全能神は真理です

全能神―主イエスの再臨

全能神の発表「ペテロの経験:刑罰と裁きに関するペテロの認識」抜粋 8

2018-06-30 13:08:19 | 全能神の発表

全能神の発表「ペテロの経験:刑罰と裁きに関するペテロの認識」抜粋 8

 現在、あなたはわたしの言葉を信じず、わたしの言葉を全く気にかけない。この業が広まる日が来て、あなたがその全てを認識する時、あなたは後悔し、唖然とするであろう。祝福があるが、あなたはそれを享受する方法を知らない。また真理はあるが、あなたはそれを求めない。あなたは、自分自身を侮辱しているのではなかろうか。現在、神の業の次の段階はまだ始まって居ないが、あなたに対する要求や、あなたが行動で示すよう求められている事には、何も例外的な事は無い。極めて多くの業と真理がある。そうした業と真理は、あなたに知られる価値があるのではなかろうか。神の刑罰と裁きは、あなたの霊を目覚めさせることが出来ないであろうか。神の刑罰と裁きは、あなたに自分を忌み嫌わせることが出来ないであろうか。あなたは、サタンの領域で、ちょっとした肉の享楽と共に平和に喜んで暮らすことに満足しているであろうか。あなたは全ての人間のうち、最も卑しい者ではなかろうか。救いを見たことがあるが、それを追求しない者よりも愚かな者は居ない。そうした者は、自らを肉で満たし、サタンを堪能する者である。あなたは、神に対する自分の信仰が、問題や苦難、些細な問題の原因とならないことを望む。あなたは、常に無価値な物事を追求し、いのちの価値を全く認めず、自分の途方もない考えを真理よりも優先している。あなたは極めて無価値である。あなたは豚のように生きている。あなたと、豚と犬には、何か相違があるだろうか。真理を追求せずに肉を愛する者は、皆獣ではなかろうか。霊の無い死んだ者は、皆生ける屍ではなかろうか。あなたがたに対して語られた言葉は、いくつあるであろうか。あなたがたに対して行われた業は、ほんの少しであろうか。わたしは、あなたがたに対して、どの程度与えたであろうか。それでは、あなたがそれを得ていないのは何故だろうか。あなたが不平を言うべき物事は、何があるだろうか。あなたが肉を愛しすぎているので、何も得られなかったということではなかろうか。また、その原因は、あなたの考えが突飛すぎることではなかろうか。また、その原因はあなたが愚か過ぎることではなかろうか。あなたは、自分がこれらの祝福を得られない場合、自分が救われなかったことについて、神を責められるであろうか。あなたが求めていることは、神を信じた後に平和を得ることが出来るようになることである。つまり、自分の子が病気にかからないこと、自分の夫が好ましい職に就くこと、自分の息子が良い妻と出会うこと、自分の娘が人並みの夫を見つけること、自分の牛や馬が十分に土地を耕すこと、一年間、作物に適した気候となることなどである。あなたは、そうした物事を求める。あなたの追求は、単に快適に暮らすためであり、自分の家族に事故が起こらないこと、風が自分に当たらないこと、顔に砂がかからないこと、家族の作物が洪水に遭わないこと、災害を受けないこと、神に抱かれて生きること、快適な住処で生活することを求めている。常に肉の欲を求める、あなたのような臆病者には、心や霊があるだろうか。あなたは獣ではなかろうか。わたしは、何も見返りを求めずに、真の道を与えるが、あなたは求めない。あなたは、神を信じる者のひとりであろうか。わたしは、真の人生をあなたに与えるが、あなたは求めない。あなたは豚や犬とは違わないのではないか。豚は、人生や、清められることを追求せず、人生とは何かを理解しない。毎日、食べたいだけ食べた後、ただ寝るだけである。わたしは、あなたに真の道を与えたが、あなたは未だにそれを得ていない。あなたは、手ぶらである。あなたは、人生において、そうした豚の生活を続けることを望んでいるのであろうか。そうした人々が生きていることの意味は、何であろうか。あなたの生活は、恥辱的であり、下劣であり、あなたは不浄と放蕩の中で暮らし、何も目指す目標が無い。あなたの人生は、最も下劣ではなかろうか。あなたは、厚かましくも神を見上げるであろうか。あなたは、このような経験を続けるならば、得る物は無いのではなかろうか。真の道はあなたに与えられているが、最終的にあなたがそれを得られるかどうかは、あなた自身の追求により決まる。人々は、神は義なる神であり、人間が最後まで神に付き従う限り、神は最も義である故に、神は人間に対して公平であると言う。人間が最後まで神に付き従ったならば、神は人間を退けられるであろうか。わたしは全ての者に対して公平であり、全ての者を自分の義なる性質により裁くが、わたしは人間に対する要求に適切な条件を設けており、誰でも人間は、皆わたしの要求を満たす必要がある。

