今日は参議院議員選挙でしたね。僕もきちんと票を投じてきました。
そして、その足で電車に乗って、PROUD LIFE 総会 へ行ってきました。
PROUD LIFE とは、名古屋を拠点に活動している特定非営利活動法人で、電話相談等のセクシュアルマイノリティ支援を行っています。
実は 去年もこの『総会』へ顔を出している のですが、今年は去年よりも人が多かったように感じました。
ゲストは、ゲイ当事者の 島田暁さん でした。
彼は、フツーに生きてるGAYの日常 というブログを2005年から運営されています(かつては、“akaboshi”というハンドルネームを使ってみえました)。僕もわりと昔からの愛読者です。
また、2010年12月の、石原慎太郎氏の同性愛者差別発言をきっかけとして、石原都知事の同性愛者差別発言に抗議する有志の会 を結成した方でもあります。その後、この会は レインボー・アクション と改称され、より広範囲にわたって精力的に活動されています。
さらに、Youtubeアカウント で多数の映像を公開されています。これも興味深いものが多いです。
現在島田さんは、『震災とセクシュアリティ、絆』という映画を製作中とのこと。
今日は製作途上にあるその映画の上映も行われました。
災害発生時のようなとき、トランスジェンダーの人は特有の問題をいろいろと抱えることになりそうです。
たとえば、更衣室やトイレや浴場の問題などがあります。
性別に違和感のない僕は、いずれも男性用を何の迷いもなく使えます。でも、MtF や FtM の人の場合、ここで逐一悩まなければならないわけです。
性的指向の問題というのは、恋愛や結婚などといった部分では大きく響いてきますが、それ以外の部分においては存外に気にならないものだったりもします(あくまでも、僕の場合はですが)。
それに対して、性自認の問題は、それこそ24時間、日常生活全般にわたって響いてくるのだなあと、改めて感じました。
災害時には、物資の調達などもままならず、ライフラインが機能しないなどの問題もあり、なかなかすべてのもの・ことを充足することなどはできません。誰しもある程度は我慢することは必要でしょう。時間の経過とともに、さまざまなものが順次整備されていきます。
ただし、(性別に違和のある人に限らず)障がいを持つ人,疾病を抱えている人などは、特殊な配慮を必要としています。少数の人にしか必要ないものだからといって切り捨てるのではなく、可能な範囲で実行していくことのがいいのではないかと考えます。
レインボー・アクションの活動紹介の中で、僕は 『男らしさ』研究会 というのが興味深かったです。
最近始まったばかりのプロジェクトみたいですね。
少し告知を引用すると、
男らしさってなに!?
「男らしさ」に疲れた人たちや、
「男らしさ」との付き合い方がわからない人、
「男らしさ」に何らかの被害をこうむった人、などなど。
「男らしさ」というものへの違和感や距離などがある人が少なからず居そうなのに、「男らしさ」を期待されたり強要される立場の人と、そうでもない人たちとを問わず、そういったことをタブー視しないで語り合えるような場が、なかなか無いのかもしれない。
そういったことについて「何かできないか」と考えたり、研究していったりするための会が、レインボー・アクションに発足します!
