中国不滞在記 in 神戸

行って見て聞いて考えた中国のこと

銃を見せびらかせながら平和を唱えたってそりゃ無理というものでしょう

2015年09月10日 | 日中関係


「抗日」が抜けているのがまだ救いか。。。

9月3日の戦勝70周年記念パレードについて、日本語学科の先生や学生たちの反応を、中国のSNS、微信(wechat)とQQでのぞいてみた。

敬愛する前任校の日本語科主任の先生は、パレードの写真を掲載し「平和を愛しわが中国を強くしよう」と仰っておられる。学生たちは、「感動で涙がでる。祖国万歳!」「大パレードの兵士の兄さんの立派な行進を見てその素晴らしい力量がわかった」「祖国万歳」「身は外にあるが心は祖国にある。わたしをぶたないでね」(日本に出張中なのであります)「閲兵を見て、とても打ち震えるほど感動し敬意を抱いた。このような壮観な場面はその背後にどれほど多くの人たちの苦労があってなしとげられたのだろうか。そのような苦労があってこそ、輝かしく壮麗な場面が実現できたのだ。祖国を愛し、一人一人が手に手を取って国のために貢献しよう」「校長先生ご苦労様」「私たちの校長先生に賛辞を贈ろう」「校長、閲兵」「閲兵を見たけど兵士はみんなかっこいいね」「閲兵と今日の私とは無縁だ」

※訳は大意をとっていますが辞書を調べていないのでかなりテキトー。

以上のような感想が散見できたが、ほとんどの学生は無反応。。だが最後の一人を除いて、書きこみした学生たちは祖国愛に目覚めたようである。「校長」と書いている学生が何人かいるのは、習近平が若いころ、福建省の前々任校の校長だったからで、習近平が主席に就任したとき、その学校の先生方の喜びはひとしおだった。これで私たちの大学も発展するね、なんていう会話が飛び交ったものだが、その後発展したのかどうかは知らない。


青年時代から偉かったのね。さすがは紅二代。

こんな名刺がネットに拡散しているみたいです。

日本や欧米は、この行事を、危惧の念でみたが、中国人の多くは、あるいは一部はナショナリズムをインスパイアされたことだろう。それこそがこの行事の狙いであり、内外に中国の強盛を見せつけるものだった。口で平和と唱え、覇権主義はとらない、30万の兵士を削減する、といっても全然インパクトはないのは当たり前だ。相手を脅しつけながら「ぼくはみんなと仲良くしたいと思うし、たくさん持ってるナイフを一つ捨てるし、人のものは尊重するよ」って説得力ゼロ。それに歴代の主席は代々兵員削減をやっている。元々兵員が多すぎるのだ。

朝日新聞を読んでいると、この新聞の偏向ぶりがよく分かる。
30万人の兵員削減や覇権主義にはならない、などを大きく取り上げ、まるで中国が平和愛好国に思えてくるほどだ。一大軍事パレードを敢行したいのなら国慶節にやればよいのである。それならだれも文句を言う筋合いはない。何度も謝罪し、巨額の経済援助や技術援助を行ったにもかかわらず、なぜ今、日本に対するネガティブキャンペーンを繰り広げ、戦勝記念軍事パレードを挙行しなければならないのか。日本人がそれをどのように受け止めるのかを全く考えていない。こんなことをするから安保法制推進論者が勢いづくのだ。

中国は西側諸国と日本に参加を打診していたが、結局首脳は誰も来ず、メンツがつぶれた形になった。とたんに、天皇に対する謝罪要求が共産党系の新聞に掲載された。バカも休み休みに言え。江沢民の招請で明仁天皇が訪中し、公式に謝罪したことは何だったのか。歴史を捻じ曲げているのは誰なのか。

確かに中国は反日教育はしていない。だが、愛国教育の中で主たるターゲットは日本。それは仕方がないが、戦後の日本の平和主義や、中国に対する真摯な謝罪、援助は一言も学生に教えない。結果として若者たちの心には反日感情が育っていく。日本語科の学生たちはほとんどが日本のアニメや文化を愛しているが、日本という国に対する感情はまた別である。彼らにとって70年たっても、日本は軍国主義国家であり、過去の罪悪を反省していない国なのだ。親しくなった学生には、戦後の日本の平和主義や謝罪や援助について教えるのだが、全員「私たちは教えられませんでした」と答える。これはつまり中国という国は、日本と和解しようとは考えていないという事なのではないかと思う。戦争が終わってときがたてばたつほど、中韓の憎悪が寛解するのとは逆に増幅していく構造は一体何なのだろうか。それは安倍の軽はずみな発言のせいばかりではないだろう。まさに、中国にとって歴史はプロパガンダであり、韓国にとってはファンタジーなのである。

なぜか写真が二重投稿になっちゃった。

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