子供は一人じゃ作れない!非協力的な夫と私の妊活奮闘記

不妊治療に非協力的な夫クマ吉とすったもんだの末に妊娠。不妊治療の様子、高齢出産、育児の様子を綴っています。

いとおしい。

2019-02-13 | 私と夫の妊活日記
昨日花屋さんからパンジーのハンギングバスケットが届きました。
いろとりどりで、とってもきれい。洗濯物干し場と化している殺風景なベランダが一気に華やぎました☆
 
 
花の贈り主は実家の母でした。
 
 
 
3年前、今住んでいるこの街で入籍届を出した際、区からお祝いにと、オリーブの苗木をいただいたときのこと。室内にずっと置かれていたオリーブは弱弱しく、区役所から持って帰ってきて日光浴をしてあげても日に日にしおれていく状態でした。
 
 
 
ついに葉はすべてなくなり、それはそれはか細い棒のような幹だけが鉢にささっているようになったのです。
 
 
 
もうだめかなあ、と思いながらも毎日観察し続けていると、2年目から急に新芽がでて若葉を付け始めました。それからは今までの分を取り返すが如くどんどん成長。今ではあざやかな緑色をした葉をたくさんつけて育っています。
 
 
 
それがうれしくってうれしくって。
あんなに元気がなかったオリーブが、今は暖かい日に外で日光浴させてあげるとまるで「気持ちいい~!!」と言っているような表情で葉に光をあてています。
 
 
そのことを母に話したからでしょう。母曰く、たとえ子供がいなくても植物だったり動物だったり、なにかに愛情を注ぐことで自分も成長する、のだそう。
 
 
自分が思っているように育たないことにイライラしないこと。
育てる相手をじっくり観察して、何を求めているのかをちょっとしたことから感じること。
甘やかしすぎないこと。
 
 
なるほどなあ、と思います。
何かを育てることで自分が成長する、か。
 
 
子どもがもしできたらちゃんと親としてつとめを果たせるように、今からパンジーとオリーブを育てて自分を成長させておこう。
 
 
 
 
 

養子をもらうということ。

2019-02-13 | 私と夫の妊活日記

近年LGBTなる言葉をあちこちで聞くようになりました。LGBTとはレズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーの頭文字をとった言葉で性的マイノリティと言われる人たちのことです。

 

クマ子は昔からなんでもカミングアウトされやすい性格で、レズ、ゲイ、バイセクシャルの友人が普通にいます。性の対象が同性だったり、両方だったりするだけで、異性を愛する人たちとなんら変わりはありません。

 

そのうちのレズビアンの友人が子供を授かりました。もちろんパートナーは女性なので本人たちが妊娠したわけではありません。

 

 

赤ちゃんを養子に迎えたのです。

 

 

私の友人はポーランド人。彼女のパートナーはイギリス人。2人はイギリスで出会い、恋に落ち、付き合いを始めて一昨年前に同性同士のパートナーシップを結びました。同性同士で子供を授かるには北欧の機関が良い、ということでその後2人で北欧に移住、現在もそこで暮らしています。

 

血はつながっていなくとも愛すべき我が子を腕に抱く友人の写メは幸せそのものでした。穏やかで、あたたかなまなざしを赤ちゃんに向けて。この子を命にかけて守る、という決意。その顔はすっかり親の顔でした。

 

クマ子の中で赤ちゃんは自分の体で授かるもの、としか思ってなかったし、我が子だから命にかけて守れるものと思っていましたが、この友人を見ていると子供とはなんだろう、と考えさせられるようになってきてきます。

 

なぜ子供が欲しいのか。

子どもができないなら養子をもらえば良いのではないか。

 

 

ぐるぐる

 

そういうことを考えてしまいます。

 

 

でもやっぱりクマ子は自分の血がつながった子供が欲しい。なぜなら血がつながってるからこそ愛情もわいてくると思うから。実際、家族は友人知人とはまったく違った存在。それは血がつながっているからだと思うのです。

 

 

だから、養子を迎えて子供を育てる、ということは私には到底できない。そこまで人間ができていない。そう思うとこのポーランド人の友人の精神は尊敬せざるを得ません。

 

いろんな家族のカタチがある。

家族の数だけカタチがある。

 

それぞれの愛のカタチ。

 

私は今できる愛のカタチを作ろう。

 


一人でがんばらないで。

2019-02-12 | 日記

さきほどスマホに届いた速報ニュースを見ておどろいた。

水泳の池江璃花子さんが白血病であることがわかった、と。

 

きっとご本人は絶望しているだろう。オリンピックの前のこの時期になぜ私なんだ、と。高校生ながら輝かしい記録を次々とうちたてる、日本の水泳界を担う選手なだけに、ご本人が一番つらいと思う。

 

がんばれ、池江選手。

いままで厳しいトレーニングで心身共に鍛えてきて、プレッシャーがかかる大会でも結果をだしてきたあなたなら、きっと克服できる。渡辺謙さんのように克服することができるはず。

 

「病気」という気持ちに負けないで欲しい。

でも、泣きたいときは思いっきり泣いてほしい。

辛い時はつらいと周りに言ってほしい。

 

 

ひとりだけでがんばらないで。

 

ずっとずっと応援してます。

 

 

 

 

 

 


話すことがないからだ。

2019-02-12 | 私と夫の妊活日記

最近、私たち夫婦にはある悩みがあります。それは・・・

 

食事の速度が異常に早い、こと。

 

この悩みに気づいたのは昨年9月のこと。たまったマイルがあったので夫婦で北海道旅行に行ったときのことです。クマ吉がジンギスカンを絶対食べたい!というので、名店「大黒屋」に行きました。

