全能神は真理です

全能神―主イエスの再臨

全能神の発表「完全にされた人々への約束」

2018-01-31 00:29:08 | 全能神の発表

 神はどのような道をたどって人を完全にするのだろうか。どの側面を含んでいるだろうか。あなたは神があなたを完全にするのを喜んで受け入れるだろうか。神の裁きや刑罰を喜んで受け入れるだろうか。このような問いについてあなたは何を知っているだろうか。もしあなたがこう言った知識について語ることができないなら、このことは、あなたは依然として神の働きについて知らず、聖霊によって全く目を見開かされてこなかったことを示している。そのような人は神に完全にしてもらうことはできない。彼らは、少しの恵みを受けてつかの間楽しむだけであり、長きにわたって恵みを持ち続けることはできない。もし神の恵みを単に楽しむだけなら、神に完全にしてもらうことはできない。一部の人たちは、肉の平和と喜び、逆境や不運のない安楽な人生、争いやいさかいもなく家族と平和に生きること、などで満足するかも知れない。彼らは、このことが神の祝福であるに違いないとさえ信じるかも知れない、しかし実際は、それは単なる一つの神の恵みであるにすぎない。あなたがたは、神の恵みを楽しむだけで満足してはいけない。このような考え方は、あまりにも低俗である。あなたが日々、神の言葉を読み、毎日祈りを捧げているさえとしても、そしてあなたの霊が特別な喜びや平和を感じるとしても、しかし、結局のところ、あなたは、神やその働きに関するどんな認識についても話すことはできない、あるいはそのようなことをした経験も持っていない。そして、あなたがどれ程たくさん神の言葉を食べ、飲んできてたにしても、もし霊の中で平和や喜びを感じるだけなら、そして神の言葉はまるで十分に喜び尽くせないかのように比類なく甘美であると感じるならば、だがしかし、あなたが神の言葉について実際の経験を持たず理解をしていない、あなたはそのような神への信仰のあり方の結果として、何を受け取ることが出来るだろうか。もしあなたが、神の言葉の本質を実現することができないなら、あなたの食べ、飲み、祈ることがまさに、宗教に関わっている。そして、そのような人々は神に完全にしてもらうことはできないし、神のものとされることもできない。神のものとされる人とは真理を追求する人である。神のものとされるのは、人の肉でもなければ所有するものでもなく、彼の内にある、神に属する一部である。これが、神が完全にするのは人の肉ではなく心であり、そうすることによって、神は人の心を自分のものとする、とわたしが言う理由である。言い換えれば、神が人を完全にすると言うことの本質は、人の心が神に向きを変え神を愛するように、神は人の心を完全にする、ということである。

 人の肉体はみな肉のものである。人の肉を獲得することは、神のいかなる目的にも役立ちはしない。というのは、時間と共に減衰していくのは避けられないからである。人の肉は、神からの授かりものあるいはその祝福を、受け取ることができない。もし神が、人の肉だけを獲得し、人の肉をその流れの中に置いたままなら、名目上、人はその流れの中にいるだろう。しかし、その心はサタンに属するだろう。そのとき、人は、地上に現れた神を表現できないばかりか、神の重荷になるだろう。こうして、人を選ぶ神の行為は無意味になるだろう。神に完全にしてもらうことができる人たちは、神から祝福や受け継いだものを受け取ることのできる人たちである。すなわち、そのような人たちは、神が所有するものそして神という存在を取り入れる。そうすることによって取り入れたものが彼らが内部に持つものとなる。すなわち、彼らは、神の言葉が彼らの中に組み入れたものすべてを、所有している。神という存在が何であれ、あなたがたは、その存在のすべてをまさにそれがあるがままに受け入れることができる。そうすることによって、真理を実現することができる。これが、神によって完全にされ、神のものとされた人の姿である。そのような人だけが、神が授ける祝福を受け継ぐ資格がある。すなわち、以下に示されるようなものである。

 1. 神の愛のすべてを受け取ること

 2. あらゆる事柄において神の意志に違わず行動すること

 3. 神の導きを受け取り、神の光の下で生き、神の啓示を受けること

 4. 地上で神によって愛された象徴のように生き抜くこと、すなわち、ペテロが行ったと同じように真に神を愛すること、神の為に十字架にかけられ、死が神の愛に対する報いとなるほどに神を愛すること、そしてペテロと同じ栄誉を受けること

 5. 地上のすべての人によって愛され、敬われ、称賛されること

 6. 死や死者の国の束縛のすべてを克服すること、サタンに機会を与えず、神のものとされていること、新鮮でいきいきとした霊的状態であること、いささかの疲れもないこと

 7. 人生のあらゆるときに、あたかも神の栄光の日の到来を見てきた人のように、言語を絶するほどの高揚感や気持ちの高まりをもてること

 8. 神とともに栄光を受け取ること、神の最愛の聖人たちに似た表情をもてること

 9. 神が地上で愛するもの、すなわち神の最愛の子になること

 10. 姿を変えて、神と共に、肉を超越して第三の天まで引き上げられること

 このような神の祝福を受け継ぐことができる人だけが、神が完全にし、神のものとされた人である。あなたは、何かを獲得してきただろうか。どれほどまで、神はあなたを完全にしてきただろうか。神は手当たり次第に、人を完全にしない。人が見ることができる状態と結果がある。神への信仰がある限り神によって完全にされ神のものとされており、そして神の祝福や神からの授かりものを地上で受け取ることができる、ということは、人が信じる範囲を超えている。そのような事態は、極めて理解しにくく、姿を変えるというような話になるとなお一層理解しにくい。現在、あなたが主として追求すべきことは、すべての事柄において神によって完全にされることであり、そしてあなたが向かい合っているすべての人、事態、事柄を通して、神によって完全にされることである。そうすることによって、神という存在のより多くのものがあなたの中へ取り込まれる。あなたは神から、より多くより大きな祝福を受け継ぐ資格を得る前に、まず地上で、神からの授かりものを受け取らねばならない。今述べたことのすべてが、あなたが追求すべきことであり、最初に理解すべきことである。あなたが、すべての事柄において神によって完全にされることを追求すればするほど、あなたは、すべての事柄において神の導きを見ることができ、そしてそこから神の言葉の存在やその現実性を、異なる立場を通じさらに異なる事態において、積極的に考慮しようとするだろう。あなたは、単に罪を犯さない、あるいは何の考えも持たない、人生哲学を全く持たない、人間としての意思を持たないといった、否定的な状態に甘んじてはいけない。神は、いろいろなやり方で人を完全にする。あなたが結果的に完全にされることはあらゆる事態において可能である。あなたは、肯定的なことから完全にされることが可能であるだけでなく、否定的なことからも完全にされることができる。結果的にあなたは豊かになる。毎日、神によって完全にされる好機そして神のものとされる時が出現する。そのような経験をすると、あなたは大きく変わる。今のあなたは自然に、以前には理解できなかった多くの事柄に対し洞察力を獲得することができるだろう。すなわち、誰かがあなたに教える必要もなく、無意識のうちに、あなたは神によって導きと示しを与えられ、あなたの経験することの細部に至るまで全てが、与えられた示しと導きが活かされたものとなる。神は、あなたを、どちらの側にも曲がって進まないように、先導するだろう。そしてあなたは、完全にしてもらう道へと、神によって導かれるだろう。

