僕は、お酒が飲めない《下戸》であると同時に、男性に恋をする《ゲイ》でもあります。
この2つってなんとなく語感も似てるけど、それだけじゃなくていろいろ似てるところがあるように思えるんです。
例えば、《下戸》である僕は、
・ お酒を飲もうとは全く思わない(飲むという概念が無い)
・ お酒の話題が分からない。
※ 「好きなお酒は?」とか聞かれても答えようがない。
・ 「お酒が飲めなくて可哀想」と言われることがある。
・ 飲酒を強要しようとしてくる人がいると辟易する(最近はそんな人もごくごく稀ですが)
というような経験があります。
で、これを《ゲイ》に置き換えると、
・ 女性に恋をしたいとは全く思わない(女性に恋するという概念が無い)
・ (恋愛対象としての)女性についての話題が分からない。
※ 「好きな女性のタイプは?」とか聞かれても答えようがない。
・ 「女性に恋できなくて可哀想」と言われることがある。
・ 女性に恋をしたり、女性と関係を持つことを強要しようとしてくる人がいると辟易する
※ 例えば風俗へ連れて行こうとしたりとか。
となるのでしょうか。どれも想定されることばかりです。
カミングアウトしていないので、下の2つは経験がありませんが、上の2つについては実感していることです。
下の2つについても、例えば本などで他のゲイの方の体験談を読んでいると、そういう記述があったりしますね。
コンパとかそういう場ってそもそも嫌いなのですが、僕の専攻は男性ばかりなので、たいがい恋愛のこととかそういうのが話題になるのです。
で、好きな女性のタイプとか、女性のどこに惹かれるかとか、そういうのを聞かれて、毎度困るというのがおきまりのパターン。
僕も学習して、適当な答えを用意するようになったけど。
やっぱりめんどくさいです。
ちなみに、僕は《下戸》になろうと思ってなったわけではないし、《ゲイ》になろうと思ってなったわけでもありません。
いずれも、生まれつき自然にそうだったのです。
《下戸》であることと《ゲイ》であることは、こうやって比べてみると似てるなあと思うわけですが、もちろん違う部分があるのです。
僕は《下戸》であることは周りに隠しません。当たり前と言われるかもしれませんけど。飲み会とかコンパとか参加するときは、必ず、「僕は《下戸》です」と宣言します。周りもその方が助かると思うからです。
そういう次第で、僕の周りの人々は、僕が《下戸》だと知っているので、最初に挙げたような経験を最小限にとどめることが出来ます。
理解のない人は仕方ないですけどね。
ところが《ゲイ》であることは周りには隠しています。
《下戸》に対しては誤解も偏見も何もないでしょうから、言えばそれで終わりです。「彼はお酒が飲めない人だ」と認識してもらっておしまいなのです。
でも、《ゲイ》に対しては、人により程度の差こそあれ、誤解や偏見があるというのが実情です。そのため、簡単にカミングアウトする訳にはいかないのです。「彼は女性ではなく男性に恋をする人だ」と認識してもらっておしまいならばラクなのですが、それで終わらないことが想定されるから困るのです。
その後の人間関係に歪みが出てきたり、白眼視されたり、そういうリスクが伴ってしまうのです。
こうやって、《下戸》でもあり《ゲイ》でもある僕は、《下戸》であることと《ゲイ》であることを比べてみることが時折あるのです。
そういうとき、《ゲイ》であることが《下戸》であることと同じようにオープンにできたら楽だろうなあと思います。
でも、やっぱりむつかしいでしょうね。
この2つってなんとなく語感も似てるけど、それだけじゃなくていろいろ似てるところがあるように思えるんです。
例えば、《下戸》である僕は、
・ お酒を飲もうとは全く思わない(飲むという概念が無い)
・ お酒の話題が分からない。
※ 「好きなお酒は?」とか聞かれても答えようがない。
・ 「お酒が飲めなくて可哀想」と言われることがある。
・ 飲酒を強要しようとしてくる人がいると辟易する(最近はそんな人もごくごく稀ですが)
というような経験があります。
で、これを《ゲイ》に置き換えると、
・ 女性に恋をしたいとは全く思わない(女性に恋するという概念が無い)
・ (恋愛対象としての)女性についての話題が分からない。
※ 「好きな女性のタイプは?」とか聞かれても答えようがない。
・ 「女性に恋できなくて可哀想」と言われることがある。
・ 女性に恋をしたり、女性と関係を持つことを強要しようとしてくる人がいると辟易する
※ 例えば風俗へ連れて行こうとしたりとか。
となるのでしょうか。どれも想定されることばかりです。
カミングアウトしていないので、下の2つは経験がありませんが、上の2つについては実感していることです。
下の2つについても、例えば本などで他のゲイの方の体験談を読んでいると、そういう記述があったりしますね。
コンパとかそういう場ってそもそも嫌いなのですが、僕の専攻は男性ばかりなので、たいがい恋愛のこととかそういうのが話題になるのです。
で、好きな女性のタイプとか、女性のどこに惹かれるかとか、そういうのを聞かれて、毎度困るというのがおきまりのパターン。
僕も学習して、適当な答えを用意するようになったけど。
やっぱりめんどくさいです。
ちなみに、僕は《下戸》になろうと思ってなったわけではないし、《ゲイ》になろうと思ってなったわけでもありません。
いずれも、生まれつき自然にそうだったのです。
《下戸》であることと《ゲイ》であることは、こうやって比べてみると似てるなあと思うわけですが、もちろん違う部分があるのです。
僕は《下戸》であることは周りに隠しません。当たり前と言われるかもしれませんけど。飲み会とかコンパとか参加するときは、必ず、「僕は《下戸》です」と宣言します。周りもその方が助かると思うからです。
そういう次第で、僕の周りの人々は、僕が《下戸》だと知っているので、最初に挙げたような経験を最小限にとどめることが出来ます。
理解のない人は仕方ないですけどね。
ところが《ゲイ》であることは周りには隠しています。
《下戸》に対しては誤解も偏見も何もないでしょうから、言えばそれで終わりです。「彼はお酒が飲めない人だ」と認識してもらっておしまいなのです。
でも、《ゲイ》に対しては、人により程度の差こそあれ、誤解や偏見があるというのが実情です。そのため、簡単にカミングアウトする訳にはいかないのです。「彼は女性ではなく男性に恋をする人だ」と認識してもらっておしまいならばラクなのですが、それで終わらないことが想定されるから困るのです。
その後の人間関係に歪みが出てきたり、白眼視されたり、そういうリスクが伴ってしまうのです。
こうやって、《下戸》でもあり《ゲイ》でもある僕は、《下戸》であることと《ゲイ》であることを比べてみることが時折あるのです。
そういうとき、《ゲイ》であることが《下戸》であることと同じようにオープンにできたら楽だろうなあと思います。
でも、やっぱりむつかしいでしょうね。