全能神は真理です

全能神―主イエスの再臨

全能神の発表「二度の受肉が受肉の意義を完成させる」抜粋2

2018-05-31 00:32:01 | 全能神の発表

東方閃電全能神の発表「二度の受肉が受肉の意義を完成させる」抜粋2

 イエスの働きが終わりの日のこの段階の補完なしに行われていたら、人は永久にイエスだけが神のひとり子である、すなわち、神は一人の息子しか持たず、別の名前でその後に出て来る者はだれも神のひとり子ではなく、いわんや神自身でもないという観念を持ち続けるだろう。罪の贖いの捧げものとしての役割を果たす者、あるいは神のために力を担う者、また、全人類を罪から救う者は神のひとり子であるという観念を人は持っている。現れる者が男性である限り、その人は神のひとり子、神の代理と見なすことができると信じている人々もいる。そして、イエスはヤーウェの息子、ひとり子であるという人々さえいる。これは人の作った深刻な観念ではないだろうか。今の段階の働きが最後の時代になされなかったならば、全人類は、神について陰に包まれてしまうだろう。もしそうなら、男は自分を女より高い地位にあるものと考え、女は堂々としていることが決してできないだろう。そうなれば、女性はだれも救いを受けないだろう。人々はいつも、神は男で、女を常にひどく嫌い、女には救いを与えないと信じている。もしそうなら、ヤーウェによって造られ、そして堕落したすべての女は決して救いを受ける機会が得られないというのは本当なのではないか。それなら、ヤーウェが女を造ったこと、すなわち、エバを造ったのは無意味だったのではないのか。そして女は永久に消滅するのではないだろうか。従って、終わりの日のこの段階の働きは全人類、女だけでなく全人類を救うことである。この働きは女のためだけでなく、すべての人類のためである。そうでないと考える者は、なおさら愚か者である。



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全能神教会の御言葉カード

2018-05-30 20:20:48 | 全能神御言葉カード

東方閃電 全能神は言われた。

 

 

 [東方閃電全能神教会は、主イエスの再臨である終わりの日のキリスト全能神の現れと働きによって創られました。当教会は、全能神ご自身によって全てが創られたもので、決して人によって創られたものではありません。今日では、全能神の言葉、福音映画、讃美歌などは、ネットワークを通じて世界中のすべての国々に広がっています。神の羊は神の御声を聞きます。全能神の言葉を読めば神が現れられたのを見ることができます。


全能神教会御言葉「神の三つの段階の働きを認識することは神を認識する道である」 その2

2018-05-29 13:11:03 | 全能神教会御言葉朗読

 

東方閃電全能神教会の御言葉「神の三つの段階の働きを認識することは神を認識する道である」 その2

全能神は言われた。

「三つの段階の働きは、神の経営(救い)全体の核心にあるもので、 その三つの段階の中に、神の性質、そして神であるものが表されているのである。神の三段階の働きを知らない者は、神がどのようにしてその性質を表現するかを理解できないだけでなく、神の働きの英知も知らず、そして神が人類を救う様々なやり方や、人類全体に対する神の心を知らないままでいる。三つの段階の働きは、人類を救う働きの完全な表明といえる。三つの段階の働きを知らない人々は、聖霊の働きの様々な手段や原則を知らないままでいる。つまり、一つの段階の働きからそのまま残っている教義に厳格にこだわる人々は、神を教義に限定する人たちであり、神に対する彼らの信仰は曖昧で不確かである。そのような人たちは、決して神の救いを得ることがないだろう。」

『言葉は肉において現れる』より

 

 

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全能神の発表「二度の受肉が受肉の意義を完成させる」抜粋1