 神によって完全にされることは、神の言葉を食べたり飲んだりすることによって完全に達することに、限定されない。このような経験のあり方は、あまりにも一面的で、幅広く多くのものを包含していない。すなわち、人を非常に狭い範囲に閉じ込めるだけである。このような場合、大いに必要とされる心の成長機会が得られない。もし、あなたが神によって完全にされることを望むなら、あらゆる事柄を経験することを学ばねばならないし、直面するいかなる事柄においても、神の知識と示しを与えられなくてはならない。何かに向かい合うときは常に、良いことであれ悪いことであれ、あなたにとって得るものがなければならない。あなたが消極的になることがあってはならない。何が起ころうと、あなたは、神の側に立ってそれを考えることが求められるのであって、人の立場から分析あるいは検討してはいけない(これは、あなたの経験における脱線である)。後者が、あなたの経験の仕方であるなら、あなたの心は霊的成長のための責任で一杯になるだろう。あなたが神の顔の光の下で生きるならあなたの経験における脱線は起こらないだろう。そのような人は、大きな展望を持つ。人が神に完全にしてもらえる機会は多く存在する。すべてが、あなたがたが神を真に愛する人々であるか、そして神によって完全にされ、神のものとされ、さらに神の祝福や神からの授かり物を受け取る決意を持っているかどうかに、かかっている。決意を持つだけでは不十分である。あなたがたは多くの認識を持たなければならない、さもなくば、実践においていつも、脱線するだろう。神は、あなたがた一人ひとりを完全にしようとしている。多くの人たちが長きにわたって、神の働きをすでに受け入れてきた。しかしながら、彼らは単に神の恵みに浴することだけにとどまり、肉の慰めを受け取ることだけに熱心であるのが、現状である。彼らはより多くの、より高度な啓示を受け取ることに熱心でなく、人の心は依然として、いつも外側の世界に属していることを示している。人の仕事、彼の奉仕、彼の神への愛の心は、それほど不純でないにしても、人の内なる本質や無知な考え方に関する限り、人は依然として、平和と肉の喜びを絶えず求めるだけで、神によって完全にしてもらう為の条件や、神が人を完全にする目的が何であるかには関心を持たない。したがって、大部分の人たちの人生は、依然として、いささかの変化もなく、俗悪で退廃的である。彼らは全く、神への信仰を重要問題と見なさない。彼らの信仰は、まるで彼らが他人のために信仰を持っているかのように、真剣さあるいは熱心さを欠いており、結果的に、目的もなくふらつきながら最小限の労力でなんとかやっているような状況である。あらゆる事柄において神の言葉の中へ入っていこうとする少数の人たちがいる。彼らは、今日の神の家にあるより大きな富に属する、より豊かな事柄を獲得し、さらに多くの神の祝福を受け取ることができる。もしあなたが、あらゆる事柄において神によって完全にしてもらうことを求め、地上で神の約束を受け継ぐことができるなら、もしあなたが、あらゆる事柄において神に導かれ、示されることを求め、年月が怠惰に過ぎ去るままにしないなら、これは、活力を持って入っていくべき理想の道である。このようなやり方によってのみ、あなたは神によって完全にしてもらう価値と資格のある人間になることができる。あなたは真に、神によって完全にされることを求めているだろうか。あなたは真に、あらゆる事柄において勤勉だろうか。あなたは、ペテロに匹敵する神への愛の心を持っているだろうか。イエスが愛したように神を愛する意志を持っているだろうか。あなたは、長年の間、イエスへの信仰を持ち続けてきた。ところであなたは、イエスがどのように神を愛したかを確認してきたただろうか。あなたが信仰しているのは、真にイエスなのだろうか。あなたは、今日の実践の神を信じている。ところであなたは、肉の中の実践の神が天上の神をどのように愛するかを確認してきただろうか。あなたは、主イエス・キリストを信仰している。ところでそれは、人類の罪を贖うためのイエスの十字架上の死と彼が行った奇跡が一般的に受け入れられた真実であるがためである。しかしながら、人の信仰は、主イエス・キリストについての認識や正しい理解から生れたのではない。あなたは、イエスの名前だけを信じ、彼の霊に対する信仰心は持っていない、なぜなら、あなたは、イエスがどのように神を愛したかを重要と考えないからである。あなたの神への信仰は、あまりにも子供じみている。あなたは、長年にわたってイエスへの信仰心を抱いてきたが、神をどのように愛すべきかを、あなたは知らない。このことは、あなたを世界最大の愚か者にしてしまわないだろうか。このことは、長年の間、あなたは、主イエス・キリストにある食べ物を無駄に食べてきたことを示す。わたしがそのような人を好きでないだけでなく、あなたが崇拝する主イエス・キリストもまた嫌うと確信する。一体どのようにして、そのような人が神に完全してもらうことができるだろうか。あなたは赤面しないのだろうか。恥ずかしく思わないのだろうか。あなたは依然として、あなたの主イエス・キリストに顔を向ける厚かましさを持っているのだろうか。あなたがたは、わたしの言葉の意味を完全に理解しているのだろうか。

 

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もっと知る: [東方閃電全能神教会はどうやって創られたでしょうか


全能神の御言葉カード

2018-01-30 12:51:06 | 全能神御言葉カード

は言われた。





 [東方閃電全能神教会は、主イエスの再臨である終わりの日のキリスト全能神の現れと働きによって創られました。当教会は、全能神ご自身によって全てが創られたもので、決して人によって創られたものではありません。今日では、全能神の言葉、福音映画、讃美歌などは、ネットワークを通じて世界中のすべての国々に広がっています。神の羊は神の御声を聞きます。全能神の言葉を読めば神が現れられたのを見ることができます。