 

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全能神教会讃美歌「聖霊の新しい業に従い神の賞賛を得る」

2018-06-28 11:06:23 | 全能神教会御言葉讃美歌

 

全能神教会讃美歌「聖霊の新しい業に従い神の賞賛を得る」

聖霊の業に従うとは 今日の神の意志を理解すること
要求に沿って行動し、今日の神に従うこと
神が今望むことに従い 神の新たな言葉により
真の道に入ること そのような人々が聖霊の業に従う
彼らは聖霊の流れの中 神を見て賞賛を得る
彼らは神の性質、人の観念や不従順さ
性質や本性を知り
彼らの性質は神に仕える過程で変化する
このような人々だけが 神を得ることができる
このような人々だけが 唯一の真の道を見出した者たち

神の最新の業の認識を 得るのは容易ではないが
もし意図的に神の業に従い、探し求めるなら
神を見るチャンスと聖霊の新たな導きを得て
彼らの性質は神に仕える過程で変化する
このような人々だけが 神を得ることができる
このような人々だけが 唯一の真の道を見出した者たち
神の業に敢えて逆らうものは
聖霊の啓示や神の導きを受けられない
神の最新の業を受けることができるかどうかは
神の恵みと彼らの追求と意図次第である


                                      『言葉は肉において現れる』より

 

 

 


全能神の発表「ペテロの経験:刑罰と裁きに関するペテロの認識」抜粋 7

2018-06-27 20:19:47 | 全能神の発表

全能神の発表「ペテロの経験:刑罰と裁きに関するペテロの認識」抜粋 7

 数多くの業や言葉が、あなたに対して全く効果が無いのであれば、神の業を広める時が来ると、あなたは自分の本分を尽くせずに辱められ、屈辱を感じるであろう。この時、あなたは神に対して多大な負債があり、神に関する自分の認識が極めて表層的であると感じるであろう。現在、神が業を行っている間に、あなたが神に関する認識を求めないのであれば、今後では手遅れとなるであろう。最終的に、あなたは話をすることが出来る認識が一切無い。あなたには何も無く、空虚なままとなるであろう。それならば、あなたは神に対して何を用いて申し開きをするであろうか。あなたは、厚かましくも神を見上げるであろうか。あなたは、最終的に自分がペテロのように、神の刑罰と裁きが如何に有益であるかを知り、神の刑罰と裁きが無ければ、人間は救われ得ず、不浄の地の泥沼に一層深く沈むしか無いことを知るために、現在における自分の追求に努力する必要がある。人間はサタンにより腐敗させられ、互いに陰謀を企て合い、互いに身勝手に振る舞い合い、神に対する畏れを失っており、人間の不従順は過大であり、人間の観念は過多であり、人間は皆サタンのものである。神の刑罰と裁きなくしては、人間の腐敗した性質を清めることは出来ず、人間は救われ得ないであろう。肉にある神の業により表された物事は、まさに霊により表された物事であり、神が行う業は霊により行われた業に従って行われる。現在、この業に関する認識が、あなたに無いのであれば、あなたは極めて愚かであり、極めて多くを失った。あなたが神の救いを得ていないのであれば、あなたの信仰は宗教的信仰であり、あなたは宗教的なキリスト教徒である。あなたは死んだ教義に固執しているので、聖霊の新たな業を失った。神の愛を追求する他の者は、真理といのちを得ることが出来るが、あなたの信仰は、神の承認を得ることが出来ない。その代わりに、あなたは邪悪を行う者となり、破滅をもたらし憎しみに満ちた行動を取る者となり、サタンの悪戯の標的となり、サタンの虜となった。神は、人間が信じるべき存在ではなく、人間が愛し、求め、崇拝すべき存在である。今日、あなたが求めないならば、いつか、あなたが「自分が神に適切に従い、神を満足させてさえいれば良かったのに。自分のいのちの性質の変化を追求してさえいれば良かったのに。あの時、神に服従することが出来なかった事、神の御言葉に関する認識を追求しなかった事を、どれほど後悔していることか。あの時、神は多くの事を言われた。私はなぜ、追求できなかったのだろうか。私は極めて愚かだった。」と言う日が来るであろう。あなたは、ある程度自己嫌悪に陥るであろう。