2018-05-28 23:24:21 | 全能神の発表

 東方閃電全能神の発表「二度の受肉が受肉の意義を完成させる」抜粋1

 神による各段階の働きには実質的な意義がある。イエスが来た時男性であったが、今回は女性である。このことから、神はその働きのために男と女の両方を造ったが、神には性の区別がないことがわかる。神の霊が来るとき、それは意のままにいかなる肉体でも持つことができ、その肉体が神を表す。男性であろうと女性であろうと、それが受肉した神である限り、どちらも神を表す。イエスが女として現れたとしても、つまり、男ではなく女の赤子が聖霊によって受胎されたとしても、その働きの段階はまったく同じように完成されたことであろう。もしそうなっていたならば、今回の働きの段階は女性ではなく男性によって完成されなければならず、それでも結局、働きはまったく同じように完成されることになる。両方の段階でなされる働きには意義がある。働きは繰り返されることはなく、お互いに矛盾することもない。その働きの際、イエスは神のひとり息子と呼ばれたが、それは男性であることを示している。それではなぜこの段階でひとり息子のことは言及されていないのか。それは、働きの必要性から、イエスの性とは異なる性へと変更せざるを得なかったためである。神に関しては性の区別はない。神の働きは神の望むようになされ、いかなる制限にも左右されることはなく、非常に自由であるが、各段階には実質的な意義がある。神は二度肉となったが、終わりの日の神の受肉が最後であることは言うまでもない。神はすべての業を明示するために来た。人が目撃できるように、今の段階で神が受肉して自ら働きを行わなければ、人は神は男性にだけなりえるが女性ではないという観念を永久に持ち続けているだろう。これまで、神は男性にだけなりえ、女性は神と呼ばれることはないとすべての人が信じていた。すべての人は男は女に対して権威を持つものとみなしていたからである。権威を持てるのは男だけで、女は誰も持つことはできないと人々は信じており、男は女のかしらであり、女は男に従わねばならず、男を超えることはできないとさえ言った。男は女のかしらであると過去に語られた時、それは蛇にだまされたアダムとエバに関して言われたことであって、初めにヤーウェによって造られた男と女に関してではなかった。男が家族を養えるようにならなければならないのと同様、女は夫に従い、愛さなければならないのはもちろんのことである。これらはヤーウェが示した律法と命令であり、人類は地上の生活において順守しなければならない。ヤーウェは女に「あなたは夫を慕い、彼はあなたを治めるであろう」と言った。こう言ったのは、人類が(すなわち男も女も)ヤーウェの支配下で正常に暮らすことができ、人類の生活が構造を持ち、秩序を失わないようにするためにだけである。従って、ヤーウェは男と女がどう行動するべきかに関する適切な規則を作ったが、この規則は地上に住むすべての創造物にのみ言及するもので、受肉した神に関するものではなかった。どうして神が自分の創造物と同じであり得ようか。神の言葉は創造物である人類にのみ向けられた。それらは人類が正常に暮らせるようにと男と女に対して示された規則であった。最初、ヤーウェが人類を創造したとき、男と女の両方を造った。従って、受肉した神も男性か女性のいずれかに区別された。神はアダムとエバに語った言葉に基づいて働きを決定したのではなかった。神が受肉した二回は、完全に神が人類を最初に造った時の考えに沿って決定された。すなわち、神はまだ堕落していなかった男性と女性に基づいて二回の神の受肉の働きを完成させた。蛇にだまされたアダムとエバにヤーウェが語った言葉を人が神の受肉の働きに適用したら、イエスも果たすべきこととして妻を愛さなければならなかったのではないだろうか。それでもやはり神は神なのだろうか。もしそうなら、神は働きを完成させることができるだろうか。受肉した神が女性であることが間違いならば、神が女を造った時も大きな間違いだったのではないだろうか。神が女性として受肉することが間違いだと人がまだ信じているなら、結婚をせず、したがって妻を愛することができなかったイエスの受肉も現在の受肉と同じように誤りではないだろうか。ヤーウェがエバに語った言葉を使って今日の神の受肉の事実を判定するのなら、恵みの時代に受肉した主イエスを評価するのに、ヤーウェがアダムに語った言葉を使わなければならない。