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「太平洋奇跡の作戦 キスカ」・・・夏休み推薦映画

2016年08月04日 06時36分52秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画

この時期になるとアリューシャン列島のキスカ島で起こった奇跡に想いを馳せる。

太平洋戦争開戦時と同時に、日本軍は南方戦線の陽動作戦とアメリカ領占領を目的とした北方のアリューシャン列島も占領した。

ところがミッドウエー開戦から日米の形勢逆転・・・日本軍は南方戦線の防戦に手一杯となり、軍事的価値の少ないアリューシャン列島の占領地は孤立無援に陥った。

この夏にお勧めの映画がキスカ。

 

サイパン、グアムの南方占領地では玉砕が続き、やがて米軍はアリューシャン列島にも兵力を向けた。

そして二千七百名の将兵が守るアッツ島玉砕・・・次は隣のキスカ島・・・五千二百名の将兵が守っているのだ。

アッツに次、キスカまで見殺しにするのか!という北方方面隊の懇願を受けて、連合艦隊は重い腰を上げてキスカ撤退の「ケ作戦」を実行した。

ケ作戦とは、乾坤一擲のケである。

勇ましい作戦名だが、実の所、制空権と制海権が米軍下にある孤島の将兵救出は不可能に近い事は誰もが知っていた。

しかも米軍はレーダーを実戦配備していたので、日本軍が得意とする夜陰に紛れての作戦も通用しない戦況。

つまり建前としてのお役所仕事的な救出作戦・・・。

その時に指揮官として選ばれたのが、派手な戦績もない「ヒゲの木村」こと木村中将。

海軍内で昼行燈と陰口を言われていた木村中将は、行動は地味だけども、実は他人の評価を気にしない泰然自若にして沈着冷静なサムライ。

トレードマークのカイゼル髭が、後ろから見ると猫がサンマを咥えているみたいなので「ヒゲサンマ」と揶揄されていた(笑)

 

功名心に逸る猛将には絶体絶命の救出作戦は無理、なにより失敗が目に見えている作戦は誰もやりたがらないのだ。

キスカの将兵が絶体絶命なら、救出に向かう艦隊も全滅の危機・・・どうする木村中将!

米軍のレーダー網をかいくぐるために、敢えて濃霧で視界が効かず、潮流が速く暗礁だらけのキスカ島西側を往く旗艦「阿武隈」に率いられた第一水雷戦隊。潮流で舵が効かず暗礁に乗り上げそうになった時の三船敏郎が淡々と「両舷ぜんそ~く!」と言うセリフが素晴らしい。特撮は円谷監督。

 

そして七十三年前の七月二十九日に奇跡が起こった、いや、功名心にはやらず他人の評価を気にしない沈着冷静なヒゲの木村だからこそ奇跡を呼び寄せた。

なんと米軍の完全包囲下にある孤島から、五千二百名の将兵を無傷で救出することに成功して「太平洋の奇跡」と讃えられた。

この作戦を史実に忠実に近い形で映画化したのが、東宝の「キスカ」

終戦記念日が近くなると、テレビ番組で戦艦大和やゼロ戦の特攻映画が放送されることが多い。

俳優たちが目を剥き、口角泡を飛ばして激高すると「迫真の演技」と評され、センチメンタルな情緒に溢れているのが近頃の映画。

私には「男たちの大和」や「永遠のゼロ」なんか、嘘っぽいし安っぽくて観ていられない。

ところが「キスカ」の俳優陣は、実際にキスカから救出された士官たちをアドバイザーにしているためか、本物の海軍軍人みたいに紳士的。

 

誰も感情をむき出しにして激高しないのだ・・・同じ軍艦内で寝食を共にして一蓮托生の『運命にある海軍軍人同士は喧嘩腰に議論なんかしないのだ・・・このリアリティーは凄い。

主演の三船敏郎の演技も渋いが、山村総やその他の脇役陣の重厚な存在感がいい。

古い映画だけど、ビデオレンタルされているので観て欲しい映画。

日本人なら知っておいて欲しい史実。

 

 

 


夏が来れば思い出す・・・工業高校のコンクリートカヌー

2016年08月02日 09時19分08秒 | 日本海縄文カヌープロジェクト

三年程前の夏、上越市の工業高校の先生から頼まれて、全国の工業高校や大学が参加するコンクリートカヌー大会出場のためのカヌー作りを頼まれた。

私は丸木舟なら作った事はあるが、コンクリートカヌーなんて作った事はない。

かろうじて大会に間に合ったコンクリートカヌー。精度が・・・(笑)

 

それでも船の事なら多少の知識があるし、しかも1級土木施工管理技士とコンクリート技師の資格を持つ元橋梁設計士!

早さと安定性という相反する性能を持つ船型や、コンクリート配合設計、施工方法などアドバイスした。

ところが肝心の高校生にその技術を理解できるほどの知識の受け皿と、もの作りノウハウがない(笑)

出来上がったカヌーを見て暗然とした・・・船型も酷いが精度が悪過ぎる・・・。

進水式は校舎裏にある高田城のお堀。

船縁が浅すぎて乗るだけで水が入ってきたが、設計時にはその事へのアドバイスはしてあったのでR。

「こら~!沖にでるな~!沖は慣れてからにしろ~!」という私の怒鳴り声が聞こえたのか聞こえなかったのか、漕ぎ手の高校生は冒険心を押さえ切れずに沖に漕ぎ出したのであった・・・この直後に悲劇が・・・。

 

ハシャグぐ高校生に「真面目にやれ~!」と怒鳴っても、まだ子供の高校生達はキャーキャー言いながらお堀の真ん中あたりまで漕ぎ出して見事に沈没!

水没して見えなくなったカヌーをどうする?すぐ近くの自衛隊に出動要請するか?高田城の管理事務所に水を抜いて貰う???

1週間後の迫った大会をどうすんだあ????指導の先生と鳩首会議。

私の車には素潜り道具とロープ類は常備してあるので、お堀に潜ってカヌーを引き上げることに成功して、大会に出場できた。

城のお堀に潜った事のある人って、滅多にいないだろうねえ(笑)

あの時の高校生たちは今頃どうしているだろうか。

夏が来れば思い出す、暑くて熱い夏。