IT翻訳 Nobuyuki の仕事部屋

ボランティアでソフトウエアーローカライズのために翻訳をしている。

宿痾ということ

2007-08-31 23:49:43 |  Mozilla Org.

宿痾という言葉は、持病に近い意味である。人は年を取るにつれて病気になる確率は上がるが、宿痾は比較的若い時からの持病というニュアンスがあるのかもしれない。そう言う意味で、私の宿阿は食道アカラジアである。これは摩訶不思議な病気である。現象的には、胃に食べ物が到達しなくなる病気である。その結果、胸焼け、食道拡張、はたまた体重減などに襲われる。食道と胃の間に噴門が存在する。食道から胃に食べ物を送るゲートであり、胃から胃液の逆流を防ぐ役割を担ってもいる。食道アカラジアになると、噴門の制御が利かなくなるらしい。それと同時に、食道の蠕動運動も消失する。食道は、食べ物を胃に運ぶ機能を有するが、ベルトコンベアが物を運ぶように、食道は蠕動運動によって、食物を胃に届ける。アカラジアになるとこの機能を失うために、食物は単に重力の法則で、胃に落ちることになる。この機能障害は、一生回復することはない。

この病気への対処は色々あるようだが、手術によって処置するのが、一番有効らしい。私の場合も、今から30年ほど前、大学生の頃、手術を受けて、嚥下障害を解消できた。手術を受ける前は、ビールを飲むと胃に流れ落ちずに、鼻から戻ってくる状態だった。手術によって、胃に食物が到達するようになった。しかし、同時に手術の弊害も発生していた。閉じて開かなくなった噴門を開かせるために、手術によって噴門の筋肉を削除した。これによって、食べ物の通りは良くなったが、逆に胃から食道へ胃液が逆流し易くなってしまった。その結果、胸焼けや、食道の炎症が慢性的に発生するようになった。もちろん、胃液の逆流を防ぐために、胃を食道下端部に巻き付けるなどの、処置をしたようだが、就寝した場合など、胃液の逆流を完全に防ぐことはできなかったようである。

医者から、食道アカラジアをすると食道がんになり易いと聴いていた。実際私の場合、術後30年目にして食道がんになったわけである。しかし、アカラジアになると必ず食道がんにかならずなるわけでもない。ヘビースモーカーは、年を取ると肺がんになり易いと言われるようなものだそうである。

ところで、私の場合早期食道がんで済んだのは、医者の話が頭の片隅に残っていたお陰である。昨年の春ごろから胸に違和感を感じるようになった。市内の総合病院で胃カメラを飲み、胃にポリープを見つけたもらい、細胞を検査してもらったが、良性で問題がないと言われた。それで安心して、処方されたタケプロンという薬をずっと服用していた。しかし、違和感がなかなか取れないので、自分なりに、胃よりも食道を疑うようになった。病院に、昔、食道アカラジアの手術を受けたことなど話したが、別に問題はないと言われた。この時点で、私は食道がんを疑っていたわけではない。むしろがんである事など、考えもしなった。しかし、食道アカラジアで手術を受けたことが、頭にあったので、胃ではなく、食道の専門医にかかってみようかと考えた。それで、問題がなければ、安心もできるだろう。

インターネットで近隣の病院を調べると、隣の市の消化器外科に食道の専門医がいることを知った。そしてそのお医者さんの外来診察日を調べて、予約なしで診察を受けることができた。診療を受けるまでの経緯をお話すると、では食道を徹底的に調べてみましょうと言われ、精密検査を受けることになった。その際当然のごとく、食道アカラジアから食道がんになるケースがありますと言われた。やはり専門医であった。以前に掛かっていた病院では、食道アカラジアの話をしても、特に食道を器質的にしらべましょうとならなかた。結局、検査で早期がんが発見されるのだが、やはり医者はその道の専門医に見てもらう必要があると、痛切に感じた。

宿痾とはまさに私の場合の、食道アカラジアに違いない。私の人生に影響し、人生そのものを覆すような大きな病気だ。なぜそんな病気になったのであろうか。大学生になるまで、そのような症状の片鱗もなかった。ある日を境として、緩慢に、食べ物の通りが悪くなり、気がついたら、手術をしなけば直らないほど、重篤な状態になっていた。全身麻酔の手術である。今も私の身体には、胸の下から臍にかけて、開腹手術の跡が蚯蚓腫れの状態になっている。一体何の因果で、そんな病気になったのだろう。そんな、病気にならなければ、食道がんになる事も無かったであろう。思えば残酷な話である。

しかし、今となっては、そんな事を嘆いてみてもしょうがない。自分の運命として諦めるしかない。思うに人生は不条理に満ち満ちている。自分の意思で、すべてが解決できないのである。せめて、何とか早期にがんを発見し、治療できたことが幸いである。それも、自分の意思で、病院を変えたお陰である。今から思えば、それが分かれ道だった。

がんの告知を受けたとき、医者は不幸中の幸いといった。早期に発見できたからである。そして、今の医療レベルでは、わずか一週間の入院で、治療は完了した。退院後、翌日から通常の生活に戻ることができた。30年前にアカラジアの手術を受けたときは、まるまる1ヵ月の入院となった。手術時間も、3倍くらい長かった。

アカラジアとはこれからの人生も、宿痾として付き合っていかなければならない。疎ましい悪友とつきあうようなものだ。しかし、私はこの病気とすでに30年間、付き合っている。おそらく、死ぬまで、私に付きまとい、これからも私の人生を左右するでろう。私の人生はこの病気なしでは、語れないのかもしれない。自分の意思ですべてを変えることのできない人生であるから。