これら二つは同じではないのか。蛇にだまされなかった男に基づいて主イエスを評価するのならば、今日の受肉の事実を蛇にだまされた女に基づいて判断することはできない。それは公正さに欠ける。そのような判断を下すならば、あなたは理性に欠けていることは明らかだ。ヤーウェが二度受肉した時、肉体の性は蛇にだまされなかった男と女に関連していた。神は蛇にだまされなかったそのような男と女に従って二度受肉した。イエスの雄性は蛇にだまされたアダムの雄性と同じだと考えてはいけない。イエスはアダムとはまったく関係がなく、彼らは本質の異なる二人の男性である。確かに、イエスが雄性を持っているからといって、イエスがすべての女だけのかしらであり、すべての男のかしらではないと証明することにはならないのではないか。イエスは全ユダヤ人(男も女も含む)の王ではないのか。イエスは神自身であり、女だけのかしらでなく、男のかしらでもある。イエスはすべての被造物の主であり、すべての被造物のかしらである。どうしてイエスの雄性が女のかしらであることの象徴だと決めることができようか。これは神への冒涜ではないだろうか。イエスは堕落しなかった男性である。イエスは神であり、キリストである。イエスは主である。どうしてイエスが堕落したアダムのような男性でありえようか。イエスはもっとも聖なる神の霊が身に着けた肉体である。どうしてイエスはアダムの雄性を持つ神であるなどと言えようか。それではこれまでの神の働きはすべて間違っていたことになるのではないか。ヤーウェはだまされたアダムの雄性をイエスの中に組みこむことができたのだろうか。現在の受肉は、性はイエスと異なっていても、本質は同様な受肉した神の別の働きなのではないか。それでもまだ受肉した神は女性ではありえない、なぜなら蛇に最初にだまされたのは女だからだとあえて言うのか。女は最も不潔で、人類の堕落の発端なのだから、神が女性として受肉することなど到底ないとまだあえて言うのか。「女はいつも男に従うべきで、決して神を明らかにしたり、直接象徴したりしてはならない」とまだあえて言うのか。あなたは過去に理解しなかった。今でもなお神の働き、とりわけ受肉した神を冒涜できるのか。このことをはっきり理解できないならば、自分の愚かさや無知が明らかにされ、醜さが暴露されないよう、発言にはせいぜい気をつけなさい。自分がすべてを理解していると考えてはいけない。あなたがこれまで目にし、経験してきたことは、すべてわたしの経営計画の千分の一を理解するのにさえ十分ではないとわたしは言う。ではなぜそんなに傲慢なのか。あなたの持っているほんのわずかな才能と最小限の認識では、イエスの働きの一秒に使用するのにさえ不十分である。あなたは実際どれほどの経験を持っているのか。あなたが生涯で見てきたもの、耳にしてきたすべて、想像してきたことは、わたしが一瞬で行う働きより少ない。あら探しをしたり、欠点をみつけたりしないほうがよい。どんなに傲慢でも、あなたはまだアリ以下の被造物なのだ。あなたの腹の中にあるすべては、アリの腹の中にあるすべてよりも少ない。自分が多くを経験し、先輩になったので、思うがままの横柄さで語り、行動してもよいと考えてはならない。あなたの経験があり、先輩であるのは、わたしが発した言葉の結果ではないのか。自分がコツコツ働いた結果、それらを獲得したと信じているのか。今日、あなたはわたしの受肉を見て、その結果、たっぷりと観念を持ち、そこから数え切れないほどの勝手な考えが出て来る。わたしの受肉がなかったら、あなたの才能がどんなに並外れたものであっても、これほどの観念を持つことはないだろう。勝手な考えが生まれるのはここからではないのか。イエスの初めて受肉がなければ、あなたは受肉について何を知っているだろうか。あなたが二度目の受肉を厚かましくも大胆に批判するのは一度目の受肉を知っているからではないのか。いったいなぜ素直に従う代わりに細かく調べなければならないのか。あなたはこの流れに入り、受肉した神の前に来た。どうしてあなたに研究することが許されようか。あなたが自分の家族史を研究するのは結構なことだが、神の「家族史」を研究するなら、今日の神はあなたがそうすることをどうして許せようか。あなたは盲目ではないのか。あなたは自ら屈辱を受けようとしているのではないのか。



