きみとのむミュスカデシュールリー

お酒はあんまり関係ありません あしからず

あげないよ

2008-03-29 06:47:22 | 好ましくない
甘やかされるのはすきだけれど、甘やかされすぎると吐き気がしてしまう。人に好かれることは嬉しいけれど、好意があからさまになると一線を引いてしまう。この境界線は何なんだろう、と思う。
ちょっとかんがえて、まだもやもやしてるけど、もしかしたらこうかも、とおもったこと。
なんとなくあからさますぎる好意は、怖い気持ちになる。それでいて、きれいじゃないものにみえる。
でも、人から好かれればうれしいのに、どうしてこんな気持ちになってしまうんだろ、と思ったときに、好意があからさまだと、こっちにも何か求められてる気持ちになるからかな、と思った。
自分が好きだ、という気持ちを表面に出すことで、相手のリアクションを求めてる感じかなあ
私はギブアンドテイクでなくて、自分が返さなくていい好意に甘えたいのか、と思って、なんかいやないきものだなあと思った。
逆に自分からあんまり好意を示さないのは、ギブアンドテイクで生じる責任を背負いたくないからだ、と思う。
つまり無責任てことかなあ
それとも、相手の人によっては自分からその責任を進んで負おうなんてこともあるのかな。わからん。

ドラマ見てた

2008-03-29 06:17:34 | いい
優しい時間、というドラマを、毎晩一巻ずつ借りてきて見ていたのが、ようやく今日終わりました。毎晩見ては泣き見ては泣きしてました。どっちかっていうと、ドラマのテーマへの共感というよりは、主人公の息子役に肩入れして見て、その気持ちをひとりで考えては泣き考えては泣き、みたいのを繰り返してた気がします。

私はあんまり見たことないのだけど、倉本作品てだいたいそうなのかな?すごく間のあるドラマでした。そういう間の取り方に慣れてなくて、すこし、じれったく感じることもあったけど、そういう間があるが故に私はすっごい感情移入して見てました。
感情移入なんかな?なんだろ、モノローグとかないのだよね、悲しいだろうな、ってシーンで、私が泣くのは、その人物が悲しい、っていってるからでなく、その視線とか状況とかその人の想像に時間がかけられてて、そのかかってる時間に私がその人みたいな思考になっちゃうからなのだよね
それで、私が勝手に想像力を働かせて、あーこう考えてんのかな、もしかしてこうかな、とか思ってるうちに、その人がふいに涙を流したりすると、もうこっちもね、ぼろぼろになってしまうのです

べたねた、というかハッピーエンドはすごくほっとする、安心する
べたさって人に好かれるが故のベタさで、だからこそ使用頻度も多くて、あきられやすいものだ、とおもう
ホント見せ方次第だなって思って
こんなふうに人の感情をゆっくり追いかけられるドラマは好きだなあと思った
でもほんとに何がよかったんだかはよくわからなくなってきた
ただはまってたから、見終わったら絶対ブログに書こうとおもってたんだけどなあ

ほんとね、一週間はまりすぎてこの先どうしようみたいになってるよー
どうしようか…

消える魔球のようなあれ

2008-03-28 06:43:13 | おもった
ずっと、自己犠牲みたいのが自分の泣き所かと思っていたのですが、他にも泣き所を見つけた、なんか、誰かがだれかを大切に感じている、という状況にとっても弱いみたいです。そういうのがあまり存在しないと思ってるから存在したときに感動するのか、はたまた自分にない要素だからか、とかかんがえてみたけれど、結局のところはよくわかんない

なんだろ、私は自分の気持ちを疑ってかかることが多いのだけど、それと一緒で他人の気持ちも結構疑ってかかることが多いと思う。考えすぎると不安になるから考えないけれど、人と人が一緒にいるときってなんかメリットがあっていることが多いなって。例えば単純にお金が手に入るだとか、恋人がほしいだとかの他に、もっと、この人は話を聞いてくれるとか、どこかに所属していたい気持ちとか、とにかく誰かといたいとか、そういうもの。
もちろんメリットがあるから、というのは全然悪くないと思う。メリットのために行動することが悪いことなら、世の中で良いことはなんだ、とおもう。

でも、いったん離れてしまえば忘れてしまう、そんな人が多すぎる、別れる時にいっぱい泣いて、でも日常生活に戻ってしまえば関係なくて、じゃあその人は私にとって何だったんだろう、その人にとって私ってなんだったのだろう、と思うと、悲しい気持ちになってしまったりする。

