そうすれば、再び反徳川の勢力が現れる芽をつむことができる。
実際、大坂冬の陣と夏の陣で、
大坂城の金銀財宝はすべて使い果たしてしまったわけです。
う~ん。やっぱり家康はかしこい。
それと大坂冬の陣の時、戦況はこうちゃく状態、
大坂城の内堀が強固なため、なかなか攻め落とせない。
陸戦のほうなら豊臣方のほうが強い。
とことろが、徳川方が大砲を大坂城の天守閣に直接ぶち込んだ!
どか~ん!
どか~ん!
それで淀君がびっくりしてもーて、
講和条約を結んだ。
当時の日本にはそんな大砲をつくる技術はまだない、
大砲は当時の先端の武器です。
そんなものは日本にはないわけです。
じゃどこの大砲や?
これはオランダから買ったわけです。
だから、徳川の鎖国時代でもオランダだけは
特別待遇で長崎に出入りできたのはこの功績があったから。
なんでもウラにはすべて経済と武器がつながっている。
武器かて経済や。
関ヶ原から大坂の陣まで実に15年もの歳月が経っていたんですね。
その間に家康は大坂攻めの準備を万全に進めていたわけです。
大坂城が陥落したのを見届けて、家康は翌年に亡くなります・・
こういう経済的な側面からも見ると、
真田丸も少しはマシ・・・
あんまりおもろないけど。
軍師 官兵衛に比べたら。