創造論も進化論も八百万の概念では矛盾しないでいられる。進化はDNAの構成からの評価で結果論。創造は、指南とも考えられる。神の見えざる力、暗在系の力によって進化する。というか、変化する。寺や神社の気を浴びると表情が良くなる。それと似てる作用で。その小さな進化の積み重ねである究極に長いスパンを一瞬に結論付けて見れば、創造とも云える。論理的な西洋人に語らせると結論のみの解釈になる。それでは中ヌケしてるので、本来なら歴史の敷衍が必要になる。「霊的真理」以上に霊的に大切なものが、日本人にとっては古事記や日本書紀の叙述になる。それらは高天原(宇宙)についてはほとんど書かれていないが、国づくりに関わった天津神や国津神の神話は日本人の魂の規定になり、霊性の彩りにつながる。実際神社で祀られているのは宇宙の抽象的な神ではない。ほとんどが伊邪那岐命・伊邪那美命の国産み以降の神になる。その神気が人間、特に日本人の個性に近く、次第に魂は実相を帯びてゆくのである。
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