縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

蘇る「ぬなかわ彦」・・・忘れ去られた神

2020年03月22日 09時52分10秒 | ぬなかわ姫
古代風ペア首飾りに「ぬなかわ彦」「ぬなかわ姫」と名付けたのは、忘れ去られつつある産土神「ぬなかわ彦」を世に出すため。
エクセルで作った「ぬなかわ彦」の説明書きには、玉類の説明とともに悲劇のぬなかわ姫伝説をきちんと書いてある。
「ぬなかわ姫」も同様!
 
口碑には、黒姫山に「ぬなかわ彦・黒姫・ぬなかわ姫」の三座を祀るとあり、黒姫はぬなかわ姫、あるいは黒姫はぬなかわ姫の母君ともあるので、私は古代ぬなかわ族は、ぬなかわ姫を世襲した母系社会と仮説している。
糸魚川の黒姫山は、海上からもすぐにわかる標高1200mの独立峰で、古代には「古志峰」と呼ばれ、ぬなかわ郷のランドマークであった・・・3つに分れた頂きが山の象形文字と同じ正しい山の形(笑)だからこその三座の神が祀られていたのだろうか?
 
出雲侵攻を受けた際に八千鉾神と戦い破れ、首をはねられた「ぬなかわ姫の夫神である松本の豪族」なるものの口碑があり、ぬなかわ彦と同一神らしく、確認と整合性を付けるために郷土史家でもある高校の恩師を訪ねたら、貴重な資料を提供してくれた。
その中で驚いたのが、「糸魚川市史」を出筆編纂された青木重孝先生の著作群で、郷土史家にありがちな独断的な我田引水論法がなく、きちんとした学識に基づいた文献史学と考古学のバランスがよく非常に読みやすい。
ぬなかわ姫の伝説を、出雲東征の際にヒスイ交易権を巡り奴奈川族と争いになり、破れて姫が逃亡の果てに「お隠れになった」と解釈が書かれていて、私が辿り着いた解釈と同じであることに自信が沸いてきたゾ(笑)
 
最近流行っている古代のラブロマンス説は、古事記の部分的な記述だけを拡大解釈すれば成り立ちようもあるが、考古学や文献史学を網羅すれば、悲劇の口碑に信憑性が出てくるばかりなのですよね~。
 
方言や風習、歴史、糸魚川のことなら何でも出ており、どこを読んでも面白く、その碩学に感動する。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