全能神教会御言葉讃美歌「このように神は全てを統べ治める」ハレルヤ

2018-01-29 01:04:26 | 全能神教会御言葉讃美歌

全能神教会御言葉讃美歌「このように神は全てを統べ治める」ハレルヤ


産声を上げ この世に生まれた時から 
人は自分の義務を行う 
神の計画と采配の中 
自分の役割を担い
人生の旅を始める 
どんな経歴・旅路があろうと
誰も天にある指揮と采配を逃れられない
誰も運命をコントロールできない
全てを統べ治める方のみ 
全てなすことができる 

人間が存在するようになった日から 
神の業はゆるがない
この宇宙を営みを 
万物の変転と運行を見守り指揮している
全ての被造物と 同じように
人は知らずに 
甘美な滋養・雨・露を神から受け
全ての被造物と 同じように
人は知らずに 神の指揮のもと
生かされているのだ 

人の心と霊は神の手の中にある
神の眼は人の全生涯を 見通しているのだ
それをあなたが 信じようと信じまいと 
生きているもの 死んでいるもの 
あらゆるものが 神の意思により移り変わり 
新たになりそしてやがて消えてゆく 
いつもこのように神は全てを 統べ治めている
                                             『言葉は肉において現れる』より


 

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世の終わりのキリスト全能神は、イエスの再臨です、「東方閃電」全能神教会を考察しまょう

 



 


全能神の発表「神の国の時代に神に選ばれし人々が従わなければならない行政命令10項目」

2018-01-28 13:28:21 | 全能神の発表

1. 人は自分を大きく見せてはならないし、崇めてもいけない。人はを崇め、賛美するべきである。

2. あなたは神の働きのためになることは何でもするべきであり、神の働きに有害なことはしてはならない。あなたは神の名、神の証し、神の働きを守るべきである。

3. 金銭、物質、神の家のすべての財産は、人が提供すべき捧げものである。これらの捧げものを享受するのは祭司と神だけである。人からの捧げものは神が享受するためのものであり、神はこれらの捧げものを祭司と分かち合うだけで、ほかの誰も、捧げもののいかなる部分であれ、享受する資格はないからである。人からの捧げものはすべて(金銭や物質的に享受できるものを含め)神に捧げられ、人には与えられない。そこで、これらのものを人は享受すべきではない。人が捧げものを享受するとしたら、その人は捧げものを盗んでいるのである。このようなことをする人は誰でもユダである。ユダは裏切り者であることに加えて、金袋に入っているものも勝手に使ったからである。

4. 人の性質は堕落している。その上、人はさまざまな感情を持っている。そこで神に仕える時、男女が二人一緒に働くことは絶対に禁止されている。一緒に働いていることが見つかった者は誰でも除名され、例外はない―誰も免除されない。

5. あなたは神を批判してはならないし、不用意に神に関連する事柄について話し合ってはならない。あなたは人がすべきことをし、話すべきことを話し、自分の限度を越えてはならないし、自分の境界を逸脱してはならない。口を慎み、自分の歩みに気をつけなさい。このすべてを守れば、あなたが神の性質を犯すことを防げるだろう。

6. あなたは、人が行うべきことを行い、自分の責務を実行し、責任を果たし、本分を守るべきである。あなたは神を信じているので、神の働きに貢献するべきである。そうしなければ、あなたは神の言葉を飲食する資格がなく、神の家で暮らす資格もない。

7. 教会の仕事や事柄に関し、あなたは神に従うことは別として、すべてのことで聖霊に用いられている人の指示に従うべきである。ほんのわずかな違反も受け入れられない。あなたは無条件に順守しなければならないし、正しいか間違っているか分析してはいけない。何が正しいか、間違っているかはあなたに関係ない。あなたは全面的に服従することだけに関心を持たなければならない。

8. 神を信じる人々は神に従い、神を礼拝すべきである。どんな人物に対しても、あなたは崇めたり、仰ぎ見たりするべきではない。神を第1位と位置付け、仰ぎ見る人々を第2位とし、自分自身を第3位と位置付けることは、すべきではない。誰もあなたの心の中に場所を占めるべきではないし、あなたは人々を―とりわけあなたが崇拝する人々を―神と劣らないもの、神と同等なものと考えてはならない。これは神にとって耐えられないことである。

9.あなたは教会の仕事を中心として考えるべきで、自分の肉体の見通しは脇にどけておき、家族の問題については決然とし、心から神の働きに専心し、神の働きを第1にし、自分自身の生活は第2にするべきである。これが聖徒の礼儀正しさである。

10. 信仰のない家族(あなたの子供たち、夫または妻、姉妹または両親など)を無理に教会に行かせるべきではない。神の家はメンバーに不足はないし、役に立たない人々で数を作り出す必要もない。喜んで信じる人々でなければすべて教会に導きいれてはならない。この命令はすべての人々に向けられる。この件に関し、あなたたちはお互いにチェックし、観察し、気付かせるべきである。だれでもそれを犯してはいけない。信仰のない家族が嫌々教会に入る時でさえ、彼らに本を与えたり、新しい名前を与えたりしてはならない。そのような人々は神の家には属しておらず、必要ないかなる手段を用いても彼らが教会に入ることは止めなければならない。悪魔が侵入したために教会に問題が持ち込まれたら、あなた自身が除名されるか、またはいくつかの制約が課せられるだろう。要するに、誰もがこの件に関して責任があり、あなたは自分勝手なことをしてはならないし、個人的恨みを晴らすために使ってはならない。

 

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全能神の御言葉カード

2018-01-27 02:01:05 | 全能神御言葉カード

は言われた。

 

 

 

 東方閃電全能神教会は、主イエスの再臨である終わりの日のキリスト全能神の現れと働きによって創られました。当教会は、全能神ご自身によって全てが創られたもので、決して人によって創られたものではありません。今日では、全能神の言葉、福音映画、讃美歌などは、ネットワークを通じて世界中のすべての国々に広がっています。神の羊は神の御声を聞きます。全能神の言葉を読めば神が現れられたのを見ることができます。


