岐阜/医大生が指導する明光義塾長良教室&芥見教室

医大生が個別指導する全国でも珍しい塾が明光義塾長良地区、芥見地区に登場。山県市、美濃市、関市からも通塾されています

★再会

2018年10月07日 18時31分13秒 | 日記

★あの頃のこと

 2年ぶりに昔の仲間と再会いたします。大学時代のOBOGですが2年ごとに名古屋で開催をしています。今年は何名集まるのか知りませんが取りあえずおいしいワインを用意したとのことですのでフランス料理を食べながら大いに盛り上がっていきたいと考えています。
 ちょうど大学の女子マラソンと重なるために今年は10月20日(土)となりました。学生時代の友人も色々で基本的に今までお付き合いをさせて頂いているのは部活動の先輩後輩位です。私が学生時代に作った愛媛県人会は出身が愛媛県ということで法学部のY教授にお願いしましたがその後、学長にまでなったということで驚きも大変でした。応援団長になっている関係上日程が合わなかったのです。学長は呼んでいませんし、消息は不明です。
 それにしても、当時は今の様に携帯もTVもゲームもなかった。学生で洗濯機を持っているのが珍しい時代だった。
 起きるのは大抵昼過ぎの午後3時頃、そして部室で時間を潰して安酒を飲み激しく議論する毎日だった。飾りの様に文学界や群像の月刊誌を手にもって文学青年気取りで毎日を過ごしていました。学校には行くが授業には出ない。そんなことでも卒業は出来た。何故か「先輩」という言葉が響きよく聞こえ結局は奢ってしまい後で後悔をする羽目になってしまうのが常でした。最たるのは学校の授業料を使い込み支払わなかったことで通知が家に届き随分親父の後妻に文句を言われたことを覚えている。それでも金は使った。そのくせアルバイトは4年間一度もしなかったのはどうしてだろうかと未だに不思議です。当時はそんな時代だった。

 演歌が主流で新しくフォークソングが芽生えてきました。しかし、当時はヤクザ映画全盛で高倉健さんの「網走番外地」や「唐獅子牡丹」など映画館を出るともうみんな肩で風を切るように歩いていた。心が弱いと強いものに憧れる。
「おう、何の用だ!」
 もうみんながそんな顔をしていた。不思議な時代だった。あの健さんがその後性格俳優になっていくのですから変わりました。
 
 時は70年安保の時代。私の友人も佐世保に米国の原子力潜水艦が来るということで参加し逮捕されて雑誌プレイボーイに大きく写真付きで掲載されました。今は銀座で不動産を経営しているとのことらしいですが1960年、1970年日米安保条約は当時の学生には関心の深いもので就職の面接では学生運動をしていましたか?と聞いてくるのが一般的でした。その時に読んだ本が郷土の先輩大江健三郎の「遅れてきた青年」や安倍公房の「砂の女」のシュルリアリズム(超現実的)でした。
 一方、そう言う時代の中でそういう闘争に入って行けずといいますか関心を示さず「無関心」「無感動」「無気力」の時代でもあったのです。私はどちらかというと後者の方で学生運動は自分の仲間はしていましたが参加はしませんでした。参加というよりか妙に冷めた感じだったのでしょうか・・・。ただ馬鹿みたいに就職活動もせずに売れない小説ばかり書いて出版社に通っていたのです。

 あの時代は景気がよく私は何処か新聞社か放送局に行きたいと考えていましたがいずれも試験は終わっていて住宅メーカーに行くことになりました。放送局に試験の日時を聞きに行きますともう終わっていたのですが一緒について来ていた彼女がゲラゲラと大きな声で笑ったことが今でも思い出します。
「もう大人でしょ、しっかりしなさい」
なんて説教されたことも懐かしい青春の一コマです。
 
 今では情報がありますからすぐに分かりますが当時は分からなかった。唯一新聞記事や学校への就職紹介欄に掲載されるぐらいでした。ですからかなり慎重に調べている方はいいのですが私の様に出鱈目をしていた学生はそう言う情報はなかなか手に入らなかったです。
 驚いたことは作家三島由紀夫が防衛省・自衛隊:市ヶ谷駐屯地で盾の会のメンバーを引き連れて割腹自殺をするのでした。1970年11月25日のことです。その2年後1972年浅間山荘事件が起こり一応の終結を見ます。この事件の後日本は高度成長を一直線となっていくのです。そして時間がどんどん経ってあの頃のことを話す者はあまりいませんでした。岐阜新聞やメディアは凄かったですがその後はやはり何時しか話題は遠のいていきました。

 当時の彼女も今は後輩と一緒になったとのことですが消息は不明です。私が四国に帰り高松で住宅メーカーに勤務している時結婚するからと報告に来ました。それが彼女と話をした最後になりました。無関心でいつもぼんやりとしている私の傍らに彼女はいました。そして帰るときにギターを弾いている私に「城ヶ島の雨」を要求するのです。何故かこの曲が好きでした。そして別れる時もこの曲を弾いて欲しいと言って北原白秋の詞を口ずさみ泣きながら帰りました。それ以来ギターは何故か私は弾かなくなったのです。それが別れになりました。

 そんなことで大学時代は大いに遊び戦い(誰と?)自分のしたいことをしてきました。しかし、そういう意味では今の学生は大変です。自分の未来をしっかり見つめながら教員試験に合格した人も2名見えますし、大手の商社に決めた方も見えます。みんな未来を見据えて頑張っています。私どもも未来を見据えて頑張っているのですが毎日が迷いの連続です。高校入試はまだ将来を決めなくても普通科に行けば何とかなあるかもしれませんが大学受験はそういう意味では就職に直結した大学の選択になります。
 高校3年生にはもうセンターの受付が始まりましたので例年九州の太宰府天満宮の「お守り」を渡しました。中学3年生の方には正月明けにはお渡しが出来ると思います。私の友人が太宰府天満宮の方と同級生ということで現在まで私も便乗して毎年「合格祈願」されたお守りをお渡ししています。受験生以外は恒例の太宰府天満宮の鉛筆をお渡しします。

 そんなことで再来週には2年ぶりに再会を果たします。どんな話が飛び出すでしょうか。「先輩」そう呼ぶ彼女の声が聞こえてきそうです。
 
<今日の言葉>
『愛するもののために死んだ故に彼らは彼らは幸福であったのでなく、反対に彼らは幸福であった故に愛するもののために死ぬる力を有したのである』
                    三木 清「人生論ノート」

<今週のYouTubu>
こんな青春が私にもあった。鈴木一平の『水鏡』懐かしい・・・
https://www.youtube.com/watch?v=OMZQXFdohP4

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<詳細>
http://mm-homepage.com/dozan/

長良教室 058-210-1730
芥見教室 058-244-0170
 

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