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ちゃげMamaちゃげ日記

Tanzania→Norway→Japan→and next?
2人育児にてんてこまい!何事も中途半端アラサー主婦物語

ドS!南東部どん詰まりツアー!

2011-08-08 | Tanzania Life

8月8日がナネナネ商業祭の日で祝日だったので、
6日~8日を利用して南東部の果て?!をドS旅行してきた!


~日程~

部会で5日までダルにいたので、
6日(土)ダル→Lindiリンディ→Chilalaチララ移動
7日(日)Chilala→Lindi→Ruangwaルワングワ移動
8日(月)Ruangwa→Nachingweaナチングウェア→マサシ帰宅

という感じだった。


なぜこれを計画したかというと、
ネワラの母、ナース隊員Cちゃんと、地図を見ながら
『私達、南東部でまだ隊員も誰も入っていない県がある!』
という話題で話が大いに盛り上がり、ぜひぜひそこで集合しよう!となったから☆

私はダルから、まずLindiの奥の奥村、自動車王子Kちゃん任地のChilalaを訪問し、目的地Ruangwaへ、
Cちゃんはマサシからナチを通ってRuangwaに行くことになった。



・1日目 
6日(土)朝
朝4:45にダル、隊員ドミをタクシーで出発。興奮してあまり眠れず、車内で眠気がすごい
そのままバスターミナル、ウブンゴへ!ドライバーの兄ちゃんが、あまりにもぶっ飛ばすので
5時ちょい過ぎにはウブンゴ着くという奇跡☆はやっ☆余裕でバスに乗り込む☆スタートばっちし☆

5:30 バスはウブンゴ→南東部リンディに向けて出発するはずだったが、
やはりタンザニア、出発したのは何だきゃんだで6時15分。ここからが戦いとなる。(私が頑張っても仕方ないけど)
なぜなら、Chilalaに行くためには、LindiからRutamba行きのバスに乗らなくてはならない。
Kちゃんが言うには、そのバスは1日2本しか出てないという事前情報だった。
そして最終のバスというのが、13時半。これを逃したら、Lindi泊、というかChilalaには行けない、ということになる!!


マサシ隊員馴染みのバス、Najmaは飛ばしてくれるから大丈夫だろう~と思った。
事故やらパンクやら何もございませんように~と願いを込めて☆


何もなかった。。。でも、やはり最初のスタートがまずかったのか、
Lindiに着いたのは13時32分。こりゃもう駄目か。今日はLindi泊じゃ。。なんて思ってた。
だって、降りたスタンドからさらにバジャジで5分のところにあるスタンドに行かねばならない。
諦めかけたが、めっ!諦めちゃダメ!慌しくバスを降りてピキピキの兄ちゃんに交渉!
そのまま小さなスタンド行くと、あら嫌だバスが今出発したところ!
ピキピキでそのバスに追い付き『ちょっと待て~~』とコンダ(乗務員)に叫ぶ!焦る私!!



そしたら
コンダ『あっち乗れ、これは満杯で乗れん。』と後ろを指す。

あらやだ~~~バスがもう一台停まってた!ラッキー!!!!

アサンテ~~といって、教えられたバスに乗る。
やったね!乗客に聞いたら、Rutamba行きだって!これでChilalaには絶対行ける!!

ダル→Lindi行きのバスの中で、朝に窓から買っといたバナナとオレンジを豪快に食べ、(袋の中実と皮でぐちゃぐちゃ)
手がべとべとになりながらも間に合ってホッと安堵していた。もう、このバスの煮干(こちらのバスは
鶏だろうが、バケツ一杯の煮干だろうが、何でも商売道具として売るため、バスの中に大量に持ち込む客も。
よって非常に臭い)の匂いなんてどうでもいい。勝ったど~~(何に?)と誇らしげにいた。




と、そこまでは良かったけど、すぐにバスは出発するっていったのに、なかなか出発しない。
乗客も文句いってる。
14:00。ありゃー何時まで待たなきゃいけないの。。
でも、TZに来て待つことに慣れた私はOK!結局出発したのは15:45。。やっぱ待ち疲れた笑

Lindiを出発しまずはRutambaへ走る途中、すぐに未舗装になる。
そして、そこは広がる広がる椰子の木々~~~~~!!どこを見ても椰子の木!そしてその木の
下には沢山の集落が連なっている~。





皆さん分かりますかね?赤毛のアンのアニメを見た人なら分かると思うけど、
まさにオープニングの森の中を馬車でアンが走るあの風景、それがまさにここの風景だった!
馬車のかわりに煮干バス、そして素敵な林のかわりに椰子の木だけど、アンの気持ちになって
もうワクワク自分の中で超テンションMAX!!
やっぱ旅は良いですね~~♪


と、1時間半くらい揺られてRutambaへ到着!そこからピキピキでさらに10分?やっとこさChilalaへ着いたのでした!!

