きみとのむミュスカデシュールリー

お酒はあんまり関係ありません あしからず

私たちに足りない想像力

2007-11-29 00:37:50 | わるくない
TBSの世界遺産みた。ドイツのヴァイマール、ゲーテのいた町

もう町並みっていうよりゲーテについての紹介みたいなものでした。

彼の残した最期の言葉が、もっと光を、で、死ぬ間際にこれ言うとかかっこいいなーと思った。
光、という希望的なものを死ぬ時に求めることになのか、手に入らないものをほしいと思う絶望的さになのか、なんとなくすごい、と思いました
ドイツの訛りによっては、この言葉、すべては嘘、という意味にもなるらしい、うーむすごい
でもそんなにちがっちゃうくらいなまるもんなのかしら


ところで、私は想像を現実にしようとすると恐怖心がわいてくることが多々あります。
例えば海外に行きたいと思ってても、実際行くとなるとしり込みしてしまうだとか、
友達に文句言ってやろう、と思ってても、本人を目の前にするととんでもないだとか、
あともし誘拐されたら犯人を説得したい、っていう妄想を小さい頃してましたけど、この調子でいくととんでもないですね

それは、私の想像には現実味が足りない、っていうことなんだろうな、と思います。現実に経験してないものに現実味を加えるっていうのも無理な話ですが。
想像で好き勝手やる、っていうのは誰しもやることだと思います。が、それには大抵リスクだとか現実的な不安が欠如しているので、よりマイナス要素を増やしたりすると、現実に近い想像になるのかもしれない、と思います。
より現実に近い想像をすれば現実にそれをシフトさせたときに、恐怖をかんじることが少なくなるにちがいない、と。


話は戻ってゲーテですが、私が読んだことがあるのは某若き青年の話で、なんでドイツ文学こんな思いつめる系が多いんだ、とげんなりした記憶があります。もういっそばかか!って言いたい、と思ってしまうくらい。

でもこういうときってやっぱりまた想像力かけてるのかな、と思ったりもします。例えば自分が同じ状況になった時に、同じように、ばかか!って言えるかどうかは、よくよく考えてみるとすごく微妙。

だから、そういうときに、同じように言える気概がないと、それをばかか!っていうのはただの対岸の火事的なものの見方で、ただ上から物を見てるだけ、それって何か意味あるのかしら、と思うので、何かを批判するときは、極力想像力の及ぶ範囲まで考えられたら、と思います。

でも逆に考えないで、「ばかか!」っていえるような強気も、たまに必要だと思ってしまうことがあります。
そんなのどうでもいいよ、大丈夫だよ、っていう楽観的でいい加減な考え方に救われる時っていっぱいある。
私は想像力と忘却力をいい感じに使い分けるべきだなあ





ところで来週の世界遺産は?なんとアッシジでございます。アッシジってあのピンクの街だよねーすっごいたのしみ

うむ、ぐだぐだ

2007-11-25 23:34:16 | おもった
3日間の連休バイト以外で家から出なかった…
何してたかっていうとテレビ版のはんたーはんたーを一話から見てた…35話くらいまでいった
楽しいけど楽しくない
やらなきゃとか思ってたこと全部ほっぽり出してこういうことやってると、そっちの道に戻るのにすごい苦労する
こうやってまだネットやってるし
予習洗濯掃除料理買い物そういうもの全部がもういやだー
でも早く現実を見なきゃあ

こういうだらだらした時間を過ごしていると、自分てつくづく頑張り続けることができないやつだなと思う

なにごともなかったようなかおして

2007-11-19 03:26:49 | わるくない
最近やらなきゃならないこといっぱい増えてきた、サークルとかバイトとか勉強とか
やりたいこともある、英語の勉強とレファレンスコーナー巡りとスカート買うこと
そういうの全部生活に詰め込んで、ああ、死にそう、でもこんなまだがんばれるんだぜーって笑い飛ばしてやりたいってすごく思う

なんで生活に活力がなくなるか知ってる
一つ一つの要素をないがしろにしちゃうからだ
自分が主体的じゃなくなった時だ
やばい生き甲斐を感じられない、人生鬱だって思った時に、これからやらなきゃいけない、って義務的に思ってることの楽しみ方を考える、それを実行するだけですごく大変、でもそういうのやってる時に楽しいって思える
大学の勉強とかきっともっと楽しめる
いつか燃え尽きるのかもしれないけど、燃え尽きた後にもっかい頑張ろうって思えたらいいな

