全能神は真理です

全能神―主イエスの再臨

ゴスペル音楽 「失われた時は二度と戻ってこない」神からの終わりの日の警告

2020-09-30 18:13:58 | ゴスペル音楽

 

ゴスペル音楽 「失われた時は二度と戻ってこない」神からの終わりの日の警告


目覚めよ!兄弟姉妹たち!
神の日は遅れることがない
時は命、時をとらえることは命を救い
その時は近い
試験なら、落ちたとしても
学び直し、再挑戦できるが
神の日は決して遅れないことを
あなたは知らなければならない

覚えておくように
神のこれらの良い言葉は
あなたを促すためにある
終わりは目前で
災害が近づいている
大切なのはあなたの命か
それとも食べ物や衣服だろうか
今、熟考するべき時が来たのだ

人類は何と惨めで
貧しく盲目で、残酷なのか!
神の言葉は耳のそばを吹きゆく
風のようなものなのか
神の話は無駄だろうか
何故あなたはまだ怠慢なのか
神がこれらを誰に言っているのか
一度も考えたことはないのか?
神を信じなさい
神はあなたの救い主
そして全能者なのである
見張り続けよ
失われた時は戻らず
後悔に効く薬はない
神はどのようにあなたに告げるのか?
神の言葉は熟考に値しないのか?
『小羊に従って新しい歌を歌おう』より


神の足跡を探すなら

2020-09-29 23:26:32 | キリスト教賛美歌

「神の足跡を探すなら」ワーシップソング 歌詞付き

神の足跡を探すなら
探さねばならない
神の御心、神の御言葉、神の御声
神の新しい御言葉の中
神の御声がある
神の足跡があるところには
神の御業がある
神の印があるところ
そこには神が現れる
神の現れるところには
真理、道、命がある

神の足跡を探す時
神の真理、生きる道、命さえも見失ったら
見つけることはできない
神の足跡
そして神の現れに気づくことはできない
なんとそれは大きな過ちだろう
神は人の思いを遥かに超えて
人の思うようには現れない
神には自身の選択がある
神が働くときに
神には自身の目的がある
神の御業がある
神は誰にも話さない
神は誰にも伝えない
それが神の性質
人は気づかなければ

神の現れを望むなら
そして神の足跡を探すなら
自分を超えて求めてはならない
自分の望みを神を自分の心に閉じ込めないで
自分の世界に閉じ込めないで
神の足跡を探し求め
神の現れを受け止めて
神の新しい御業に従い
それがあるべき道
人はみな誰も真理ではなく
真理を持たず
人は真理ではなく
真理を持たず
だから探し求め、受け入れながら
探し求めて受け入れて
真理に身を委ねる
『小羊に従って新しい歌を歌おう』より

 


神の新しい業を受け入れる者は祝福される

2020-09-28 23:24:36 | キリスト教賛美歌

キリスト教讃美歌 「神の新しい業を受け入れる者は祝福される」

 

聖霊の現在の言葉に従うことができる人々は
みな祝福されている
そのような人々が過去どうであったか
聖霊が人々の中でどのように働いていたかは問題ではない
最新の働きを得た人々は最も祝福され
今日の最新の働きに従えない人々は排除される
神は新しい光を受け入れることができる人々を望んでおり
神の最新の働きを受け入れ知っている人を求めている

貞節な乙女は
貞節な乙女は
聖霊の働きを求め
新しいことを理解することができる
古い観念を忘れ
今日の神の働きに従うことができる
今日の神の働きに従うことができる
今日の最新の働きを受け入れる人々のこの集りは
昔から神によって前もって決められており
人々のなかで最も祝福されている
あなたがたは神の声を直接聞き
神の出現を見て
そのため天と地を通じて、世代を通じて
あなたがたつまりこの集りよりも祝福された人々はいない
『小羊に従って新しい歌を歌おう』より


