29 日米関係 -72-
ⅸ 大東亜(太平洋)戦争直前の状況 1930~1941 -12-
※この10年ほどのできごとはすべて関連しているので、かなり長くなるがまとめて調べる。なお、その間の「日中・日朝関係」については調査・報告済なのでここでは省く。
→ <23 日中関係Ⅱ(WWⅠ~1945)313~> <17 日朝関係(戦前) 152~181 >
■まとめと考察 2/nの2 日本の状況⑴ ~まとめ表 再掲~
1 「日本国内の思潮」の描き方
●満州事変のころの、多くの新聞の大きな影響力について、まったく描いていない。 → × 学び舎。
●同、描きかたが不充分。 → △ 自由社。
※この頃は、新聞の論調と「国民の声」、つまり「世論」が、「軍部(陸軍:関東軍)」支持でおおむね一致していたようだ。それがあるからこそ、関東軍の「独断専行」ができたと思われる。
なお、この時代の思潮として、「軍国主義」という用語を使っているのは、学び舎だけのようだ。
2 「軍部・関東軍(・満州)の状況」の描き方
●当時の、日本政府の「不拡大方針」や「関東軍の独断専行への抑制方針」を、まったく描いていない。 → × 学び舎。
※学問的にはありえない欠落だろう。失敗したからと言って、こんな重要な事実を無視してはいけない。
~次回、3/nの1~
<全リンク⇒1へ> <29 日米関係 ⅸ 第二次世界大戦直前の状況 496・497・498・499・500・501・502・503・504・505・506・507・>
《著者:松永正紀 教育評論家 /h22年度 唐津市・玄海町:小中学校校長会長》
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