全能神の発表「あなたは信仰について何を知っているか」

2018-01-25 11:35:46 | 全能神の発表

 人は信仰という不確かな言葉だけは知っているが、人は何が信仰を構成しているかを知らないし、ましてやなぜ信仰を持っているのかも知らない。人はあまりにも少ししか理解していないし、あまりにも欠乏している。人はあまり考えず知識もないままわたしに信仰を持っている。人は信仰とは何かもなぜわたしを信仰しているのかも知らないけれど、執拗にわたしを信仰し続けている。わたしが人に求めることは、ただ単に人がこのように執拗にわたしを求めたりすることだけでもなく、気まぐれにわたしを信じたりすることだけでもない。なぜなら、わたしのする働きは人がわたしを見たり、わたしを知ったりするようになるためであり、人がわたしの働きの故に心を動かされ、新しい光の中でわたしを見るためではない。わたしは以前には多くのしるしと不思議を顕し、多くの奇跡を行った。当時のイスラエル人たちはわたしに大いなる賞賛を示し、病人を癒し悪魔を追い出すことのできるわたしの並はずれた能力を大いにあがめた。当時、ユダヤ人たちはわたしの癒しの力は見事で並はずれていると思った。わたしのそのような多くの行いのために、彼らはわたしを尊敬の念をもって眺め、わたしの力のすべてに対し大いに賞賛した。よって、わたしが奇跡を行うのを見た人たちはわたしにぴったりと従った。その結果わたしが病人を癒すのを見るため何千人もの人たちがわたしを取り巻いた。わたしは非常に多くのしるしと不思議を示したが、人は単にわたしを熟練した医師と見なしただけだった。わたしはまた当時の人たちに多くの教えを語ったが、彼らは単にわたしを弟子よりまさっている教師としてしか見なさなかった。今日に至るまで、人々はわたしの働きの歴史的な記録を見てきたのに、わたしは病人を癒す偉大な医師であり、無知な人のための教師であると彼らは引き続き解釈している。そして、彼らはわたしが憐れみ深い主イエス・キリストであると決断した。聖書を解釈する人たちはわたしの医術よりまさっていたかもしれないし、今や彼らの教師をのり越えた弟子たちでさえあるかもしれないが、世界中に名が知られているそのような勇名な人たちは、わたしのことをただの医師と同程度に低く考えている。わたしの行いは海岸の砂の粒子より数が多く、わたしの知恵はソロモンの全ての子孫の知恵より偉大であるのに、人はわたしのことをただの医師や人の名もない教師としてしか思っていない。わたしが癒やさずにいられないほどにわたしを信じる人が何人いるだろうか。何人の人たちが、わたしの力で彼らの体から汚れた霊を追い出さずにはいられないほど、わたしを信じるだろうか。そして何人の人たちが、わたしから平安と喜びを受け取るためだけに、わたしを信じるだろうか。何人の人たちが、より多くの物質的富をわたしから要求するために、わたしを信じ、何人の人たちが、無事にこの人生を生き、またこれから来る世で安全で穏やかに過ごすためだけに、わたしを信じるだろうか。何人の人たちが地獄の苦しみを避け、天国の祝福を受け取るためだけにわたしを信じるだろうか。何人の人たちが一時的慰めのためだけにわたしを信じ、来世で何かを得ることなど求めずにいるだろうか。わたしが激しい怒りを人にもたらし、人が本来持っていたすべての喜びと平安を押収したとき、人は疑い深くなった。わたしが人に地獄の苦しみを与え、天国の祝福を取り戻したとき、人の恥辱は怒りに変わった。人はわたしに癒してくれるように頼んだが、わたしは彼を認めることもせず嫌悪を感じたとき、人はわたしから離れ、魔術師や魔術などの方法を求めた。人がわたしに要求したものすべてを取り除いたとき、彼らはすべて形跡も残さず消えた。だから、わたしがあまりにも多くの恵みを与え、わたしから得るものがあまりにも多くあるので、人はわたしに信仰を持っていると言おう。ユダヤ人たちはわたしの恵みの故にわたしを信じ、わたしが行く所はどこへでもついて来た。限られた知識と経験しかない無知なこの人たちは、わたしが顕したしるしと不思議な業を見ることだけを求めた。彼らはわたしを偉大な奇跡を行うことができるユダヤ人たちの家長として見なした。だから、わたしが人から悪魔を追い出したとき、彼らは、わたしはエリヤであるとか、モーセであるとか、すべての預言者たちの中で最も老齢な預言者であるとか、すべての医師の中で最も偉大な医師であるとか、非常に混乱して語り合った。わたしがいのちであり、道であり、真理であるというわたしの言葉は別として、だれもわたしという存在そのものあるいは、わたしの正体を知り得なかった。わたしの父が住むところは天であるというわたしの言葉は別として、誰もわたしが神のひとり子であり、神自身であることが分からなかった。わたしがすべての人類に贖いをもたらし、人類を贖い戻すというわたしの言葉は別として、だれもわたしが人類の贖い主であることが分からなかった。人は、情け深く哀れみ深い人としてわたしを知っていただけだった。わたしがわたし自身のすべてを説明できることは別として、誰もわたしを認識せず、わたしが生ける神のひとり子であると信じなかった。人はわたしに対してそのような信仰しか持っておらず、このようにわたしを欺く。人はわたしのことをそんな風に見ているのに、どうしてわたしの証人となることができるだろうか。