忙しくても中途半端でも生きていけるぞー

2007-11-14 03:01:12 | わるくない
最近すごいことがわかってきた
夜中の三時まで起きてたって一限の授業に出られる
でもこれって私の睡眠時間じゃなくてやる気の問題なのだなあと思った

1セメはひどかった、もうね、一回さぼったらいくらでもさぼっちゃうんだよね
もうめんどくさいいきたくないやって思ったら止める人誰もいないから本当に休めちゃう。
本当に休めちゃうってことに感動して休む。高校生だったら家からおいだされるところだけども

でも休んで提出しないでずーっと何やってるかっていうとごろごろしてたりパソコンしてるだけで、まじで何もやらない
ご飯すら作らない
大学生になってから、人って10時間くらいパソコンいじってられるんだって知ってびっくりした
でもパソコンの画面と何時間も向き合ってると、気持ち悪くなる
自分何やってるんだろうっていう気持ちの面と、ご飯も食べず体も動かさずでそこにいる身体の面での両方で気持ち悪くなって頭が痛くなる
そこにきてもまだパソコンにしがみついてたりする。パソコンから離れてしまうと、自分がやってこなかったことについて考えなきゃならなくなるから必死でしがみついてしまう
やってしまえば楽なのにと思っても全然動かなかったね、なんだろうねあれ

2セメになって、サークル活動やらバイトやらで急に忙しくなると、逆にもう楽しかった、だってやらなきゃならないことで悩む時間がない
悩む時間がないってすごい
あとは、やる前に抵抗があることでもやってみると楽しいかもしれないことだとか、体が辛くてもなんだかんだでがんばれちゃうことだとか、頑張ってしまえばなんてことないだとか、そういうことを発見した
要は、気持ちの問題なんだと
3時まで起きてようが4時まで起きてようが、私がやろうと思う限り次の日学校に行くことはできて、しかも行った方が精神衛生上よろしいんだったらこれはもう遅刻してでも行こうって思った。
遅刻しようが一回やすもうが、別にかまわないから出来るときにできるだけやっとこう
それで最終的に倒れたらだれか心配してくれるといいなー
あほだな、って思いながら、遅刻しつつ学校に行っています。

自由な時間の使い方

2007-11-11 17:12:20 | おもった
明日やりたいことがあるときには眠れない状態になる
布団に留まっていたくない衝動に駆られる
でも子供はそれを押しとどめて眠るんだよね
夜中に起きる自由を得ちゃったばっかりにそこで私は起きてしまう
それで次の日を眠ってすごしてしまう
あほだなあ

きらいなひと

2007-11-11 06:05:15 | わるい
前回の日記意味が不明だっておもったのがこの前なのに、そのノリで書いちゃいそうなきょうの日記

今日はバイトの人と飲みにいってきた
その中の一人の人が、なんか、だめだった
すごい分析好きな人なのだよね たぶん
今どうなの?それってこういうこと?ああー(君って)そういうタイプね、などなどと言ってる言葉の端々から分類しようとしてるのがわかるのだよね
人って多かれ少なかれそういうの多いと思う、他人をこういう人だって判断すること、自分のわかる範疇に入れようとすること
でもそれを表に出さない人とばっかり付き合ってきたから、こういうときの苛立ちは半端ない
分類されるの嫌だ!と思う
どうしてかって思うと自分のなかの後ろ暗さに気づくのだけど
私はきっと分析されて自分がダメなやつって発見されたくないのだよね
だから表面的にでもそれを隠す人のほうが居心地がいいと感じてしまう
あと、他人を分類しようとするのは、さっきも言ったように、自分のわかる範疇に収めたいからだと思うんだよね
それってよく言えば安心したい、ともいえるけど、悪く言えば、自分に分かるようにして、自分の下で理解できる存在にしたいというか
それにすごい傲慢さを感じる 自分わかってますよ的な態度だ
だからそういうのにのってやりたくない、というのも分類されるの嫌だ、と思う一つの原因なんだろな

でも結局、人って結構分類行為をやってるわけで、それを表に出すのってむしろわかりやすくていいんじゃないか?とも思う
それでも私は自分の中の劣等感を引き出されるのを恐れてるので、もう関わりたくないのです

酔ってるのでよくわからない文章だったらほんとすいません
もしかしたらあとでなおすかも