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全能神教会讃美歌「神の言葉は人が歩むべき道である」

2018-06-25 00:50:09 | 全能神教会御言葉讃美歌

全能神教会讃美歌「神の言葉は人が歩むべき道である」

どんな時代でも神は 地上で業を行う時

人類に言葉を授け 真理を伝える

それらの真理は人のため 歩むべき道、また

守るべき道として役立ち

神を畏れ 悪を避けるように人を導く

神の言葉は、生活の中で実行すべきもの

人生の旅路において、固く守るべきものなのだ

それが神が言葉を人に授ける理由なのだ

それらの言葉は神が 自ら人に授けるもの

人はそれを守るべきだ いのちを受けるために

神の言葉に従わず それを実行せず

日々の暮らしで生かさないなら

人は神の真理を 実践していることにはならない

神の真理をもしも実践していないとするなら

人は神を畏れ、悪を避けることはできない

そういう人は神を満足させることはできない

そして神を満足させることができないのならば

人は神から賞賛を受けることなどない

そういう人は何ひとつ成果を残せないだろう 

                                            『言葉は肉において現れる』より

 

 

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全能神の発表「ペテロの経験:刑罰と裁きに関するペテロの認識」抜粋 6

2018-06-24 19:01:26 | 全能神の発表

東方閃電全能神の発表「ペテロの経験:刑罰と裁きに関するペテロの認識」抜粋6

 そうした者は、征服された後も、明白な証が無い。そうした者は、単にサタンを辱めただけであり、神の言葉の現実を行動で示していない。あなたは、未だに2番目の救いを得て居ない。あなたは、単に罪のいけにえを得たにすぎず、まだ完全にされてはいない。それは何と大きな損失であろうか。あなたがたは、自分が成長すべき事、行動で示すべき事を理解し、それらにおいて成長する必要がある。最終的に、あなたが完全にされることを達成せず、真の人間ではない場合、後悔の念で満たされるであろう。最初に神により造られたアダムとエバは、聖い人間であった。すなわちエデンの園に居た両人は聖く、汚れが無かった。また両人はヤーウェに忠誠であって、ヤーウェを裏切ることを一切知らなかった。なぜなら、両人はサタンの影響による侵害を全く受けず、サタンに毒されておらず、全人類のなかで最も清らかだったからである。両人はエデンの園に住み、一切不浄に汚されることなく、一切肉に囚われることなく、ヤーウェを畏れ敬っていた。その後、両人がサタンに誘惑された時、両人はへびの毒に見舞われ、ヤーウェを裏切ることを望み、サタンの影響下で生きた。当初、両人は聖く、ヤーウェを敬っていた。そうすることが、彼らを人間としていた。その後、両人がサタンに誘惑された時、両人は、善悪を知る木の実を食べて、サタンの影響下で生きた。両人は、サタンにより次第に腐敗させられ、元来の人間像を失っていった。当初、人間にはヤーウェの息吹があり、不従順であることは一切無く、心に邪悪は一切無かった。この時、人間は真に人間であった。人間は、サタンにより腐敗させられた後、獣となった。人間の考えは邪悪と不浄で満たされ、善良さや聖さは無かった。それはサタンではなかろうか。あなたは神の業の多くを経験したが、変化しておらず、清められてもいない。あなたは依然としてサタンの領域で暮らし、神に服従しないままである。それが、既に征服されているが、まだ完全にされていない者である。それでは、そうした者が、まだ完全にされていない者であると言われるのは何故だろうか。それは、その者がいのちも、神の業に関する認識も求めず、肉の享楽や束の間の快楽をむやみに欲するからである。