 人はわたしに信仰を持っているが、わたしの証人にはなることができない、そして、わたしがわたし自身のことを知らせる前には、人はわたしの証人となることはできない。人はわたしが被造物やすべての聖人たちより優れているということしか見ず、わたしが人にはできない働きをするということしか見ない。だから、ユダヤ人から現代の人たちに至るまで、わたしの栄光ある働きを見て来た人たちは、わたしに対して好奇心で一杯になるだけで、たった一人の口もわたしのために証しすることはできない。わたしの父だけがわたしの証人であり、すべての被造物の中でわたしのための道を作った。そうでなければ、わたしがどんなに働いても、人はわたしが創造物の主であることを決して知らないであろう。というのは、人は取ることしか知らず、わたしの働きの故にわたしに信仰を持っているのではない。人はわたしには汚れがなく罪がひとつもないので、またわたしが数多くの奥義を説明できるので、またわたしが群衆よりまさっており、あるいは人はわたしから利益を受けたので、わたしを知っているだけである。しかし、わたしが創造物の主であることを信じている人たちは数少ない。これこそ人がなぜわたしに信仰を持っているか知らないとわたしが言う理由である。人はわたしに信仰を持つ目的や意義を知らないのである。人の現実は欠けており、だから人は、わたしの証人になる価値はほとんどない。あなたがたはほんの少しの真の信仰しか持っておらず、あまりにも少ししか手に入れておらず、だからあなたがたはほとんど証しを持っていないのである。その上、あなたがたは少ししか理解しておらず、あまりにも多くを欠いており、だからあなたがたはわたしの行いに対し証しをするにはあまりふさわしくない。あなたがたの決意は確かにすばらしいだが、あなたがたは神の本質をうまく証言できる確信があるだろうか。あなたがたが体験したり見たりしたことはかつての聖徒や預言者たちのそれにまさっているが、あなたはかつての聖徒や預言者たちの言葉以上の証しができるだろうか。わたしが今あなたがたに授けるものはモーセを超え、ダビデより大きい。だから同じようにわたしはあなたがたの証しがモーセの証しよりまさっており、あなたがたの言葉がダビデの言葉より偉大であるよう求める。わたしはあなたがたに100倍与えるから、同じようにわたしはあなたがたが同じ分だけ返済してくれるよう求める。あなたがたはわたしが人類にいのちを授ける者であり、わたしからいのちを受け取るのはあなたがたで、あなたがたはわたしの証人とならなければならないことを知らなくてはならない。これはわたしがあなたがたに送り、わたしのためにしなければならないあなたがたの本分である。わたしはあなたがたにわたしの栄光をすべて授けてきたし、選ばれた人たちであるイスラエル人が決して受け取らなかったいのちをあなたがたに授けた。だから当然、あなたがたはわたしの証人となり、あなたがたの若さをわたしに捧げ、あなたがたのいのちを差し出さなくてはならない。わたしの栄光を授ける者は誰でもわたしの証人となり、わたしにいのちを捧げるのである。これはずいぶん前に運命づけられていた。わたしの栄光をあなたがたに授けるのはあなたがたにとって幸せなことであり、あなたがたの本分はわたしの栄光を証言することである。幸せを得るためにだけわたしを信じているなら、わたしの働きはあまり意味を持たないだろうし、あなたがたは自分の本分を果たしてはいないのである。イスラエル人たちはわたしの憐れみ、愛、偉大さだけを見、ユダヤ人たちはわたしの忍耐と贖いだけを証言したのである。彼らはわたしの霊の働きのほんの少ししか見なかった。彼らの理解の程度はあなたがたが見たり聞いたりしたことのわずか10,000分の1程度かもしれない。あなたがたが見たことは彼らの中の祭司長たちが見たことさえ上回る。今日、あなたがたが理解している真理は彼らの理解した真理よりまさっており、今日あなたがたが見てきたことは律法の時代に見られたことを超え、恵みの時代に見られたことを超えている。そしてあなたがたが体験したことはモーセやエリヤの体験さえ上回っている。というのは、イスラエル人たちが理解したことはヤーウェの律法だけで、彼らが見たものはヤーウェの背中だけだった。ユダヤ人たちが理解したことはイエスの贖いだけであり、彼らが受けたものはイエスによって授けられた恵みだけであり、彼らが見たものはユダヤ人の家の中のイエスのイメージだけであった。今日あなたがたが見るものはヤーウェの栄光、イエスの贖い、そして今日のわたしの働きのすべてである。あなたがたはわたしの霊の言葉も聞き、わたしの知恵に感謝し、わたしの不思議を知るようになり、そしてわたしの性質について学んだ。わたしはまたあなたがたにわたしの経営(救いの)計画をすべて話した。あなたがたが見たものは単に愛すべき慈悲深い神だけではなく、義に満ちた神でもある。あなたがたはわたしの素晴らしい働きを見てきたし、わたしが激しい怒りと威厳で満ちていることも知った。さらに、わたしはかつて怒りをイエスラエルの家にもたらし、今日その怒りがあなたがたに及んでいることも知っている。あなたがたはイザヤやヨハネより、天のわたしの奥義をもっと理解して来た。あなたがたは先代のあらゆる聖徒たちより、わたしの愛と尊敬に値する特性をもっと知っている。あなたがたが受け取ったものはわたしの真理、道、いのちだけではなく、ヨハネのそれよりも大きいビジョンと啓示である。あなたがたはもっと多くの奥義を理解し、わたしの真の顔も拝した。あなたがたはわたしのさばきをもっと受け入れ、わたしの義なる性質ももっと知った。だから、あなたがたは終わりの日に生まれたけれども、あなたがたの理解は以前のものであり、過去のものである。また今日あることも体験したが、それはわたしの手で成し遂げられた。わたしがあなたがたに求めることは理不尽ではない。というのは、わたしはあなたがたにあまりにもたくさん与え、あなたがたはわたしから多くを見たからである。だから、わたしはあなたがたに昔の聖徒たちがしたように、わたしの証人となってくれるよう願う。そしてこれだけがわたしの心の願いである。

 わたしの証人になってくれたのはわたしの父であったが、わたしはより大きな栄光と創造物の口から出る証しの言葉を受けることを求める。だから、あなたがたに自分の本分を果たさせ、わたしの働きの結果を人々にもたらすという目的のために、わたしのすべてをあなたがたに与える。あなたがたはなぜわたしに信仰を持っているのか理解すべきである。もしあなたがたがわたしの徒弟あるいは患者になるためだけに、あるいは天のわたしの聖徒たちのひとりになるためだけにわたしに従うなら、あなたがたの努力は価値がない。そのような方法でわたしに従うのは単に努力の無駄である。そのような信仰をわたしに持つのは、単にあなたがたの日々を無駄に過ごしているだけで、あなたがたの青春を浪費している。そして最後には、あなたがたは何も受けとるものはないだろう。これは無駄な労力ではないか。わたしはユダヤ人たちの中からずいぶん前に離れ、わたしはもはや人の医師でも、人のための薬でもない。わたしはもはや、人が意のままに動かしたり、殺したりする牛や馬ではない。むしろ、わたしは人をさばき、刑罰するために、そして人がわたしを知るように、人々の間にやって来た。あなたは知るべきである、わたしはかって贖いの働きをした、わたしはかってイエスであったが、永遠にイエスのままでいることはできない、わたしがかってヤーウェであったが、後にイエスになったように。わたしは人類の神、創造物の主であるが、わたしはいつまでもイエスのままでいることはできない、あるいはいつまでもヤーウェのままでいることはできない。わたしは人が医師と考えた者だったが、神は単に人類の医師であるということはできない。だから、もしあなたがわたしの信仰において古い見方を持つなら、あなたは何も達成しないだろう。 あなたが今日「神はなんと愛おしいお方か、神は私を癒してくださり、祝福、平安、喜びを与えてくださる。神はなんと人に対して良きお方か。もし私たちが神に信仰を持っているなら、お金も、富も何も心配する必要はない…」と言って、どんなにわたしを賛美しても、わたしはやはりわたしの本来の働きを中断することはできない。今日あなたがわたしを信じているなら、あなたはわたしの栄光だけを受けとり、わたしの証人になる価値があり、他のことはすべて二の次となる。これこそあなたがはっきり知らなければならないことである。

