお付き合いしたこともなかったのに
別れることや忘れられることへの不安があって
こんな詞になったようなのです。
そのことに思い至ったのも、
らすからさんの記事を読んだからでした。
『風化風葬』に「忘れる」が度々出てきます。
でも大丈夫
あなたはすぐに わたしを忘れるから
でも大丈夫
わたしはきっと あなたを忘れるから
・・・忘れるかな?
でも大丈夫
あなたはもう わたしを忘れるから
・・・忘れたかな?
本音はきっと「忘れないで欲しい」のですよね。
ああ思いは同じなんだなと、そう思ううちに
何故か私は考えたのです。
「きっと忘れないだろう」と。
根拠はありません。
でも自分自身を振り返ってみれば
大切な人のことは忘れていないと分かります。
例え離れ離れになったとしても
交流が一切途絶えていても
大好きだった人のことは覚えています。
何かの折にふと思い出すものです。
多くの人に覚えていてもらうのは難しい。
自分だって僅かな関わりしかない人のことは
殆ど覚えていません。
けれど、ちょっとした親切が心に残ることも
また真実です。
たくさんの人でなくてもいい。
大切な人のことは自分はきっと忘れない。
相手にも忘れないでいて欲しいから
心を込めて接していきたい。
真の愛情や友情は互いの心に魂に
永遠に残るものだと信じたい・・・。
風さんのお別れ会にあたり一言だけ書く予定が
長い記事になってしまいました。
大昔に空想で書いた詞に負けないくらい
独りよがりの文章になったような気もします。
ここまで読んでくれた方がいらっしゃるなら
心からお礼を申し上げます。
結局、これだけ言いたかったのです。
風さん、ありがとう。
あなたを忘れません。
きっと大勢の人が忘れないでしょう。
このような別れとなったことで
皆の心に一層深く残ったことは
皮肉なことですが・・
風さんは幸せですよね?
もっと生きていてほしかったけれど
言ってもどうしようもありません。
奥様がさぞお疲れだろうと心配です。
守ってあげてくださいね。
嵐の後の快晴が目に沁みます。。