その結果、そうした者のいのちの性質は全く変化せず、神に造られた当時の、人間の元来の姿を取り戻していないからである。そうした者は生ける屍であり、霊のない死者である。霊の問題に関する認識を追求しない者、聖さを追求しない者、真理を行動で示すことを追求しない者、否定的側面で征服される事のみで満足する者、真理を行動で示して聖い者のひとりとなれない者は、皆救われていない者である。なぜなら、人間に真理が無い場合、人間は神の試練の時に揺るぎなく耐えることができないからである。神の試練の時に揺るぎなく耐えられる者のみが、救われた者である。わたしが望むのは、完全にされることを求める、ペテロのような人物である。現在の真理は、真理を待ち望み、求める者に与えられている。この救いは、神により救われることを待ち望む者に与えられており、あなたがたが得るためだけのものではなく、あなたがたが神により得られるようにすることをも目的とするものである。あなたがたは、神があなたがたを得られるようにするため、神を得る。今日、わたしはあなたがたにこの話をし、あなたがたはそれを聞いたので、あなたがたはこの話に従って実践すべきである。最終的に、あなたがたがこの話を実践する時は、わたしがこの話によりあなたがたを得る時である。それと同時に、あなたがたはこの話を得る、すなわち、あなたがたはこの至高の救いを得るであろう。あなたがたが清められた後、あなたがたは真の人間となるであろう。もし、あなたが真理を行動で示す事、あるいは完全にされた者の像を行動で示す事が出来ない場合、あなたは人間ではなく、生ける屍であり、獣であると言えるであろう。なぜなら、あなたには真理が無く、つまりあなたにはヤーウェの息吹が無く、したがってあなたは霊の無い死者だからである。征服された後に証しに立つことは可能であるが、あなたが得るのは多少の救いであり、あなたは霊を備えた生き物となってはいない。あなたは刑罰と裁きを経験したが、その結果自分の性質が刷新されることも変化することも無いままである。あなたは依然として従来の自分自身のままであり、サタンに属しており、清められた者ではない。完全にされた者のみに価値があり、そうした者のみが真の人生を得ている。いつの日か、誰かがあなたにこう言うであろう。「あなたは神の御業を経験したのだから、神の御業はどのようなものか、少し話をして欲しい。ダビデは神の御業を経験し、ヤーウェの御業を目の当たりにし、モーセもまたヤーウェの御業を目の当たりにしたので、両者ともヤーウェの御業を説明し、その奇しさについて話をすることが出来た。あなたがたは肉にある神の御業を目の当たりにした。あなたがたは神の知恵について話が出来るだろうか。神の御業の奇しさについて話ができるだろうか。神はあなたがたに何を要求され、あなたがたはそれをどのように経験しただろうか。あなたがたは終わりの日における神の御業を経験した。あなたがたが見たもののうち、最も素晴らしいビジョンは何であろうか。そのことについて話せるであろうか。神の義なるご性質について話せるであろうか。」あなたは、このように質問された時、どう答えるであろうか。あなたが「神は義であり、人間に刑罰と裁きを与えられ、人間を容赦なく暴露される。神のご性質は、人間による侵害を決して容赦しない。神の御業を経験した後、私は人間の獣のような側面を知り、神の義なるご性質を真に目の当たりにした。」と答えられるのであれば、その者は続けて「それ以外に、あなたが神に関して知っていることはあるだろうか。人間は、どのようにして、いのちの成長を得るだろうか。あなたには、個人的な熱意があるだろうか。」と尋ねるであろう。あなたは「サタンに腐敗させられた後、被造物は獣となって、ロバ同然であった。現在、私は神の御手の中で生活しているので、創造主の心を満たし、創造主の教え全てに従う必要がある。私は、そうするほか無い。」と答えるであろう。