 さて、あなたは、なぜあなたがわたしを信じるか本当に知っているだろうか。あなたはわたしの働きの目的と意義を本当に知っているだろうか。あなたは自分の本分を本当に知っているだろうか。あなたはわたしの証しを本当に知っているだろうか。もしあなたが単にわたしを信じ、わたしの栄光もわたしの証しもあなたの中に見ることができないなら、わたしはとうの昔にあなたを投げ捨ててしまっただろう。そのことをすべて知っている者たちに関して言えば、彼らはわたしの目にはイバラでさえあり、わたしの家では、彼らは単に躓きの石でしかない。彼らは少しも役に立たず、重要でないので、わたしの働きにおいて完全に選り分けなければならない毒麦である。わたしはずいぶん前に彼らを忌み嫌ってきた。証しをしないこれらの者たちに関して、わたしの怒りは永遠にあり、わたしのむちは彼らから離れることは決してない。わたしはずいぶん前に彼らを悪者の手に渡し、彼らはわたしの祝福を少しも持っていない。その日、彼らの罰は愚かな女たちの罰よりはるかに痛みを伴う。今、わたしはわたしの義務である仕事だけしている。わたしはすべての麦を毒麦と共に束に縛る。これが今のわたしの仕事である。これらの毒麦はわたしが選び出している時にすべて選別され、麦粒は倉庫に集められ、選り分けられた毒麦は火の中で燃やされ灰となる。わたしの今の仕事はあらゆる人たちをただ束に縛ることで、つまり完全に彼らを征服することだけである。それから、すべての人たちの最後を明らかにするために選別を始めよう。だから、あなたは今どのようにわたしを満足させ、どのように正しい信仰の道を整えるかを知るべきである。わたしが求めるものは、今このときのあなたの忠誠心と服従、今この時のあなたの愛と証しである。たとえあなたが証しをするとは何か、愛とは何かをこの瞬間知らなくても、あなたのすべてをわたしに持ってくるべきで、あなたが持っている唯一の宝物、つまりあなたの忠誠心と服従心をわたしに差し出すべきである。あなたは知るべきである、わたしがサタンを打ち負かしたことに対する証しは人の忠誠心と従順に見ることができ、わたしが人を完全征服したことに対する証しもそうであることを。わたしへのあなたの信仰の義務はわたしの証人となること、わたしに忠実無二であること、最後まで従順であることである。わたしの働きの次のステップを始める前に、あなたはどのようにわたしの証人となるのか。あなたはいかにしてわたしに忠実であり、服従するのか。あなたの役目のためにすべての忠誠心を捧げるか、それとも単にあきらめるのか。あなたはむしろわたしのすべての取り決め(それが死であっても、崩壊であっても)に服従するか、それとも、わたしの刑罰を避けるために途中で逃げ出すか。わたしがあなたを刑罰するのはあなたがわたしの証人となり、忠誠を尽くしわたしに服従するためである。また、現在の刑罰はわたしの働きの次のステップが明らかにされ、仕事の進展が妨げられないためである。よって、わたしはあなたが賢くなり、あなたのいのちや存在の意義を価値のない砂のように取り扱わないよう勧告する。あなたはわたしのこれからの働きがどんなものになるか正確に分かるだろうか。あなたはこれからわたしがどのように働き、わたしの働きがどのように展開していくか知っているだろうか。あなたはわたしの働きに関するあなたの体験の意義、さらにわたしへのあなたの信仰の意義を知るべきである。わたしは多くの事を行ってきた。あなたが想像するように、わたしは途中であきらめることなどできようか。わたしはそのように幅広い働きをなしてきた。どうしてそれを台無しにすることなどできようか。確かに、わたしはこの時代を終わりにするために来た。これは本当だが、それ以上にわたしは新しい時代を始め、仕事を始め、そして何よりも、神の国の福音を広めようとしていることをあなたは知らなければならない。だからあなたは、現在の働きは時代を始めることだけであり、福音を伝えるための基盤を築き、将来に時代を終わらせるための基盤を築くことであることを知らなければならない。わたしの働きはあなたが思うほど単純ではないし、あなたが信じているほど価値がなく意味のないものではない。だから、わたしは前にも言ったように言う。あなたはわたしの働きのために命を捧げ、それ以上にわたしの栄光のためにあなた自身を捧げるべきである。さらに、あなたがわたしの証人になることはわたしが長い間待っていたことであり、それ以上に、あなたがわたしの福音を宣べ伝えるのを待ち望んでいた。あなたはわたしの心にあるものを理解すべきである。

 

 

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もっと知る: [東方閃電全能神教会はどうやって創られたでしょうか


全能神の御言葉カード

2018-01-24 10:04:30 | 全能神御言葉カード

は言われた。

 

 


 [東方閃電全能神教会は、主イエスの再臨である終わりの日のキリスト全能神の現れと働きによって創られました。当教会は、全能神ご自身によって全てが創られたもので、決して人によって創られたものではありません。今日では、全能神の言葉、福音映画、讃美歌などは、ネットワークを通じて世界中のすべての国々に広がっています。神の羊は神の御声を聞きます。全能神の言葉を読めば神が現れられたのを見ることができます。


全能神教会御言葉讃美歌 「彼こそが私達の神」

2018-01-23 10:05:45 | 全能神教会御言葉讃美歌

キリスト それは私達の永遠の救い主「彼こそが私達の神」


彼だけが知っている 私達の考えを
他の誰にも 私達人の 本質を理解することはできない
反抗し堕落していく 私達を裁けない
天の神に代わって語ってくれたり
私達へと 働きかけできない
彼をのぞいては
神の知恵や尊厳 権威も彼だけが持つ
神の性質 神の持つものや 神そのものさえ彼から溢れ出す
彼だけが 私達に 光を与えてくれる
他の誰も正しい道を指し示してくれない
創造以来  明かされていない奥義も
明らかにできる
サタンの束縛 堕落から
私達を救う者はいない
そこから救いだしてくれる者
彼だけがそれをできるのだ


私達の意思が目を覚まし 霊が蘇る
彼は何と か弱い凡人だろう
私達共に暮らしながら
長くのけ者にされてきた
彼は何者なのか?そう、彼こそが
私達待ち望んだイエス・キリスト
彼だ!彼こそが私達の神
真理であり、道であり、命である!
彼だ!彼こそが私達の神
真理であり、道であり、命である!
確かに真理であり、道であり、命である!
彼こそが、私達の待ち望んだイエス・キリスト
彼だ!彼こそが私達の神
真理であり、道であり、命である!
彼だ!彼こそが私達の神
真理であり、道であり、命である!
確かに真理であり、道であり、命である!
                               『言葉は肉において現れる』より

 

