テレオロジカルな行為。

結果に関わらず、それ自体から充足感が得られる行為。
by ポール・マッケンナ

優れていることを目標とするということが最初にあって、その結果として劣等感をもつ。

2019-03-05 05:30:37 | アドラー

 ことさら優れていなければばらない、と考えるのは、

根底には自分は劣っている、

あるいはそこまでいかなくとも

普通にしていてはいけないという思いがあるから。

 

普通であることを受け入れることができないと人は特別であろうとします。

 

社会は育児や教育を通じて、

望ましい人間像を押しつけようとします。

 

普通でいる勇気がないので最初は時別よくなろうとし、次いでもしもこれが果たせなかった場合は、

特別に悪くなろうとするのです。

そうすることによって安直に「成功と優越性」を手に入れることができる、と考えます。

 

タテの人間関係は精神的な健康を損なうもっとも大きな要因である。

 

あらゆる人との対人関係の中でヨコの関係でいられるとすれば自分をよく見せようと

いう努力をしなくていい。

 

ヨコの関係であれば、自分が優れていることを誇示することで、

よく思われようと背伸びをすることは必要でなくなります。

 

しかし実際の今の世の中では、ヨコの関係に立つことは困難です。

人と向き合うとき、瞬時に自分が上なのか下なのかを判断する習性があるといっていいくらいです。

 

闘う、攻撃的な子どもたちにはいつも劣等コンプレックスとそれを克服したいという欲求を

見出すことができる。

 

僕は実際よりも大きくなければならない。

皆にも自分にもそのことを証明しなければならない。

権威に反抗しなければならない、

先生に黒板消しを投げたりして・・・

 

 

とまぁ、偶然に出会ったアドラーのおかげで、

乱暴・狼藉をはたらく子どもの行動の真意が「理論的」には解明できましたが、

これを実践に活かすというのは又、なかなか大変だと思います。

 

なんせ、望ましい人間像を悪気なく押し付けてくるのは、(同調圧力)

親であり、家族であり、学校であり、友人であり、教師であり、マスコミであり、社会であり、

敵は社会意識であり、それら上部構造を生み出しているのは、

土台構造である資本主義システムだからです。

 

アドラーの「嫌われる勇気」が90万部近くも売れている理由がわかります。

時代は、アドラーであり、ピケティーであり、マルクスであり、バーニーサンダースであり、

もう当分続くやろうなぁ・・・2030年ぐあいまで続くで、このトレンドは。

商売に活かそう!

(商売かいっ!人助けに利用せんかいっ!そんなええ理論やったら・・・・・・・・)

 

なんせ、現在は1930年代の格差社会と同じぐらいに貧富の差が広がってるらしいから・・

(・∀・)

 

 

 

 


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