あなたがそのような全般的な話だけをするならば、その者はあなたの話を理解しないであろう。そうした者が、あなたには神の業に関してどのような認識があるか、と訪ねた時、そうした者はあなた自身の経験のことを言っている。そうした者は、あなたには神の刑罰や裁きを経験した後、その刑罰や裁きについてどのような認識があるか、と尋ねているのであり、それはあなた自身の経験のことを言っているのであり、真理に関するあなたの認識について話をするよう求めている。あなたが、そうした物事について話せなかったならば、それはあなたが、現在の業について何も知らないことを示す。あなたは常に、もっともらしい話、あるいは一般に知られている話をする。あなたには具体的な経験が一切無く、いわんや自分の認識に本質があることは一切無く、真の証しも一切無いので、他の者はあなたに説得されない。受動的に神に付き従う者となってはならず、好奇心をそそる物事を追求してはならない。あなたは冷たくも熱くもないので、あなたは自分を喪失し、人生に遅れを生じさせるだろう。あなたは、真理を得て、それを行動で示すことができるように、自分の受動性と不活性を排除し、肯定的な物事の追求と自分の弱みを乗り越えることに熟達する必要がある。あなたの弱みについて、恐れることは一切無く、あなたの欠点は最大の問題では無い。あなたの最大の問題であり、最大の欠点であるのは、冷たくも熱くもなく、真理を追求する望みが欠如していることである。あなたがた全員の最大の問題は、臆病な精神により物事の現状に満足し、受動的に待っていることである。それがあなたがたにとって最大の障害であり、あなたがたが真理を追求する際における最強の敵である。あなたが単にわたしの話が極めて重大であるために従うのであれば、あなたは真に認識を備えておらず、真理を大切にしていない。あなたの従順さのような従順さは、証しとみなされず、わたしはそうした従順さを認めない。誰かがあなたに「あなたの神は、正確に言うとどこから来るのだろうか。あなたの神の本質は何であろうか。」と尋ねるかも知れない。あなたは「神の本質は、刑罰と裁きである」と答えるであろう。「神は人間に対して思いやりがあり、愛情があるのではなかろうか。あなたは、それについて知っているであろうか。」あなたは「それは他の者の神である。それは宗教の人々が信じている神であって、私達の神ではない。」と言うであろう。あなたのような人々が福音を広める時、真の道はあなたによって歪められる。それならば、あなたは何の役にたつというのか。どうして他の者があなたから真の道を得ることが出来ようか。あなたに真理は無く、真理について一切話が出来ず、あまつさえ真理を行動で示すことも出来ない。どうしてあなたに神の前で生きる資格があろうか。あなたが他人に福音を広め、真理について話し、神の証しに立つ時、あなたが他人を説得出来なければ、他人があなたの話を論駁するであろう。あなたは場所を無駄にしているのではなかろうか。あなたは神の業を極めて多く経験してきたが、真理について話をすると、意味不明である。あなたは全くの役立たずではなかろうか。あなたは、何の役に立つというのか。あなたがたは、神の業の多くを経験しながら、よくもまだ神に関して全く認識が無いままでいられるものだ。神に関するあなたの真の認識を他人に尋ねられると、あなたは絶句するか、あるいは神には大いなる力がある、あなたが授かった祝福は真に神により引き上げられることである、自分で神を見ることが出来ること以上の特権は無いなど、無関係な事を答える。そうした事を述べる事に、何の価値があるであろうか。それは無用の空虚な言葉である。神の業を極めて多く経験してきたにもかかわらず、あなたが知っているのは、神に引き上げられることが真理であることだけだというのか。あなたは、神の業を知る必要があり、そうして初めて本当に神の証しに立てるようになるであろう。真理を得ていない者が、どうして神の証しに立てようか。