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全能神教会の御言葉カード

2018-05-27 15:39:39 | 全能神御言葉カード

全能神は言われた。

 

 

 

 

 [東方閃電全能神教会は、主イエスの再臨である終わりの日のキリスト全能神の現れと働きによって創られました。当教会は、全能神ご自身によって全てが創られたもので、決して人によって創られたものではありません。今日では、全能神の言葉、福音映画、讃美歌などは、ネットワークを通じて世界中のすべての国々に広がっています。神の羊は神の御声を聞きます。全能神の言葉を読めば神が現れられたのを見ることができます。


全能神教会映画「敬虔の奥義」

2018-05-26 00:53:27 | 全能神教会映像

全能神教会映画|「敬虔の奥義」

 林伯恩は中国ある家庭教会の長老です。彼は一生主を信じながら主のために苦しみを受けることを栄光とし、主イエスを認識し、得ることを宝としていました。ある日、ほかのところへ説教しに行った時、主イエスは既に肉体に戻り、世の終わりのキリスト全能神が主イエスの再来だという、人を驚かす知らせを聞きました。それを聞いて林伯恩は困惑しました。主が再来される時雲に乗って来られるはずなのに、どうして受肉して秘密に働くことがあろうか。受肉したことにはいったいどんな奥義が隠れているだろうか。主が本当に来られたのなら、なぜ私たちは引き上げられていないのか。……林伯恩と同労者たちは全能神教会の伝道者たちと激しい弁論を繰り広げました。……最後に、彼らは全能神こそ主イエスの再来、神様の肉体においての出現だと分かりました。


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全能神の発表「堕落した人間は受肉した神による救済をより必要としている」抜粋7

2018-05-25 00:19:58 | 全能神の発表

 東方閃電全能神の発表「堕落した人間は受肉した神による救済をより必要としている」抜粋7 

 受肉した神の働きは、肉において行われなければいけない。もし霊が直接行ったとしても、それは何の成果も得られないだろう。たとえ霊が行ったとしても、その働きはこれといった意味をもたず、結局は説得力を欠くであろう。被造物はみな、創造主の働きが有意義なものであるかどうか、それは何を示すのか、それは何が目的なのか、神の働きは権威と知恵に満ちたものなのかどうか、また、それが最高の価値と意義のあるものなのかを知りたいと願う。神が行う働きはすべての人間の救済のためであり、サタンを打ち破るためであり、そして万物のもとで自身の証をするためである。だから、神の行う働きにはまことに重要な意味があるはずだ。人間の肉はサタンによって堕落し、最も深く盲い、まことに深く損なわれた。神自らが受肉して働く最も根本的な理由は、救済の対象が肉の体をもつ人間であり、サタンもまた人間の肉を用いて神の働きを妨げているためである。サタンとの戦いは、実は人間を征服する働きであり、同時に、人間はまた、神による救済の対象でもある。このように、受肉した神の働きは不可欠なのだ。サタンは人間の肉を堕落させ、人間はサタンの体現者となり、神に打ち負かされるべき存在となった。このように、サタンと戦って人類を救う働きは地上で行われ、神はサタンと戦うために人間にならなければいけない。この働きは極めて実際的なものだ。神が受肉して働いている時、神は実際はサタンと肉において戦っている。神が肉において働くとき、神は霊的領域の働きをしており、霊的領域での働きのすべてを地上で現実的なものにする。征服される者は神に逆らう人間であり、打ち負かされる者はサタンの体現者(もちろん、これもまた人間)、神に敵対する者であり、最終的に救われる者もまた人間である。このように、神が被造物の外形をもつ人間になることがますます必要なのは、神がサタンと真の戦いを行えるようにであり、それにより神に対して不服従で神と同じ姿をもつ人間を征服し、神と同じ姿をもちサタンによって損なわれた人間を救うためである。神の敵は人間、その征服の対象は人間、救済の対象も神の被造物である人間だ。そこで、神は人間とならなければいけない。そのほうが、ずっと働きをしやすくなるのだ。神はサタンに勝利し、人間を征服し、そのうえ、人間を救うことができる。この肉は普通で現実のものであるが、神はありふれた肉体ではない。神は単に人間である肉体なのではなく、人間と神の両方ある肉体なのだ。これは神と人間との違いであり、これが神の身分のしるしなのだ。このような肉体にだけ、神の意図する働きができ、肉における神の務めを果たし、人間たちの間での働きを完了できる。そうでなければ、神の人間たちの間での働きは、いつも空虚で不完全なものとなる。神がサタンの霊と戦って勝利者となることができても、それでは堕落した人間の古い性質はけっして直せないし、神に不服従で敵対する者たちは、けっして完全に神の支配下に入ることもできない。つまり、神はけっして人類を征服することができず、けっして人類全体を得られないということだ。神の地上での働きが完了しなければ、神の経営(救い)はけっして終わらず、全人類は安息に入ることができない。もし神がすべての被造物と共に安息に入れなければ、このような経営(救い)の成果はなく、神の栄光はその結果消える。神の肉体には何の権威もないが、神の行う働きは成果を達成していることだろう。これが神の働きの明確な方向である。神の肉体に権威があるかどうかにかかわらず、神としての働きを遂行できるならば、それは神そのものだ。この肉体がどれほど普通で平凡なものであっても、神がするべき働きができるのは、この肉が単なる人間ではなく、神だからだ。この肉が人間にはできない働きができるのは、その内なる性質が人間のそれと異なっているためで、それが人間を救えるのは、その身分が人間とは異なるからだ。この肉の体が人類にとって極めて重要なのは、それは人間である、かつそれ以上に神であるからだ。それは通常の人間には不可能な働きが可能だからであり、神には地上で共に暮らす堕落した人間を救うことが可能なためである。神は人間と同じ外見をもつが、受肉した神はどんな重要人物よりも人間にとって重要である。それは神の霊には不可能な働きが可能だからであり、神自身について霊よりも優れた証しができ、神の霊よりも完全に人間を得ることができるからだ。その結果、この肉は普通で平凡であっても、その人類への貢献と人類存在にとっての意義により、この肉体は極めて尊いものとなる。そしてこの肉の真の価値と意味は誰にとってもはかりしれないものがある。この肉は直接サタンを滅ぼすことはできないが、神はその働きによって、人間を征服し、サタンを打ち負かせる。サタンを完全に支配下に下せる。これは、神が受肉したから、サタンに勝利して人類を救うことができるのだ。神は直接サタンを滅ぼしはしないが、サタンによって堕落させられた人類を征服する働きをするため受肉する。このようにして、神は被造物のもとで自分を証しでき、堕落した人間をよりよく救える。受肉した神がサタンを打ち負かすことは、神の霊が直接サタンを滅ぼすよりも偉大な証しであり、より説得力がある。受肉した神は、人間が創造主を知る手助けをよりよく行うことができ、被造物のもとでよりよく神自身を証しできる。



