全能神は真理です

全能神―主イエスの再臨

全能神教会御言葉朗読「招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない」

2017-10-31 14:57:45 | 全能神教会御言葉朗読

 

東方閃電全能神教会は、主イエスの再臨である終わりの日のキリスト全能神の現れと働きによって創られました。当教会は、全能神ご自身によって全てが創られたもので、決して人によって創られたものではありません。今日では、全能神の言葉、福音映画、讃美歌などは、ネットワークを通じて世界中のすべての国々に広がっています。神の羊は神の御声を聞きます。全能神の言葉を読めば神が現れられたのを見ることができます。


全能神の発表「あなたは神を信じているので真理のために生きるべきである」

2017-10-30 13:04:08 | 全能神の発表

 

 

 すべての人間に共通して存在する問題は、真理は分かっているが、実践に移せないことである。一つの要因は人が代価を払いたがらないことで、もう一つは人の洞察力があまりにも不十分であることである。人は実生活に存在する多くの困難の先を見ることができず、的確に実践する方法も知らない。人はあまりにも経験が少なく、才幹も乏しく、真理についても理解が限定されているので、実生活に存在する困難を解決することができない。その人のの信仰は口先だけで、自身の日常生活に神の存在をもたらすことはできない。すなわち、神は神、生活は生活、人は実生活で神との関係がまるでないかのようである。人は皆そう信じている。そのような神への信仰では現実において人が神に得られ、完全にされることはできない。実際、神の言葉が不完全なのではなく、むしろ神の言葉を受ける人間の能力が不適切なのである。ほとんど誰も神に本来要求されたようには行動できないと言うことができる。むしろ、人の神への信仰は自分自身のもくろみや、確立された宗教的観念や慣習などと一致しているのである。神の言葉を受け入れ、それにより変えられ、神の心にそって行動し始める人たちはほとんどいない。むしろ、人は自分たちの誤った信仰に固執する。人が神を信じ始めるとき、宗教的な習慣に基づいて信じ、自分自身の人生哲学に完全に基づいて生活し、他の人たちと交流する。十中八九はそのようなケースである。神を信じ始めてから、別の計画を立て、生活を一新する人はほとんどいない。神の言葉を真理と見なし、実践に移す人は皆無である。

 たとえばイエスへの信仰を例に取ろう。人が信仰において未熟であろうと、年季の入った信者であろうと、皆それぞれが持つ賜物を実践し、技量を現してきた。人間は「神への信仰」という五文字を単純に自分たちの日常の生活に加えたが、人の性質には何の変化ももたらさず、神への信仰は少しも成長することはなかった。人が追求することは熱くも冷たくもなかった。信じていないとも言わなかったが、神に完全に捧げることもしなかった。神を真に愛したこともなかったし、服従することもなかった。神への信仰は本物でもあり偽物でもあり、信仰の実践となると見て見ぬふりをし、少しも熱心ではなかった。初めから死ぬまで、理解できず混乱状態のままであった。この意味は何だろうか。今日、実際の神を信じるので、正しい軌道に乗らなければならない。神を信じる者としてただ祝福を求めるのではなく、神を愛し、神を知ることを求めるべきである。神の導きや示しと自身の追求を通して、神の言葉を飲食し、神への真の認識において成長し、心からの真の神への愛を持つことができるようになる。すなわち、あなたの神への愛は本物で、誰もあなたの神への愛を壊したり、立ちはだかったりすることはできない。それならあなたは神への信仰の正しい軌道に乗っているということである。それはあなたが神に属していることを証明する。あなたの心は神によって所有され、他の誰にも所有されることはあり得ないからである。あなたの経験、あなたが支払った代価、そして神の働きのおかげで、あなたは神に対する自発的な愛を育むことができる。それからあなたはサタンの支配から解放され、神の言葉の光の中に生きる。あなたが暗闇の影響から自由になったときにのみ、あなたは神を得たと言うことができる。あなたが神を信じるにあたり、これを目標としなければならない。これはあなたがた一人一人に課せられた義務である。誰もあるがままの状態に満足すべきではない。神の働きにおいて二心であったり、軽々しく見なしたりすべきではない。あなたがたは神のことをあらゆる点において、また常に考え、神のために全てのことをなすべきである。そして、あなたがたの言行においてまず神の家の利益を優先すべきである。これしか神の心と一致するものはない。

