きみとのむミュスカデシュールリー

お酒はあんまり関係ありません あしからず

消える魔球のようなあれ

2008-03-28 06:43:13 | おもった
ずっと、自己犠牲みたいのが自分の泣き所かと思っていたのですが、他にも泣き所を見つけた、なんか、誰かがだれかを大切に感じている、という状況にとっても弱いみたいです。そういうのがあまり存在しないと思ってるから存在したときに感動するのか、はたまた自分にない要素だからか、とかかんがえてみたけれど、結局のところはよくわかんない

なんだろ、私は自分の気持ちを疑ってかかることが多いのだけど、それと一緒で他人の気持ちも結構疑ってかかることが多いと思う。考えすぎると不安になるから考えないけれど、人と人が一緒にいるときってなんかメリットがあっていることが多いなって。例えば単純にお金が手に入るだとか、恋人がほしいだとかの他に、もっと、この人は話を聞いてくれるとか、どこかに所属していたい気持ちとか、とにかく誰かといたいとか、そういうもの。
もちろんメリットがあるから、というのは全然悪くないと思う。メリットのために行動することが悪いことなら、世の中で良いことはなんだ、とおもう。

でも、いったん離れてしまえば忘れてしまう、そんな人が多すぎる、別れる時にいっぱい泣いて、でも日常生活に戻ってしまえば関係なくて、じゃあその人は私にとって何だったんだろう、その人にとって私ってなんだったのだろう、と思うと、悲しい気持ちになってしまったりする。

不意に誰かが誰かを思い出すこと、心から心配すること、なにしてるんだろうって考えること、そういうことを考える誰かが誰かにいるとしたら、それってすごいしあわせなことだ、と思う。
そういうのって、ありそうでない、だってあるかなあ?
日常生活があって、自分が忙しくて、それでも誰かを不意に心配したりすることなんてあるかなあ?
すくなくとも、私は誰かのために自分のことほど胸を痛められたことなんて、ない気がする。
そういうものが存在したらいいのに、と思ってるから、それを見たときに涙が出るのかな、と思う。でも自分に好意を向けられると怖がっちゃうんだから、わがままなもんだなあ、とも思う