きみとのむミュスカデシュールリー

お酒はあんまり関係ありません あしからず

終着点

2009-04-29 03:30:01 | おもった
なんだかんだいっても人は大して人を必要としていないのだ、ということを考えだしたら、人生に絶望しそうだな、と漠然と思ったり。結局他人は自分のことを見ていないし、自分も結局は自分のことしか考えていない、そう思える瞬間が多々あって、そういうのがもっとリアルになったら絶望するのだろうか、と時々思う。
でも確かに、そうではない、この人がいてよかった、と思う瞬間もあるので、結局はどちらに重きを置くかなのだろうな、と思います。悲観に身を宿せば喜びが嘘になるし、逆も然り。たびたび来る両方の波のうち、どちらを本質とするか、というのがあれなんだろな、問題の焦点となるのだろうと。たぶん。今のとこそんな気がする


きっとあえる

2009-04-27 23:37:31 | おもった
結局のところ、自信がないのを表に出されても…、と思ってしまうのだよなあ。
自信満々でいろ!というわけではないけれど、機嫌を伺われるのはうれしくないどころか場合によっては、やめてくれ!とすら思うよね、という。

ので、出したくない!って話なんですけどね、つまりは。自分の話です。
でも、そうなるとやっぱり他人のことを思い煩うことなく行動すればいいと、他人の顔色など窺うな、と、そういう結論に達してしまうのだけど、それもどうかなあ、ともやっぱり思う。独り善がりで満足しているのが、あまりにあからさますぎる自分なんて想像したら、胸がすうすうした心地になります。

じゃあどうするかっていうと、きっと他人の顔色をたとえ窺ったとしてもそれを態度に出さない、がベストなんじゃないかと思う。のだけど、そんな器用じゃないんだなあ。突っ走っちゃうときは突っ走っちゃうしそうじゃない時は縮こまっちゃったりする、そういう単純でめんどくさいやつだ、私は。自信と言うのはどこからわいて出てくるものなのかね

どうせだめだよ

2009-04-26 23:03:46 | おもった
なんだろう、知られていない、ということは、すごく安心だけど時々さみしい。

知ってほしいけど知られたくない、というのはきっと、誤解を含まれたくないからで、もしかしたらそれは、少しの誤解も許さない、という狭量な精神ゆえなのかもしれなく、結局は度胸がないんだなあ。

マイノリティというのはどうしても存在するもので、でもマイノリティであることを主張し続けるたくましさは私にはないんだな。たくましい人を見ると、ぼうっとすごいなあ、と思う。すげえなーって。どっからエネルギーがでてくんだろーなーって。
私だったら口に出さないだろなあ、と。

でも、おんなじような感覚を持った人がいたらいいなあ、と、それはずっと思う。
我が儘だけど、こう思っている、と思ったことに、誤差なく理解してくれる人がいたらすげえなーとちょっと、ずっと、思っている。
そうやって、自分と同じような人がいてそれを喜ぶこと、自己満足だな、と思うのだけど、まあいってしまえば、ただ話して、そうだね、って相槌を打ってほしいそれだけなんだとも思う。
できれば、その相槌に、嘘がなければもっといいのに。

たのしみを希う

2009-04-19 10:47:08 | おもった
なんで楽しくないのかなあ、と思っていたら、楽しもうとしていなかったなあ、ということに気がついた。

空からそういうものが降ってくるのを待っているだけならば、雨が降るのとおんなじような確率くらいでしか楽しみはないのかもしれない


広さ浅さ、狭さ深さ、あと時間の長さ

2009-04-19 10:17:29 | おもった
人との付き合いが広くなればなるほど、どういう人間か、ということより、どういう人間に見せるか、ということに焦点が当たりやすくなっていくように思います。自分がどういう人間であっても、それを見せる場とか、プレゼン能力がないと、誰も目にとめない可能性があるという。しょうがないと思いつつ、どうせ、と捻くれたりとかもする。
でも逆にいったん見せる場を確保してしまえば、あとは曝け出していくほかないわけで。そういうときに嘘にならないようにすればしたいなあ、
あとは本当、そこから先がながいね

昨日の今日

2009-04-15 09:45:21 | 好ましくない
朝っぱらからものすごく気が沈んでしまって、友達に会うのすら億劫で、でもそこ億劫がったってなにもはじまんないわけで、むしろ事態は悪化の一路をたどるのみで…って。
なんだろう、へこむのは自由なのだけど、へこんでます!って体でひとの前に出ると、相手もこの人なんだろうって思うし、この人なんだろうって思われたことに対して自分もへこんだりするので、そろそろいじけるのはやめようと思いました。
怖いものは怖いけど、考えすぎない方がいいんだなあと経験上肌で感じています
人間関係だけは努力だけがものをいうものじゃないと思っている
そういうのもある意味努力なのかもしれないけど、頑張ってますって体をみせることは、暑苦しいものなのだよなとか。

気合いなんて入れてやらないよーなんも考えない
ただ嫌いとすらいうのがしんどいというのは、嫌いってはっきり言える時よりだめなときなんだろな
自虐も大概自分を傷つけるもののようです

喜ぶ

2009-04-01 17:21:57 | おもった
なんだろう、他人に喜んでもらおうとするときに、自分の、好き、がちゃんと根拠でありたいと思う。
うーん。喜ばせてやってんだぜ、にならないように、というか。
でもそういう気持ちに心当たりがあるから、こういうものいいになるんだろうな。ううむ。