 人が神に信仰を持つ上での最大の過ちは彼の信仰が言葉だけであり、実生活の中に全く神が存在していないということである。確かに、人は神の存在を信じているが、神は人の日常生活の一部ではない。人の口からは神への多くの祈りが聞かれるが、人の心には神が存在する場所はほとんどなく、神は幾度も人を試す。人は汚れているので、神が人を試すことで人が恥じ入り試練を通して自分自身を知るようにするしか方法がないのである。そうでなければ、人はすべて天使長の子どもとなり、ますます堕落していくだろう。人が神を信じている間は、神によって絶え間なく清められるので、多くの個人的動機や目的は捨てられる。さもなければ、誰も神によって用いられることはできない。神がすべき働きを人にする方法はない。神はまず人を清める。この過程において、人が自分自身を知るようになり、神が人を変える。この後でしか、神のいのちは人に働かれない。この方法でしか、人の心は完全に神に向けられない。だから、神を信じることは人が言うように簡単なことではない。神がそれを見られるように、もしあなたに認識しかなく、いのちとしての神の言葉をもっていないなら、また、もしあなたが自分自身の認識しかなく、真理を実践することも、神の言葉を生かし出すこともできないなら、これはまだあなたが神に対して愛の心を持っていないという証明で、またあなたの心は神に属していないことを示している。神を信じることで神を知るようになること、これこそ最終目標で、人が求めることである。神の言葉を実行できるよう、生かし出すことに全力を尽くさなければならない。もしあなたが教義上の認識しか持っていないなら、あなたの神への信仰は無意味なものになるだろう。もしあなたが神の言葉を実践し、言葉を生かし出すなら、あなたの信仰は完全であり、神の心と一致していると見なされる。この道において、多くの人たちは多くの認識を語るが、死ぬ際には、目は涙で溢れ、生涯を無駄にし老齢になるまでいたずらに過ごしたことを嫌悪することになる。理解するだけで、神に栄光を帰す機会を持っていなかった。生涯を諍いに生き、あちらこちらに旅をすることに費やし、死期が来ると、心には後悔が生まれる。死ぬ間際になって初めて、多くの人たちは気が付き、人生の意味を認識するのである。これでは遅くないだろうか。なぜ今日、自分が愛する真理を求めないのか。なぜ明日まで待っているのか。もし真理のために苦しまず、真理を得ることを求めないなら、死ぬ間際に後悔することを望んでいるのだろうか。もしそうなら、何故神を信じるのか。実際、もし人が少しでも努力するなら、真理を実践でき、神に満足してもらえる事柄が沢山ある。人の心は絶えず悪魔に占領され、神のために行動することができない。むしろ、絶えず肉のためにあくせくして走り回り、最終的には何の利益も生まれない。人が絶えず困難や苦悩を抱えるのはこれらが理由である。それらはサタンからの苦痛ではないか。これは肉の堕落ではないか。あなたは口先だけで神を騙すべきではない。むしろ、実質的行動を取らなければならない。自分自身を欺くべきではない。そんなことをして何の意味があるのだろうか。肉のために生き、名声や富を得るために骨を折って、一体あなたは何を得ることができるだろうか。



私たちについて:全能神教会の紹介

もっと知る:  [東方閃電全能神教会はどうやって創られたでしょうか  




全能神教会御言葉カード

2017-10-29 15:13:09 | 全能神御言葉カード

 

 

 

 

東方閃電全能神教会は、主イエスの再臨である終わりの日のキリスト全能神の現れと働きによって創られました。当教会は、終わりの日の全能神の働きを受け入れ、神の言葉によって征服され救われるすべての人々によって成り立っています。当教会は、全能神ご自身によって全てを創られ、全能神ご自身によって導かれ牧養されています。決して人によって創られたものではありません。キリストは道であり、真理であり、いのちなのです。神の羊は神の御声を聞きます。全能神の言葉を読めば神が現れられたのを見ることができます。


全能神御言葉「自己の観念で神を規定している人がどうして神の啓示を受けることができるだろうか」

2017-10-27 15:47:13 | 全能神の発表

 

 