となっています。
このブログでもたびたび記事を載せていますが、僕は弱者男性問題に強い関心があります。身体的,精神的,体力的,性格的,社会的,経済的な諸側面を考えたとき、その1つないしは複数において《 弱い 》男性が、日ごろ受けている圧迫感や生きづらさについて、それこそ少年時代から考え続けているのです。
「男だから」という理由で生命を軽く扱われ、
「男だから」という理由で暴力の対象とされ、
「男だから」という理由で一律に体力的に重い負担を強いられ、
「男だから」という理由で一律に重い経済的負担を強いられ、
「男だから」という理由で犠牲になること(時には命を落とすこと)を強いられ、
「男だから」という理由で性的な羞恥心を軽視・無視され、
「男だから」という理由で過度に厳しい扱いを受け、
「男だから」という理由で弱音を吐いたり苦しみを吐露することを許されず、
「男だから」という理由で弱者・被害者として扱われることは許されず(被害を受けても軽視されて見殺されがち)、
「男だから」という理由でそうしたことに疑問を呈することすらも許されない。
もしここから外れた男性がいれば、男女双方から非難され嘲笑され罵倒され愚弄され、果ては社会から排除されてしまうわけです。
こんなのはやっぱりおかしいと思うのです。
男性であるが故の苦しみにあえぐ男性(ここにはもちろん異性愛男性もゲイ男性も含まれます)が、少しでも生きやすくなることを何より望んでならないのです。
しかし、日本ではメンズリブやマスキュリズムの動きはほとんど見られません。西欧や北米ではいろいろなアクションが起こされているのにもかかわらず…。
メイル・フェミニスト(=フェミニズムに賛同している男性)たちの言うところのメンズリブや男性学は、フェミニズムの主義・主張をそのまま男性に向けているにすぎません。男性の加害者としての側面にだけ着目し、罪悪感を掻き立て、いわば《 贖罪 》としてのメンズリブになってしまっています。これが全く不要だとまでは言いませんが、僕はこのメンズリブは、女性を生きやすくすることはあっても、先述したような弱い男性,男性であるが故の苦しみにあえぐ男性を生きやすくすることはないと思います。むしろ余計に首を絞めてしまうのではないかとさえ思います。
したがって、男性の弱さや被害者としての側面にもきちんと着目していくことが必要不可欠だと思いますし、そういうメンズリブやマスキュリズムが出てきてほしいと強く願っています。
(現実に北米や西欧にはそういう思想も運動もあるようですし)
それで、長々と書いてしまいましたが、この『男らしさ』研究会が今後どのように展開されていくのか興味深いところです。
見守っていきたいと思います。
※ 関連記事
・ 弱者男性問題についての個人的考察 (2013年4月5日)
・ 男性DV被害者のこと (2013年4月12日)
・ 全米男性会議 と フレッド・ヘイワード (2013年7月21日)
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そして、その足で電車に乗って、PROUD LIFE 総会 へ行ってきました。
PROUD LIFE とは、名古屋を拠点に活動している特定非営利活動法人で、電話相談等のセクシュアルマイノリティ支援を行っています。
実は 去年もこの『総会』へ顔を出している のですが、今年は去年よりも人が多かったように感じました。
ゲストは、ゲイ当事者の 島田暁さん でした。
彼は、フツーに生きてるGAYの日常 というブログを2005年から運営されています(かつては、“akaboshi”というハンドルネームを使ってみえました)。僕もわりと昔からの愛読者です。
また、2010年12月の、石原慎太郎氏の同性愛者差別発言をきっかけとして、石原都知事の同性愛者差別発言に抗議する有志の会 を結成した方でもあります。その後、この会は レインボー・アクション と改称され、より広範囲にわたって精力的に活動されています。
さらに、Youtubeアカウント で多数の映像を公開されています。これも興味深いものが多いです。
現在島田さんは、『震災とセクシュアリティ、絆』という映画を製作中とのこと。
今日は製作途上にあるその映画の上映も行われました。
災害発生時のようなとき、トランスジェンダーの人は特有の問題をいろいろと抱えることになりそうです。
たとえば、更衣室やトイレや浴場の問題などがあります。
性別に違和感のない僕は、いずれも男性用を何の迷いもなく使えます。でも、MtF や FtM の人の場合、ここで逐一悩まなければならないわけです。
性的指向の問題というのは、恋愛や結婚などといった部分では大きく響いてきますが、それ以外の部分においては存外に気にならないものだったりもします(あくまでも、僕の場合はですが)。
それに対して、性自認の問題は、それこそ24時間、日常生活全般にわたって響いてくるのだなあと、改めて感じました。
災害時には、物資の調達などもままならず、ライフラインが機能しないなどの問題もあり、なかなかすべてのもの・ことを充足することなどはできません。誰しもある程度は我慢することは必要でしょう。時間の経過とともに、さまざまなものが順次整備されていきます。
ただし、(性別に違和のある人に限らず)障がいを持つ人,疾病を抱えている人などは、特殊な配慮を必要としています。少数の人にしか必要ないものだからといって切り捨てるのではなく、可能な範囲で実行していくことのがいいのではないかと考えます。
レインボー・アクションの活動紹介の中で、僕は 『男らしさ』研究会 というのが興味深かったです。
最近始まったばかりのプロジェクトみたいですね。
少し告知を引用すると、
男らしさってなに!?
