日暮らし通信


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ハナキササゲ

2023年06月17日 10時15分56秒 | 日暮らし通信

発信元:  赤とんぼ







北山公園菖蒲苑に入ると左手に花満載の大樹があった。

今までに見たこともない花模様だが、その由来を記した看板があった。さらにネットなどで調べて見ると次ぎのような歴史のある木だった。

その名は 「ハナキササゲ」 だが、ノウゼンカズラ科で、学名は 「カタルパスペシオサ (北米産)」 とのこと。

明治・大正年間に 「黄金樹」 の名で大量に輸入されたが、現存する木はきわめて少なく、文京区白山・小石川植物園に数本確認されている。

その由来だが、この木は市内栄町の府中街道と江戸街道が交差する所、通称 「九道の辻」 の野火止用水際に自生していた樹齢110年以上の大木の一部だったそうだ。

府中街道の道路拡張工事でこの木の伐採が予想された事から市民が中心になり、東京都建設局・北多摩北部建設事務所に移植をお願いしたが、その結果、2001年3月にこの地に移植され、現在に至っているそうです。

お花の見頃は、5月下旬から6月上旬なので、大樹に興味のある方はぜひ一度ご覧になってください。








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      写真説明:  ハナキササゲ

      撮影場所:  北山公園菖蒲苑内  (2023.5.30)







飛行機を撮る

2023年03月08日 14時32分43秒 | 日暮らし通信


発信元:  赤とんぼ






若い頃から飛行機を撮るのが趣味だと思いながら親しんできた。

いろいろな場所で撮ったが、私が会社を退職するまで、多く撮ったのが米軍横田基地だった。

私は 1966 年 4 月に転勤辞令を受けた勤務先がその横田基地に隣接する工場だった。

フェンス越しに見える広大な敷地は治外法権のアメリカ、と思いながらも写真を撮るには格好の場所だった。

だが、問題が。それは当時は基地内は撮影禁止だった。そのため周辺上空を飛行する機体を撮って我慢していたが、その後、撮影が許可されるようになった。

1960 年代はベトナム戦争がまだ続いていたので、横田基地には珍しい飛行機が飛んでくるので飛行機好きな私にとっては有り難いことだった。

でもその頃はフィルムカメラだったので、現像、焼き増しするとお金も掛かるので財布と相談しながら飛行機を撮る時代だった。

そして当時、フィルム感度も ASA 100 だったので、私は知人に頼んで TRI-X ASA 400 のフィルムを切り売りで買って使用していた。

今のようにデジカメなら何百枚も撮れるようなことは思いもよらぬことだった。

その 1960 年代は若さもあって、もっぱら飛行機撮りに明け暮れていた。

横田基地には尽きない想い出がたくさんある。今は家庭環境のため飛行機撮りもできないが、過去の写真を見ると懐かしさが蘇ってくる。古い写真だがこの場を借りてもう一度出番を与えてやりたいと思います。







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ランディングしたC5A輸送機、駐機場へ向かってタキシングしている




高出力のターボファンエンジン4基を搭載している




大きなフラップが印象的だ



      写真説明:  C5A輸送機

      撮影場所:  工場構内から米軍横田基地を撮る  (2001.7.3)







スーパーシートで帰りました

2023年03月01日 17時23分21秒 | 日暮らし通信

発信元:  赤とんぼ






平成16年4月2日 (金曜日) 私たち夫婦は知覧を訪れるため羽田発ANA619便で鹿児島空港へ飛んだ。帰らなかった多くの特攻隊員たちに少しでも慰霊の気持ちを捧げたいとの想いを抱いて知覧の地をぜひ訪れたいと願ったからだ。

帰りの便はANA630便。機体はエアバスA320の予定であったがジャンボ機B747-400LR (JA8174) に変更された。当時、この機体はANAでも最新鋭機で国際線仕様である。

着席するとスーパーシート (ファーストクラス) への転席が可能とのアナウンスがあった。追加料金を払うので妻は渋ったが私は懇願、説得して転席することになった。

飛行機好きな私にとっては千載一遇のチャンスで、今後飛行機に乗ることはあってもスーパーシートを使うことなど絶対に無いと思ったからだ。ぜひ、スーパーシートに座って帰りたかった。

客室乗務員にエスコートされて二階へ。操縦席の真後ろがスーパーシートである。座席は両側に二席だけで広い洋間風の感じである。座席番号は72J、72K。CからHまでは席は無いが一般席と席番は同じのようだ。とにかく広いのでゆったりできる。 「スリッパをどうぞ」 とか 「毛布は如何ですか?」 と専属の客室乗務員が面倒を見てくれた。二人とも殿様と姫様気分のようになった。

