![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/9e/a9a34aee7a248ffd323629f40e8dd909.jpg)
孫にとって『ぐみ』といえば カタカナの こんなグミでしょう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/6b/6d066c11bdee31531cd5d638cf16ad6f.jpg?1717601722)
爺婆の『ぐみ』は 木の実です。
先日 両親の実家に行った時 空き家となった親戚の家に寄りました。子供の頃はよく来た家です。
空き家になった今、昔あった泉水(小さな池)は草で覆われ、前の丘にあった『石梨』も裏手にあった『柿の木』も姿が見えません。昔 父と先の割れた竹を くるっと ひねって収穫したものです。枯れて倒れたのでしょうか…
あったのは 繁った『ぐみの木』でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/4e/5fdd3ebaf979ce7ce94fe9baa2a812f2.jpg?1717592859)
赤い実が びっしりなっています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/20/a6fdf1839e337313f6003c5966cac387.jpg?1717592936)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/20/a6fdf1839e337313f6003c5966cac387.jpg?1717592936)
夫も昔 よく食べていたそうで、懐かしくて 一枝 いただいて帰りました。形は さくらんぼ🍒のようですが
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/34/5e64bef3524fe00b6325495365ccfd88.jpg?1717593078)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/e1/1ff27d687909498147d1097f716b67fd.jpg?1717593077)
甘酸っぱい 懐かしい味がします。種が大きく、食べる実は実際は少しですが、子供の頃は ぐみの実は まさにおやつでした。
庭に置いて 通る度に 赤い実を食べるのが楽しみになりました。孫は食べたことがあるでしょうか?
懐かしい‼︎
祖父母の家に🏠ぐみの木があり、お玄関に到着するまでの小道でずっと頬張って歩いていました
本当に懐かしいです♪
ご記事にしていただきありがとうございます♪♪
そうですよねー
お若い方のグミはそうですよねっ
色々な口当たりやお味がありますよね^_^
そうですよね、昔は おやつ代わりでしたよね。
そりゃ 今のグミの方が美味しいに決まっていますが、昔食べた ぐみの味は忘れられません。中には酢っぱいのもあり、梅干し婆さんの口になったものです。
「茱萸木」という地名があり
「ぐみのき」と読むんです。
ほとんどの人が読めない地名でしょうねぇ。
いつも コメントありがとうございます。
『ぐみ』が漢字で書ける事を初めて知りました。そこの土地名は漢字では『茱萸木』でも なぜが『くみのき』で濁点が つかないのそうです。不思議です。
子供のころは 購入品でなく 近所のお宅のものを ちぎって食べるものでした。
良く怒られて 走って逃げてました。 (悪ガキですので。)
今の時代窃盗で 通報ですね!!
おおらかな時代でした。
あそこの 息子じゃな!!と ばれてたはずですね。
やはり 昭和三十年代生まれ ありありですね。
そちらには無かったですか?『しんと』と呼んでいた雑草が。『しんと』と検索しても出てきません。別名『スカンポ?』『サトガラ?』『イタドリ?』
その『しんと』の先を ガリガリ食べた野生児でした。
小学校の時は、下校時に桑の木があって実を食べた記憶があります。
海と山と川を遊び回っていた野生児です。
故郷の風景は、しっかり脳裏に焼きついています。
凪の海、台風前の海、れんげ草で敷き詰められた田んぼ、菜の花畑、梅雨の時期のあめのひ、石垣から顔を出すアカテガニ、夕方の海辺でぴょんぴょん飛び跳ねているとびうお、
満潮時、海から川へ泳いで入ってくるボラの集団や、シルバー色に光る『ギンギョ』の集団
夏、暗くなると家のそばの田んぼで飛び回る蛍などなど。
今から思えば、とても恵まれた環境で育ったのだと。今ならとても幸せな子供時代だったなと思っています。
海はないけど、今は奈良
京都のような雅さはないけど、日本古来の古き良きもの、景色、自然が残っている素晴らしい奈良が、
終の住処で、息子たちの故郷ですね(遠い目)
お住まいは奈良で息子さん二人とみました。夫の兄が 奥さんの実家の桜井市に家を建て、その後橿原市に移動しました。私も桜井市には一度伺い 長谷寺の紫陽花に魅了されたことを思い出しました。
こどもは息子3人
孫は6人です。(女の子一人のみ)
ガッツリ男系の花房一家
主賓は10人きょうだいの7番目
大阪市船場の婦人服の会社の息子たちデスガ、主人曰く7番目はいらん子どもだったそうで。
柔らかい繊維の仕事ではなく、固い石材の会社を起こし多のが私と結婚した年
ほぼ、駆け落ち婚
勤務先から逃げるような形で。
会社で30年奮闘してきた主人ですが、不況の煽りを受けて会社は左回り
多額の負債を抱えて、殆んどの財産を失いましたが、もっとだいじなものは残りました(家族)
私は仕事に復帰
主賓は副業もあり、二人でなんとか暮らせています。
私の勝ち気さはさらに増し
ワンマンで家事一切しなかった主人は丸くなり、人間になりました(え?)