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全能神教会の御言葉カード

2018-06-23 13:12:30 | 全能神御言葉カード

全能神は言われた。

 

 

 [東方閃電全能神教会は、主イエスの再臨である終わりの日のキリスト全能神の現れと働きによって創られました。当教会は、全能神ご自身によって全てが創られたもので、決して人によって創られたものではありません。今日では、全能神の言葉、福音映画、讃美歌などは、ネットワークを通じて世界中のすべての国々に広がっています。神の羊は神の御声を聞きます。全能神の言葉を読めば神が現れられたのを見ることができます。


全能神教会合唱とドキュメンタリー「万物の主権を握るお方」

2018-06-22 09:29:56 | 全能神教会合唱団シリーズ

東方閃電全能神教会合唱とドキュメンタリー「万物の主権を握るお方」

 広大な宇宙に広がる天体。それぞれが寸分の狂いもなく軌道を回る。天の下では山も、川も、湖もそれぞれの領域を守り、あらゆる生物はいのちの法則に従い、四季を通じて生き、繁殖する・・・全ては美しく、完璧に作られ、配置されている―それを支配する力強い手は存在するのか。この世に生まれた瞬間から、だれもがその人生に託された役割を担う。人はみな生まれ、老い、病み、そして死ぬ―喜びと悲しみを繰り返しながら・・・人はいったいどこから来てどこへ行くのか?私たちの運命は誰が握っているのか。太古の昔から今日まで、偉大な国家が興り、王朝が栄えては、衰退していった。歴史の渦の中で、国々と民族が繁栄しては消えていった・・・自然の法則同様、人類発展の法則にも神の奥義がある。あなたはその答えが知りたいだろうか。ドキュメンタリー「万物の主権を握るお方」が、あなたをその真髄へと導き、奥義を明らかにする。

 

 

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全能神の発表「ペテロの経験:刑罰と裁きに関するペテロの認識」抜粋5