神は栄光と共に世界の東に現れた

2020-09-27 15:45:55 | キリスト教賛美歌

キリスト教賛美歌「神は栄光と共に世界の東に現れた」歌詞付き
神は全宇宙で業を為している
東で絶えず轟く音が全ての宗派と教派を揺さぶっている
神の声は皆を導き征服し
彼らはこの流れに落ち  神に従う
神は昔  地で栄光を取り戻し
東からそれを再び放った
それを見たいと望まないのは誰か
熱心に神の帰りを待たず
神の再来を渇望せず
その素晴らしさを恋慕わないのは誰か
光に来ず  カナンの富を見ない者は誰か
贖い主が戻って来るのを切望せず
全能の神を讃えないのは誰か
神の声は全地に広まるべきだ
選民への神の言葉は更にある
山河を震わす雷のように
神は宇宙と人類全てに語り
その言葉は皆に愛される宝となる
稲妻が東から西へ真直ぐ走る
神の言葉を手放したくない
それは計り知れず、喜びをもたらす
生まれたての乳飲み子のように
喜び神の到来を祝う
神の声が人を神の前に惹きつける
今後神は正式に人の間に入る
皆が神を礼拝し
栄光と言葉ゆえ
神の前で東に光る稲妻を見る

神は東のオリーブ山に降り立った
長く地にいる
神はもはやユダヤ人の子でなく
東の稲妻である
神は人の元を去ったが
今栄光に満たされて再び現れた
神は幾時代も前に崇められ
イスラエルに見捨てられた乳飲み子
栄光ある現代の全能神!
これこそ神の成し遂げたいこと
神の計画の終結と絶頂
業の目的は人々が玉座の前で
神の顔と業を見てその声を聞くこと
こうして全ての国は神を拝み認める
皆が神を信頼し神に従う!
『小羊に従って新しい歌を歌おう』より


キリスト教会漫才2019「主の到来の形」 日本語吹き替え

2020-09-26 22:58:48 | キリスト教会漫才

キリスト教会漫才2019「主の到来の形」 聖書の預言──主イエスの再臨の奥義を明らかにする 日本語吹き替え

終わりの日、主イエスの再来を待つキリスト教徒たちの間で緊張感が高まる中、実際に主はいかにして再来されるのかという疑問が出る。「雲に乗ってお見えになる」と言う者もいるが、それに対し、再来の預言が他にもあると指摘して異議を唱える声もある。「見よ、わたしは盗人のように来る」(黙示録16:15)、「しかし、彼はまず多くの苦しみを受け、またこの時代の人々に捨てられねばならない。」(ルカ 17:25)、「夜中に、『さあ、花婿だ、迎えに出なさい』と呼ぶ声がした。」(マタイ25:6)もし主が誰にでも見えるように雲に乗って来られるなら、主が密かに現れ、苦しみ、捨てられるという奥義や、再来の証しをする者たちが出て来るという御言葉はどう説明できるのだろうか。主はどのような形でお姿を表されるのか。本作「主の到来の形」は、私たちの疑問にユーモラスに答えていく。


キリスト教会寸劇2019「戸を叩かれる主」神の羊は神の御声を聞き分ける

2020-09-25 22:57:31 | キリスト教会寸劇

キリスト教会寸劇2019「戸を叩かれる主」神の羊は神の御声を聞き分ける 日本語吹き替え

本劇「戸を叩かれる主」では、終わりの日に主が御言葉によって私たちの心の戸を叩いてくださり、賢い乙女が神の御声を聞き、子羊と婚宴を共にするということが、どのように実現するかが明らかにされる。 チャン・ショウダオ牧師は日頃から主の再来を待ちわびていたが、信徒のチェンによる「主が既に再来された」という証を聞いても、「主は雲に乗って戻られるはずだ」と自分の観念や想像に頑なに執着し、真の道へ通じる心の戸を閉ざし続ける。しかし今回、チェンが主の再来に関する聖句を参照してチャン・ショウダオと議論し、チャン・ショウダオは聖書に、終わりの日に主は受肉して密かに再来し、新しい御言葉を語り人を清められた後、初めて公にお姿を表し、善に報い、悪を罰せられる、というような預言があることを学ぶ。また、「主が戸を叩かれる」ことの真の意味を理解し、主の再来をお迎えするには神の御声を聞くことが大切であると悟る。全能神の御言葉において神の御声を聞いた牧師は、ついに心の戸を開き、主の再来をお迎えする。