 の働きは前進を続けており、その目的が変ることはないが、神の働きの実行手段はたえず変化しており、それによって神に従う人々も変化していく。神の働きが多ければ多いほど、人はいっそう深く神を知るようになり、それに応じて人の性質も神の働きとともに変化する。しかし、神の働きがたえず変化しているため、聖霊の働きを知らない人々や真理を知らないばかげた人々は神の敵対者になる。神の働きは人が抱く観念とは決して一致しない。神の働きはいつも新しく、決して古くないからである。神は古い働きを決して繰り返さず、むしろこれまでなされたことのない仕事を行う。神はその働きを繰り返すことはなく、人は例外なく神の過去の働きに基づいて今日の神の働きを判断するので、神が新しい時代の働きを各段階で実行するのは困難を極める。人はあまりにも多くの妨げとなる物を突きつける。人の考えは偏狭すぎる。誰も神の働きを知らないのに誰もがその働きを規定する。神から離れたら、人はいのちも真理も神の祝福も失ってしまうのに、神が人類に与えるいのちや真理を受け入れず、ましてや大いなる神の祝福も受け入れない。すべての人は神を得たいと願っているのに、神の働きのいかなる変化も許容することができない。神の新しい働きを受け入れない人々は、神の働きは不変であり、永久に停滞したままであると信じている。彼らの信条によれば、神から永遠の救いを得るためには律法を守ってさえいれば十分であり、悔い改め、罪を告白しさえすれば神の心は永遠に満たされる。彼らは、律法の下の神、人のために十字架につけられた神だけが神のはずであると考えている。また、神は聖書を超えるべきではないし、超えることはできないとも考えている。まさにこうした考えが彼らを古い律法に堅く結びつけ、死んだ規定の中に束縛し続けてきた。さらに多くの人々が、神の新しい働きは、たとえどのようなものでも預言による裏付けがなければならず、その働きの各段階で、本心で神に従うすべての者には啓示が示されなければならない、そうでなければそれは神の働きではありえないと信じている。人が神を知るようになるのはただでさえ決して容易なことではない。さらに、人のばかげた心、ならびにうぬぼれという反抗的な本性を考慮すると、人が神の新しい働きを受け入れるのはなおさらむずかしい。人は神の新しい働きを入念に調べず、謙遜して受け入れることもない。むしろ、軽蔑的な態度をとり、神の啓示と導きを待つ。これは神に反抗し、敵対する人の行動ではないだろうか。そのような人たちがどうして神の承認を得ることができようか。

 今日、わたしがイエスの働きは後れをとったと言うように、当時イエスは、恵みの時代においてヤーウェの働きは後れをとったと述べた。律法の時代だけで、恵みの時代がなかったら、イエスは十字架にかけられることはなく、全人類を贖うことはできなかった。律法の時代だけだったならば、人類は果たして今日まで発展することができただろうか。歴史は前へ進む。歴史は神の働きによる自然法ではないだろうか。これは宇宙全体の中で神が人を経営する表現ではないだろうか。歴史は前進し、神の働きも前進し、神の心はたえず変化する。神にとってただ一つの段階の働きを六千年にもわたり維持するのでは意味がない。なぜなら、すべての人は、神はつねに新しく、決して古くないことを知っているからである。神は、はりつけ、そして一度、二度、三度……と十字架につけられることに似た働きを続けることはできないだろう。このような考えを持つのはばかげた人の認識である。神が同じ働きを維持することはなく、神の働きはたえず変化し、いつも新しい。わたしがあなたがたに毎日新しい言葉を語り、新しい仕事を行っているのとまったく同様である。これはわたしの行う仕事であり、「新しい」と「驚くべき」という言葉の中にその鍵が存在する。「神は不変であり、神はいつになっても神である」という言葉は実に真実である。神の本質は変化しない、神はいつでも神であり、決してサタンにはなりえないが、だからといってそれが神の働きが神の本質と同様に一定不変であることの証明にはならない。あなたは、神は不変だと断言するが、では、神はいつも新しく、けっして古くならないことをどのように説明できるのか。神の働きは広がり続け、たえず変化し、神の心はたえず明らかにされ、人に知らされる。神の働きを経験するにつれて、人の性質は絶え間なく変化し、その認識も絶え間なく変化する。では、この変化はどこから生じているのか。変わり続ける神の働きからではないのか。人の性質が変えられるのなら、なぜわたしの働きやわたしの言葉も変化し続けるのを許すことができないのか。わたしは人の制約に従わなければならないのか。あなたはただ詭弁に訴えているだけなのではないか。