2018-06-21 10:19:02 | 全能神の発表

 東方閃電全能神の発表「ペテロの経験:刑罰と裁きに関するペテロの認識」抜粋 5

 人間はサタンの領域下において全生涯を過ごし、自分でサタンの影響から逃れられる者は、一人も居ない。人間は、全て汚れた世界で、腐敗と空虚の中で、意味や価値が全く無いままに生きる。人間は、肉や欲のため、そしてサタンのために、そうした気楽な生活を送る。そうした人間には、何の存在価値も無い。人間は、自分をサタンの影響から解放する真理を見出すことができない。人間は神を信じ、聖書を読むにもかかわらず、自分をサタンの影響による支配から解放する方法を理解しない。何時の時代も、この秘密を解き明かして触れた者は寡少である。それ故に、人間はサタンや肉を忌み嫌っているが、サタンの罠のような影響から逃れる方法を知らない。現在、あなたがたは依然としてサタンの領域下に居るのではなかろうか。あなたがたは自分の不従順な行為を後悔せず、まして自分が汚れており、反抗的であると感じることは無い。神に反抗した後、あなたがたは安心したり大いに落ち着いたりすることさえある。あなたの落ち着きは、自分が腐敗していることが原因ではなかろうか。こうした安心は、あなたの反抗に由来するのではなかろうか。人間は、人間の地獄の中で生き、サタンの闇の影響下で生きる。地の全域において、幽霊が人間と共に住み、人間の肉を侵している。あなたは、地において美しいパラダイスに住んではいない。あなたが住む場所は悪魔の領域であり、人間の地獄であり、暗黒の陰府である。ある者が清められなければ、その者は不浄である。その者が神により守られ、神の慈しみを受けていないのであれば、その者は依然としてサタンの虜である。その者が裁きや刑罰を受けていないのであれば、その者はサタンによる闇の影響による弾圧を逃れる術は無いであろう。あなたが依然としてサタンの領域下で生活しているということを証明するには、あなたが示す腐敗した性質と、あなたが行動で示した不従順な態度だけで十分である。あなたは、自分の精神や思想が清められておらず、自分の性質が裁きと刑罰を受けていないのであれば、あなたの存在の全てがサタンの領域に支配されており、あなたの精神はサタンに支配され、考えはサタンに操られ、存在全てがサタンの手により支配されている。あなたは、自分がペテロの基準から一体どれほどかけ離れているか知っているであろうか。あなたには器量があるだろうか。あなたは、現在の刑罰と裁きについて、どの程度理解しているだろうか。あなたは、ペテロが知った事柄について、どの程度把握しているだろうか。現在において、あなたが知ることが出来ないのであれば、将来、その認識に達することが出来るであろうか。あなたのように怠惰で臆病な者が神の刑罰と裁きを知ることは、明らかに出来ない。あなたが肉の平和と享楽を追求するのであれば、あなたには清められる術が全く無く、あなたは結局サタンへと戻るであろう。なぜなら、あなたが行動で示しているのは、サタンと肉だからである。物事の現状として、多数の者がいのちを追求していないが、それは、そうした者が清められることにも、一層深いいのちの経験において成長することにも注意していないことを意味する。それでは、そうした者は、どうして完全にされ得るであろうか。いのちを追求しない者には、完全にされる機会が全く無く、神に関する認識や自分の性質の変化を追求しない者は、サタンの闇の影響から逃れられない。宗教のみを信じるものや、礼拝において儀式に従うだけの者と同様に、そうした者は、神に関する自分の認識や、自分の性質の変化への成長に関して真剣に考えていない。これは、時間の無駄ではないだろうか。ある者が、神に対する自分の信仰の中で、いのちに関する問題を真剣に考えず、真理に入ることを求めず、自分の性質の変化を追求せず、ましてや神の業に関する認識など追求しない、というのであれば、その者は完全にされ得ない。あなたは、自分が完全とされることを望むのであれば、神の業の意味を理解する必要がある。特に、神の刑罰と裁きの意味と、それが人間に対して行われる理由を理解する必要がある。あなたは、受け容れることが出来るであろうか。この種の刑罰において、あなたはペテロと同等の経験と認識に達することが出来るだろうか。あなたが、神の認識と聖霊の業に関する認識を追求し、自分の性質の変化を追求するのであれば、あなたには、完全にされる機会がある。完全にされるべき者については、征服される業のこの段階は不可欠である。人間は、征服されて初めて、完全にされる業を経験できる。征服される役割を遂行することに大きな価値は無く、それによって、あなたが神に使われるに相応しいとみなされることは無いであろう。あなたは、福音の伝播において役割を担う手段も無いであろう。なぜなら、あなたは、いのちや、自分の変化や新たにされることを追求しておらず、いのちの実経験が無いからである。この段階的な業において、あなたは奉仕者や引き立て役を担ったことがあるが、最終的にペテロのようになることを追求せず、あなたの追求が、ペテロが完全にされた道に従わないのであれば、必然的に、あなたは自分の性質の変化を経験しないであろう。あなたは、自分が完全にされることを追求する者であるならば、あなたは証しに立ってこう言うであろう。「この神による段階的御業において、私は神の刑罰と裁きの御業を受け容れ、私は大いなる苦難を受けてきたものの、神がどのようにして人間を完全にされるかを知り、神が行われた御業を得て、神の義に関する認識を得て、神の刑罰により救われた。神の義なるご性質が私に臨み、祝福と恵みを与えられ、神の裁きと刑罰が私を守り、清くした。もし私が神による刑罰と裁きを受けておらず、神の辛辣な御言葉が私に臨んでいなかったとしたら、私は神を知らず、救われることが出来なかったであろう。現在、私は被造物として、人間は創造主が造った万物を享受するだけでなく、それ以上に重要なこととして、神のご性質は人間が授かる価値のある物であるので、あらゆる被造物は神の義なる性質を授かり、神の義なる裁きを受ける必要がある、ということを理解している。サタンに腐敗させられた被造物として、人間は神の義なるご性質を授かるべきである。神の義なるご性質には、刑罰と裁きがあるほか、それ以上に大いなる愛がある。現在、私は神の愛を完全に得ることは出来ないが、それを理解する幸運に恵まれており、その点において、私は祝福されている。」これが、完全にされた者の歩んだ道であり、そうした者が語る認識である。そうした者はペテロと同様であり、ペテロと同様の経験がある。そうした者は、いのちを得た者でもあり、真理を備えた者でもある。ある者が、最後まで経験した場合、その者は、神の裁きの時に、必然的に、サタンの影響から自らを完全に退けて、神のものとされるであろう。


 

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