あくまで自然に育ってきたひとは、知っていることにたいして謙そんをしない。すなわち、かじっただけ、名前を知っているだけでも、その名前が出てきたらそれを話したがるし、話してくれれば素直に喜ぶ。「自分はよく知りませんけど」などと薄気味の悪い前置きをしない(薄気味悪くなければべつにいい)。
相手への過剰な気遣いは批判への恐れの裏返しであることが多い。しかし自然な人は恐れずに向かう。知っている、それだけでただ興味の対象なのである。人間は世界のすべてを享受していていい。それは神に許されたことなのである(当然)。
相手への過剰な気遣いは批判への恐れの裏返しであることが多い。しかし自然な人は恐れずに向かう。知っている、それだけでただ興味の対象なのである。人間は世界のすべてを享受していていい。それは神に許されたことなのである(当然)。