キリスト教映画「神を再び磔にするのは誰か」終わりの日にパリサイ人が再び現れた 日本語吹き替え 完全な映画のHD2018

2020-09-24 23:44:56 | キリスト教映画

キリスト教映画「神を再び磔にするのは誰か」終わりの日にパリサイ人が再び現れた 日本語吹き替え 完全な映画のHD2018

古守城は中国の家庭教会の牧師です。長年にわたり主を信仰し続けており、常に説教の事におもいを巡らせ、周りに福音を説き続けてきました。彼は福音を説いたために逮捕され、12年間服役しました。刑務所から出所した後も、古守城は教会で働き続けました。しかしながら、全能神の王国の福音が古守城の属する教会にもたらされたとき、彼はそれについて求めたり調べたりせず、頑固に彼自身の思い込みと決めつけにこだわって終わりの日の神の働きを非難し、思い込みと誤謬を広めるためにあらゆる手を使い、信者が真実の道を受け入れるのを妨げようとします。更に古守城は全能神の言葉を読んだ後、その言葉が本当に権威と力を持ち、聞くものすべてを説得する力があることに気づき、全能神の言葉を読んだ者はみな全能神の信者になると深く怖れを抱くようになりました。そして、今の地位と生活が維持できないことを恐れるようになりました。そこで、古守城は長老の王森その他と協議し、全能神を非難し攻撃する中国共産党政府によって流布される噂を利用して人々を欺くことを決めました。古守城と王森は必死で教会に全能神の教えが入らないようにして人々が真実の道を受け入れるのを妨げ、中国共産党の悪魔的な政権と協力までし、全能神の証しをするものを逮捕し迫害します。彼らの行動は深刻に神の性情を侵し、神の呪いがふりかかります。王森は王国の福音を広める人たちを逮捕に向かう途中、交通事故に遭い、その場で亡くなります。古守城は恐怖と絶望の中でパニックに襲われます。彼は頻繁に自問します。「私の全能神への非難は神を再び十字架に磔にすることなのだろうか。」


キリスト教映画「知らぬが命取り」なぜ愚かな乙女は天国へ入ることができないのか 日本語

2020-09-23 22:41:11 | キリスト教映画

キリスト教映画「知らぬが命取り」イエスの再臨を迎えるには、愚かな乙女にならない

 