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世の終わりのキリスト全能神は、イエスの再臨です、「東方閃電」全能神教会を考察しまょう


 


全能神の発表「地上の神をどのように知るか」

2018-01-22 00:37:04 | 全能神の発表

 あなた方はみなの前で報いを受け、神に認められれば嬉しいだろう。それは、人が神を信じるようになった後、誰もが望むことである。人は一途に更なる高みを目指し、他の人に劣ることを喜ばないからである。人はみなこのようである。このような理由から、あなた方の多くは、いつも天にいる神に取り入ろうとするが、実際には神に対する忠誠心と誠実さは、自らへの忠誠心と誠実さよりもはるかに小さいのである。なぜわたしはこのようなことを言うのか。わたしはあなた方の神への忠誠を全く認めておらず、更にあなた方の心の中にある神の存在を否定しているからだ。つまり、あなた方が崇拝する神、あなた方が敬慕する漠然とした神は、まったく存在しない。わたしがこれを断言できるのは、あなた方が真の神からあまりにも遠く離れているからである。あなた方の忠誠心は、あなた方の心の中にある別の偶像に対するものであり、わたしのこととなると、あなた方の目に映る神は偉大でも小さな存在でもなく、言葉でしかわたしを認めていない。あなた方が神からあまりにも遠く離れているとわたしが言うのは、あなた方が非常に真の神から遠ざかっておりいて、曖昧な神がすぐ近くにいるようだからである。「偉大ではない」というのは、あなた方が今日信仰している神は、大きな力を持ってる訳でもないただの人間、高尚な人ではない人間という意味である。「小さな存在ではない」というのは、この人は風や雨を召喚したりすることはできないが、人を驚かせるほどの天と地を揺るがすことができる聖霊を呼ぶことができる存在を意味する。一見、あなた方はこの地上のキリストに非常に従順であるように見えるが、実質的には彼を信じておらず、愛してもいない。つまり、あなた方が本当に信じているのは、あなた方の感情の中の曖昧な神であり、あなた方が本当に愛しているのはあなた方が一日中慕っているが、直接会ったことのない神である。このキリストに関しては、あなた方の信仰はほんのわずかに過ぎず、彼に対してあなた方は愛など持っていない。信仰とは信じと信頼を意味する。愛とは、崇め、称賛し、決して離れないことである。しかし、今日のキリストに対するあなた方の信仰と愛は、これにはほど遠い。信仰に関しては、あなた方はどのように彼に対して信仰を持つのか。愛に関しては、どのように彼を愛するのか。彼の性質を全く知らず、まして彼の実質など知らないのに、どうやって彼を信じられるのか。あなた方の彼に対する信仰の実体はどこにあるのか。あなた方はどうやって彼を愛しているのか。あなた方の彼に対する愛の実体はどこにあるのか。

 多くの人が躊躇せずわたしに忠誠を誓い、長年にわたりあなた方は多くの疲労を被った。わたしはあなた方一人ひとりの性質と習慣を徹底的に把握できた。あなた方と関係を築くのは非常に困難であった。残念なのは、わたしはあなた方について多くを把握できたが、あなた方はわたしを少しも理解していないことだ。あなた方が混乱している状態で人に騙された、と周りから言われるのは当然だ。確かに、あなた方はわたしの性質を全く理解しておらず、ましてやわたしの考えなど理解出来ていない。あなた方のわたしに対する誤解は、さらに追い打ちをかけるものであり、わたしへの信仰は混乱状態に陥ったままである。わたしに信仰を抱いているという言葉と反対に、あなた方はわたしに取り入り、わたしにへつらっていると言う方が正しい。あなた方の動機は非常にシンプルである。「自分に報いてくれれば、その人物に従う。大災害から守ってくれれば、神でも誰でも信じよう。これは私にとってはどうでもよいことである。」あなた方の中にはこのような人が多くいる。この状況は非常に深刻である。いつの日か、キリストの実質を見極めているからこそキリストへの信仰を持っているという人が何人いるかをテストしたなら、わたしの期待に答えるものは一人もいないであろう。次の質問を考えてみよ。あなた方が信仰している神は、わたしとは大いに異なっている。それでは、神に対するあなた方の信仰の本質は何か。あなた方があなた方のいわゆる神を信じるほど、あなた方はわたしから離れていくのである。それでは、この問題の本質とはなにか。あなた方は誰もこの問題を考えていないと確信しているが、その重大さを考慮したことはあるか。そのような信仰を続けていると、どうなるかを考えたことはあるか。

 さて、あなた方の前に提示されている問題は多く、解決するのが上手な人はいない。これが続けば、破滅するのはあなた方自身だけである。わたしは問題を認識できるように手を貸すが、解決できるかどうかはあなた方の手にかかっている。