待っていたKちゃん、そしてマサシのTamuがお迎え~~~。
ピキピキでかかとをちょこっと火傷して痛かったけど、そんなのはお構い無し。
とにかく着けてよかった~。



てかChilala、なぜこんなところに隊員が。。。というくらい、私が訪問した隊員の任地の中でも
かなりDEEPなとこだった。てか、Kちゃんの配属先しかないじゃんここ。。
チプシすらも打ってない!店がない!野菜を買いに行くには、リンディまで。。と聞いてご愁傷様と思ってしまった。
勿論電気は無い。でも、でも、でも!!ここが素晴らしい~~~~のは!!

Maji yapo mengi!!!そうです!水が豊富に!というか、出っぱなし!笑
Kちゃんの家のすぐのところに、水道があるが、溢れんばかりの水~を発見!
ありえない、しかも透明!超綺麗!こんなことが南東部であって良いんでしょうか?
マサシなんて今ドゥム1、500~1000tshもするのに。。使いたい放題、うらやまぴー!


Kちゃんの家で少し休んだ後、学校訪問、校長先生にご挨拶した。とても人が良さそうだし、
KちゃんもChilalaに凄く溶け込んでた。
夜は肉じゃがを作ってくれた。Kちゃんの炭のおこし方は、松ノ木の葉を使用すること。
これが、びっくりする位早く炭つくの~。実践したいものです。
肉じゃがって日本の味だね、本当に美味しかった!そして、バケツ一杯の水を使って
オガしてしまった!!超気持ちい!贅沢!もう、温泉入ったような気分になりました♪

色々夜の会ということでKちゃん&Tamと話したかったんだけど、老人ちゃげは部会と移動の疲れもあってか
皆と話しているうちに瞼が重くなりウトウト。。。先に寝てしまいました。





翌朝
7日(日)
5:00にバスが来るというので、4時半起床。
5:45バス到着 5:50発 外は真っ暗。まずはLindiまで。
荷物が結構あったのでぎゅーぎゅーだったが、今回のはマイクロバス!めちゃギュウギュウで身動きとれず。
でも何だきゃんだで、真っ暗な夜空からお日様が見てきた~~そして椰子の木街道!超素敵!!
Tamと大人の会話を楽しみ、椰子の木街道に感動していると、やっぱり始まった。乗客の喧嘩。
今回は凄い喧嘩じゃなかったけど、コンダと乗客の一対一の喧嘩。乗客が言われた値段が高かったため、抗議したの
だが、コンダは無視。そしたら乗客がコンダに殴りかかった!!朝6時に面倒臭いな~と周りの乗客がみんなで止めろよ!と
せめて終了。あんまりせっせかすんなや~~としていると、Lindiへ到着。

さて、Lindiから目的地Ruangwa行きのバスは、11時まで何本かあると聞いてたので、行くと。。。
出た、バス無い。てかまだ来てない。。。これはまた待つね~ということで、スタンドでチャイをすることに。


チャイ後、またバス停へ戻ると、来てた!Ruangwa行きのバス!いえい!!
でも、聞いたら10時出発。やっぱりね。。Sasa ni saa8:00。また待つしかありませんね~。
Lindiスタンドの汚いトイレにいったり、Tamと大人の会話をして時間をとりあえず潰した。
大人の会話楽しかった、やっぱ人間は色々とあるんだねー。ふむふむ。



10:00ちょっきり出発!!
結構待ちましたね。ま、タンザニアだもの仕方ない。
さーて何時にRungwaへ着くでしょうか~~。

途中、ここはイリンガのルアハ(国立公園)か?と思わせるような景色。
絶対ライオンとかいたんだろうな~というところを走る。走る。走る。
一度も止らなかったから良かったけど、着く頃には乗った席が悪かったのかお尻も痛いし
全身砂埃だらけ!ウェットティッシュで吹いたら、こげ茶色~~、我ながら汚い!



そして。
着いた着いたRuangwa。バスに揺られること5時間・・なーんもない?この頃には疲れのピークに。
てか舗装道路はみあたらず、全体的に真っ赤の土に町?村?という感じ。
本当にここは県庁所在地なのか、というくらい田舎だった。(やっぱりね)


すぐ今夜泊まるゲストを探す。バスから見たきれいなとこ行こうといって
着いたのは、その名も『MAYAI GUEST HOUSE』
訳してたまごゲストハウス・・。怪しい名前なので、2人して笑った。




バススタンドですぐに明日のマサシ帰りのバスも調べたけど、、ナチ経由は無しでした。
Cちゃんが言ってた通り、ナチからもバスではなく、ピキピキでしかここRuangwaにはこれないんだと。
Cちゃん残念ながら、今回はRuangwa断念(涙)でございました。


その後昼ご飯ちゃんと食べてなかったので、ふらっと町を散策ついでに遅いお昼。
と、こちらのRuangwa人、誰もチナいわない!声かけない!見てるだけ!なーんて静かな町でしょ!
ここはタンザニアですか?英語で声かけられますが??
でも、レストラン入ると変な男(おっつあん?)に少々絡まれる。
絡まれるというか、ただの挨拶なのに、エロい。Fataki(幼女好きの変態)にしか見えない。
いちいちめっちゃ顔を近づけて、手をしっかり握ってゆ~っくりなスワヒリ語で挨拶してくる。
しかも、2人もそんな奴がいた。ここは変態の町なのか?面倒臭いからスワ話せないフリして無視。
んでPombeで乾杯~♪ウガリを食す☆
Ndandaが近いためか、ワインもあるし、てか電気もずっとある。Ndandaの水も運ばれてきているようだ。
ここは発展するだろうな~隊員もいつか入れるんじゃない?交通の便は大変だけど、
確実にChilalaより良いよね?とちゃげとTam。