で ヂェン・ムーエンは米国の中国系キリスト教会の労同者です。ヂェン・ムーエンは長年主を信じ、主のために熱心に働き、尽くしてきました。あるとき彼の叔母が主イエス・キリストが真理を示し、終わりの日に人を裁き清めの御働きをするために再臨された、と証したのです。その福音にヂェン・ムーエンは胸が高鳴りました。全能神の御言葉を読み、全能神教会の映画や動画を観て、全能神の御言葉が真理であること、全能神こそが主イエス・キリストの再来に違いないこと、を確信しました。彼は兄弟姉妹達と共に、終わりの日の全能神の御働きを学び始めました。しかし、教会の指導者であるマー牧師がそのことを知ると、牧師はヂェン・ムーエンらを何度も妨害しようとしました。牧師は中国共産党政府の宣伝用の動画を見せました。それは東方閃電を中傷し非難する内容でした。その目的はヂェン・ムーエンが真の道を学ぶのをやめさせることにありました。この動画を観たヂェン・ムーエンは当惑しました。彼の目には全能神の御言葉が真理であり、神の声であることは明白です。それなのになぜ宗教界の牧師や長老たちは全能神を非難するのでしょうか。牧師ら自らが求め学ぶことを拒絶するだけでなく、他者が真の道を受け入れることも止めようとします。それは何故なのでしょう。ヂェン・ムーエンは、欺かれて誤った道に迷うことを恐れますが、神の国に召されるチャンスを失うことも恐れます。葛藤し困惑するヂェン・ムーエンに、マー牧師は中国共産党と宗教界の作成した、さらに否定的な宣伝映像を見せて心の疑念を大きくさせるのです。ヂェン・ムーエンは牧師の言うことに耳を傾け、真の道を学ぶことを放棄することに決めました。その後、全能神教会の真理の証しや分ちあいを聴いたヂェン・ムーエンは、真の道を学ぶにあたり基本原則の核となるのは、その道に真理があるかどうか、そしてそれが神の声を表しているかどうかを見極めることだと理解しました。多くの真理を表すことができる者がいるならそれがキリストの出現にちがいない、なぜなら、堕落した人間に真理を表すことなどできないからです。これは争いようのない事実です。真の道を学ぶ際に神の声に耳を傾けることに注意を払わず、代わりに、想像に依りかかり白い雲に乗った主イエスの降臨を待つような者は、決して神の出現を迎えることができないでしょう。ヂェン・ムーエンはようやく、主イエスの御言葉から神の声を聴いた賢い乙女たちの奥義を理解することができました。そしてもう、中国共産党政府や宗教界の牧師や長老の、偽りと愚かしい論理を信じるまいと決心し、宗教界の牧師の拘束や縛りから逃れました。ヂェン・ムーエンは、真の道を学ぶ難しさを深く経験しました。洞察力や真理への求めがなくては、神の声を聴くことも神の玉座の御前に召されることもないどころか、サタンに欺かれ支配されて、悪魔の罠にかかり死ぬしかないでしょう。このことは、まさに聖書に「わたしの民は知識がないために滅ぼされる。」(ホセア書4:6)「愚かな者は知恵がなくて死ぬ。」(箴言10:21)と書いてあるとおりです。


キリスト教映画「待ち焦がれて」抜粋シーン(1)主はこのようにお見えになる 日本語吹き替え

2020-09-22 21:07:51 | キリスト教映画

キリスト教映画「待ち焦がれて」抜粋シーン(1)主はこのようにお見えになる 日本語吹き替え

 

主の信者なら聖書のこの予言は読んだことでしょう。「またそのとき、地のすべての民族は嘆き、そして力と大いなる栄光とをもって、人の子が天の雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。 」(マタイによる福音書24:30)。そして主が戻られる時は、雲に乗って降りて来られると。しかし聖書には他にも予言があります。「見よ、わたしは盗人のように来る。」(ヨハネの黙示録16:15)。「夜中に、『さあ、花婿だ、迎えに出なさい』と呼ぶ声がした。」(マタイによる福音書25:6)公然と雲に乗って降りて来るという以外に、主はひっそりとお見えになるという予言もあるのです。では主の再臨の真理とは何なのでしょうか?


キリスト教映画「待ち焦がれて」抜粋シーン(2)神様の現れの奥義を知っていますか

2020-09-21 23:56:32 | キリスト教映画

キリスト教映画「待ち焦がれて」抜粋シーン(2)神様の現れの奥義を知っていますか

 

主の信者の多くは、主は輝きに満ちて雲に乗り公然と姿を現すと信じ、いつも空を眺めて主が雲に乗って現われるのを待ち、天国に引き上げられ主に会えるものと考えています。果たしてこれは真理に沿っているのでしょうか?神様の出現と御働きにどうやって気が付くのでしょう?神様の出現にはどのような奥義が込められているのでしょう?