1月から3月まで、フジテレビ系列で放送されていたドラマ 『 デート ~恋とはどんなものかしら~ 』 を、毎回楽しみに見ていました。
僕はあまりドラマを見ません。でも、たまにハマるドラマがあるんです。
昨年10月~12月だと、関西テレビ制作の 『素敵な選TAXI』 は最後まで見ていました。また、1月~3月までテレビ東京制作で放送されていた 『太鼓持ちの達人』 も、結局全話見ました。
『 デート ~恋とはどんなものかしら~ 』は、谷口巧 と 藪下依子 という、“恋愛不適合者”が繰り広げる物語です。
谷口巧は、“高等遊民”を自称する35歳の青年です。オタク気質の彼の部屋には、色々な本やら映画やらが溢れかえっています(よく整理はされていますが)。知識量も多く、時に相手構わず長々と語りはじめてしまうところがあります。気質は、とても繊細で素直で優しい男性です。それゆえに、長年にわたる無業・引きこもり生活へと到ったのかもしれません。当然ながら恋愛経験などは無く、ファーストキスも未経験です。
藪下依子は、頭脳明晰な国家公務員です。母(故人)は、天才数学者と称された人で、その血筋を受け継いでいるのでしょう。いつでも冷静で、つねに合理的に思考・行動する人です。規則正しいことを好みます。対人関係では、知らず知らず相手の気持ちを傷つけてしまうこともあり、本人もそのことは自覚しています。恋に対して憧れは持ちつつも、それが一体なんなのかよく分かっていません。
そんな2人が、恋愛感情皆無のままに、デートをします。
その様子がたまらなく面白い。掻い摘んでいってしまえば、そういうドラマです。
僕としては、谷口巧と藪下依子のどちらにも、自分を重ね合わせることが出来るなあと感じながら見ていました。
2人は極端です。僕はこれほどまでに振り切れて(?)はいません。
でも、巧みたいな要素を結構持っています。依子みたいな要素も結構持っています。
この2人が“恋愛不適合者”なのだとしたら、僕もまた、“恋愛不適合者”です。
このブログのプロフィールに書いているとおり、僕は Aセクシュアル 或は ノンセクシュアル のような側面を持つゲイです。
3年前の記事など読むと、恋の病に取り憑かれていたような風になっています。今振り返ったとき、あれは何だったんだろうと思います。
うまくは書けないのですが、恋とはまた違ったものだったのではないか。そんな気がしています。
未だに、僕は恋って何なのか、よく分かりません。
嬉しいことに仲良くさせてもらっている人たちがいます。
僕にとっては、みんな大切な人です。みんな好きなんです。
これからも良い形で繋がっていきたい。心からそんな風に思っています。
一般的には、この“情”は、《 友情 》と定義づけられるものなのでしょうか。
《 友情 》は僕にとって大切なものです。
では、《 恋愛 》はどうなんだろう。考えてみると、そんなに欲してないんではなかろうか。そんな気がするんです。
心地よいと感じる他者との距離感は、人によって違います。
僕の場合、それが少し広いのかもしれません。適度な距離を保った関係が心地良いんです。
世の中には、適度な距離を保った恋愛のカタチもあると思います。そういう恋愛をされている方も、多くおみえになるのでしょう。
ただ、僕にはどうも感覚が掴めません。
もしかしたら、僕が《 友情 》だと思っているものを、周囲は《 恋愛 》だと思うことはあるのかもしれません。
本人がどう認識しているのかということと、周囲がどう見ているかということは、必ずしも一致しませんよね。
このドラマの中で、巧と依子の関係を、周囲は《 恋愛 》と見ています。
でも、かれら自身は《 恋愛 》だと認識してはいないのではないか。僕にはそう思えるんです。
もちろんお互いにとって大切な人にはなっているでしょう。そして、それこそが大切なことなんだと思います。
皆が皆、《 恋愛 》をしなくちゃいけないわけではない。
中には《 恋愛 》という感情の無い人もいるし、その感情がよく分からないという人もいる。《 恋愛 》することを望まない人もいる。
人間は本当に多様なのです。“恋愛不適合者”だっていいじゃない。僕はそう思います。
きっと、巧と依子は、仲良く楽しくやっていくでしょうね。
2人の心地よい関係性を保ちながら。
