公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

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建国記念の日 皇紀2700年にむけて

2021-02-10 13:52:00 | 今日の単語
建国記念、初代神武天皇の即位日(紀元前660年1月1日 (旧暦))より、その即位月日を明治期に新暦に換算した2月11日を「建国記念の日」とした。皇紀2700年ももうすぐだ。一説によるとということだが、確からしいのは21代雄略天皇(獲加多支鹵大王)が辛亥年(471年)とはっきりしている。

『日本書紀』の記述をたどれば神武天皇即位の年までさかのぼって同定できると考え、測定したのは江戸時代前期の天文暦学者・渋川春海(一六三九〜一七一五)です。彼は、日本初の長暦に関する書物『日本長暦』を延宝五(一六七七)年に著しました。
『決定版 神武天皇の真実 田中英道』より

秦氏は、応神天皇(生没年=二〇〇?~三一〇年?)の時代に弓月国から渡来したと『日本書紀』に記されている氏族です。  雄略天皇(生没年不詳)の時代には、畿内の秦氏が、土木・灌漑技術を生かした水田開発、養蚕などの事業を背景に財力を築きました。織物の生産をしている全国の秦部や秦氏の支配下にある秦人部などの氏族を組織化し、統括する勢力になりました。  そして聖徳太子(五七四~六二二年)が六世紀後半から七世紀のはじめに登場しますが、太子を助けた側近として秦河勝(生没年不詳)という存在が知られています。  平安時代初期に成立した『上宮聖徳太子伝補闕記』によれば、秦河勝は物部守屋(生年不詳~五八七年)の追討戦(五八七年)に軍政人として従軍し、厩戸皇子を守護して守屋の首を斬るなどの活躍を果たし、秦氏の軍事力を上宮王家の私兵として献上した人物です。
『京都はユダヤ人 秦氏がつくった 田中英道』より


雄略天皇から平均20年の在位期間と考えれば神武天皇は紀元後60年前後の即位と考える。日本建国は、ほぼイエスキリストの活躍した頃!になる。こういうのは実証できないのだからほぼほぼで良い。

初代が神武というわけでもない。人の前はやはり人。国家の前には大王さんに対する尊崇がある。国の起源は信頼の起源説で良いと思う。


ハビビは今井に独立宣言を見せて、日付の年が「05」となっているのは日本の皇紀2605年だと説明した。この年が1945年、それから95年後の西暦2040年が皇紀2700年になる。今はなにかと予測困難な東京オリンピックも特別に西暦2040年開催に変更してもらえばよろしい。皇紀2700年まであとのこすところたったの19年である。IOCは違約金を取りたいだけ。
追補2021/02/11 虎の門ニュースで竹田恒泰さんが言っていたが森喜朗叩きはme tooと同じ手法で民主主義の私的破壊であり公開リンチである。

今井は今井敬(当時の経団連会長)
バハルディン・ユスフ・ハビビ(Bacharuddin Jusuf Habibie、1936年6月25日 - 2019年9月11日)は、インドネシアの技術者、政治家である。スハルト政権末期の副大統領を務め、スハルト辞任後、同国の第3代大統領に昇格した(在任:1998年 - 1999年)。政治家になる前はドイツの航空機メーカー・メッサーシュミットの副社長を務めていた。1945年(昭和20年)日本の敗戦によって統治権が旧宗主国のオランダに返還されることを阻止するため、独立を宣言した日8月17日




はたしてこれが日本国にとって良い選択なのかね。強欲な貴族性だけが他の人類種族に絶倫するIOC委員をねじ伏せられるのは森喜朗しかいない。代わりがいるのなら教えて欲しいものだ。川淵さんだって84才(年上?)とはもう少し若いと思っていた。

 東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長(83)が辞意を固めた。11日、関係者が明らかにした。スポーツ団体の理事起用を巡る女性蔑視発言が国内外で反発や批判を受け、発言を撤回して謝罪したが、責任を取る形となった。12日の組織委の評議員会、理事会の合同懇談会で表明する見通し。後任は日本サッカー協会元会長の川淵三郎氏(84)で調整している。

 新型コロナウイルスの影響で史上初の延期となった五輪は、開幕まで残り半年を切った時期にトップが交代する異常事態となった。大会の開催可否を巡る懐疑論の中で、開催準備はさらに混迷が深まった。


東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長(83)は10日、北國新聞社の取材に応じ、日本オリンピック委員会(JOC)の女性理事をめぐる発言で、会長辞任を求める声が出ていることについて「私の腹は決まっている。12日に皆さんにしっかり話したい」と述べ、12日に開かれる組織委の会合で自らの進退を明らかにする考えを示した。森氏はかねて「東京五輪を前に進めるためなら、自分はいつ辞めてもいい」と話しており、辞任する方向とみられる。

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 組織委は10日、12日に「評議員会・理事会合同懇談会」を開くと発表した。森氏の発言について理事、評議員が対応を協議する予定で、森氏はその場に出席し、自らの進退について説明するとみられる。

 森氏の発言をめぐっては、4日に自身が会見し、発言を撤回、謝罪したが、その後も批判は収まらず、国内外に波紋が広がっていた。10日にはスポンサー企業や与党内からも厳しい声が上がり、公明党の山口那津男代表は「出処進退は森氏本人が判断すべきものだ」と述べた。

 森氏は4日の会見後、北國新聞社の取材に対し、「本当はきょう辞めようと思っていたが、組織委の幹部に『会長、いけません』と止められたので思いとどまった。私がやるべきことはほぼやり終えた。私が会長でいることが五輪を進める上で阻害要因になるのなら、淡々と身を引くつもりだ」と語っていた。




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