食べた後ちょっと町を散策する。あら~可愛いキテンゲの布やらあるわ。


ゆーっくりしているRuangwa



で、ここでもちょっと違う。誰も値段をふっかけない。良いのかね?と思ってしまうくらい。
やっぱ外国人いない方がいいのかな~。



水の値段も聞いてみた。
え?ドゥム1が、50tsh~300tshだって!なんでそんなに安いのよ~~!!!
またしても隊員入ったらいいのにね~という話になった。


さてさて、静かでエロい町、と異名をつけられた町Ruangwa。
もう少し散策したかったけど、ここに来て疲れはピーク。
明日もバス?の旅だし今日は解散しようということになった。




3日目

8日(月)
今日は最終日、マサシに帰るだけです。
ピキピキで帰るのもいいかな~と思ったけど、危ないので、ここはバジャジで帰ろう!ということに。
今日は帰るだけー。

なんだけど、やっぱ何もないわけないな笑
本当面白い笑


せっかくナチを通って帰る予定が、結局来た道、Nanganga村を目指してマサシへ帰るというコースだった。

でも、バジャジで結局マサシまで5時間かかったけど、
景色が自分の目線でみれるというのは本当に気持ちかったし、素晴らしかった。




なんでも運ぶ




勿論砂埃だらけだけど、
ドライバーがマサシ着いたらバジャを売るだの、ガソリン無くなり助っ人を待つだの、警察に止めれられ
(無免許)ドライバーお金払うだの、大型バスに轢かれそうになるだの結構色々とありましたが、いや、
皆さんバジャの旅はなかなか良かったよ!

そのあと、マサシお気に入りのKiboでお昼して解散しました。



マサシに着く前に必ず通る橋 皆ここで生活用水得ている





いやー、旅の半分以上が移動に費やした今回の旅でしたが、楽しかった!!


次休み連続であったらどこに旅しようかなーと思うちゃげでした。


バジャジから 車窓から?みたいな番組なかった?それを思わせる雰囲気?




マコンデ族

2011-08-01 | Tanzania Life

皆さんは『マコンデ族』をご存知だろうか。
アフリカに詳しくなくとも、どこかで聞いたことがあるかもしれない。


ウィキ大先生にはこう書いてある。

『過去から木彫りを部族の伝統としており、現在でも木彫り職人の多くがマコンデ族である。
入れ墨は額と頬に波型のパターンを刺し、女性(集団により男性)は上唇に穴をあけて棒を通す習慣があった
(現在は全く行われていない)。生業として農耕を中心に狩猟や漁労も行っていた。』



任地マサシにも、私の職場近くに木彫りを彫る作業場がある。そのもっと奥にあるマコンデkubwaの方が今では隊員間で
人気である。人がしつこくなく、値段もやや安いためである。




職場近くのマコンデ作業場


像さん3匹


一本の木から作られる 右から2番目人の形のは蝋燭立て





マコンデ族は比較的大きい部族なので、タンザニアの至る所にこの作業場がある気がする。
マコンデの人口は現在、タンザニアには114万人、モザンビークには30万人ほどいるらしい。


このマコンデ族について興味深い話を聞いたので、今日はマコンデ族の文化についてちょこっと書こうと思う。



去年の今頃も同じことを書いたかもしれないが、
6月、7月のこの時期、マサシでは至る所でドンドコ×2太鼓や歌といった音楽が聴こえてくる。
そう、ウニャゴ(成人儀礼)の時期が始まったのである。

先日もタンザニア人のお宅でご飯を食べていたら、始まった。
ドンドコ×2、そしてシャンシャ-ンという鈴?の音
そして、人々が歌う声。

子供達も夕方になると綺麗な格好をしたりしてとてもお洒落に着飾る。
今は、儀礼を終えた子供達が自宅に帰ってきて、お祝いをする時なので、
どこにいってもこのドンドコである。




ウニャゴ終えた近所の娘たち お父さんにお菓子を買って貰って友達に分け合う様子


おめかしパチリ☆ お化粧してちょっぴしお姉さんになったね!