不意に誰かが誰かを思い出すこと、心から心配すること、なにしてるんだろうって考えること、そういうことを考える誰かが誰かにいるとしたら、それってすごいしあわせなことだ、と思う。
そういうのって、ありそうでない、だってあるかなあ?
日常生活があって、自分が忙しくて、それでも誰かを不意に心配したりすることなんてあるかなあ?
すくなくとも、私は誰かのために自分のことほど胸を痛められたことなんて、ない気がする。
そういうものが存在したらいいのに、と思ってるから、それを見たときに涙が出るのかな、と思う。でも自分に好意を向けられると怖がっちゃうんだから、わがままなもんだなあ、とも思う

かわいいの弊害

2008-03-23 03:35:47 | おもった
かわいい、ってあんまり人に対しては使いたくない、相手を愛玩の対象としてみてるみたいだから、っていってるブログの人がいて、はあっと思いました。もちろん全部がいっしょくたにはできないにしろ、(友達への髪型や服とかの評価でかわいい、っていうのはあんまりその気持ちに該当しない気がする)確かになあ、と思う部分も無きにしも非ずだと思った。

うーん、私がかわいいっていうもの、人と人との関係とか、その人の性格とかを、かわいいって言ってることいっぱいあって、勿論かわいい、と思っているんだけど、かわいいの断言は関係性がそこで断絶だ、とも思う。
なんというかねーかわいい、っていうことで、そのことに深く考えることを放棄しちゃう感じがあるなあ、って。かわいいっていったらかわいいどまりなの。私は、むしろその関係や人物を、「かわいい」ポジションに置いとくことで、嫌なものとかその他の物をあまり視界に入れないようにしてるのかもしれない、と思った。
あとね、自分の中で、ちょっと上から目線も感じる。かわいい、っていうとき。
それあるかもなあ、どっちかっていうとそっちだなあ、かわいいっていうことで、自分の理解できる範疇、下に置いときたいって部分があるんだろうなあ

でも、絶対悪いことではないと思うんだよね、つまり後輩がナチュラルにできる感じだってそういうものだよ、と思う。
あからさまに人を下に置く感じだね。でも、そういう関係性は否定するようなことじゃない、とは思う。でも私は苦手だけども。子供にあげ足とられたくないような人だからなあ、私って
そういう風な関係が苦手だ、って言ってる私が、かわいいって言葉を使うことで、表面上では苦手っていっときながら結局上下関係作ってるんじゃんか、というところが私が「かわいい」を使うと出てくるいやらしさの原因だと思う。
でも、かわいいものをかわいいっていうことは、それはとても楽で楽しいこと、しかも悪評じゃないから便利ではあるんだよ。こういう風に評価できることは嫌いではないし、これからもずっとしたいとは思うんだけど、けして思いあがるでないぞ私、と思ったのでした

追記・この場合のかわいい、って、なんというか表現的に「もえ」に近いと思います。もえーって、ね、たぶんそういう感じ

なんで泣くの

2008-03-22 05:46:44 | おもった
なんか書くだけ書いたら、とても元気になった。げんきげんき!

でも下のブログはみすぼらしいので、一番上にしたくなく、今新しい記事を頑張って練り上げてる。

昔のブログを今読んできた、高校生の時のブログ、そしたら私はちゃんとそのときそのときでベストを尽くしてて、その時のなるべくの幸せをちゃんと作っていたことに安心した。だから別に不幸だと思って毎日を過ごしてたわけじゃない。
ただ、こっちがびっくりするぐらいおっかなびっくりで、自分の気持ち悪さが少しでも隠れるように精いっぱい婉曲表現するだとか、コメント返すのに何日もかかってるだとか、自分が辛い方向に敢えていっちゃってるとか、おいおいだいじょぶか、って思った。
高校生の時の自分が、自分の一部なのにちょっと他人になりかけてる。そのことが少しさみしい。気がついたら、中学生の時、小学生の時、幼稚園の時の自分の考えてたことが全部わからなくなってる。

幼稚園の時、私は、幼い妹が泣いてるのを見て、なんで泣いてるのかを知ってた。だから宥められたし、親にもあんたにはわかるのね、って言われて、そうだよ、きっとこれからもずっとわかる、と思ってた
なんで泣いてたかもう思い出せないよ。きっとこれからもっと遠ざかって行くんだろう。

子供の時、子供の気持ちがわかってれば、大人はこんな無神経なことをしないだろう、って思ってた。でもどんどんわからなくなって、きっと私は子供を上から目線で見るのが普通になってしまうんだ、子供はいっぱい考えてるのに。
そんなことをしたくはなくて、大人げなく、相手と同じ目線に立ちたい、と思う。それはきっとでも子供っぽいこと、そしてそれは子供を子どもとなめたときに、足元掬われたくないという自己中な理由なんだろう、と思う。

