しばらく生活が軌道にのるまで、更新しないかも?
まあ、気が向いたら・・・ってことで。
片付け、ご挨拶など、しばらく多忙かも?
しばらく生活が軌道にのるまで、更新しないかも?
まあ、気が向いたら・・・ってことで。
片付け、ご挨拶など、しばらく多忙かも?
荒川線の始まり、早稲田
散策時はまだつぼみだったサクラ。ここも今だときれいだろうね。
流れるは神田川。
サクラ、がんばっているよ!
面影(おもかげ)橋、名前がいいよね~。
けっこうな勾配なのね。
ちなみに線路内に侵入したわけでなく、踏切から撮影ね=3
このポスター、探してますか、差し上げますか、謎~
鬼子母神(きしぼじん)前、読みはきしもじんが正しいようだ。
このにゃん子、観察していたら前を歩く御主人と距離を置いてトポトポと歩いていた。
この旅、あと1回でまとめようと思も・・・・・・う。
荒川線って駅が30もあるのね。
駅を撮った写真だけじゃつまらぬ。
小出しで行こうか・・・な。
で、東池袋近辺は、とてもDEEPであった。
住所表示看板、これが意外に好き~
この状態で営業していればGOODなのだが・・・
昔なつかし、10玉を入れてはじくパチンコ台ようなゲーム
現役ではないが・・・
サンシャインビルのお膝元、モニュメントもサンシャイン
今で言う、ドラッグストア「あんぱちや」
葉っぱが茂れば、もはや店名もわからない
にゃん子も多かった。
三毛なんてめずらしいね。
東池袋、下町と違ってなかなかよかったぞ。
今度来た時は散策範囲を広げ、DEEPを見極めたいね~
ぽかぽか陽気からちょいと肌寒い本日(24日ね)
近くの武蔵関公園に花を見に行ったのだ。
ほんとに花だけで、前日(正確には今朝)まで飲んだくれていて酒はいらない状態・・・ゲロゲロ~
西武新宿線 東伏見~武蔵関
石神井川沿いに桜並木ね。
都内の有名所より人も少なくていい場所。
淡いサクラ色に黄色の電車がいいんだよね~。
2011年4月11日、同じ場所での写真ね~。
踏切待ちで車内から撮ったのでイマイチだけど
マナーの悪い方もいて、線路内に入って撮影している鉄オタ?がいたらしい。
踏切近くに行ったら、パトカーとお巡りさんがワラワラいたのでした。
都電荒川線の旅の時に、あの世界で一番高い山の麓まで行って来たんだぜ~!
1階なのか、2階なのか、分からなかったので、登頂は断念したぜ=3
2年も外に置いた仮設電源だって・・・。
原因はネズミだって・・・。
こ奴なら、役に立つぜ!
放射線量が高いから、行きたくないと・・・。
あと、東電は侵害賠償を求めるため、ネズミを訴えるらしい・・・。
サリン事件から18年、忘れちゃいけない事件だったね。
本日から最終図面確認と現場写真を撮る為、2、3日現場ざんす~
都電荒川線の旅、終点の三ノ輪でのこと。
空を見ると、急に暗くなって雨が降ってきそうな雲行き
何か違うなと思って上を見上げる
すんごい風で土埃も飛んで来たんで、黄砂だと思っていた。
帰ってニュースをみたら、煙霧?だってさ
旅の話?、今夜アップ予定?
王子の飛鳥山公園で。
故郷を返せと言うのは現実厳しいでしょう・・・
今、TVタックルを見ているが、大竹まこと、もっと暴れてくれ~!
ゲスト官僚もノラリクラリの回答だし。
「北の国から」で、菅原文太のセリフ。
「本気で想像してみろ」と
本気で想像していたら、「そういう決まりだから」って言わないでしょう?
番組も最後、笑って締めるなよ!
あっーーー、イライラする・・・
あれから丸2年、いや、復興が進んでいない、原発が収束していないあの場所は、3月11日のままかもしれない。
昔、某電力会社の就職面接で原発のことを聞かれた。
僕はね、原発反対、好きじゃないと。
広島原爆ドームに続いて、福島原発も何十年後、負の遺産になるかもしれない。
これ以上いらないよ、負は・・・
以下、2007年3月31日のブログ記事である。
コメント欄も当時のままで、あしからず・・・
現場検定も終わった。
僕の平成18年度の仕事全ての終わりでもある。
これからの1、2ヶ月は仕事の端境期なのだ。
写真は風力発電のプロペラ。
検定の帰り道、興部町に立ち寄り撮った。
昨今、原発の臨界事故だので賑わっているが。
原発じゃなきゃ駄目なのかなぁ。
スリーマイルやチェルノブイリの事故が思い出される。
太陽、風、地熱など自然から得られるものが沢山あるじゃないか。
無音に近いぐらいで、プロペラは回っていたのだ。
原子力発電所。
負の世界遺産の登録、間近なのだ。
勘弁してやるぜ。
前2台目のカウンタック・ガヤルド野郎と、荻窪のど真ん中でカーチェイスだぜ!