夜に、『また太鼓始まったな~』なんて思っていたら、
夕飯を一緒に食べてた隣のママがこんなことを言う。
ママ『マコンデ族は、昔、この儀礼の時期、性器ではなく、
顔に模様をつけるため特殊な刃で傷つけて、刺青を彫ってたんだよ。もうこの文化は古いからやってる人はいないかもね』

そういえば、この間モザンビーク出身の婆さんが顔に幾何学模様の刺青してたっけ。

ちゃげ『顔に刺青なんて、痛そうね~~』
ママ『マコンデ族の人(成人を迎える子)は顔に刺青する時、彼らに(痛みが強いの知ってて)逃げられないようにするため、
   一人ずつまず土に体を埋めて顔だけ出すようにしちゃう。ぽこん、っと。
   で、彫師が見動き取れない子供たちに順番に刺青していくわけ』
ちゃげ『げ~~』

って具合で話が進んだ。



また、
ママ『マコンデの男の人はピアスをするの。あまり男性しているとこ見たことないでしょ?これも昔の話だけどね。
   マコンデの人はピアスを開けると、金玉が大きくなるのを防ぐ、と信じているの。』

ちゃげ『金玉?あー、爆笑問題の田中がなったやつか。睾丸肥大症?前立腺肥大症だっけかな』





なーんと、興味深い話でしょうね~(笑)


にしても、こういう文化の話を聞くのは私は大好き。



ただ、前にも書いたかもしれないけど、やはりこうした
ウニャゴ文化、夜から朝まで太鼓の音が聞こえてくる、なんというのは
このマサシや南東部にしか残ってないそうな。



南西部に住む同期隊員に聞いた話によると、
南西部のイリンガ州では、USAIDがタンザニア政府と協力して、病院や診療所で無料で割礼を受けれるキャンペーン
その名も『Dondosha Mkonosweta!』を開催したらしい。
このスワヒリ語は直訳すると手のセーターを落とす、であるが、勿論マサシの同僚たちに聞いてもそれはどこのスワヒリ語?
と首を傾げていた。この言葉の裏の意味は寒いときにセーターを手の先までかぶりますよね?
そのセーターをちゃんと腕までおろす、それが包茎を切る?イメージに、繋がる、合う、ということなのでは、との事でした。



南東部が無料で安全に割礼を受けれる日はくるんだろうか。
これは画期的なキャンペーンで、ぜひともタンザニア全土でこのキャンペーンを行ってっもらいたいものである。
一応病院とかでやった方が清潔だし、安全だし(一概に言えないけど)。



以上、マコンデから大分ずれたお話でした。


Nagomea!

2011-07-14 | Tanzania Life

今日の私は久々にブチ切れた!本当に切れた!!

前の日記に書いたが、現在の活動の中心はTuko SAWAという学校の
お手伝いである。
今日は先生が一人(男性)きておらず、女性教師一人と私のみという組み合わせだった。


子供達は簡単な算数ができない。できないというより、数字も書けなければ
読めない。それは十分承知であるが、一人ずつ丁寧に教えようと
思ってやっているのに、どんどん子供達が横入り。
我先にとばかりに、採点して~ここ教えて~と横入りしてくる。

それを見てみぬフリの女性教師(は、赤ちゃんを連れてきているため、子供のお世話。何しにきてるんだか)。


女性教師に『ちゃげ今何時~?』なんて聞かれて
お昼12時丁度と答えると、教師は先に帰るととっとと出てってしまった。
それをみて子供達も半分以上帰る。
授業終了時刻だとはいえ、まだ子供達の採点終わってないのに。
そもそもあなたが教師で私はアシスタントですが??



その先生が出ていくと、女の子一人が泣き叫んだ。
『それ私のペン、泥棒!返して!』
そして男の子と取っ組み合いの喧嘩、そこまではまぁどこでもある喧嘩だろうが、ここから私ブチ切れ開始。


男の子に注意を促すとへらへら笑いながら人の話しを聞こう
としたので、机を思い切りはたき、こっちの目を見て話せ、
なんで人の物を盗んだのか、この子(取られた女の子)と
話し合いするから、こっちおいで、といった。


それでも男の子はへらへらしている。
何度も真剣に怒ったがへらへらしている。
プラス野次馬の子供達がチョークで机や黒板に落書きを始めた。
泣いている女の子の頭にもチョークでなぞったから、またブチ切れた。
あんたたちは帰りなさいといっても、私が言ったことをそのまま
オオム返しで言うことまったく聞かず。ナメられてるなーおいら。
これが学校崩壊ってやつですね。どうにもならん。



生徒たちとの帰り道。
なんで男性の先生の時はみんな(生徒)まぁまぁ静かなんだろ、と生徒に聞くと
『だって、女の先生たち、棒で殴らないじゃん?だから怖くないからだよ』
といわれ唖然。私が棒で殴れば言うこと聞くんか、それで良いんかって。
そんなのできないよ。。。


ワケありな子供達なのは分かる。
まだ授業にもならないのは分かる。
時間かけてやるしかないのも分かる。
開校したのが5月で、6月から一ヶ月間夏休みだったし
私と子供達の関係もまだまだ信頼関係を築くまではいたっていない。

しかし、教師もちゃんとやってんだかやってないんだかよく分からないし、
NGOもNGOで、学校を建てたらお終い、その後のことはしーらない、
無免許の教師に頼んでおけばOk~とでまったくとにかくお粗末!
今日のことはブチ切れてNGOに電話し、とりあえず明日緊急の会議を開くことになった。



