IT翻訳 Nobuyuki の仕事部屋

ボランティアでソフトウエアーローカライズのために翻訳をしている。

術後3ヶ月

2007-07-26 17:12:01 |  Mozilla Org.


今日病院へ行く。
内視鏡による食道内部の検査のためである。

4月に食道がんの切除手術を行なって以来3ヶ月ぶりである。3ヶ月後に検査しましょうと主治医に言われて、とうとうこの日が来たという感じである。がんは完治しているのかどうか心配だ。手術以来治療は行っていない。抗がん剤の手当てもない。初期食道がんという診断で、切除して終わりだった。

今日にいたるまで、実はひとつ憂慮することがあった。

手術が終わって退院後2週間たって、手術して切除したがん細胞の検査結果を聞きに病院へ行った。がんがどの程度のものか、その結果治療をどうするかの結論が出ていた。

憂慮することとはこういうことである。食道粘膜のがんができている部位を切除したのであるが、切除された粘膜の周辺の一部にがん細胞の露出が見られたという。ふつう、がんを取り込むように、粘膜を切除するので、粘膜周辺にはがん細胞は露出しない。露出しているということは、食道内部の粘膜にがん細胞が残っている可能性があるということだ。

しかし、主治医の見解では、内部にがん細胞が残っている可能性は少ないという。ひとつは、粘膜を焼き切っているのと、肉眼で見た限りは切り取られているそうだ。そんなわけで、心配するには及ばないという話だった。

すっきりしない話である。それにもかかわらず、絶対残っていないといえるのであろうか?万が一残っていたならどうなるのだろう。時間の経過とともにがん細胞が成長するのではないか?手術には、大学病院からEMRの専門医を呼んだというが、その指導はたしかだったのだろうか?など、疑問を感じた。

さらに手術後も、手術前に感じていた右胸の違和感のような感覚はやはり継続していた。手術直後は当然、手術跡の痛みや違和感があってもしょうがないと思っていたが、最近になっても、手術によって違和感が解消したわけではなかった。

そんなわけで、今日の内視鏡検査は、一緒に行った家内ともどもはらはらどきどきと言った状況だった。

検査では、食道内部だけを見てくれた。横になりながら、上目遣いにモニターをながめると、自分の食道が綺麗なピンク色に写しだされていた。カメラを飲んでいるのは苦しいが、モニターが見えると意識をそこに集中できるので、かなり苦しさが軽減できる。時々白い突起上のものが見えたがそれがなにか分からない。唾液のかたまりかな?。集中してみているような箇所があったが、そこが手術で粘膜を切除した場所のようだった。途中でルゴールという赤い薬液を散布した。薬液が水鉄砲から発射されるように、一直線に食道内部に撒かれるとたちまち、ピンク色の内部が、赤オレンジ色に染められてしまった。聴いた話では、この薬液に染まらない箇所があると粘膜に異変が起きている可能性があるそうだ。手術跡は、なにやら白い引き攣がヒトデのように星状に広がっているように見えた。なんだろか?がんが成長しているのだろか?などとぼんやりと思うが、なんの感慨も湧かない。手術跡の細胞を3箇所ほど採取を試みた。内視鏡に備えられた爪が3本開きながら粘膜に接近して、その一部をつかみとると、その瞬間、鮮血が粘膜を走った。2箇所で細胞を採取できたようだ。

内視鏡を抜きながら、主治医が言った。“綺麗になっています”と聞こえたが、“綺麗に治っています”と言ったのかもしれない。2週間後に、採取した組織の検査結果が分かるので来てくれとのことだった。

一安心していいのだろうか?廊下で待っている家内のところへ戻り、その事を話した。彼女は、検査中心配で胸が苦しかったと言った。

最悪の結果は免れたようだ。見た目に明らかにがんがまた成長していますよ、とはならなかった。あとは、組織検査の結果問題なしとなれば、とりあえず安堵できるのかもしれない。本当にそうなってほしい。


台風4号の夜に

2007-07-21 20:13:50 |  Mozilla Org.


シューマンのピアノコンチェルトを聴く。ポピュラーなピアノコンチェルトのひとつである。今日市立図書館へ行きCDを借りてきた。ピアニストはマルタアルゲリッチ。珍しくこの曲しか収録されていない。40分にも満たないCDである。

先週の今頃東京のコンサートホールでこの曲をライブで聴いていた。ライブで聴くのは始めての曲であった。まるで、ベートベンのコンチェルトのように迫力があった。しばらくクラッシクのライブなど行っていなかったので、久しぶりに楽しい時を過ごした。

今こうしてCDで同じ曲を聴いても、先週のライブ演奏には遠く及ばない。迫力が違う。コンサートは、音が腹のそこまで響いていた。終始目を瞑って聞いた。そうすると、音に集中できる。クラッシクを聞く時は、目を瞑って聞いてしまう。音が心にまっすぐに響いてくる。本当に心地よい。音楽と自分が一体化して、恍惚とする瞬間である。

家内と一緒に聴いた。席は離れ離れとなった。というのは、チケットを買うのが別々だったから。家内は娘と一緒にショッピングに行くつもりだった。しかし、娘は当日アルバイトがあるというので、中止になった。そこで、私と一緒にコンサートに行く事になった。私は予約券を持っていたが、家内は当日件を買ったので、別々の席になった。

家内はクラッシク音楽のファンではない。しかし、演奏後感想を聞くと結構満足していたようだ。ショッピングより楽しかったかな。

演奏会がおわって、子どもたちの家へ行った。台風4号のせいで大雨であった。遅い晩御飯を一緒に取ろうと約束して、最寄の私鉄の駅に降りたときは、傘をさしてもずぶぬれになるほどだった。水たまりを避けるように歩いて、待ち合わせの焼肉店へ行く。やれやれ、店に着いた頃には、履いていたスニーカーの中まで、濡れてしまった。

子どもたちと食事をするのは、2ヶ月ぶりである。義父の葬儀以来のことだった。皆でビールで乾杯。4人で外食したのも、数ヶ月ぶりであった。自然会話は弾む。子どもの近況についてである。いつの間にか長男の話になった。

長男は、専門学校へ行ってギターを学んでいる。高校時代から、バンドを組んで活動していた。高校卒業後も、大学へは行かずに音楽を選択した。自然、話題は音楽活動についてになった。ライブ活動をしたいが、オーディションに受からないとできないという。彼の通う専門学校では、ライブ活動をする生徒には、資金援助をする制度がある。しかし、無条件に援助してくれるのではなく、オーディションを受けて通ったバンドにしか、援助はないという。そして、まだこれからオーディションを受けるとの話だった。それを聴いて家内は、怪訝な顔をした。

その専門学校の入学案内には、ライブへの資金援助について最大の“売り”として説明されていた。しかし、そのような条件には一切触れられていなかったという。入学案内を見る限りは、生徒ならだれでも資金援助を得られるように読めたという。長男がその学校を選択した理由の一つは、ライブ活動への援助があるためだった。オーディションに受からないとライブへの援助がないと言う事は、その学校の生徒でも一度も援助を受けてライブを持てないことがあると言う事になる。

思うに、アンフェアな話だ。確かに、無条件にライブの資金援助を与えることはできないのかもしれない。それならば、条件があることを入学案内に明記すべきだ。条件に触れずに、“わが校は生徒がライブを開く時は援助をします”と宣伝するのはおかしい。しかも、公認された専門学校での話である。世の中この種の話が多い。さしずめ“不当景品類及び不当表示防止法”に抵触するような話であろう。

そんな訳で、長男の話はせかっくの家族団らんに水を差すことになった。