九州在住の知人からメールがあって、Tさんが亡くなったことを知った。
Tさんは私が入社してから数年間、同じ職場で共に働いた先輩、私はこの先輩から多くの事を教えられ、ジェットエンジンの基礎を学んだ恩人でもある。
数年後、Tさんとは職場は別れたが定年後は故郷の鹿児島に帰ったことを聞いた。
Tさんの歳は幾つかは定かではないが、私より一回り上なのでとうに90歳を越えていたことだろう。
Tさんからは忘れられない逸話を聞いたことがある。
Tさんは鹿児島から上京して埼玉県で働いていたが、ある日実家から手紙が届いた。
その手紙には 『○○月○○日、○○時○○分着の列車で、お前の嫁である○○子さんが上野駅に到着するので迎えに行くように』 との要旨だった。
Tさんはびっくりしたそうだが、昔は親が独断で子の配偶者を決めるのは当たり前の時代だったから、Tさんも敢えて文句も言わずにそれに従ったそうだ。
今の時代なら大問題にもなろうが、当時はまだ親の権威が優先していたのだろう。
だがTさんも戸惑ったそうだが、それ以上に嫁さんは多くの不安を抱えたことだろう。
まだ見知らぬ人に嫁ぎ、未知の世界である東京へ行くことが大きな負担になったことだろう。
そんないきさつもあったが、上野駅で無事に○○子さんと会うことができたが、混雑するプラットフォームではすぐ判るようにとの親の配慮もあって、ある印を二人に付けるように手紙で指示したそうだが、それがどんな印かはTさんは話してくれなかった。
そしてTさんは良い家庭を作った。まだ独身だった私には多いに参考になるTさんの家庭だった。
その後は二人の息子さんを授かったが、その内の一人の息子さんは医師になったとのことだった。
まだまだTさんの想い出は尽きることがないが、私の若かった時代へタイムスリップしたようで懐かしさがますます増してきました。
改めてTさんのご冥福をお祈り申し上げます。
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