こんな状態じゃこれ以上進められないよ。


このNGOは、今じゃ地域開発課主催の会議や県庁全体の会議でも引っ張りだこ。
なぜなら、自分たちはこういう活動をしていますというNGO独自の月一雑誌を出版したから!
それを県全体の会議で発表、県知事にも直接お知らせした!雑誌出版は良いこと。
でもそういうマサシを売り出すぞ!みたいなものに惹かれる多くのタンザニア人には
そりゃ好かれるさ。みんな得意顔になって嬉しいから。

雑誌作成に夢中で上辺だけで中身が上記の通りまったくできていないのに、な。


運営方法、なんとか一緒に考えていかないと。
子供達に算数やスワヒリ語を教えるだけでは駄目。
一体何を目的に学校を建てたんだか分からない。。
子供達に一体どういう人間になって欲しい?と思ってるんだろ。
ちゃんとルール作らないと。
子供達の中にはやる気のある子もいる、せっかくのやる気を失わせることだけはしたくない。
見かけだけ良いんじゃ駄目なんだって!!
てかこの学校開始する前に、ちゃんともっと決めること沢山あるじゃん!




タンザニア人の問題な~い、Hamnashidaにはもうこりごり!


あーーーー!!!!


すみません、愚痴愚痴すみません。Nagomea sa-na!


でも、限界~





トホホのホ(涙)



ワガママキママ

2011-06-07 | Tanzania Life

最近思うことがある。

それは、
『そろそろ日本帰りたいなー』とつくづく思うこと。
それまで一度も考えたことはなかったのに、今見る夢もほとんど
架空の日本での出来事になっている。

何より、タンザニア人のチーナ攻撃(中国人)に本当に参っている毎日。
挨拶が重要な文化であるのは十分承知!でも、お願いだから必要以上にもう話しかけてこないでくれよ、と。
前までは中国人といわれるのは私はまったく気にせず抵抗なかった。
ところが、チナチナこれが毎日、数回、永遠といわれる。
中には勿論私が日本人と知らないで言ってくる人もいるが、まぁそれはOk。
最初は挨拶からして、あなたどこかで来たの?と聞けば良いでしょと最近は諭している。

でも馬鹿にしてくる奴らが多く、最近は本当ムカついてならない。
日本人男性と歩いているとそんなに言われないのに、女性だけ、または一人で
歩いていると攻撃にあう。やはりここは女性の地位が低いからなのか。
本当疲れる。バジャジに一人で乗っているのに、それでも外からわざわざ
チーナと声をかけられる。そこまで私にチーナと挨拶したいのか。
大人気ないったらありゃしない。



最初はタンザニア人は挨拶を重んじてて、素敵だな、誰とでも友達になれるって本当素敵!と思ってた。
それは本当に素敵な文化で今も好きではあるし、逆に日本に帰国したら、人の冷たさにがっかりするんだろうな、と。
分かっているんです。。

でも、挨拶され、仲良くなっても、どうせ物とお金目当て。
この間久しぶりに近所の子供達が家に来たと思ったら。。
少し家の中を見られたのがまずかった。
『のり、ペットボトル頂戴、ケーキ頂戴』の連呼。
10人位一斉に家に入ってこようとしたため、日頃のTZ人へのストレスが大爆発!!
『私のところに来るのは、私が好きじゃなくて、私の物が好きだからでしょ?それを欲しいからでしょ?』と怒鳴りまくる始末。
容赦なく、子供達を追い出した。


私も自分が大人気ないのはわかっている。
でも、もうこれ以上ombaomba頂戴攻撃されるのは限界だし、
私の中で相当ストレス溜まっていたんだと、タンザニア生活1年半が経ち今更実感というか痛感。
タンザニア人と挨拶かわすのさえも嫌いになってきた。スワヒリ語できないフリしたりするけど、
1年半経ち相手が言ってる細かいことすべて分かるというのは辛い。
何度も言うけど、優しそうに声かけてくる人もどうせ物と金狙いだろう、Mzungu(外国人)と仲良くなればお金もち~とか
思っているかもしれないとすぐ考えちゃう。



聞いた話によると、TZを訪れる他国の隊員は、
なんでこんなにTZ人がしつこいのか、しつこくチナチナいうのか、TZすごいね、と口を揃えて言うんだそうw
わたくし、相当ストレス溜まっていて、プラス色々で忙しいのか、今はもっぱらお風呂入りたい~~でございます。




は~~、この間ある人の日記に
『TZ隊員は、帰国隊員全員、タンザニアでの日々は夢のようだったという。
でも、今いる隊員はそれに気づかないで過ごす。私も同じように。』とありました。
夢のように・・・こんな思いになるのかな。

日本で自分がどう暮らしてたなんて、はっきりいって今あまり思い出せない。
いや、なんか買い物して~とかお酒飲んで~とかは覚えているよ。
でも、この近所づきあいとか、人間関係とかさ。
日本の子供達に上記のようなこと話したら、即効泣くよね?
てか母親とかに訴えられそうだし笑 訴えるとか、一体なんだよ笑

私、日本帰国してやってけるかな。誰にでも話しかけてるし。。笑ったり怒ったり。
変態だよな、自分。捕まりそう。あーーーぁーーれえええええーーー。



あと半年しかない隊員生活。
あっという間にたったなああ。。。
現在凄く複雑な心境です。
日本帰国したい気持ちもあるし、でもTZにはもっといたい。でもいると疲れる。