 復活したのちイエスは弟子たちの前に現れ、語った、「わたしの父が約束されたものを、あなたがたに贈る。だから、上から力を授けられるまでは、あなたがたは都にとどまっていなさい」。これらの言葉をどのように解釈したらよいか、あなたはわかるだろうか。今あなたには神の力が授けられているだろうか。あなたは力と呼ばれるものが何か理解しただろうか。真理の霊は終わりの日に人に授けられるとイエスは語った。終わりの日は今である。あなたは真理の霊を所有しているだろうか。真理の霊はどこにあるのか。汚れた霊や邪悪な霊は真理の霊なのだろうか。それらに正義はないし、ましていのちの供給などはなく、新しい働きはわずかでも行うことはなく、古い律法を守っている。それで真理の霊なのだろうか。いのち、真理、道を持っているのだろうか。それらは世界とは別に現れたのだろうか。かたくなに聖書に従い、イエスにしっかりすがりついている人々――あなたがたはイエスの働きとその言葉に従ってきたのか。あなたがたはどのくらいイエスに忠実なのか。旧約最大の預言書イザヤ書にはイエスという名の子供が新約の時代に生まれるとはまったく書かれておらず、インマヌエルという名の男の子が生まれると述べているにすぎない。なぜ彼はイエスという名を明示しなかったのか。旧約聖書のどこにもこの名前は出てこないにもかかわらず、なぜあなたはイエスを信じるのか。まさかあなたはイエスをその目で見た後でイエスを信じ始めたのか。それとも啓示を受けて信じ始めたのか。神は本当にそのような恵みをあなたに示すだろうか。そしてあなたにそのような偉大な祝福を授けるだろうか。何を根拠にあなたはイエスを信じたのか。ではなぜあなたは神が今日肉となったことを信じないのか。なぜあなたは神からの啓示がないのは神が肉となっていないことの証明だと言うのか。神は働きを始める前に人に告げなければならないのか。まず人の承認を受けなければならないのか。イザヤは飼い葉桶の中で男の子が生まれることを明白に示しただけで、マリアがイエスを産むとは預言しなかった。ではなぜあなたはマリアが産んだイエスを信じたのか。確かにあなたの信仰は不確実で混乱した信仰ではないか。神の名は変わらないという人たちがいる。ではなぜヤーウェという名前がイエスになったのか。メシアの到来についての預言はあるが、なぜイエスという名の人が来たのか。なぜ神の名は変ったのか。そのような働きはずっと以前に実行されなかったか。神は今日新しい働きをすることはできないのか。昨日の働きは変えることができ、イエスの働きはヤーウェの働きから続いて起こることができる。ではイエスの働きを別の働きが継承することはできないのか。ヤーウェの名前をイエスに変えることができるなら、イエスの名前も変えることはできないのか。これは異常なことではなく、人々がそう考えるのは[a]ひとえに彼らが愚かだからである。神はつねに神であり、神の働きや名前が変化しようとも、その性質や知恵は永遠に変わらない。神はイエスという名前でしか呼ぶことはできないと信じているならば、あなたはあまりに無知である。イエスは永遠に神の名前であり、神は永遠に、そしてつねにイエスという名前で知られており、これは決して変わることはないとあえて断言できるだろうか。律法の時代を終わらせたのはイエスの名前であり、最後の時代を終わらせるのもそうであると確信をもって断言できるだろうか。イエスの恵みが最後の時代を終わらせることができると誰が言えるだろうか。今これらの真理をはっきりと知ることができないならば、あなたは福音を伝えることはできないであろうし、そればかりか自分自身がしっかりと立っていることもできない。あなたが宗教関係者のすべての困難を解決し、彼らの誤った考えすべてに反論する日が来たら、それはあなたがこの段階の働きを完全に確信し、少しの疑いも持っていないことの証明となるだろう。彼らの誤った考えに反論できなければ、彼らはあなたを陥れ、中傷するであろう。それは恥ずべきことではないか。

