きみとのむミュスカデシュールリー

お酒はあんまり関係ありません あしからず

帰りの電車

2011-05-24 23:17:07 | おもった
自分にはできっこないと思っていることでも、自分がどうしても気にかかっていることなら
どうにかしようとする方がきっと自分のためにはいい。
できないまま自分が嫌いなままなのは自分の精神衛生上よろしくない。

ずっと話せるようになりたい、と思っていた。
人に自分の意思を伝えられない人は明らかに伝えられる人よりも割を食っている、と思っていたし、
何より実際話してみると、意外と人と話すことが自分は好きなのだな、と気づくことができた。

けれど、ひとしきり話が盛り上がって、人と別れたあと、楽しかったはずなのに、どこかですんなりと行かない気持ちもあった。
のどがぎゅっとなって気持ち悪くなるような。うまくいきすぎている、と思う。
その先で転ぶことが怖いのではなくて、この先がこれ以上ないことにぞっとする。
少し欠けている状態が一番安心感がある気がする、これはどういうことなんだろう。

足りない方がいい、それが自分の望んでいることだと思って、近づいたはずの距離を遠ざけてしまうとしたら、
それはすごく不健全なことのように思う。
ただの勘だけれど、私はきっと何か間違えている、と思う。
人と接するときの向かい合い方がおかしいから、こんな程度で限界だ、と思ってしまっている気がする。
くるくる回る会話と、笑顔と、そういうものは自分を元気にさせるけれど、
それがあるから万事うまくやっている、それはイコールにならないのに。
何かを見くびっている気がする。

実体

2011-05-08 02:57:15 | おもった
私はその人の何を見てたんだろうなあ、と思った。
信頼していて、何より自分が一番知っていなければいけない相手のはずだったのに、よそからの情報にぐるぐると振り回されている。
違法なことをやっているわけじゃないけれど、盲目気味なのは少し怖かった。
きっと距離を置くことでうまく忘れることもできるんだろうけど、
これから一生つきあっていくのにそんな気持ちの悪い関係を築きたくない。
かといって価値観に立ち入れるとも思わない。
どうしてこんなに信頼できないのだろうな、と、自分の都合のいい面だけを見ていた自分に吐き気がした。
けれど、すべてが終わった後に信頼に責任をなすりつけるのは、なんとなくよくないな、とも思う。

いままでの優しさが、何かと引き換えになったものだったのでは、と思うと少し泣きそうになる。
自分と相手の間にむすばれたものではなく、
相手のルールが自分への優しさの理由だったのかもしれないと思うと怖い。
でもきっとそれだけじゃない、と理由もなく思える自分もいる。
自分が苦しいときに黙って見守ってくれていたのは感謝している、
私もどうなるか行く末まで見ることしか、きっと選択肢はないのだと思う。
それでもだめなときのために、養う力を蓄えておくことくらいしかできないな。