24時に迎えに行くよ

2008-03-22 05:32:48 | 好ましくない
ぼんやり泣いてる
号泣でなくぼんやり

12時くらいに友達にメールしたの
高校の時の友達 今度海外に行くらしいんだけど会えないから
それで何気なくメールしちゃったのね
うそ、ほんとは何気なくじゃなく、ずっといつメールしようかいつメールしようか考えてた
それをなんか唐突に、今日行動に移してしまった

そしたら、とてもそっけなく感じてしまった
なんだろ、こっちが頑張った分が全部空回りのような気持になった
彼女は私に興味なんてないんだろうなあ、ってぼんやり思った
来る者は拒まず、去る者は追わずって自分で言ってたその子
それを思い出したら無性に腹が立って、腹が立ってる自分に自己嫌悪になった

そうしたら高校の時の空気を思い出したの
自分が高校生になったみたいだった
そういうときっていっぱいある、実家に帰った時、友達に会ったとき、不意に押し寄せては、私をどんどん不安にさせていく
ばっかみたいなんだけどね
みんな関心ねんだなあって 私に
なんかナチュラルにどうでもいんだなあって、ほんとにそうなのかどうかは知らんけど勝手に思ってしまう
でも実際そうだったんじゃないかなあとほんとは、ほんとは思っているからこそこんなに追い込まれる
私下手したら一言もしゃべってない日とかあったんじゃないかなあ
でも人の話聞いてたらきいてほしい人が構ってくれるってわかってたから、そういうのひたすらきいて、尤もらしいこと言ったりしてた
でもそういう浅ましい考えが露呈するのが、他人にばれてしまうのが、すごく怖かった、気がする

んで、最後のメールを見るのが怖くて、怖くなくなるまでメール見るのやめよう!思って、携帯を鞄の奥深くに押し込めた
メールが来るとランプが光るのが怖くて、それも見えないようにした

ずっと小説読んでた それで
そしたら涙が滲んだ
それで、私ってだれか本当に大事なひとなんているのかなあ、って思って
ふっと、周りの人を思い浮かべたの
そしたら無条件で愛しくなる人なんかいなくて
あの子はここがダメ、この子はここがダメ、とか欠点ばっかり思い浮かべてた
あーもしかしたら自分は本当そういう人間なのかも、と
人に個性がいろいろあるうちの、自分の個性っていうのが、そういう風に人を素直に好きになれないってことなのかと
そうするともうね、自己嫌悪の嵐ですよ
考えすぎの自分がいやでいやでしょうがない
でも大事な人がほしいとおもってしまう自分
自分がだれかを大事に思えるわけでもないくせに

それで、ああもうだめだ、って思って、ついに携帯を見たの
最後の返信が 意外に温かかった
それでまた、目が潤んだ


怒って、それから

2008-03-21 01:37:59 | 好ましくない
なんか昔みたアニメで、人を知るにはその人が何に怒るかを知りなさい、みたいなことを言われた、って主人公が言ってるシーンがあって、なんだそれ、と思ってたのだけど、最近はそうかもなあって思う

怒ってるときって、大体素に近いなあって
優しさとか、嬉しさとかは、もちろんその人の個性によってツボは違うけれども、いくらでも捏造できてしまうもの、って感じがする
だから、普段人がにこにこしてても、この人ほんとはどんな人なんだろう?って思うし
そういう人が怒ってるのを見ると、逆に核に触れたような気持になる

感情的になったほうが負け、って果歩がいってて
だから、感情的になるって、素の自分を見せるってことって、弱みを見せてるようなもんなんだろなって
普段さ、見せないようにしてる人にしてみたら、最大の弱みだ

そうなると、自分の怒るポイントを見つめることになる
私って怒るポイントとへこむポイント一緒なんだな
自分の汚い所を指摘されると一気に頭に血が昇るの
別に他人が勝手にそう思ってる分には構わないのだけど、自分が一番嫌いだと思ってるところを、他人に言われるとふざけんな、と思う
ふざけんな、って思うのは、図星だからなんだろうな、って思うと後々へこむ
そういうところが怒るポイントな自分にもほとほと嫌気がさす

健やか

2008-03-20 23:00:00 | おもった
自分の家を大事にしてる人ってすごく健やかだなあって思うのね
あと、自分の受けた愛情に素直に喜べる人って健やかだなあって思う