 当時のユダヤ人はみな旧約聖書を読んでいて、男の子が飼い葉桶の中で生まれるというイザヤの預言を知っていた。それにもかかわらず、なぜ彼らはイエスを迫害したのか。彼らの反抗的本性と聖霊の働きに対する無知のためではないだろうか。当時、パリサイ人は、イエスの働きは預言された幼児について彼らが知っていることとは違っていると信じていた。今日の人が神を受け入れないのは、肉となった神の働きが聖書と一致しないからである。彼らの神に対する反抗の本質はまったく同じものではないだろうか。あなたは聖霊のすべての働きを疑いなく受け入れることができるか。もしそれが聖霊の働きなら、それは正しい「流れ」である。あなたは何を受け入れるべきか選別するよりも、むしろそれをほんのわずかな疑念も抱かずに受け入れるべきだ。神に対する見識を深め、それで疑念を抱くようなことがあれば、それは本当に無用な行為ではないだろうか。あなたがするべきなのは、聖霊の働きである限り、聖書からさらに実証を求めたりせず、いかなるものも受け入れることである。あなたが神を信じるのは神に従うということだから、神を調べるべきではない。わたしがあなたの神であることを示すためにわたしに関するさらなる証を探し出すべきではなく、むしろわたしがあなたのためになるかどうかを見定めるべきである。それが鍵である。たとえ聖書の中に疑うべくもない証拠を見つけたとしても、それによってあなたが完全にわたしの前に来られることにはならない。あなたはわたしの前ではなく、聖書の制約の中で生きているのである。聖書はあなたがわたしを知る助けにはならないし、わたしに対するあなたの愛を深めることもできない。聖書は男の子が生まれると預言したが、人は神の働きを知らなかったため、その預言が誰に実現するかは誰にも分からなかった。そのため、パリサイ人はイエスに逆らうことになった。わたしの働きは人の利益のうちにあることを知っている者もいるが、それでも彼らはイエスとわたしがお互い両立しない二つのまったく別の存在であると信じ続けている。当時、イエスは弟子たちに恵みの時代の一連の説教しか語らなかった。たとえば実行のしかた、集い方、祈る際の求め方、他の人々の扱い方などである。イエスが実行した働きは恵みの時代の働きであり、弟子たちやイエスに従う人々がどのように実行すべきかについてしか釈義しなかった。恵みの時代の働きをしただけで、終わりの日の働きは何もしなかった。ヤーウェは律法の時代に旧約の律法を定めたが、なぜその時恵みの時代の働きを行わなかったのか。なぜ恵みの時代の働きを前もって明らかにしなかったのか。そうすれば人が受け入れるための役に立ったのではないだろうか。ヤーウェは男の子が生まれて、指導者になると預言しただけで、恵みの時代の働きを前もって実行はしなかった。各時代の神の働きには明確な境界がある。神は現在の時代の働きだけを行い、次の段階の働きを前もって行うことは決してない。このようにしてのみ、神の各時代の代表的な働きは前面に引き出される。イエスは終わりの日のしるし、いかに忍耐するか、いかにして救われるか、いかに悔い改め、告白するか、また、いかに十字架を負い、苦しみに耐えるかについてしか語らず、終わりの日に人はどのように進入すべきか、どのように追求すれば神の心を満足させるかについては語らなかった。したがって、終わりの日の神の働きについて聖書の中に答えを捜し求めるのは誤った考えに基づく行為ではないだろうか。手に聖書を携えているだけでなにを見分けることができるのか。聖書の解釈者であれ、説教者であれ、誰が今日の働きを予知することができようか。

 「耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい」。あなたがたは今聖霊の言葉を聞いたか。神の言葉はあなたがたの耳に届いているのだが、それが聞こえるか。神は終わりの日に言葉による働きを行うが、そのような言葉は聖霊の言葉である。神は聖霊であり、また肉になることもできるからである。したがって、過去に語られた聖霊の言葉は、今日では肉となった神の言葉である。聖霊の言葉は天から降りてきて人の耳に届くはずだと信じているばかげた人は少なくない。このように考える人は誰も神の働きを知らない。実際、聖霊が語る言葉は肉となった神が語る言葉なのである。聖霊は人に直接語りかけることはできないし、ヤーウェは律法の時代でさえ人々に直接語りかけることはなかった。ましてや、今日、この時代に神が直接語りかけるなどとはまず考えられないのではないか。神が言葉を発して働きを実行するためには、肉とならなければならない。そうでなければ神の働きは目的を達成させることはできない。神の受肉を否定する人々は、霊、あるいは神が行う働きの原則を知らない人なのだ。今は聖霊の時代だと信じているのに、聖霊の新しい働きを受け入れない人々は、曖昧な信仰の中に生きている人なのだ。こうした態度の人々は聖霊の働きを決して受けとらない。聖霊が直接語りかけ、働きを実行することだけを望み、肉となった神の言葉や働きを受け入れない人々は新しい時代に足を踏み入れることも、神からの全き救いを受けることも決してできない。

脚注:

a. 原文では「人々がそう考えるのは」が省略されている。



東方閃電全能神教会は、主イエスの再臨である終わりの日のキリスト全能神の現れと働きによって創られました。当教会は、全能神ご自身によって全てが創られたもので、決して人によって創られたものではありません。今日では、全能神の言葉、福音映画、讃美歌などは、ネットワークを通じて世界中のすべての国々に広がっています。神の羊は神の御声を聞きます。全能神の言葉を読めば神が現れられたのを見ることができます。