人間はわがままです。
いや、私がわがままです。
そんなわがままな自分、直したいです。


南東部Kwaheriとマサシ山

2011-06-05 | Tanzania Life

先月21日(土)、我任地のマサシで南東部Kwaheri(さよならparty)が行なわれた。
今月帰国する南東部にいる隊員の会、マサシ隊員のYちゃんとナチ隊員KちゃんのParty。
準備やら何やらで5月から随分と同任地や周辺隊員との濃い時間を過ごさせてもらった。
Partyも同任地隊員O氏の特性焼肉用コンロのおかげで、焼肉食べ食べ、飲み飲み、とても楽しかった。
そしてまたナチ組によるナチの唄を聴いて感動した。

ムトワラや他の任地からわざわざマサシまで足を運んでくれた隊員の皆様、ありがとうございました。



南東部隊員とぱちり
女性人は南東部ドレスコード『デラ(すべてちゃげ私物)』着用




マサシ山。
O氏は家の近くに住む自動車整備隊員。
彼の『月一マサシ山登山宣言』を達成すべく、
5月、6月は週末を使ってマサシ山を登った。
山といっても写真でご覧のとおり、そうさ、岩です。
下手したら死ぬんでは!!というくらいのこの斜面の角度!!!


女道、男道がありますが、今はちょうど雨季終わって草が生い茂り、
まったくもって道が分からなくなるから、ちょっとした冒険★



滑りそうになる。岩なので裸足のほうが滑らなくて◎




完全岩 アフリカ~の大地~~



登頂!てっぺんにある十字架で記念撮影!景色最高!





体質改善中の私にとって、ハードですけど、山登りは良い運動になる!
帰国の1月まであと何回登れるかな?


ナイパンガ村&ナチ&ルク視察

2011-05-19 | Tanzania Life

今回、マサシよりバスで北西に2時間のところにあるナチングウェア(県)、マサシからバスで30分のルクレディ村、
ルクレディとナチの間にあるナイパンガ村に思い出旅行をしにいった。

目的は来月6月に帰国してしまうナチの隊員の活動を視察することと、任地ナチの視察、
ルクではやらねばならぬ大きな目標があった。



1日目、一緒に同行したマサシ隊員Yと朝からテンション高くナイパンガ村へ向けて出発。
ナチK隊員の活動視察。まさか手伝いできるとは思わなかったけど、この日は妊婦と子の定期検診があったので、
私たちも体重測定などお手伝い。看護士隊員Kは凄い。着々と仕事を進めていく。
お母さんのお腹を木の棒?(何ていうんだっけ?超音波で胎児の具合をはかるもの。機械ないので、木でお腹に
耳をあてる)を使いながら、一人ずつ丁寧に検診していく。さすがだわ。
それにしてもナイパンガ村診療所の訪問は貴重な体験となった。


 

K隊員の体重測定。この日は外国人3人娘がいたので、会場は人だかり。測定嫌いな子達はわんわん泣き喚く。





順番待ちの子。この子は本当、泣かなかったな~



体重測定中





あっという間に時間は過ぎ、夕方K隊員&S隊員の任地ナチへ到着。
思っていた程田舎ではなかったが、
さすが『南東部の終点、赤土とヤンキーのナチングウェア』であった。
夜はチプシマヤイとナチ隊員特性手作り酒を飲み、ナチソングを聴きいろんな思い出にふけった。
ナチ隊員お世話になりました!!感動の唄をAsante sana!


2日目

つづいてルクへ向かう。
ルクも隊員が入ってますが、今回の目的はSamaki mchangaを食すこと!!
これはマサシのY隊員の強烈な希望?のため、今回食すことになった笑



↑これ、なんだか分かる?スワヒリ語でSamaki mchanga、そう、ねずみちゃんです。



マサシ、南東部の人は都会の人からみて、お前らはねずみ食うんだろ?とちょっと馬鹿にされることもありますが、
決して毎日食べているものではありません(ルクは毎日なのかな?)。
家にいて憎たらしいねずみーちゃんですが、お味は・・・・




非常にタム!!美味しい!の連発!!





いや~本当に美味しかった!!トマトソースが決め手!いや、Tちゃんのママが味付け上手だっただけ??笑
ちなみにSamaki mchangaって砂の魚、という意味。なんで魚なんだろう。。意味忘れたな~。
普通はなぜかキリスト教の人がこれを好む。イスラムの人は絶対食べない。

私がねずみ食べたと近所のママ(イスラム教)に言ったら
真面目顔で『冗談じゃないわよ、何やってるの!死ぬわよ!汚いのに!ちゃげは汚い!』と
怒られた笑




いや~ごめんなさい、ママ。

でも、この2泊3日間の旅、本当に楽しくて、良い思い出となった!!!

お世話になった皆様、ありがとうございましたー!!


