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全能神は真理です

全能神―主イエスの再臨

全能神教会の聖書映画「変えられる瞬間」

2018-11-19 01:29:12 | 全能神教会映像

 スー・ミンユエは、中国本土の家庭教会の伝道師です。神を信じるだけで義と見なされ、お恵みによって救われると常に信じて疑いませんでした。私たちは未だに常に罪を犯していますが、その罪は主によって赦されていて、主がお戻りになられたら、私たちの姿は一瞬にして変わり、聖なるものになり天国に行けると信じていました。しかし同労者から話しを聞いて、その考えに疑いを持つようになりました。いまだに嘘をつき頻繁に罪も犯しているのに、本当に天国に行けるのか?スー・ミンユエは困惑してしまいます。全能神教会の証人と議論し話し合った結果、スー・ミンユエは最後に神の国に入る唯一の道を見つけるのです。全能神は主イエスの再臨であると確信しました。


全能神教会の映画「敬虔の奥義:続編」

2018-11-07 00:05:07 | 全能神教会映像

 何十年も主を信じてきた老伝道師である林伯恩は、終わりの日におけるキリストである全能神を受け入れて以来、彼は反キリスト勢力である牧師や長老たちに罪に問われ、退けられ、宗教界から追放されてしまった。しかし林は、攻撃されたり濡れ衣を着せさせられてもひるむことなく、彼の信仰はますます堅くなっていき、ついには宗教界の牧師や長老たちの偽善的な正体を見抜くまでになった。同時に、キリストだけが真理であり、道であり、命であり、人を救い、清め、完成させることができるのだと知って彼に従い、真の証人となるため、キリストに証し、可能な限り真理を追求し、自身の性情を変えることを決意したのである。刑務所から釈放され、信仰を棄てて更生するどころか東方閃電を信じ、「全能神が主として再臨された」と行く先々で証する林を中国共産党は指名手配し、逮捕しようと追い回す。林は家を追われるが、道中で終わりの日における全能神の働きについて証し、誠実で良心的な信者を数多く神様へと導くことに成功した。このビデオは、福音を広めて神様に証する林伯恩の実話である。



全能神教会の映画「邪魔しないで」

2018-11-04 00:08:29 | 全能神教会映像

 りー・チンシンは、長年にわたって主の信徒として中国の家庭教会の伝道師を務めてきました。彼女は常に熱心に福音を広めるという主の働きを行い、天国へと引き上げてもらうために、主が来られるのを心待ちにしています。ここ数年で教派は分離し、教会が未だかつてなく荒廃していくところをリー・チンシンは見てきました。中国の共産党政府と宗教界による激しい非難と迫害があるにもかかわらず、東方閃電はかつてないほどに一層活気を増しています。様々な教派や宗派のさらに多くの良き羊達が、東方閃電を受け入れています。このことで、リー・チンシンは自分を見つめ直してみることにしました。特に、宗教界の牧師や長老たちがためらいもなくあらゆる風評やたわ言を捏造し、全能神教会の名を汚し非難してきた姿を見てきています。彼らは東方閃電の証人を逮捕しようと、中国共産党政府に協力さえするのです。彼女は牧師や長老たちのこうしたふるまいや行動が、主の道からはずれていると感じ、中国共産党や宗教界が逆らい非難しているものは真の道であり、主の働きの現れではないかと考えるようになるのです。すぐに何人かの同労者たちと東方閃電について探求し、学ぼうと決意するのですが、牧師や長老たちのあらゆる妨害に見舞われます。全能神のことばを読んだり、全能神教会の伝道師による証しを聞いて、リー・チンシンとその仲間たちは、牧師や長老たちによる風評や詭弁を見抜く力を得ることになります。それによって、真の道を追求しようとする信者に対する妨害に潜む卑劣な意図や、悪意ある企みに気づき、偽善者という牧師や長老たちの本質がはっきりと見えるようになるのです。りー・チンシンとその仲間たちは、教会の牧師や長老たちに対して声の限りに叫びます。「邪魔しないで」最後には、牧師や長老たちの罠や束縛を完全に振り払い、神の王座の前に戻るのです。