全能神教会のアプリ

2017-10-26 15:15:51 | 全能神教会のアプリ

 終わりの日のの働きについて学びたいと考える方々の強いご要望に応え、全能神教会は初めてモバイルアプリをリリースしました。このアプリには電子書籍、音楽、動画が含まれており、終わりの日のキリストである全能神により発せられた何百万もの言葉、全能神教会によるオリジナル録音された音楽、そして多種多様な福音に関する映画や動画が含まれております。真理の道を探し求める皆さまに、このアプリの使用をおすすめします。

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動画
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東方閃電]全能神教会はどうやって創られたでしょうか  

霊とまこととをもって神を礼拝する 「創られた者の心の声」クリスチャンミュージックビデオ【MV】

2017-10-25 17:35:37 | 全能神教会ライブ

 

創られた者の心の声

1
私は叫びたかった
しかしそれに相応しいと感じられる場所がなかった
私は歌を歌いたかった、しかし歌が一つも見つからなかった
私は創られた者からあなたへの愛を表したかったのである
至る所を捜したが、何の言葉も見つからず
言うことが出来たのは私の気持ちだけだった
現実的で真実なる神よ、私の心の内なる愛よ
私は両手を挙げてあなたを賛美し
あなたがこの世に来て下さったことを喜ぶ

2
人は塵から成り、がそれに生命をお与えになった
サタンが下って来て、人類を堕落させた
人類は人間性と理性を失い
その日以来、世代を追う毎に堕落し続けた
しかしあなたは・・・現実的で真実なる神
私の心の内なる愛
私は塵にすぎないが、あなたのみ顔を見ることは出来る
どうしてあなたを礼拝せずにいられようか?
現実的で真実なる神よ、私の心の内なる愛よ
私は塵にすぎないが、あなたのみ顔を見ることは出来る
どうしてあなたを礼拝せずにいられようか?

3
神は人を創造した
そして神が再び人となられるぐらい人を愛している
よい時も悪い時も、逆境と悲しみに絶えながら
我々を救い、美しい行先に導いて下さった
私たちはいつもあなたに感謝する
現実的で真実なる神よ、私の心の内なる愛よ
私は堕落したがあなたは私を救って下さった!
どうしてあなたを礼拝せずにいられようか?
現実的で真実なる神よ、私の心の内なる愛よ
私は堕落したがあなたは私を救って下さった!
どうしてあなたを礼拝せずにいられようか?
どうしてあなたを礼拝せずにいられようか?
どうしてあなたを礼拝せずにいられようか?
『小羊に従って新しい歌を歌おう』より


東方閃電全能神教会は、主イエスの再臨である終わりの日のキリスト全能神の現れと働きによって創られました。当教会は、終わりの日の全能神の働きを受け入れ、神の言葉によって征服され救われるすべての人々によって成り立っています。当教会は、全能神ご自身によって全てを創られ、全能神ご自身によって導かれ牧養されています。決して人によって創られたものではありません。キリストは道であり、真理であり、いのちなのです。神の羊は神の御声を聞きます。全能神の言葉を読めば神が現れられたのを見ることができます。

 




全能神の発表「七つの雷が轟く -- 神の国の福音が宇宙の隅々まで広まることを預言」

2017-10-23 15:32:26 | 全能神の発表

 