 

予約必至のこのお店は開店と同時に20卓ほどのすべての席が満席。ラッキーなことに予約なしでもはいれた私たちは小躍り状態でテーブルにつき、名物のジンギスカンを心行くまで堪能したのです。

 

 

オーダーしてドリンクがきて肉を焼いて食べて・・・・

 

 

で、我々が食べ終わったのは入店45分後。同時に入店した他の卓の皆さんは4-5人で来ているというのもありますが、まだまだお食事真っ最中。終わる気配はありません。

 

するとクマ吉が「入店して45分で出る、なんてこと、ある???クマ子食べるペースがはやすぎなんだよ!!!いつも飲み込むように食べてるじゃないか。もっとゆっくり味わって食べることを心がけてよ。まったく・・・・」

 

と言ってきたのです。かちん、と来たのですがクマ吉が言っていることに間違いはありません。私は食べ物を食べるペースが確かに人より早いかも。お腹が空いていると特に早くなってしまいます。指摘されて腹はたつものの、クマ吉の言っていることは正しいと思い、それ以降ゆっくり味わって食べるよう普段から気を付けて、クマ吉の食事ペースにも合うようになってきたのですが・・・

 

先週の福岡旅行で居酒屋「前田屋」さんに行ったときのことです。ドリンクと名物のごまサバともつ鍋2人分と、〆にちゃんぽん麺2人分をオーダーしました。

 

外は肌を切り裂くような風。であたたかなもつ鍋に舌鼓を打って、ゆっくり味わいながら食べ終わると・・・

 

入店55分ほどでした。

 

するとクマ吉がまたこういったのです。「まだ1時間もたってないのに!!!早すぎだよ、相変わらず。」

 

ここでクマ子は気づいたのです。なぜ私たちの食事が早いのか、その理由を。

 

だって、会話がないんですもん。

 

周りは皆さん複数人でワイワイ話をしながら食べています。カップル、家族、会社の同僚などなど、それぞれがそれぞれの話に花を咲かせて、ワハハと笑ったり、愚痴をこぼしたりしながら、料理をつまんでいます。

 

かたやクマ子たちと言えば・・・・

 

最初に「おいしいね」「本当だね」と会話を交わしたきり、特に話題もなく黙々と食事をしているだけ。そういえばジンギスカンの店でもそうだった。そうだよ、これだよ。私の食事ペースが原因なんじゃなくて、会話をしながら食事ができていないことが原因なんだ。

 

家での食事もそういえばそうだ。クマ吉は仕事の話を家で一切話さない人なので、会社の話題はない。私は在宅で仕事をしているから「〇〇さんがねー」という話もない。毎日「今日は寒かったね」「そうだね」「お弁当美味しかった?」「味が濃かった」ぐらいで、会話らしい会話をしている記憶がここのところない。

 

そりゃ食事速度もあがるわけだ。

 

これ、大変よろしくない傾向のような気がします。

 

子どもがいたら食卓がわーっとなるんだろうけど、夫婦2人じゃあ大した会話がない。常に一緒にいろんなところへ出掛けるけど、そんなに話すこともない。

 

 

クマ子の頭の中で警鐘がなっている。

なんとか会話を増やしていかないと、このままではますます失速するだけだ。やはり何か習い事とかして、もっと会話が弾むようにしないといけない。

 

なんとか策を練らねば。

 

 

 

 


「おばさん」と呼ばないで。

2019-02-12 | 私と夫の妊活日記

子どもがいないクマ子にとってどうしても拒絶反応がでてしまう言葉。

 

それは「おばさん」。

 

 

わかってます、もう40前だもの。自分が「おばさん」と呼ばれる年になっていることは。でも、どうしても子どもたちにこう呼ばれることに抵抗があるのです・・・。

 

 

昨日、先輩とフェイスカメラを使って電話をしていたときのことです。先輩の娘ちゃん6歳が画面にはいってきました。「ねえ、ママ、誰とお話しているのー??」と、スマホの画面にうつる私をみたのでしょう。彼女は無邪気にこう言いました。

 

 

「おばさん??」

 

 

おばさん・・・?

それ、私のことだよね・・・

 

!”#$!”#$%&’’(’()#%&!!!!

 

理解したときショック死しそうでした。

 

確かにすっぴんにちかかったよ。メガネかけてたよ。最近ほうれい線がすごく気になるようになってきたよ。白髪だって生えるようになってきたよ。

 

6歳からみたらまごうことなき「おばさん」なんだけど・・・。けど、だけどそう呼ばないでくれ。

 

子どもがいる同級生の友達はよその子供と話をするとき、平気で「おばさんと遊ぼうかー」や「おばさん〇〇なんだよー」と、自分のことを抵抗なく「おばさん」と呼んでいます。

 

でも、私にはそれがどうしてもできない。子供が私の呼び方をどうしようか迷っていたらすかさず「クマ子ちゃん」と呼ぶよう誘導するし、同級生の友人にも「私のことはクマ子ちゃんと呼ばせてね」と言ってしまう始末。

 

自分でも往生際悪いなあ、と思うのですが、やっぱり受け入れられない・・。その言葉を言ってしまうと本当に身も心もおばさんになってしまうような気がして。

 

 

この話を母にすると一蹴されました。そりゃそうだ、母は大学卒業と同時に結婚して私たち子供を授かって、25歳前後の年でよその子に「おばさん」と言われていたのだから。

 

 

きっと子供ができたら私も自らを「おばさん」と名乗ることができるのだろう。それまでもう少し、「クマ子ちゃん」でいさせて欲しい。