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全能神教会の御言葉カード

2018-05-24 00:13:28 | 全能神御言葉カード

東方閃電 全能神は言われた。

 

 

[東方閃電]全能神教会は、主イエスの再臨である終わりの日のキリスト全能神の現れと働きによって創られました。当教会は、終わりの日の全能神の働きを受け入れ、神の言葉によって征服され救われるすべての人々によって成り立っています。当教会は、全能神ご自身によって全てを創られ、全能神ご自身によって導かれ牧養されています。決して人によって創られたものではありません。キリストは道であり、真理であり、いのちなのです。神の羊は神の御声を聞きます。全能神の言葉を読めば神が現れられたのを見ることができます。


全能神教会合唱とドキュメンタリー「万物の主権を握るお方」予告編 

2018-05-23 00:45:03 | 全能神教会予告編

東方閃電全能神教会合唱とドキュメンタリー「万物の主権を握るお方」予告編

 広大な宇宙に広がる天体。それぞれが寸分の狂いもなく軌道を回る。天の下では山も、川も、湖もそれぞれの領域を守り、あらゆる生物はいのちの法則に従い、四季を通じて生き、繁殖する・・・全ては美しく、完璧に作られ、配置されている―それを支配する力強い手は存在するのか。この世に生まれた瞬間から、だれもがその人生に託された役割を担う。人はみな生まれ、老い、病み、そして死ぬ―喜びと悲しみを繰り返しながら・・・人はいったいどこから来てどこへ行くのか?私たちの運命は誰が握っているのか。太古の昔から今日まで、偉大な国家が興り、王朝が栄えては、衰退していった。歴史の渦の中で、国々と民族が繁栄しては消えていった・・・自然の法則同様、人類発展の法則にも神の奥義がある。あなたはその答えが知りたいだろうか。ドキュメンタリー「万物の主権を握るお方」が、あなたをその真髄へと導き、奥義を明らかにする。



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全能神の発表「堕落した人間は受肉した神による救済をより必要としている」抜粋6