19時15分、定刻より10分遅れて離陸した。水平飛行になると夕食も出て "お飲物は何でもどうぞ" とのことだったが、私たちはウーロン茶で我慢した。本音はビールかウイスキーのオンザロックを飲みたかったが妻からブレーキがかかったので止めた。

だが夜間飛行なので下界が見えないのは残念であった。

元来、私たちは田舎者なのでいろいろと珍しがっていると機体はもう高度を下げている。羽田に近くなると東京の夜景は綺麗だ。

だがここでまたタイムスリップして特攻隊の若者たちが出撃した頃の東京を想い出した。

米軍機の無差別爆撃で東京は火の海と化して焼け野原となってしまった。その東京がこのように煌々と夜の帷の中に息づいている。荒廃から繁栄へと時が無造作に流れたようだが決してそうでは無い。幾多の人命が散ってその礎を作った。多くの涙を流した人たちが苦難を乗り超えて立ち直った。 "統率の外道" と言われた特攻作戦で散華した若者たちへ今、再び哀悼の念を捧げずにはいられなかった。

21時過ぎANA630便ジャンボ機は静かに着陸した。これで私たちの知覧への旅も無事に終わったが、スーパーシートで帰るなんて夢にも思っていなかったので、この想い出は今でも胸の中に大切にしまってあります。







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      写真説明:  B747-400LR (JA8174) 

      撮影場所:  鹿児島空港にて  (2004.4.4)







多摩湖の堤防にて

2023年01月18日 11時28分46秒 | 日暮らし通信

発信元:  赤とんぼ






昨日は9時前、自転車で家を出た。天候は曇り、ブルッと寒さを感じたが、今日の予定は 「多摩湖で富士山を撮る」 と、決めていたので我慢してペダルを踏んだ。

30分ほどして多摩湖の堤防に着いた。それにしても寒い。

早速、堤防上から西方を見ると、雲量多く富士山の姿が隠れて見えない。折角来たのに残念だが、富士山を撮るのは諦めてしまった。

堤防の南側から北側に歩きながら、時々立ち止まって360度を眺めながら見た景色は素晴らしい。

この人工の湖は 「多摩湖」 が名称だが、土地の者たちは 「村山貯水池」 と呼んで親しんでいた。

この多摩湖は東京都民の水瓶だが、完成するまではいろいろと歴史の波に流されたようだ。

戦時中は米軍の爆撃を想定して周囲には数カ所の砲台が作られたが、米軍は直接爆撃することは無かった。

昔、小学校では遠足でここに来るのが当たり前のようだったが、土地の者にとっては親しみのある貯水池だった。

それにしても寒い、また暖かい日に来て、富士山を撮ることにしましょう、と早々に帰ることにした。







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第一取水塔 (後方は第二取水塔)




南側から堤防西側を望む




堤防東側



      写真説明:  多摩湖の景色

      撮影場所:  多摩湖の堤防にて  (2023.1.17)







洋ランに魅せられて

2023年01月10日 13時58分04秒 | 日暮らし通信

発信元:  赤とんぼ






私が洋ラン好きなのを知っているメル友さんが写真を送ってくれた。

今までにいろいろな植物を育ててきたが、その中でも好きだったのは洋ランだった。

転居する前は、庭の一画に小さな温室を建てて、いろいろな洋ランを80鉢ほど育てていた。

とは言っても洋ランについてはあまり知識もなかったが、蕾みを付けて、それが膨らんで、花が咲くと満足感に浸っていた。

だが私の小さな温室で苦労するのは冬期の加温だった。昼間は汗ばむほどの温室内も夜になれば室温が下がるから小さな石油カンテラを幾つか灯して加温したが、それでも温度を高くすることは難しかった。

もっと加温する方法もあったが、電気代を考えると躊躇したからほどほどの加温だった。そのため胡蝶蘭だけは温室で育てることはできなかった。

胡蝶蘭は低温では枯れなくても花を持たせるにはある程度の高い温度が必要だったから、冬期は胡蝶蘭だけは室内に持ち込んで温度管理した。

そんな想い出のある洋ランだが、送って貰った写真を見ていると、やはりその花姿に魅せられてしまう。

メル友さんの了解を得て、今日は三枚、洋ランの写真をアップしました。







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      写真説明:  メル友さんが送ってくれた洋ランです