テレオロジカルな行為。

結果に関わらず、それ自体から充足感が得られる行為。
by ポール・マッケンナ

人間であれ、情報であれ、知恵であれ、資源であれ・・・

2014-10-25 07:50:19 | Weblog

バラバラだったら、

そんなに価値のないものが

 

1つにつながることで

ものすごい魅力のあるものになる・・・

 

 

だから僕は「グループ」を大切にします。

集団の力を大切にします。

 

長年、生きてきて、

労働者、ひとりひとりの力がいかに限られたものであるか、

身にしみて感じるからでもあります・・・

 

今の頻繁に動きのあるグループ活動占有率はだいたい、

グループAとグループBでほぼ100%ですが、

 

自分がリーダーのグループCもつくろうかと考えています。

とあるカテゴリーが久しぶりに復活しそうなので。

 

明日は、30人で飯ごう炊さん!

天気は良さそう!

去年は台風で中止だったから・・・・

 

 

 

 

 

 


小さな子どもとの心のぶつかり合いが、私の心の問題と私自身を対峙させることに・・

2014-10-13 08:38:30 | Weblog

縁あって、時々小学生の子ども達とふれ合うことがあるんですが、

男の子で、乱暴・狼藉(ろうぜき)をはたらく子がひとりいるんですね・・・

まだ低学年です。

少年Aとしましょう。

 

男女何人かの小学生の集団の中で、目を離すとすぐにその子は他の子とトラブルになる・・・

1日に何回も、何回も、何回も、何回も・・・・(^^;

 

男同士なら殴り合い、

女の子なら泣かす・・

上級生の男子もうっとしがって敬遠する、

同級生の自分より一回りも体の大きい男の子でも泣かすような感じです。

 

私:「なぜ乱暴をはたらく?」

少年A:「あいつらがムカつくこと言うからやっ!」

 

私:「オレもずっと見とったけど、圧倒的に腕力にまさるお前が乱暴をはたらくような相手でもないし、乱暴しないといけないようなトラブルの内容でもなかったぞ!」

少年A:不服そうに下を見て「・・・・」

 

私:「なんでいつもお前はイライラ、イライラしてんねん?」

少年A:「オレ、ストレスたまってんねん!」

 

私:「・・・・」

 

私は心の中で、お前は中間管理職かっ!と思わずツッコミたくなりました。

小学低学年でいったいどんなストレスがたまるというのか・・・・?

 

その男の子というのは、ケンカも強く、身体能力も高い、

小学校という社会の中で「腕力」というアドバンテージ(優勢)を感じているんでしょうね・・

 

まだ幼いのに、いつも目はつり上がっていて、

表情には子どもらしい笑みが全然みられない・・

 

指導側の大人が代わる代わる怒っても、

怒られ慣れしているらしく、全然本人には入らない・・

怒られてもすぐにまた別の乱暴を働く・・・といった感じです。

 

そんな指導者側からすれば手のかかる子ですから、

抑えるのに頭を抱えているわけです。

 

昔のように今は親に変わって指導者が子どもを指導でどつき回すことも

もちろんできません。

 

かと言って「正論」の説教ばかりたれても、少年Aには右から左です・・

 

私も世の中は法が支配しているんであって、暴力が支配しているんではない。

とか説教しましたが、

一方の価値観は、コミックなどでケンカが強い男がカッコイイ!みたいな描き方をして

子どもたちをあおっています・・・(ーー;)

 

しかし、指導者側としては子どもの集団の中での身勝手な乱暴・狼藉は

絶対に許すことはできません。

 

私も彼を1対1のマンマークです。

彼の暴力さえ抑えていれば、「大きな問題」だけは起きないからです。

この私の行動も少し免責的で大人のズルさが出ていますが・・

 

他の子も私と一緒に遊びたそうにしていますが、

私も少年Aに時間と体力を取られヘトヘトです・・・

別の子にかまっている余裕がありません。

 

体力的にもしんどいんですが、身勝手な乱暴や殴り合いの時は真剣に少年Aを怒りますから、

精神的に自分も「怒り」を伴いしんどくなります・・・(^^;

怒り慣れていないというのもありますが、

 

というのも、私の場合、後記しますが

特に「怒り」の表現には特別な心の葛藤があります・・・

 

少年Aは、この私の心の葛藤と嫌がおうにも私を向き合わせる、

私の心の問題と私自身を対峙させるのです!