全能神教会の映画「福と禍」

2018-11-01 00:41:00 | 全能神教会映像

 杜鵑は貧困家庭の出身だったので、小さな頃から大金を稼いでもっと良い暮らしをしようと心に決めていました。この目標のために、学校を中退して手作業の仕事に就きました。お金を稼ぐためにできることは何でもやり、仕事がきつくて疲れても、不平不満は漏らしませんでした。しかし、お金持ちになりたいう希望はかなわず、どんなに一生懸命働いても、思い通りには行きませんでした。大金を稼ぐことを夢見て、2008年に彼女は夫と一緒に日本に向かいました。数年後、彼女は仕事の重圧とと働きすぎによって倒れてしまいました。病院の検査結果を知り、彼女の気持ちはかつてないほど落ち込みました。しかし、想いを叶えるため、杜鵑はまだ降参するわけにはいきませんでした。病気を抱えながら働き続けました。夢を叶えるまで戦い続ける心構えでした。ところが病気は悪化し続け、どうにも身体が辛く、やむを得ず、金を追い求めることを一時中止したのでした。痛みに耐えながら、じっくりと考えてみると、結局のところ、人間が生きる意味は何なんだろうという考えに行きつきました。お金のために命を危険にさらす価値があるのかしら?お金がある人生が幸せな人生ということなのかしら?こんな考えが彼女の頭の中に浮かび続けたのです。そうするうちに全能神の最後の日々の救済に出会いました。全能神の言葉から、人生の苦痛の源を知り、人間が何のために生きるべきか、どのように生きるべきかも理解できました。これらを理解したうえで、意味ある人生を生きることができるのです。この時の経験を考えるたび、杜鵑の胸にはなんとも言えない感慨がこみ上げため息をつくのでした。この病気との闘いのうちに、まさに災い転じて福となったのです。


全能神教会の教会映画「足枷を解いて走れ」

2018-10-26 10:16:33 | 全能神教会映像

 李敏忠は韓国ソウルにある教会の長老でした。20年以上熱心に主に仕え、誠心誠意聖書から学んできました。宗教的指導者達に従い、主を信じることはすなわち聖書を信じることだと思っていました。そして、聖書を信じることと主を信じることは全く同じだと思っていました。聖書に従っていれば、神の国に招き入れられると信じていました。こうした考えは両足にはめられた枷のように彼を縛り、神の歩む道に従い神を信じることを阻みました。そのため李敏忠は、終わりの日の全能神の御働きを知ろうともしませんでした…


全能神教会の映画「私の天国の夢」

2018-10-17 00:09:35 | 全能神教会映像

  韓国の牧師が熱心に主の再臨を待っている時、中国に現われた東方閃電が、主がすでに戻られたことを証ししていることを知ります。彼は中国へ足を延ばし真の道を探ろうとします。多くの困難を乗り越え、全能神の御言葉を読み、全能神の御言葉から主の声を認識するようになった途端、中国共産党政府に逮捕され韓国に強制送還されました。全能神の御言葉を読むことができないまま、非常に腹立たしく落胆してしまいました...。ある日突然全能神教会の福音サイトを発見し、教会と再び連絡が取れるようになりました。彼は全能神教会の証人の証しと話しを聞いて、全能神は主イエスの再臨であると確信しました。喜んで全能神の終わりの日の働きを受け入れ、天国への道を見つけることが出来ました。彼の天国の夢がとうとう現実になったのです。


全能神教会の映画「逆境の甘美」

2018-10-14 01:06:07 | 全能神教会映像

 キリスト教徒のハン・ルーは、中国共産党の警官に監視されたり追跡をされて、とうとう逮捕されてしまいました。警官は彼女を残酷に拷問し、噂を吹聴して洗脳しようとしたり、家族を利用したり強制的に神を否定し裏切らせようと卑劣な方法で脅迫しました。ハン・ルーは神の御言葉に導かれ、拷問を伴う数々の尋問にも耐え、真理をもって中国共産党の様々な噂や誤謬を強く拒むことができました。中国共産党の迫害を受けるという激しい環境の中で、美しく心に響く証しが作り上げられていったのです...


全能神教会の映画「神を再び磔にするのは誰か」

2018-09-08 00:02:25 | 全能神教会映像

 古守城は中国の家庭教会の牧師です。長年にわたり主を信仰し続けており、常に説教の事におもいを巡らせ、周りに福音を説き続けてきました。彼は福音を説いたために逮捕され、12年間服役しました。刑務所から出所した後も、古守城は教会で働き続けました。しかしながら、全能神の王国の福音が古守城の属する教会にもたらされたとき、彼はそれについて求めたり調べたりせず、頑固に彼自身の思い込みと決めつけにこだわって終わりの日の神の働きを非難し、思い込みと誤謬を広めるためにあらゆる手を使い、信者が真実の道を受け入れるのを妨げようとします。更に古守城は全能神の言葉を読んだ後、その言葉が本当に権威と力を持ち、聞くものすべてを説得する力があることに気づき、全能神の言葉を読んだ者はみな全能神の信者になると深く怖れを抱くようになりました。そして、今の地位と生活が維持できないことを恐れるようになりました。そこで、古守城は長老の王森その他と協議し、全能神を非難し攻撃する中国共産党政府によって流布される噂を利用して人々を欺くことを決めました。古守城と王森は必死で教会に全能神の教えが入らないようにして人々が真実の道を受け入れるのを妨げ、中国共産党の悪魔的な政権と協力までし、全能神の証しをするものを逮捕し迫害します。彼らの行動は深刻に神の性情を侵し、神の呪いがふりかかります。王森は王国の福音を広める人たちを逮捕に向かう途中、交通事故に遭い、その場で亡くなります。古守城は恐怖と絶望の中でパニックに襲われます。彼は頻繁に自問します。「私の全能神への非難は神を再び十字架に磔にすることなのだろうか。」