忘れてはいけない日

2011-03-25 | Tanzania Life

3月11日(金)地震発生から今日で2週間が経過した。



最初に地震の電話を同期隊員Hから受け取った時は
「今回の地震、大きいといってもいつもと同じでしょ」位に考えていた。
しかし、他の隊員からの連絡で「ちょっと、地震の被害、てか今まで見たこともない映像だよこれ」
と言われ動揺。その後Hと会って映像を見せてもらう。
はっきり言って見なきゃ良かった。見て口があんぐり。言葉を失った。
襲ってくる津波と燃え上がる町。信じられない。酷すぎて思わず目を覆いたくる映像。戦争か何か?と思った。


それが私の大好きな地元、仙台、宮城、東北で起きたとは。。。


12日土曜、本当は日本に一時帰国する予定だった。
そのためダルへ上京したのだが。。

同期隊員に同じく東北出身者がいる。
彼女の家に泊めさせてもらいながら、2人で家族や友人の安否確認を行なう。
連絡がなかなかとれず、目の前のインターネットの情報だけに頼るだけの日々。
あまりにも今回の地震に動揺して頭がおかしくなっていたと思う。


まだ連絡のつかない、E高校の友達は大丈夫かなぁ。
E高校は、津波の被害が酷い仙台市若林区にある。
荒浜の海近くに高校の友達が何人か住んでいる。何度荒浜の海で遊んだことか。
高校部活帰りに、制服のまま深沼の海に飛びこんで遊んだっけ。。。
A子は来月挙式なはずだったのに・・・・。
P美はその挙式に出てお祝いして、ブーケを取り合いする予定じゃないの??

どちらも部活の仲間。お願いだから無事でいて下さい。


津波被害で町が「壊滅」という文字を見るたびに震えてしまった。
どうかどうか、無事でいて下さい。。。。連絡今取れなくても。お願い。



本当は今にでも日本にすぐ戻って、プロのような緊急援助ができなくても、
炊き出しだったり、自分ができることを直接したい。
でもここにいて何もできないのが歯がゆいと感じていた。
そんな時、同期隊員から連絡があった。


「海外にいる私達ができる事、世界中のJICA協力隊仲間で地震支援基金」
である。(http://justgiving.jp/c/3774)

集まった寄付金は特定非営利活動法人チャリティ・プラットフォーム (http://www.charity-platform.com/)
(3月13日の時点でに第一隊が現場入りしている)に寄付される。


とても素敵な企画をしてくれたモザンビーク、Yさん、アサンテサーナ。
これを通じて、少しでも被災地の方の助けになればなと思う。
これは協力隊用のだけど、他にもいろんな募金が今あります。
ネット募金とか簡単だけど、詐欺も増えているようだからそれだけは気をつけよう。



日本にいない私たちが今できること、色々あると思うけれど、
日本帰国した時にここで身に着けた沢山の生きるノウハウを
地元に持って帰って還元することが、協力隊の使命なのではと思った。





みんな、本当に辛いだろうけど頑張って!!!
私も一緒に頑張る!!
世界も応援してくれている、日本の底力見せて頑張って復興させよう!


そして来年元気な姿で会おう!!!


HIV/AIDSが治る?薬と物価高騰による事件

2011-03-11 | Tanzania Life

おはようございます。こちら、朝6時をまわりました。


最近、タンザニア国内でめちゃめちゃ騒ぎになっているニュースを紹介!
先週末、バスに揺られていると、ラジオから聞こえてきたニュース。


アルーシャいってンゴロンゴロと呼ばれる地区がある(動物サファリで有名、自然遺産だったっけ?)
その奥地に住む牧師さんAは前から何でも効く薬というのをひそかに開発していた(というか、伝統医?のようである)。
それが、ついに先週完成!した模様。


その薬はいっぱい500シル(30円くらい)。それを飲むとどんな病気も治るというもの。
実際それを飲んだ人の病気が治るもんだから、今ではそれを求めて沢山の行列ができるようになった、と聞いていた。
エイズを治す?正確にいえば、HIVにより発祥した病気が治った!もんだから、もうとんでもない騒ぎになっている。


まーた、本当かな?と思ったけど、TZ国内中でニュースになりまくり、この話を聞かない日は無いくらい盛り上がっている。
昨日のニュースでは、彼に会うため、何千人?の人々が車や歩いて列を作っている光景がみられた。
中にはその客目当てにすでにヤギ肉を売ったりして商売するかしこい奴?も。



TZの友人に「あれで本当にエイズも治るんだよ!」と聞いて半信半疑で聞いていた私。
こんなに国内中で騒ぎになるくらいだから、本当に治るのかなーなんてちょっと思ったりして。
今ちょうど、国を挙げての調査が始まり、調査団も現地に派遣されている模様。

ただ、心配なのは、その薬を求めて、遠いところから(因みに交通費は往復?片道?で20万シルかかるらしい)最悪に具合の悪い人も来るもんだから、
並んでいるうちに死ぬ人も6,7人出てきたんだとか。


隊員と話していたけど、こういう噂とか何とか、本当にすぐ信じてしまうタンザニア人はピュアだなーと、
ピュアというか、ここが違うのかな、何か信じるというか、宗教に関してもだけど。
日本でこんなのなったら、医師は即逮捕とかになりそうだけどね。
この騒動どうなることやら!!目が離せません!