 

私の場合、もちろん普段の生活の中で声を荒げるなんてことは100%無いですし、

今は私は中年ですが、幼少期~思春期、そして現在まで私は

非主張的自己主張(non-assertive)タイプで生きてきました。

 

父親の※面前DV(ドメスティック・バイオレンス)の家庭環境で育ってきましたので、

その中で私は生き残っていくために、父親の怒りを優先し、自分の怒りを抑え、忘れ、消し、

相手(父親)に合わせることによって生き延びてきたのです・・

(この話は長くなるので割愛しますが、決して父親だけが悪いのではなく社会の問題でもある)

※父親が母親を殴るなどの光景を見て育った子

 

私は、そういう自分の正直な心の状態(怒り)をごまかして生きてきたので、

長きに渡るその習慣が社会に出ても続き、私自身の社会生活や対人コミュニケーションにも

弊害を及ぼしていたのです。

いや、今現在もそれは尾を引いています・・・

(例えば暴力は振るわなくても、暴力を肯定する考えや、腕力の弱い女性を蔑視したりなど・・)

 

怒りというものは主張しなければ消えるものではなく、

逆に納得いかずに怒りを引っ込め主張しないほうが蓄積され、いびつな形で表しつされる。

例えば、私は新卒ですぐに就職して、会社に不満があっても自分では怒りを自己主張せず、

いきなり退職という極端な形で自己主張しました。わずか入社後3ヶ月です・・

いわゆる普段おとなしい人が突然「キレる」というやつですが、

私の場合は元祖、キレる世代ですね。非主張的自己主張タイプのですが・・

 

本来、怒りというものは正常な感情で、正常な形で主張すること自体は悪いことでも

なんでもないんですが、つい最近までそれがなかなかわからなかったというか、

怒るということはall or  nothing 的な、全てを得るか、全てを失うか、というような、

極端な受け取り方しかしてなかったんですね・・・

 

非主張的自己表現 = あなたはOKだが、私はOKではない

攻撃的自己表現   =  私はOKだが、あなたがOKではない。

アサーティブな自己表現 = 私もOK、あなたもOK。

 

※(自分も他者も大切にする自己表現のことを=assertiveアサーティブな自己表現という)

 

私には、それまでの自分の経験の中で、「怒り」は家庭を崩壊させ、精神をむしばみ、

愛すべきものを同時に憎まなければならない。

という「二律背反した精神状態」に追い込まれることを意味していました・・

 

愛すことも憎むこともできない精神状態というのは、自分の心が出口のない泥沼の葛藤に

さらされるわけですから、心の拷問状態といっても過言ではありません。

多くの人は長きに渡りこういう精神状態におかれると、精神分裂ぎみになります。

私もこういう家庭環境の中で、この頃から内省的な性格(自分の内面をかえりみる性格)に変わっていきました・・

特に多感な時期に経験するとアイディンティー(自我)の確立に失敗します。

 

話はややそれますが、親の感情に飲み込まれて、自我の確立に失敗した子どもは

若い時は従順だと大人たちから可愛がられます。

当然ですよね、主体性の確立に失敗して、自分が無いんだから従順なはずです。

しかし、そんな従順な若者が20代後半~30代を迎え自分で判断しなければならない立場になると大変です。

その年頃になってもまだ自分自身の主体性を取り戻していない、もしくは主体性が無いことに気づいていないと何が起きるでしょう・・・

何をするにも自分以外のモノに価値基準を求めたり、他人の評価を自分の行動基準にしたり、

鵜呑み、服従、依存など何事にも主体的に取り組むこともできずに、積極性も生まれず、やる気も出てきません。

なぜ自分はやる気がなく、本気になれずに、自分で判断もできない、優柔不断なのかもわからず苦しみ、自分の心の中にぽっかり開いた空洞に振り回されるのです。

私は25歳の時に、おばに「あんたは、尻切れトンボみたいやな」と言われたことがあります。

どこに飛んでいくかわからない・・・という意味です。

自分が無い、自分の価値観を確立していない、もしくはその年齢相応の主体性を持ち得て

いない。という意味で主体性の確立に失敗した人、遅れた人は人生でもつまづきが多いような気がします・・・

 

話を元に戻しますが、

 

正当な怒りの感情は表現してもいい。

かといって、相手をやっつける形で怒りを主張するやりかたも問題です。

攻撃的自己主張(aggressive)というやつですね。

 

この少年Aの暴力と対峙することで、

私も私自身の正常な怒りの表現や暴力に対するきちんとした考え方を迫られているのです。

 

私は決して体育会系ではないですが、上記に記したような私のおいたちや、

その後~今現在まで引きずっている自分の心の葛藤が、

なぜか少年Aの乱暴=暴力に神経質になる、敏感に反応する理由です。

 