タイヤのグリップもいまいちだし、また今度と言うことで・・・・・・・・・・・・=3
東京23度、暑かったね~
ネット、朝から絶不調で更新もままならず、やっと復旧・・・
本日、東京は春でした。
上着など要らぬ。
厚めのコート、マフラーぐるぐる巻きの方をみると、こちらが暑さで倒れそう。
春だね。
卒業シーズンで、耳にする曲でこれが一番好きである。
あともう少しで、あの日だ。
あの場所には、真の春は、まだまだほど遠いのだ。
いや、もう来ないかもしれぬ・・・。
諸君らの研鑽の結果が、卒業の時を迎えた。その努力に、本校教職員を代表して心より祝意を述べる。
また、今日までの諸君らを支えてくれた多くの人々に、生徒諸君とともに感謝を申し上げる。
とりわけ、強く、大きく、本校の教育を支えてくれた保護者の皆さんに、祝意を申し上げるとともに、心からの御礼を申し上げたい。
未来に向かう晴れやかなこの時に、諸君に向かって小さなメッセージを残しておきたい。
このメッセージに、2週間前、「時に海を見よ」題し、配布予定の学校便りにも掲載した。その時私の脳裏に浮かんだ海は、真っ青な大海原であった。しかし、今、私の目に浮かぶのは、津波になって荒れ狂い、濁流と化し、数多の人命を奪い、憎んでも憎みきれない憎悪と嫌悪の海である。これから述べることは、あまりに甘く現実と離れた浪漫的まやかしに思えるかもしれない。私は躊躇した。しかし、私は今繰り広げられる悲惨な現実を前にして、どうしても以下のことを述べておきたいと思う。私はこのささやかなメッセージを続けることにした。
諸君らのほとんどは、大学に進学する。大学で学ぶとは、又、大学の場にあって、諸君がその時を得るということはいかなることか。大学に行くことは、他の道を行くことといかなる相違があるのか。大学での青春とは、如何なることなのか。
大学に行くことは学ぶためであるという。そうか。学ぶことは一生のことである。いかなる状況にあっても、学ぶことに終わりはない。一生涯辞書を引き続けろ。新たなる知識を常に学べ。知ることに終わりはなく、知識に不動なるものはない。
大学だけが学ぶところではない。日本では、大学進学率は極めて高い水準にあるかもしれない。しかし、地球全体の視野で考えるならば、大学に行くものはまだ少数である。大学は、学ぶために行くと広言することの背後には、学ぶことに特権意識を持つ者の驕りがあるといってもいい。
多くの友人を得るために、大学に行くと云う者がいる。そうか。友人を得るためなら、このまま社会人になることのほうが近道かもしれない。どの社会にあろうとも、よき友人はできる。大学で得る友人が、すぐれたものであるなどといった保証はどこにもない。そんな思い上がりは捨てるべきだ。
楽しむために大学に行くという者がいる。エンジョイするために大学に行くと高言する者がいる。これほど鼻持ちならない言葉もない。ふざけるな。今この現実の前に真摯であれ。
君らを待つ大学での時間とは、いかなる時間なのか。
学ぶことでも、友人を得ることでも、楽しむためでもないとしたら、何のために大学に行くのか。
誤解を恐れずに、あえて、象徴的に云おう。
大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。
言葉を変えるならば、「立ち止まる自由」を得るためではないかと思う。現実を直視する自由だと言い換えてもいい。
中学・高校時代。君らに時間を制御する自由はなかった。遅刻・欠席は学校という名の下で管理された。又、それは保護者の下で管理されていた。諸君は管理されていたのだ。
大学を出て、就職したとしても、その構図は変わりない。無断欠席など、会社で許されるはずがない。高校時代も、又会社に勤めても時間を管理するのは、自分ではなく他者なのだ。それは、家庭を持っても変わらない。愛する人を持っても、それは変わらない。愛する人は、愛している人の時間を管理する。
大学という青春の時間は、時間を自分が管理できる煌めきの時なのだ。
池袋行きの電車に乗ったとしよう。諸君の脳裏に波の音が聞こえた時、君は途中下車して海に行けるのだ。高校時代、そんなことは許されていない。働いてもそんなことは出来ない。家庭を持ってもそんなことは出来ない。
「今日ひとりで海を見てきたよ。」
そんなことを私は妻や子供の前で言えない。大学での友人ならば、黙って頷いてくれるに違いない。
悲惨な現実を前にしても云おう。波の音は、さざ波のような調べでないかもしれない。荒れ狂う鉛色の波の音かもしれない。