2018-05-22 00:40:53 | 全能神の発表

 全能神教会 |堕落した人間は受肉した神による救済をより必要としている」抜粋6 

 受肉しての神の働きの各段階は、その時代全体の働きを代表するもので、人間の働きのように特定の期間を代表するものではない。だから、神の最後の受肉の働きの終わりは、神の働きが完了したということではない。受肉しての神の働きは、時代全体を代表するもので、神が人間として働いた期間だけを代表するものではないからだ。これは、神は受肉している期間に、その時代のすべての働きを終えるというだけで、そのあとは、その働きはあらゆるところに広まる。受肉した神はその任務を終えた後、将来の働きを神に従う人々に託す。このようにして、その時代全体の神の働きが途絶えることなく続けられる。受肉した時代全体の働きは、それが全宇宙に広まってはじめて完了したとみなされる。受肉した神の働きは新たな時代を開き、神の働きを続ける人々は、神に用いられる者たちだ。人間による働きはみな、受肉した神の職分の範囲内で、その範囲を出るものではない。もし受肉した神が働きを行うために来なければ、人間は古い時代を終わらせることができず、新たな時代を開くこともできない。人間による働きは、単に人間に可能な範囲の任務であり、神の働きの代わりにはならない。受肉した神だけが、するべき働きを完了するべく来ることができるのであり、神をおいては誰一人代わってその働きをすることができない。もちろん、わたしの言っているのは、受肉しての働きのことである。この受肉した神は、人間の観念に合致しない段階の働きを行い、その後、神はさらに別の、人間の観念に合致しない働きをする。働きの目的は人間を征服することである。ある意味で、神の受肉は人間の観念に合致しない。さらに、神は人間の観念に合致しない働きをするので、人間は神についてますます批判的な意見をもつようになる。神はただ、神についてさまざまな観念を持っている人間の間で、人間を征服する仕事をする。人間がどのように神を扱おうと、神はその務めを果たし、人間はみな、神の支配下に入っていることだろう。この働きの事実は、中国人の間に反映されるだけではなく、すべての人間がいかに征服されるかをも表している。こうした人々になされた成果は、すべての人間になされる働きの成果を予め告げるものであり、神が将来行う働きの成果は、こうした人々に対する成果を上回るだろう。受肉した神の働きは鳴り物入りで宣伝されるようなものではないし、神秘の霧に包まれているものでもない。それは具体的な事実であって、一足す一が二である働きなのである。それはすべての人から隠されているものではなく、また、誰をも欺くものではない。人々が見るのは事実であり、現実的なものであって、人間が得るものは、本当の真理と認識である。働きが終わると、人間は神について新たな認識を得、真に神を求める者は、もはや神に関して何の観念ももたない。これは、神の働きの中国人に対する影響だけではなくて、人類全体を征服する神の働きの効果を表すものだ。人類全体を征服する働きにとって、この肉体、この肉体の働き、肉体のすべて以上役立つものはない。それらは今日の神の働きに有益で、将来の神の働きにも役立つ。この肉体はすべての人々を征服し、すべての人々を自分のものとする。人類全体が神を見、神に従い、神を知るためにこれより優れた働きはない。人間のする働きは単に限られた範囲のものであるが、神がその働きを行うときは、特定の人にだけ語りかけるのではなく、全人類、神の言葉を受け入れる者すべてに語りかけるのである。神の告げる終わりはすべての人間の終わりであって、特定の人だけの終わりではない。神は誰かを特別扱いしないし、誰かを犠牲にすることもない。そして、神は人類全体のために働き、話しかける。だから、この受肉した神は、すでに全人類をその種類によって分け、すでにすべての人々を裁き、全人類に相応の終着点を定めている。神はその働きを中国でだけ行っているが、実際は、すでに全宇宙の働きを定めている。神は、言葉を発して計画を一歩一歩進める前に、自分の働きがすべての人間に広まるのを待つわけにはいかない。それでは遅すぎるのではないか。今、神は将来の働きを予め終えることが完全に可能だ。働いているのは受肉した神なのだから、無限の働きを限られた範囲で行い、その後で、人間がするべき務めを人間が果たすようする。これが、神の働きの方針である。神は一時的に人間とともに生活できるだけで、時代全部の働きが完了するまで人間と共にいることはできない。それは、神が予め自分の働きを予言する神だからである。後に、神は言葉によってすべての人類をその種類にしたがって分け、人類は言葉にしたがって、神の順を追った働きに入る。誰一人免れない。誰もがその通りに行わなければいけない。だから、将来、時代は言葉によって導かれるのであって、霊によって導かれるのではない。



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