全能神教会の映画「滅びゆく都」

2018-09-05 01:32:41 | 全能神教会映像

 程慧澤は中国にある家庭教会の一員である。彼女は長年にわたって主を信じ、その揺るぎない熱意で主のために働いている。教会では多くの責任を担い、兄弟姉妹の信者を常に思いやる心を持つ。彼女の教会が日に日に荒れ果ててゆくに連れ、教会の神からの離反が目立つようになる。牧師は教会が工場を立ち上げることを精力的に提案して信者を金銭的な富の道へと導き、また中国共産党政府からの支援を得るため三自愛国教会への加入を示唆するが、これが激しい議論の引き金となる。牧師が自分の個人的な利益に固執し、教会の内部分裂も躊躇することなく、信者を誤った道へと導こうとする中、程慧澤は数名の仲間とともに主の道を守り抜き、教会を工場にし、三自愛国教会へ加わることに強く反対する。これに対し教会の長老たちは、牧師の提案に反対すると表明するが、それはあくまでも自身の地位と生活を守るためだけであった。牧師と長老たちは各々の秘密を胸に、互いを妬みながら自身の名声と利益の確保のため争い続けてゆくが、教会内の信心深い信者の大半とその中心的人物が「東方閃電」を論究し次々と全能神に改宗し始めたことを知るやいなや結託し、中国共産党政府の力を借りて、信者が「東方閃電」を学習することを禁じ、その教えに基づいて神の国の福音を説く兄弟姉妹を通報し逮捕させて見せ、「東方閃電」関係者発見の際には警察に通報するよう信者に強く促すなど、弾圧に乗り出した。程慧澤らは、牧師と長老たちが主の道から逸脱して久しく、教会が聖霊の働きを失い、主に呪われた大いなるバビロンのような偽りの宗教の場と化してしまったことを知り、神の明示と御業を求めて「東方閃電」を論究することを決断する。全能神教会の伝道者との熱心な討論の末、程慧澤らは教団の指導者たちが本質的に神に離反していること、また教団が日増しに衰え破滅へと近づいている理由をようやく理解する。その理由とは、教団の牧師と長老たちが聖書を尊重し、解説するのはあくまでも自身の地位と生活を守るためだけだということであった。彼らは人々を混乱させて罠に掛け、神を敬わず証することさえ行わない、神を全く理解しない者たちである。肉となった全能神が現れその働きを行なわれる終わりの日には、彼らは何のためらいもなく反旗を翻し、中国共産党政府と結託して信者を逮捕するように、神の働きを咎めることになる。これは彼らが真理と神を忌み嫌う、悪魔のような本質を所有する何よりの証拠である。彼らは善良な人を装った現代のパリサイ人であり、神が肉となったという真理を否定する反キリストである。既に教団は、神の敵である反キリストの本拠へと完全に化しているが、神の呪いと罰を間違いなく受けるであろう。やがて、教団の指導者たちの反キリストの本質が識別できるようになった程慧澤らは、パリサイ人の混乱と支配から逃げるよう信者に指導し、滅びゆく都バビロンから彼らを解き放つことに成功するのである...


全能神教会の映画「待ち焦がれて」

2018-09-02 23:51:26 | 全能神教会映像

 2000年前、主イエスは信者達に約束をされました。

 「あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである。」(ヨハネによる福音書 14:2-3).その約束が故に、信者たちは何世代にもわたって神の約束が実現することを懇願し、祈り続けてきました。主がお見えになった時に天国へ引き上げられ招かれて、主にお会いできることを願い、祈っているのです。

 この映画の主人公である陳向光も例に漏れません。彼は熱心な信者で、福音を広め、主の再臨を迎えるために主の証しをしていました。教師の職を追われ、家族の理解が得られないにもかかわらず、希望を捨てませんでした。ある日集会に出席していたとき、陳向光は中国共産党政府に逮捕され、刑務所に入れられてしまいます。しかし驚くべき神の定めと采配により、全能神教会のクリスチャン趙智明に出会うのです。趙智明は終わりの日の神の出現と働きについて証しをし、主の再臨を欲し祈る中で陳向光が長年抱いて来た観念や想像をかき消してしまいます。出所した陳向光は終わりの日の全能神の働きを学ぶよう兄弟姉妹を導きます。最後には誰もが天国に引き上げられるとは何なのか、王国は実は天国にあるのかそれとも地上に存在するのか、神の再臨をどう迎え入れるべきであるかを理解するのです。