 わたしは他人に対して疑いを持っていない人を高く評価し、真理を容易に受け入れる人を好んでいる。わたしはこれらの2つの種類の人間を大切にする。わたしの目には正直な者たちだからだ。あなたが非常に狡猾であるならば、あなたはすべての事柄およびすべての人に関して疑いを持つ、器の小さい心と思考を持っているであろう。このため、あなたのわたしに対する信仰は疑念の基礎に基づいている。わたしはそのような信仰は決して認めていない。本当の信仰がなければ、愛は本当の愛からはほど遠い。そして、神を疑い、意のままに推測するようであれば、間違いなくあなたは最も狡猾な人である。あなたは、神が人のようであり得るかどうかを推測する―許し難く罪深いか、器が小さいか、公平性と合理性に欠けるか、正義の感覚に欠けるか、悪意があるか、裏切るか、狡猾さに満ちているか、悪と闇を喜んで受け入れるか、等々。そのような考えを持つのは、神に関する認識を少しも持っていないからではないか。そのような信仰は罪に他ならない。さらに、わたしに取り入る者やこびへつらう者だけをわたしが喜び、そうすることを知らない者たちはみなに受容されなく、神の家では居場所がなくなると信じている者さえいる。これが長年にかけてあなた方が培ってきた認識というものか。これがあなた方が得たものか。このような誤解だけなどではない。神の霊への冒とくや天に対する悪口、それらがあなた方のわたしに対する見識だ。だからわたしは、あなた方の信仰はわたしから遠ざかり、わたしに強く反発するだけだと言うのだ。何年もの間、あなた方は多くの真理を見てきたが、わたしの耳に何が聞こえたのか分かるだろうか。あなた方の中で真理を受け入れる意思がある人はどれくらいいるだろうか。あなた方は真理のためにはどんな代償でも払うと信じているが、真理のために本当に苦しんだ人はどれだけいるだろうか。あなた方の心の中にあるものはすべて不義であるため、誰でもみな狡猾でねじ曲がった者だと思い込んでいる。受肉した神でさえ、優しさや慈悲深い愛などない、普通の人間のようだと信じてさえいる。それだけではなく、高貴な人格と慈悲深く慈愛に富んだ人格は天国の神だけが持つと信じている。そして、あなた方はそのような聖者は存在せず、暗闇と悪によってのみこの世は統治されており、神は単に人が希望をおいている栄光あるゴールでしかなく、人工的に作り上げられた伝説的な存在でしかないと信じている。あなた方の心の中では、天の神は非常に公正で義であり、偉大で、人間が礼拝し崇拝するにふさわしいであるが、地上の神は、単に天の神の代役であり、天の神の道具に過ぎない。あなた方はこの神は天の神とは比べ物にならず、天の神と同等に語られるような方ではないと信じている。神の偉大さと誉れと、天の神の栄光に属し、人の本性と堕落となると、この地上の神に属するものとする。天の神は永遠に高尚であるが、地上の神は永遠に重要ではなく、弱く、無能となっている。天の神は感情に左右されず常に正しいが、地上の神はただ自分勝手な動機しか持たず、公平性や合理性を欠いてことになっている。天の神にはひとつも歪みがなく永遠に忠実であるが、地上の神は常に不正直な面を持つとなっている。天の神は人を深く愛するが、地上の神は人への配慮が不十分で完全に無視してさえいるとなっている。この誤った認識は、長い間あなた方の心の中にあり、これからも続くだろう。あなた方はキリストのすべての行いを不義の立場から見、キリストの全ての働きと存在を邪悪な者の視点から判断しているのである。あなた方は重大な過ちを犯し、祖先が決して行わなかったことを行っているのである。つまり、あなた方は頭の上に王冠を付けている崇高な天の神のみに仕え、目に見えないほど取るに足らないと考えている神には見向きもしない。これはあなた方の罪ではないのか。これは神の性質に対する典型的な敵対ではないか。あなた方は天の神を大いに礼拝する。あなた方は崇高な人物を心から崇拝し、雄弁な人を尊敬する。あなた方は一握りの富を与える神には喜んで仕え、すべての欲望を満たす神を思い焦がれる。あなたが崇拝しない唯一の神は、高尚ではないこの神である。あなたの唯一の憎悪の対象は、誰も評価しない神に関わり合いを持つことである。あなたが唯一やりたくないこととは、一銭もくれないこの神に仕えることであり、あなたはこの魅力のない神にだけは憧れない。そのような神によっては、あなたの視野が広がって宝を発見したと感じるようなことはなく、ましてや望みを叶えることもない。ではなぜ彼に従うのか。この質問を考えたことはあるか。

 あなたがしていることは、このキリストを怒らせるだけでなく、もっと重要なことに、天の神を怒らせることになる。これが神への信仰の目的ではない!あなた方は神に喜ばれることを大いに望んでいながら、神から非常にかけ離れている。何が問題なのか。あなた方は彼の言葉だけを受け入れているが、彼による取り扱い、刈り込みは受け入れず、ましてや彼による一つ一つの采配など受け入れない。さらに、あなた方は彼を完全に信じることができない。では何が問題なのか。根本的に、あなた方の信仰は、ひよこを生むことのない空の卵である。というのは、あなた方の信仰は真理やいのちをもたらすものではなく、代わりに架空の希望と支えをもたらした。あなた方の神に対する信仰の目的は、真理といのちのためではなく、この希望と支援のためである。それゆえ、神に対するあなた方の信仰とは、追従と恥知らずの心によって神の恵みを得ようとするもの以外の何ものでもなく、決して真の信仰とはみなされないのである。このような信仰からどのようにひよこが生まれるであろうか。言い換えれば、そのような信仰からどんな実がみのるというのか。あなた方の神への信仰の目的は、神を利用して自分の目的を果たすことである。それも神の性質に敵対していることの現れではないのか。あなた方は天の神の存在を信じるが、地上の神の存在を否定している。しかし、わたしはそのような見方を認めない。わたしは足を地に着けて地上の神に仕えるものだけを賞賛し、地上のキリストを認識しないものは絶対に認めないのである。そのような人たちが天にいる神にどれほど忠実であっても、結局、邪悪な者を罰するわたしの手を逃れることはないのである。そのような人は邪悪な者である。彼らは神に逆らい、喜んでキリストに服従したことのない邪悪な者である。もちろん、これにはキリストを知らないもの、およびキリストを認めないものも含まれる。天の神に忠実である限り、キリストに対する行いはどうでもよいと思っている。それは間違いである。キリストに対する無知は、天の神に対する無知である。天にいる神にどれほど忠実であっても、それは単に無意味で偽りである。地上の神は真理とより深い認識を受ける人のための道しるべとして働くだけではなく、人間に対して有罪宣告し、その後邪悪なものを罰するための事実を押収する活動に関与してもいる。かかる恩恵および結果が分かっただろうか。これを体験したことはあるだろうか。この真理を理解できる日が一刻も早く訪れることを願っている。神を知るには天の神だけではなく、地上の神を知ることがもっと重要なのである。優先順位について混乱を招き、従属者が支配者と取って代わるような考え方をしてはならない。神と本当に良好な関係を築き、神に近づき、心を神に近づけるには、この方法しかないのである。長年信仰を持ち、わたしと長く関わっていながら、未だにわたしから遠く離れているのであれば、あなたは度々神の性質に背いているのであり、あなたの最後は定かではない。わたしとの長年の関わり合いをもってしても慈悲心と真理を持つ人間とならず、代わりに邪悪な生き方が浸透しており、人一倍傲慢であるだけでなく、わたしに対する誤解が酷く、わたしを仲間としてしか見ないようであれば、あなたの苦しみは皮膚だけにとどまらず、骨にまで浸透してしまっている。その場合、為せるべきことは自らの葬儀が来るまで待つしかない。その時になってあなたの神になってほしいと嘆願する必要はない。あなたは死に値する、赦されない罪を犯してしまったのであるから。例えわたしが慈悲を与えることができたとしても、天の神はあなたの命を取ることを主張するであろう。神の性質に対する罪は普通の問題ではなく、非常に深刻な性質のものだからだ。時が来たら、なぜ事前に説明しなかったのかとわたしを責めるな。すべては次の真実にかかっている。地上の神であるキリストをただの人間と関連付け、この神が人間以外の何ものでもないと信じる時、あなたは滅びるであろう。これがわたしからのすべての人に対する唯一の忠告である。

 

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