僕も、心地よい関係性を大切にしながら、たのしく生きていきたい。
心からそう願っています。
僕はあまりドラマを見ません。でも、たまにハマるドラマがあるんです。
昨年10月~12月だと、関西テレビ制作の 『素敵な選TAXI』 は最後まで見ていました。また、1月~3月までテレビ東京制作で放送されていた 『太鼓持ちの達人』 も、結局全話見ました。
『 デート ~恋とはどんなものかしら~ 』は、谷口巧 と 藪下依子 という、“恋愛不適合者”が繰り広げる物語です。
谷口巧は、“高等遊民”を自称する35歳の青年です。オタク気質の彼の部屋には、色々な本やら映画やらが溢れかえっています(よく整理はされていますが)。知識量も多く、時に相手構わず長々と語りはじめてしまうところがあります。気質は、とても繊細で素直で優しい男性です。それゆえに、長年にわたる無業・引きこもり生活へと到ったのかもしれません。当然ながら恋愛経験などは無く、ファーストキスも未経験です。
藪下依子は、頭脳明晰な国家公務員です。母(故人)は、天才数学者と称された人で、その血筋を受け継いでいるのでしょう。いつでも冷静で、つねに合理的に思考・行動する人です。規則正しいことを好みます。対人関係では、知らず知らず相手の気持ちを傷つけてしまうこともあり、本人もそのことは自覚しています。恋に対して憧れは持ちつつも、それが一体なんなのかよく分かっていません。
そんな2人が、恋愛感情皆無のままに、デートをします。
その様子がたまらなく面白い。掻い摘んでいってしまえば、そういうドラマです。
僕としては、谷口巧と藪下依子のどちらにも、自分を重ね合わせることが出来るなあと感じながら見ていました。
2人は極端です。僕はこれほどまでに振り切れて(?)はいません。
でも、巧みたいな要素を結構持っています。依子みたいな要素も結構持っています。
この2人が“恋愛不適合者”なのだとしたら、僕もまた、“恋愛不適合者”です。
このブログのプロフィールに書いているとおり、僕は Aセクシュアル 或は ノンセクシュアル のような側面を持つゲイです。
3年前の記事など読むと、恋の病に取り憑かれていたような風になっています。今振り返ったとき、あれは何だったんだろうと思います。
うまくは書けないのですが、恋とはまた違ったものだったのではないか。そんな気がしています。
未だに、僕は恋って何なのか、よく分かりません。
嬉しいことに仲良くさせてもらっている人たちがいます。
僕にとっては、みんな大切な人です。みんな好きなんです。
これからも良い形で繋がっていきたい。心からそんな風に思っています。
一般的には、この“情”は、《 友情 》と定義づけられるものなのでしょうか。
《 友情 》は僕にとって大切なものです。
では、《 恋愛 》はどうなんだろう。考えてみると、そんなに欲してないんではなかろうか。そんな気がするんです。
心地よいと感じる他者との距離感は、人によって違います。
僕の場合、それが少し広いのかもしれません。適度な距離を保った関係が心地良いんです。
世の中には、適度な距離を保った恋愛のカタチもあると思います。そういう恋愛をされている方も、多くおみえになるのでしょう。
ただ、僕にはどうも感覚が掴めません。
もしかしたら、僕が《 友情 》だと思っているものを、周囲は《 恋愛 》だと思うことはあるのかもしれません。
本人がどう認識しているのかということと、周囲がどう見ているかということは、必ずしも一致しませんよね。
このドラマの中で、巧と依子の関係を、周囲は《 恋愛 》と見ています。
でも、かれら自身は《 恋愛 》だと認識してはいないのではないか。僕にはそう思えるんです。
もちろんお互いにとって大切な人にはなっているでしょう。そして、それこそが大切なことなんだと思います。
皆が皆、《 恋愛 》をしなくちゃいけないわけではない。
中には《 恋愛 》という感情の無い人もいるし、その感情がよく分からないという人もいる。《 恋愛 》することを望まない人もいる。
人間は本当に多様なのです。“恋愛不適合者”だっていいじゃない。僕はそう思います。
きっと、巧と依子は、仲良く楽しくやっていくでしょうね。
2人の心地よい関係性を保ちながら。
僕も、心地よい関係性を大切にしながら、たのしく生きていきたい。
心からそう願っています。