「男らしさ」に疲れた人たちや、
「男らしさ」との付き合い方がわからない人、
「男らしさ」に何らかの被害をこうむった人、などなど。
「男らしさ」というものへの違和感や距離などがある人が少なからず居そうなのに、「男らしさ」を期待されたり強要される立場の人と、そうでもない人たちとを問わず、そういったことをタブー視しないで語り合えるような場が、なかなか無いのかもしれない。
そういったことについて「何かできないか」と考えたり、研究していったりするための会が、レインボー・アクションに発足します!
となっています。
このブログでもたびたび記事を載せていますが、僕は弱者男性問題に強い関心があります。身体的,精神的,体力的,性格的,社会的,経済的な諸側面を考えたとき、その1つないしは複数において《 弱い 》男性が、日ごろ受けている圧迫感や生きづらさについて、それこそ少年時代から考え続けているのです。
「男だから」という理由で生命を軽く扱われ、
「男だから」という理由で暴力の対象とされ、
「男だから」という理由で一律に体力的に重い負担を強いられ、
「男だから」という理由で一律に重い経済的負担を強いられ、
「男だから」という理由で犠牲になること(時には命を落とすこと)を強いられ、
「男だから」という理由で性的な羞恥心を軽視・無視され、
「男だから」という理由で過度に厳しい扱いを受け、
「男だから」という理由で弱音を吐いたり苦しみを吐露することを許されず、
「男だから」という理由で弱者・被害者として扱われることは許されず(被害を受けても軽視されて見殺されがち)、
「男だから」という理由でそうしたことに疑問を呈することすらも許されない。
もしここから外れた男性がいれば、男女双方から非難され嘲笑され罵倒され愚弄され、果ては社会から排除されてしまうわけです。
こんなのはやっぱりおかしいと思うのです。
男性であるが故の苦しみにあえぐ男性(ここにはもちろん異性愛男性もゲイ男性も含まれます)が、少しでも生きやすくなることを何より望んでならないのです。
しかし、日本ではメンズリブやマスキュリズムの動きはほとんど見られません。西欧や北米ではいろいろなアクションが起こされているのにもかかわらず…。
メイル・フェミニスト(=フェミニズムに賛同している男性)たちの言うところのメンズリブや男性学は、フェミニズムの主義・主張をそのまま男性に向けているにすぎません。男性の加害者としての側面にだけ着目し、罪悪感を掻き立て、いわば《 贖罪 》としてのメンズリブになってしまっています。これが全く不要だとまでは言いませんが、僕はこのメンズリブは、女性を生きやすくすることはあっても、先述したような弱い男性,男性であるが故の苦しみにあえぐ男性を生きやすくすることはないと思います。むしろ余計に首を絞めてしまうのではないかとさえ思います。
したがって、男性の弱さや被害者としての側面にもきちんと着目していくことが必要不可欠だと思いますし、そういうメンズリブやマスキュリズムが出てきてほしいと強く願っています。
(現実に北米や西欧にはそういう思想も運動もあるようですし)
それで、長々と書いてしまいましたが、この『男らしさ』研究会が今後どのように展開されていくのか興味深いところです。
見守っていきたいと思います。
※ 関連記事
・ 弱者男性問題についての個人的考察 (2013年4月5日)
・ 男性DV被害者のこと (2013年4月12日)
・ 全米男性会議 と フレッド・ヘイワード (2013年7月21日)
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