ゆのひらんおばちゃん Part3

創業70年の土産屋を 2023年3月末で閉めました。『夫婦で余生を どう生きるか』を模索していきます。

懐かしき ぐみの実

2024-06-06 | 
孫にとって『ぐみ』といえば カタカナの こんなグミでしょう。


爺婆の『ぐみ』は 木の実です。

先日 両親の実家に行った時 空き家となった親戚の家に寄りました。子供の頃はよく来た家です。

空き家になった今、昔あった泉水(小さな池)は草で覆われ、前の丘にあった『石梨』も裏手にあった『柿の木』も姿が見えません。昔 父と先の割れた竹を くるっと ひねって収穫したものです。枯れて倒れたのでしょうか…

あったのは 繁った『ぐみの木』でした。


赤い実が びっしりなっています。


夫も昔 よく食べていたそうで、懐かしくて 一枝 いただいて帰りました。形は さくらんぼ🍒のようですが


甘酸っぱい 懐かしい味がします。種が大きく、食べる実は実際は少しですが、子供の頃は ぐみの実は まさにおやつでした。

庭に置いて 通る度に 赤い実を食べるのが楽しみになりました。孫は食べたことがあるでしょうか?








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12 コメント

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Unknown (belleteinte)
2024-06-06 12:50:17
こんにちは♪

懐かしい‼︎
祖父母の家に🏠ぐみの木があり、お玄関に到着するまでの小道でずっと頬張って歩いていました

本当に懐かしいです♪
ご記事にしていただきありがとうございます♪♪

そうですよねー
お若い方のグミはそうですよねっ
色々な口当たりやお味がありますよね^_^
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Unknown (nykaneko1156)
2024-06-06 13:24:32
鈴さま

そうですよね、昔は おやつ代わりでしたよね。
そりゃ 今のグミの方が美味しいに決まっていますが、昔食べた ぐみの味は忘れられません。中には酢っぱいのもあり、梅干し婆さんの口になったものです。
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Unknown (よっちん)
2024-06-06 18:06:14
大阪府の大阪狭山市には
「茱萸木」という地名があり
「ぐみのき」と読むんです。

ほとんどの人が読めない地名でしょうねぇ。
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Unknown (nykaneko1156)
2024-06-06 22:02:26
よっちん様

いつも コメントありがとうございます。

『ぐみ』が漢字で書ける事を初めて知りました。そこの土地名は漢字では『茱萸木』でも なぜが『くみのき』で濁点が つかないのそうです。不思議です。
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Unknown (省吾郎)
2024-06-07 09:22:30
グミだけでなく 柿、イチジク、びわ などなど・・・・

子供のころは 購入品でなく 近所のお宅のものを ちぎって食べるものでした。

良く怒られて 走って逃げてました。 (悪ガキですので。)
今の時代窃盗で 通報ですね!!

おおらかな時代でした。

あそこの 息子じゃな!!と ばれてたはずですね。
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Unknown (nykaneko1156)
2024-06-07 22:40:37
省吾郎さま。遅くなりました。

やはり 昭和三十年代生まれ ありありですね。

そちらには無かったですか?『しんと』と呼んでいた雑草が。『しんと』と検索しても出てきません。別名『スカンポ?』『サトガラ?』『イタドリ?』

その『しんと』の先を ガリガリ食べた野生児でした。
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Unknown (kumaneko48 )
2024-06-26 12:10:46
グミの木、私の実家の敷地にも木がありました。ビワの木、イチジク、栗の木
小学校の時は、下校時に桑の木があって実を食べた記憶があります。

海と山と川を遊び回っていた野生児です。
故郷の風景は、しっかり脳裏に焼きついています。
凪の海、台風前の海、れんげ草で敷き詰められた田んぼ、菜の花畑、梅雨の時期のあめのひ、石垣から顔を出すアカテガニ、夕方の海辺でぴょんぴょん飛び跳ねているとびうお、
満潮時、海から川へ泳いで入ってくるボラの集団や、シルバー色に光る『ギンギョ』の集団
夏、暗くなると家のそばの田んぼで飛び回る蛍などなど。

今から思えば、とても恵まれた環境で育ったのだと。今ならとても幸せな子供時代だったなと思っています。

海はないけど、今は奈良
京都のような雅さはないけど、日本古来の古き良きもの、景色、自然が残っている素晴らしい奈良が、
終の住処で、息子たちの故郷ですね(遠い目)
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Unknown (nykaneko1156)
2024-06-26 12:37:32
まるで 渦をまくように光景が目の前を通りすぎました。語彙が豊富で楽しめました。文がウマイと 座布団を差し出しました。

お住まいは奈良で息子さん二人とみました。夫の兄が 奥さんの実家の桜井市に家を建て、その後橿原市に移動しました。私も桜井市には一度伺い 長谷寺の紫陽花に魅了されたことを思い出しました。
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Unknown (kumaneko48)
2024-06-26 16:00:21
帰郷は長崎市のみ五島列島、五島市です。

こどもは息子3人
孫は6人です。(女の子一人のみ)
ガッツリ男系の花房一家
主賓は10人きょうだいの7番目
大阪市船場の婦人服の会社の息子たちデスガ、主人曰く7番目はいらん子どもだったそうで。

柔らかい繊維の仕事ではなく、固い石材の会社を起こし多のが私と結婚した年
ほぼ、駆け落ち婚
勤務先から逃げるような形で。

会社で30年奮闘してきた主人ですが、不況の煽りを受けて会社は左回り
多額の負債を抱えて、殆んどの財産を失いましたが、もっとだいじなものは残りました(家族)

私は仕事に復帰
主賓は副業もあり、二人でなんとか暮らせています。

私の勝ち気さはさらに増し
ワンマンで家事一切しなかった主人は丸くなり、人間になりました(え?)
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Unknown (kumaneko48)
2024-06-26 16:01:01
帰郷は、長崎県の五島列島、五島市
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