時に、孤独を直視せよ。海原の前に一人立て。自分の夢が何であるか。海に向かって問え。青春とは、孤独を直視することなのだ。直視の自由を得ることなのだ。大学に行くということの豊潤さを、自由の時に変えるのだ。自己が管理する時間を、ダイナミックに手中におさめよ。流れに任せて、時間の空費にうつつを抜かすな。
いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。
いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。
海を見つめ。大海に出よ。嵐にたけり狂っていても海に出よ。
真っ正直に生きよ。くそまじめな男になれ。一途な男になれ。貧しさを恐れるな。男たちよ。船出の時が来たのだ。思い出に沈殿するな。未来に向かえ。別れのカウントダウンが始まった。忘れようとしても忘れえぬであろう大震災の時のこの卒業の時を忘れるな。
鎮魂の黒き喪章を胸に、今は真っ白の帆を上げる時なのだ。愛される存在から愛する存在に変われ。愛に受け身はない。
教職員一同とともに、諸君等のために真理への船出に高らかに銅鑼を鳴らそう。
「真理はあなたたちを自由にする」(Η ΑΛΗΘΕΙΑ ΕΛΕΥΘΕΡΩΣΕΙ ΥΜΑΣ ヘー アレーテイア エレウテローセイ ヒュマース)・ヨハネによる福音書8:32
一言付言する。
歴史上かってない惨状が今も日本列島の多くの地域に存在する。あまりに痛ましい状況である。祝意を避けるべきではないかという意見もあろう。だが私は、今この時だからこそ、諸君を未来に送り出したいとも思う。惨状を目の当たりにして、私は思う。自然とは何か。自然との共存とは何か。文明の進歩とは何か。原子力発電所の事故には、科学の進歩とは、何かを痛烈に思う。原子力発電所の危険が叫ばれたとき、私がいかなる行動をしたか、悔恨の思いも浮かぶ。救援隊も続々被災地に行っている。いち早く、中国・韓国の隣人がやってきた。アメリカ軍は三陸沖に空母を派遣し、ヘリポートの基地を提供し、ロシアは天然ガスの供給を提示した。窮状を抱えたニュージーランドからも支援が来た。世界の各国から多くの救援が来ている。地球人とはなにか。地球上に共に生きるということは何か。そのことを考える。
泥の海から、救い出された赤子を抱き、立ち尽くす母の姿があった。行方不明の母を呼び、泣き叫ぶ少女の姿がテレビに映る。家族のために生きようとしたと語る父の姿もテレビにあった。今この時こそ親子の絆とは何か。命とは何かを直視して問うべきなのだ。
今ここで高校を卒業できることの重みを深く共に考えよう。そして、被災地にあって、命そのものに対峙して、生きることに懸命の力を振り絞る友人たちのために、声を上げよう。共に共にいまここに私たちがいることを。
被災された多くの方々に心からの哀悼の意を表するととともに、この悲しみを胸に我々は新たなる旅立ちを誓っていきたい。
巣立ちゆく立教の若き健児よ。日本復興の先兵となれ。
本校校舎玄関前に、震災にあった人々へのための義捐金の箱を設けた。(3月31日10時からに予定されているチャペルでの卒業礼拝でも献金をお願いする)
被災者の人々への援助をお願いしたい。もとより、ささやかな一助足らんとするものであるが、悲しみを希望に変える今日という日を忘れぬためである。卒業生一同として、被災地に送らせていただきたい。
梅花春雨に涙す2011年弥生15日。
2004年1月14日
北見も降ったよね
石狩方面は大変らしいね
昔を振り返ってみようではないか
朝起きたら、こんな感じだった
犬ころのように、はしゃいでいたな~
かーちゃんも、若かった
タイヤショベルが、雪を積み上げて行った上で、何か企む2名
ジャンプ一番!
いい顔だな、二人とも!
この春、兄ちゃんは仕事で札幌へ転勤、みーやんは専門学校で同じく札幌へ行ってしまう
出張から帰ったら、がらんと空いた部屋が悲しく迎えるのだ・・・
PS コメントはアップした当時のままです
新政権が発足して、支持率が62%だと・・・俺は支持しとらんよ。
アベノミクス・・・こんな言葉が流行って?いるが、
俺にはこう聞こえる~
アベ、ノミ(蚤)、クズ(屑)
話は変わるが、うちのボン、今年成人式だったのよね
でもね、その日仕事が入っているからと行かなかったらしい
まあ、あいつは苦手だしね、人が大勢集まる行事は・・・
娘のみー助も、春から札幌に行ってしまうしね
だんだん子供が離れていく・・・