 わたしは異邦人国家にわたしの働きを広める。全宇宙にわたしの栄光は閃く。わたしの心はあちこちに散らばる人々の中にあり、みなわたしの手によって誘導され、わたしが与える働きをしている。そうしてわたしは新しい時代へと入って行き、全ての人々を別の世界へ連れて行く。わたしは自分の「故郷」へ戻り、わたしの最初の計画にある別の働きの部分に着手する。その働きにより、人々がよりわたしを知るようになるためだ。わたしは宇宙全体を眺め、わたしの働きにとっていちばん良い時だと知る[a]。そしてわたしは、人々の中で新しい働きをするため、あちこちを巡る。いずれにしろそれは新たな時代であり、わたしは、もっと多くの新しい人々を新たな時代へ引き入れ、淘汰すべき者達をさらにより多く投げ捨てるために新しい働きをもたらす。大きな赤い竜の国家にあって、わたしは、人には測り難い段階の働きを実行し、彼らを風の中で震えさせる。その後、多くの者が吹く風によって静かに漂い去る。これが、わたしが一掃したい「脱穀場」だ。それを一掃することがわたしの願いであり、わたしの計画でもある。というのは、わたしが働いている間に多くの「悪い者」が静かに移り込んだからだ。しかしわたしは急いで彼らを追い払いはしない。むしろ、適切な時が来たら、彼らを追い散らす。そうしてはじめて、わたしはいのちの泉となり、真にわたしを愛する人々はいちじくの実やゆりの香りをわたしから受け取ることになるだろう。サタンがとどまる地、塵の地には、砂があるのみで純金は存在しない。このような状況を見て、わたしはこのような段階の働きを実行する。わたしが獲得するものは砂ではなく、精錬された純金であることを、あなたがたは知らなければならない。悪い者がどうしてわたしの家にいられるだろう。狐がわたしの楽園の寄生動物になるなど、わたしが許すだろうか。わたしは考えつくすべての方法で彼らを追い払う。わたしの心が表されるまで、わたしが何をしたいかを知る者は一人もいない。この機会をとらえて、わたしはこの悪い者たちを追い払うので、彼らはわたしから去るしかない。わたしは悪い者たちに対してこのようにするが、彼らがわたしのために仕える日はまだ残されている。人々の神の恵みへの欲望はあまりに強すぎる。だからわたしは向きを変え、わたしの栄光に満ちた顔を異邦人に見せ、人々がみな自分の世界に住み、自らを裁くようにする。そうする間に、わたしはわたしが言うべき言葉を言い、人々が必要とするものを与える。人々が我に返るころには、わたしはわたしの働きをずいぶん広めていたことになるだろう。それからわたしは、人々にわたしの心を表し、わたしの人間に対する働きの二番目の部分に着手する。そして、わたしの働きに協力するために人々がわたしにしっかりと付き従うようにし、わたしのすべき働きを共に行うために、人々が能力の限りを尽くすようにする。

 誰一人としてわたしの栄光を見る時が来ると信じるものはいない。そしてわたしは人に強要もしない。わたしは人々の中からわたしの栄光を移し、他の世界へ持っていく。人々が再び後悔するなら、わたしは信仰を持つより多くの人々へわたしの栄光を示す。これがわたしの働きの原則である。わたしの栄光がカナンの地を去る時があるからであり、わたしの栄光がわたしに選ばれた者から去る時もあるからである。さらに、わたしの栄光が全地を去る時がある、その時、光は暗くぼやけ、暗闇へ陥る。カナンの地にさえ太陽は照らさないだろう。すべての人々は信仰を失うが、誰一人カナンの地の香りから去ることには耐えられない。わたしが新たな天と地へ進む時になってはじめて、わたしの栄光のもうひとつの部分をまずにカナンの地で示す。そうするとかすかな光が闇夜ほど暗い全地に輝き、全地がその光に集まる。全地のあらゆるところから、人々が光の力に頼るために集まるようにし、わたしの栄光が増し、全ての国々に新たに現れるようにしよう。わたしがずっと前に地上へ現れており、ずっと前にわたしの栄光をイスラエルから東方へもたらしたことをすべての人々に気づかせよう。なぜならわたしの栄光は東方から輝きを放ち、恵みの時代から今日までもたらされたからである。しかし、わたしが出発したのはイスラエルであり、そこから東方に向かい、到着した。東方の光が徐々に白く変わるとはじめて、全地の暗闇は光に変わり始める。そしてその時になってはじめて、人はわたしがずっと前にイスラエルを去っていて、東方で新たに現れるのだと知るだろう。わたしは以前イスラエルへ下り、その後そこから立ち去った。そのため[b]、わたしは再びそこで生まれることはできない。なぜならわたしの働きは宇宙のすべてを導き、稲妻が東から西へひらめき渡るからである。だからわたしは東方へ下り、カナンの地を東方の人々にもたらしたのである。わたしは地上のすべての人々をカナンの地へ連れて行きたいと願う。それ故わたしは全宇宙を支配するため、カナンの地で声を発し続ける。この時、カナンの地以外はどこにも光はなく、すべての人々は飢えと寒さにさらされている。わたしはわたしの栄光をイスラエルに与え、その後その栄光を移す、そうすることでイスラエルの人々を東方へ連れて行き、すべての人々を東方へ連れて行くように。わたしは彼らをみな「光」へと導いた、彼らが光と再会し、光と交わり、それ以上探す必要がないように。わたしは探し求めるすべての者が再び光を見て、わたしがイスラエルで持っていた栄光を見られるようにする。わたしはずっと前に白雲に乗って人々の間に降ったことを彼らが知るようにし、無数の白い雲と豊かな果実、さらにはイスラエルの神ヤーウェを見るようにする。わたしは、彼らがユダヤ人の「先生」、待望のメシア、そして歴代の王たちによって迫害されてきたわたしの完全な姿を見るようにする。わたしは、全宇宙の働きを行い、偉大な働きをし、わたしの栄光のすべてとわたしの業すべてを、終わりの日に人々に表す。わたしは、わたしの栄光に満ちた全容を、長年わたしを待った人々、わたしが白雲に乗って下るのを熱望してきた人々、わたしが再び現れるのを熱望してきたイスラエル、そしてわたしを迫害するすべての人類に見せる。それによって、すべての者はわたしがずっと前にわたしの栄光を取り去ってそれを東方へもたらしていたことを知るだろう。それはユダヤにはない、なぜなら終わりの日はすでに来ているからである。