健やかだ、健やかだっていって、私は健やかさにすごく嫉妬してると思う
私は自分の心のままに生きれば健やかにはなれないから、基本的に一枚皮をかぶせてしゃべらなければならないわけで、別にしゃべらなければいけないって誰が言ったわけでもないけど、自分の健やかじゃない部分を他人に見せるのは気が引けるし、それを出し過ぎたところで何が伝えたいのかもわからないし、とかぐちゃぐちゃ考える、考えて嫌になる

健やかな人は好きで、でもその気持ちの根底には、好きだという気持ちだけではいられない自分がいる

あまのじゃくなんだよなあ

写真集みた

2008-03-19 04:54:54 | いい
今日、うめかよさんの写真集、「男子」を初めてみました
すーごいよかった
私自身が男の子ってすげーって思ってたとこがあって、ばかだなあってとこと、そこが愛しいなあってとこのあいのこの気持ちがあったから、余計に好きだと思ったんだと思う
男の子はこっちじゃ思いつかない突拍子もないことをしだしたりする、それがすごくうらやましかったり、うらやましくなかったりした
そういう一面を、切り取ってくれた人がいたってことに感動したのに加えて、カメラを通して、うめかよさんと男子たちの透いて見えるような関係に、すごくきゅんときた
これの出版のために、うめかよさんは成長した男子たちに会いに行った、ってあとがきで書かれてて、
で、なんか、当時男子たちに私はなめられていた、とか、うめっていう名をばかにされた、とか書いてあったのだけど、最後に、男の子のひとりが、うめかよさんに、ひとをあんまりしんじちゃいけんぞ、みたいなことを言ったというのでそのあとがきが締められてて、そこだけでちょっと泣いた
なんか、何が泣き所かわかんないけど泣いた
成長して、きっと男子たちのあいだが微妙に気まずくなってる可能性もあるわけで、きっと空気とかいろんなものが変わってて、考え方も変わってて、信じちゃいけないよって大人に忠告する子供がいることとか、そういういろんなことを想像したらうっときた
うーん?いまだに何が泣き所かわからん 


硫黄島だよ

2008-03-17 03:12:41 | おもった
映画観た 硫黄島からの手紙
いつもろくでもない感想ばっかり
でも率直に思ったこと書きます

先入観とか不信感とかがぐるぐる頭の中めぐりながら見てたのね、監督外国人だからわからないところ絶対あるだろなーって
私戦争中は普通の人は来てる服、もんぺとかばっかりだと思ってたからあれ、違うなーとか思ったりとか
というか、昔見た日本の戦争映画のイメージ先行しすぎて、こんなんちょっと違う、と思ってしまうとことかあったりして
演技とかもね なんとなく「今」を感じてしまう部分とかもあったりして

まあそんなんで頭いっぱいだったのだけど、実際人が死に始めると毎度の如く逃げ出したい気持ちに駆られた
人が死に始める、って表現やだね
でも死に始める、なの どんどん死んでいく
戦争映画見る割にいつもこんなんなの
もう見たくねえってなる、逃げて安全なところ行きたいって
逃げ出したい気持ちでいっぱいだった、でも私はまあ画面を消せば逃げられるけれども本人たちは実際の時間を耐久してるのに自分は2時間ちょいも見てらんないんか、あほか、とか無理やり自分を説得してみてた
別にそれが実際の体験になるわけでもないけど見てた
こえーよ
生きたいって思って死のうとするのが一番怖い
どっちがいいかはわかんないの、でも、死のうと思って死に直面するのと、死にたくない、って思って死に直面するのだと、絶対後者の方が怖い
逃げ出したいの、こんないつ死ぬかもわからなければ生きることの見込みもない生活から
下手したら味方すら殺さなきゃいけなくて、銃弾が、火炎放射が、いつ来るかもわからない、暗い塹壕から逃げ出したい
そこを踏みとどまる力、自分で死ぬわけでもなく、かつ生きて、戦おうとする力って、どこから湧いてくるのか、とか思ってた

あと、自分が信じたことが正義ってことについて
本当、誰のこともあんまり否定できなくて
見てるとやっぱり、生きて帰ってほしいって思うから、西郷の考え方が今の自分にしっくりくるって思うのだけど
すごい頭の固そうな上官とか
そういうのだって正しいと思ってるからやってるわけで
もちろんいろんな、エゴとかもいっぱい交じってるだろうけど、基本的な考え方として沁みついていたものを、信じていた人がいるから、そういうのの存在まで否定するのは嫌だ、と思った
私の個人的な今の考え方からしたらきっと否定するよ
でもそういうんじゃなく、土台が違うのに今の視点からひたすら、あれは絶対におかしいって言ってしまうのはなんか違う、と思った
そういう人がいたんだ、ってことだけだ、



あと花子めっちゃかわいい 見た目が
花子と西郷の夫婦はすごくかわいかった