カウンセリング業界などでは、そういう自分の気になる存在、苦手とする存在の人を

「シャドウ」と呼んでいます。

自分の影という意味ですね・・

 

私には、少年Aのように乱暴=暴力を振るう人が気にかかる。

身勝手な人が気にかかる。

攻撃的自己主張のタイプが気にかかるんですね。

 

自分の影として・・

カウンセラーいわく、シャドウは「生き残れなかった自分」だと。

暴力や怒りを封印してきた自分にはまさに少年Aは自分の影、シャドウだったんですね・・

だから異常に自分も反応してしまうのです。

 

別に指導員によっては、特に気にかけてない人もたくさんいます・・

他の指導員にとっては少年Aはシャドウではないんでしょう。

 

そこで少年Aの話に戻りますが、彼も本当にめずらしく、たまに、たまに、

笑顔で他の子と遊んでいる時があるんですね・・・

 

本当にまれなので、私も覚えているんですが・・

やはりその時は少年Aも他の子達とうまく心のコミュニケーションがとれていて、

バランスよく譲り合いが成立して遊んでいます。(^O^)

 

なので、めずらしく子どもらしい、かわいい笑顔で遊んでいる少年Aを見ていると、

「本当はこの子は子どもらしく振舞いたいのでは・・・子どもらしく甘えたいのでは・・・?」

そう思います。

 

何かが原因で少年Aは子どもらしく振舞うことを許されていないのでは・・・

 

子どもらしく振舞いたいのに、それが許されない環境・・・

それが自分のイライラにつながり、

また、子どもらしく振舞う他の子へのイライラ、怒りにつながる・・・・

 

ある女の子に向かって  少年A:「お前、なんでいつもそんなにぶりっ子なんっ!?」

女の子: けげんそうな表情で 「・・・・」

 

ぶりっ子=女の子らしさを強調したり、子ども特有の弱さや従順さを表現することを

特に少年Aは嫌います。

 

その心理は裏返せば、少年A自身が子どもらしく振舞いたい、かわいく甘えたい。

という子どもとして正当な欲求を成就できていない可能性が読み取れます。

 

あくまでこちらの推測ですが、なんの予測もプランも持たずに子どもと場当たり的に接するのも

結構しんどいので、図書館で本を借りて、コミュニケーションの勉強とかしてます。

 

「アサーション入門」 平木典子 著 

~自分も相手も大切にする自己表現法~

 

少年Aの心の葛藤と向き合うことは、自分の葛藤と向き合うことになる。

 

そして多くの親が言う、「子どもは自分を精神的にも成長させてくれる」というようなことも

少しわかったような気がします。

 

いずれにしても、純粋で、無垢で、ストレートで、残酷で、未来や可能性に満ちている

カワイイ子どもと向き合うことは、エネルギーもいるし、しんどいし、楽しいことでもあります。

まぁしかし、子どもたちは親や社会の写しかがみでしょう・・

今まで子どもとは接点があっても、ここまで子どもとコミット(関与)した経験はないからなぁ~

体力持つかなぁ・・・大丈夫かなぁ~

(^0^)

 

 

 

 

 

 

 

 


Square One - State Of The Art×おおさかっ!おおさかっ!

2014-10-03 22:07:18 | only music

明日も朝から忙しい・・・

夜は西中、

月曜は心斎橋・・・

 

インド式、英会話

まず「言いたいことを日本語で考える」←ここが今までの英会話と違う!!

 

今までの英会話は日本語とあまりにもかけはなれた言語である、

ネイティブの英語の思考法をいきなり要求していた・・

これでは誰もがついていけない

 

言いたいこと⇒EX. 「用事はリズムを生む。」

次に3つの公式のどれかに、日本語を当てはめる。

 

「誰・何+ give+ 人、 物」の公式に当てはめてみる

誰・何は人に物を与える

 

用事はgive私にリズムを与える

用事の英語とリズムのスペルがわからん・・

ネットで調べる

Business give me Rhythm!

少々、文法や発音が間違ってても、文章の形式で話すと

通じるんですね!

 

3つの公式と中学レベルの単語力で十分に英語は話せます。

私も本を読み始めて1週間、上のような文章を思いつくまでになりました。

なんでも、かんでも3つの公式に当てはめさえすればいいんですから・・

すばらしいブレイクスルーです。

 

3つの公式を自在に使いこなせるようになれば、

次は実践です!

アジア人とネットで英会話。安い・・これが