 宇宙の隅々までわたしはわたしの働きを行っている。東方では、雷のような轟音が終わることなく発生し、すべての宗派や分派を震わせている。すべての人々を現在に連れて来たのはわたしの声である。わたしはわたしの声が人を征服するようにする。彼らはみなこの流れに落ち、すべての者はわたしの前に帰服する。わたしはずっと前に全地からわたしの栄光を取り戻し、東方で新たにそれを発したからである。わたしの栄光を見ることを願わない者がいるだろうか。わたしが戻ってくるのを心待ちにしない者がいるだろうか。わたしが再び現れることを渇望しない者がいるだろうか。わたしの愛らしさを懐かしがらない者がいるだろうか。光の元へ来ようとしない者がいるだろうか。カナンの地の豊かさを見ようとしない者がいるだろうか。「贖い主」が再び来るのを待ち望まない者がいるだろうか。偉大なる全能者を敬慕しない者がいるだろうか。わたしの声は全地の隅々まで広められなければならない。わたしはわたしに選ばれた者にもっと話しかけたいと願う。わたしが発する言葉は強大な雷のように山々や川を震わせる。わたしは全宇宙と人類へ話しかける。そしてわたしの言葉は人の宝になり、すべての人々はそれらを大切にする。稲妻が東から西へひらめき渡る。わたしの言葉は、人が決して手放したくないもの、そして測り難いものであるが、それ以上に彼らに喜びをもたらすものである。生まれたての赤児のように、すべての人々は喜びに満ち、わたしの到来を祝う。わたしはすべての人々を、わたしの声によってわたしの前へ連れて来る。その時から、わたしは正式に人々の中へ入る、人々がわたしを礼拝するために。わたしから放たれる栄光とわたしの言葉によって、人々はみなわたしの前へ来るようになり、稲妻が東方から閃くこと、またわたしが東方の「オリーブ山」に降ったことも知るようになる。彼らはわたしがずっと前からすでに地上にいたことを知り、「ユダヤ人の息子」ではなく、東方の稲妻だと知るだろう。なぜならわたしはずっと前に復活し、人々の中から去って、その後栄光と共に再び人々の中に現れたからである。わたしは幾時代も前に崇拝された神であり、幾時代も前にイスラエル人によって見捨てられた「赤児」である。それだけでなく、わたしは今の時代の栄光に満ちた全能神である。すべての者をわたしの玉座の前に来させ、わたしの栄光に満ちた顔を見せ、わたしの声を聞かせ、わたしの業を見せなさい。これがわたしの心の全てである。これがわたしの計画の結末であり、クライマックスであると同時に、わたしの経営の目的でもある。すべての国々にわたしをひれ伏させ、すべての人にその言葉でわたしを認めさせ、すべての人にわたしを信頼させ、またすべての人がわたしに服従するようにしなさい。

脚注:

a. 原本のテキストでは「知る」は省略されている。

b. 原本のテキストでは「そのため」は省略されている。



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2017-10-22 16:00:19 | 全能神教会ライブ

 


東方閃電全能神教会は、主イエスの再臨である終わりの日のキリスト全能神の現れと働きによって創られました。当教会は、全能神ご自身によって全てが創られたもので、決して人によって創られたものではありません。今日では、全能神の言葉、福音映画、讃美歌などは、ネットワークを通じて世界中のすべての国々に広がっています。神の羊は神の御声を聞きます。全能神の言葉を読めば神が現れられたのを見ることができます。