私の人生の中での忘れられないことを、「思い出語り」として書いています。
今は、 『看病記3☆7』 高校1年生、冬休み前~春休みの時の話・・
第3部_7話 ≪難病(特定疾患)≫
母の病気は難病(特定疾患)の一つになっていたようでした。
そして、『公費対象』にもなっていました。
昭和47年の難病対策要網に、次のように定義されているとのこと。
「(1)原因不明、治療方針未確定であり、かつ後遺症を残す恐れが少なくない疾病、
(2)経過が慢性にわたり、単に経済的な問題のみならず介護などに著しく
人手を要するために家族の負担が重く、また精神的にも負担の大きい疾病」
そして特定疾患とは、これらの定義をにない、その上症例が少ない
ことから全国的規模での研究が必要な疾患をいうらしい。ということを、
看病記を書くにあたってネットで調べてはっきり知りました。
ーーーつまり、早い話が、
まだ原因がわからないのでそれを調べるために、いろいろ人体実験
しなければならないから、検査もたくさんするけど、それにかかる費用はいりません。
後世の人たちのためにまた、強いては自分も助かる道もあるかも知れないから、
御協力お願いします。ーーー っていう感じに受け取れました。
人によっては、
「モルモットみたいでいやだ。痛い苦しい思いをするのはごめんだ。」
「どうせ助からないなら、自分の体を使って実験してください。」
など、いろいろあるだろうと思います。これは、やはりはっきりと
本人に協力(=本人への宣告)を仰がなければならないことでは・・・
と今更ながらに考えてしまいました。
母はどうだったのだろう
当時、わけあって金銭的に余裕がなかったころなので 、案外
「タダでしてくれるんだから、ありがたいじゃないの・・。
いくらでも協力するわよ、母さんは我慢強いんだから・・」
ーーー とそんなふうに思っていたんじゃあないかな・・
ーーー うすうす余命短いこと解っていたようにも思います。
つづく。。。
確かにモルモット見たいと思う方も
同じ難病に苦しむ方の為にと思う方も
同じくらいいたでしょうね
選択が難しい所ですね
お母さんは後者を選んだのですね?
立派だと思いました
本人は多分、分っていたでしょうね。
でも最近はネットなんかで調べて、案外自分の病気が何なのか知ってしまう人の方が多い気がします。
そして、全ての人がどちらの気持ちも持ち合わせてる思うようになりました。
>お母さんは後者を選んだのですね?
>立派だと思いました
ありがとうございます。
私は当時、「費用かからんようにしてくれるらしいわ。」としか聞いてなかったので、深い意味を全く気付きませんでした。それだけ気をまわす時間がなかったのでしょうね。
>本人は多分、分っていたでしょうね。
今は私も、そう思います。
意味が解り有難う。
私よりひどい病気でも、特定疾患にならない人達も、沢山いるようです。
また寄らせて貰います。
医学的には何もわかりませんので、専門の方
に任せるしかないですが・・
今は少し増えたりもしているようです。
申請中もあったりするようですよ。
患者の目線になって考えてもらいたいですよね~。