Nikkoh の 徒然日記

ゲイ(=男性同性愛者)の Nikkoh が、日々の雑感やまじめなこと、少し性的なことなどを、そこはかとなく書きつくります

男性は「使い捨てられる性」 ~日経ビジネスオンラインに久米泰介さんの記事掲載~

2015-01-16 15:00:10 | 男性差別 I (概観・総論・横断的内容)
日経ビジネスオンラインにて、1月9日付で、久米泰介さんの記事が掲載されました。
久米泰介さんは、アメリカの社会学者で、マスキュリズムの大御所のような人物である Warren Farrell(ワレン・ファレル)の名著“The Myth of Male Power”を邦訳した人物です。
待望の邦訳版は、昨年(2014年)に出版されました。

男性権力の神話――《男性差別》の可視化と撤廃のための学問
ワレン・ファレル(著),久米 泰介(翻訳)
作品社


掻い摘んでいってしまえば、この本では、男性は《 使い捨てられる性 》であり、《 ガラスの地下室 》に押し込められている のだということを主張しています。

女性の社会進出や昇進を阻む 《 ガラスの天井 》 があるといわれます。
一方で男性は、生命を軽んじられて《 使い捨て 》にされています。例えば、収入と引き換えに危険な職種に就いたり、過労死・自殺・病気・事故により死亡率が高かったり、国家権力によって徴兵されたり、死刑に処されやすかったり、暴力被害を受けやすかったりします。このような状況を表現する言葉として、ワレン・ファレルは 《 ガラスの地下室 》 という語を造ったのです。

『男性権力の神話』という題には、男性が権力を握っているというのは実のところは“神話”に過ぎないのであり、男性も女性も、男女の“非対称”なあり方により差別されたり不利益を被ったりする(あるいは利益を受けたりもする)のだという意味 が込められているのだと、僕は解釈しています。

今回の日経ビジネスオンラインの記事では、この問題について久米さんがインタビューに答える形で紹介されています。
聴き手は、副編集長の、秋山知子さんです。

女は「ガラスの天井」、男は「ガラスの地下室」
男性の「生きにくさ」は性差別ゆえかもしれない


( 注意:リンク先の全文を読むためには、無料の会員登録が必要です。 )

久米さんは1986年生まれで、僕よりも1歳年上ですが、ほぼ同年代の人です。
この記事の冒頭部分で、彼はこんなことを言っています。

・ 特に僕ぐらいの世代だと男女平等は当たり前と最初から思っていたので、女性側の視点からのフェミニズムに関する研究や著作はたくさんあるのに、男性側の視点のものは一つもないことを疑問に思いました。男性学というジャンルはあるんですが、これは基本的には「女性差別をなくすために男性を変えましょう」というもので。

・ 女性が不利になることについては、既に差別として言及されているので改善される見込みがあるんです。しかし男性側の不利な部分についてはこれまで誰も声を上げなかった。


彼や僕が生まれたとき、すでに男女雇用機会均等法が施行されていました。また、彼が中学1年生の時(僕が小学6年生の時)、男女共同参画社会基本法が制定されました。中学校や高等学校では、当たり前のように男女一緒に家庭科の授業を受けてきました。
人はみな、“時代”という名のヒドゥン・カリキュラムに影響されています。したがって、例えば40~50代の人と20代の人では、考え方の枠組みや抱くイメージや感じ方が大きく違ってくるのもある意味では当然のことです。

女性差別を是正するという点から見て、フェミニズムは一定の役割を果たしたと思います。確かに副作用としての害毒ももたらしたのは事実ですが、性差別の考察を行う際に欠かすことのできないジェンダー理論だって、フェミニズム無くしては発展しなかったと思います。

ただ、フェミニズムの原動力はルサンチマン(怨恨)によるところが大きいのではないかと僕は思います。そこには、多かれ少なかれ、男性という存在に対する止めどもない憎悪と被害者感情が根強く残っていて、いつも女性を被害者に男性を加害者に位置づけるという教条主義・原理主義に陥っているように思えます。
その教条主義・原理主義ゆえに、男性の被害や女性の加害といった問題に取り組むことを、妨害するということも、現実に行われています。
例えば、DVの法律ができたときも、当初は男性の被害者は想定されず、救済の対象にもされていませんでした。男性被害者・女性加害者の存在を矮小化するようなことまで行われる始末です。
これは、とても悲しいことです。

世代間の格差もあるでしょう。
発言力や影響力を持つ、中高年層の論者・運動家の中には、脳内に描いている男性・女性のイメージが、20~30年前のままで止まっているのではないかと思われる方も残念ながら見受けられます。
社会は確実に変化してきたのに、脳内の像の更新が追いついていないのではないでしょうか。
かれらには、教条主義・原理主義の呪縛から自らを解き放ち、脳内イメージも更新して、もう少し柔軟になっていっていただきたいと思います。
あるいは、それは諦めて、世代交代を待つしかないのでしょうか。
久米さんの文にははっきりと書かれていませんが、なんとなく僕がこ
こに書いたような考えに近いものをお持ちなのではないかと推測しています。

僕の《 男性差別 》に対する現時点での考えは、国際男性デー2014(2014年11月16日更新)で、コンパクトにまとめています。
それ以外にも、これまでにいくつかの記事を書いてきたのですが、久米さんのお考えは、僕と近いところも多そうです。

彼には今後も地道に、学術研究と書籍の刊行等を通じた啓蒙活動を続けていって欲しいと心から願います。きっと、あの手この手での妨害などもあるのではないかと思います。この問題に取り組むことは、正直言って甘くないと思います。しかし、がんばって欲しい。心から応援したいです。
じわじわと足もとを固めていけば、いずれ、大きな結果として実るだろうと僕は信じています。

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ところで、『ぼくたちの女災社会』を著した兵頭新児氏も、この日経ビジネスオンラインの記事に関してご自身のブロマガで言及されています。
よろしければ、あわせて読んでみてください。

「女は「ガラスの天井」、男は「ガラスの地下室」男性の「生きにくさ」は性差別ゆえかもしれない」を読む

兵頭新児氏は、男性と女性のジェンダーバイアスを原因とする、男性が女性から被る諸々の被害を表す《 女災 》という語を造った人物で、彼の本もまた僕に大きな示唆と影響を与えてくれました。
残念ながら、絶版となってしまっているのですが…。

ぼくたちの女災社会
兵頭新児
二見書房


なお、当ブログでは、 書籍・webサイトの紹介(弱者男性問題・男性差別問題・女災関係) をまとめておりますので、参考にしていただければ幸いです。


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