あと、今月に入りいろんな物価が高くなり、ちょいと大丈夫かよ、という事件?が身近に発生したので紹介。

バスに乗っていた友人B.Bがマサシに帰るバスに乗っていると、突然道に倒産ばかりに大木があり、道がふさがれバスが通れない状況になっていた。
なんだなんだと思いきや、何人かの女男がこう騒いでいる。
「お願いだ、助けてくれ、お金をくれ」


助けを求めるうちの女性、先日バイク走行中落っこちて、鼻と顎にひどい怪我をおったらしい。
そこで、物価高騰でお金が無い彼女はバス乗客に病院代を求めるべく、道を通さんとして大木を置いた模様。


めちゃ怖いよ・・・・このバスに白人である私が乗ってたらどうなったことやら。
いろんなものの物価が高くなり、TZ人の大好きチャイに入れる砂糖もかなり上がっている。
これが続くと今回のような事件も多くなり、そして私ら白人がターゲットになる日もそう遠くないような。
ナイフとかつきつけられたり・・・アマニなTZでは起こって欲しくないけど、物価高騰、どうにかならんのかね。



とまぁ、最近のニュースでございました。


雨そして晴れ

2011-02-28 | Tanzania Life

こんにちは。

今日締め切りの書類もやっと提出し、ほっと安心ちゃげです。

孤児の為の施設修築計画も、本格的に始動できるよう、NGOのおんちゃんとすったもんだやってきましたが、
明日には書類がすべて出揃い、やっと日本語で記入できるようになりそう。
本来の活動ではなく、事務作業が多いこの頃だったけど、やりがいはある。
ただ、日々、これでいいのか、いやだめかの繰り返しで、へこみの時期。本来の活動ができるよう、心身とも回復せねば!

私の場合、TZ人と仕事上、人間関係どうあるべきかで悩んでるけど、色々と問題が出てくるな、隊員。
問題や悩みの無い隊員なんていないいんだろうな。てか、全ての人が、色々あるもんだよなー。


自分の立ち位置が分からなくなる時もあるけど、そんな暗くなった時、元気をもらえる写真を一挙紹介!





いつも我が家に来る子供たち。「Naomba chupa(ペットボトル頂戴~)」攻撃開始


体操指導。私がするのをみるだけで笑い転げる子供たち


変顔しんさいといってする前の子。日本人、勝ったど~~




TZでも大流行!コンゴ?ナイジェ?の音楽「キドゥク」を踊る近所の兄弟友達、Salima,FikiraとNurudini.


夕方の散歩が日課


近所の女の子とキスマーニ(水溜まり場。こういう水溜りから水を汲むのが一般的)に行った日の夕日


吸い込まれそう~~


夕日見て明日も頑張るぞ!ってなる!!
















アマニ

2011-02-20 | Tanzania Life
 

 

アマニ=平和

 

 

 

 

 

エジプト隊員とチュニジア隊員が一時退避帰国した。

 

訓練時代、一緒の班だったエジプト隊員の子に、エジプトの大統領が辞めてしまったと聞いて

 

そんなに大変な事態が起こっていたのかとびっくり。

 

この先エジプト、周辺の国々はどうなるんだか、心配・・。

 

無事、隊員の皆が全員日本に帰国できたと一報が入ったのには安心したが。

 

 

 

 

 

 

 

普通に生活していて、エジプトだって日本よりかは治安は良くないけど、それでも

 

観光客にも大人気の国ではあるし、平和なはずだったのに。

 

大衆パワーが爆発して、平和だった日々が一瞬のうちに崩壊していくんだなと。

 

 

 

 

 

 

 

ここ、アマニといわれているTZも、ここ最近は大都市ダルを中心にどんどん治安が悪化している。

 

毎週のようにJICAから「○○地区でデモ発生。△△には近づかないように」といったメールが届くようになった。

 

ずっとアマニなTZでいて欲しいなぁー。

 

 

 

 

 

途上国だから危険とか先進国だから安心、ではないけど、海外で長く生活している、といっても私は1年とちょいばかりだけど、

 

異なる環境にこうしてどっぷり浸かっていると、

 

日本との違いや逆に同じ点などいろんなものがわんさか見えてくるように、というより気づく点が多くなった。

 

こうしたメールが届くと、「あ、ここは日本じゃないんだ、海外にいるんだ」とまた強く実感

 

丁度生活&言葉に慣れてきた頃で、もう現地のどこでもへっちゃらさなんて思ってたけど、

 

安全対策はいつでも万全にしないとな!この期を境にもっと気を引き締めたいと思います。

 

 

 

 

 

何よりここで言いたいことは、エジプトや周辺国に早く平穏な日々が戻りますように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*PS あと関係ないですが、今日は聖なるバレンタインデー。

 

TZで何をするかって?そう、赤い服を着ておしゃれをするのです。

 

で、夜はお酒飲んだり、クラブ、ミュージッキで踊る、という感じ。

 

近所でもミュージッキガンガンで皆踊っていました。

 

 

 

 

World clock