この不景気を作りだした根本の原因を突き詰めれば、資本主義の行き詰り、
解決方法は??
木田元『反哲学入門』これは絶対読むべし、
新聞からの抜粋
哲学というと「難解」なイメージが強い。だから敬遠する人は多いが、難しいからこそありがたがる風潮も日本にはある。しかし、哲学者の木田元(げん)さんは、新著『反哲学入門』(新潮社)の中で、日本人の思考は、欧米人とは違うから、「哲学を分かったふりする必要などまったくない」と明言した。(鵜飼哲夫)
がん手術を機に
木田さんは、「存在と時間」で知られる20世紀ドイツのハイデガー哲学の日本における第一人者で、中央大学で長く教鞭(きょうべん)をとってきた。しかし、わからないことを、わからないと言えるようになるまでには時間がかかった。
「もちろん、勉強してきましたから、ある程度はわかりますよ。しかし、プラトンの『イデア』なんて、見たようなふりして講義してきましたが、絶対に変化せず、生成も消滅もしないものは見たことがない。世界構造の奥の奥がわかるデカルトの『理性』が自分の中にあるとは、とても思えない。でも、正直に言うと、商売に差し支えるから言わなかった(笑い)」と率直に語り出した。
きっかけは3年ほど前、がんで胃の半分を取る手術をした後、静養中に編集者から「哲学のことなど何も知らない人に聞かせるつもりで、哲学について話してください」と言われたことだった。わかることとわからないことを一度、「対話」をしながらきっちり整理してみようと思い立った。
自然観違う日本
その結果、わかったことは、西洋と日本とのものの見方の決定的な違いである。日本人にとっては自然は、生成消滅するもので、人は自然の中から生まれ出て、自然の中へかえってゆく存在と考えられている。しかし、プラトン以降の西洋哲学では、「イデア」「理性」など、様々に呼ばれる超自然的存在によって形を与えられ制作されるものが自然で、まるで考えが違う。わび、さびを感じ、無常をおぼえる日本人と、自然を科学の力で変えることが出来ると信じる西洋的合理主義の違いは、この自然観の違いに由来する。
だとすれば、西洋の哲学が、日本人にわからないのは、ある意味で、仕方がないというのだ。
そもそも古代ギリシャ語のフィロソフィアの訳語を「哲学」としたことが誤りの始まりという。ソクラテスのこの言葉は、もともと「知恵を愛する」から生まれ、無知だからこそ知ることを希求する営み。はじめは「希哲学」と訳された。しかし、肝心の「希」の部分が削られ、なんだか偉そうに「哲学」となってしまった。
「これでは、知識を売り物にする輩(やから)とソクラテスが批判したソフィストと同じになってしまう」
難しいが面白い
だからといって哲学を無用とは思わない。「役には立たないし、悟りの境地とは程遠い。でも、僕のように答えの出そうもないことにしか興味がもてない病気の人はいるし、哲学することで、問題をすり抜ける方法を発見できるかもしれない」と信じている。
今年、80歳になる木田さんが考えているのは「技術の本性」である。人間は、技術をコントロール出来ると考えているが、そもそも火を使い石器などの技術を使えるようになったことで、人間が人間らしい生活が出来るようになった。実は、技術こそ人間を生み出したのではないか。
「だとすれば、人間が技術をコントロール出来るという考えは傲慢(ごうまん)かもしれない。実際、人間は技術の自己運動に振り回され、利益を追い求める資本の自己増殖運動に翻弄(ほんろう)され、地球温暖化や格差拡大といった問題に直面している」
病気してから酒、たばこをやめ、朝7時には起きるようになった。「哲学は複雑で難しいけれど、やっぱり面白いよね」
いつまでも元気でいて欲しい、
読んだ感想は、とてもためになる、
解決方法は??
木田元『反哲学入門』これは絶対読むべし、
新聞からの抜粋
哲学というと「難解」なイメージが強い。だから敬遠する人は多いが、難しいからこそありがたがる風潮も日本にはある。しかし、哲学者の木田元(げん)さんは、新著『反哲学入門』(新潮社)の中で、日本人の思考は、欧米人とは違うから、「哲学を分かったふりする必要などまったくない」と明言した。(鵜飼哲夫)
がん手術を機に
木田さんは、「存在と時間」で知られる20世紀ドイツのハイデガー哲学の日本における第一人者で、中央大学で長く教鞭(きょうべん)をとってきた。しかし、わからないことを、わからないと言えるようになるまでには時間がかかった。
「もちろん、勉強してきましたから、ある程度はわかりますよ。しかし、プラトンの『イデア』なんて、見たようなふりして講義してきましたが、絶対に変化せず、生成も消滅もしないものは見たことがない。世界構造の奥の奥がわかるデカルトの『理性』が自分の中にあるとは、とても思えない。でも、正直に言うと、商売に差し支えるから言わなかった(笑い)」と率直に語り出した。
きっかけは3年ほど前、がんで胃の半分を取る手術をした後、静養中に編集者から「哲学のことなど何も知らない人に聞かせるつもりで、哲学について話してください」と言われたことだった。わかることとわからないことを一度、「対話」をしながらきっちり整理してみようと思い立った。
自然観違う日本
その結果、わかったことは、西洋と日本とのものの見方の決定的な違いである。日本人にとっては自然は、生成消滅するもので、人は自然の中から生まれ出て、自然の中へかえってゆく存在と考えられている。しかし、プラトン以降の西洋哲学では、「イデア」「理性」など、様々に呼ばれる超自然的存在によって形を与えられ制作されるものが自然で、まるで考えが違う。わび、さびを感じ、無常をおぼえる日本人と、自然を科学の力で変えることが出来ると信じる西洋的合理主義の違いは、この自然観の違いに由来する。
だとすれば、西洋の哲学が、日本人にわからないのは、ある意味で、仕方がないというのだ。
そもそも古代ギリシャ語のフィロソフィアの訳語を「哲学」としたことが誤りの始まりという。ソクラテスのこの言葉は、もともと「知恵を愛する」から生まれ、無知だからこそ知ることを希求する営み。はじめは「希哲学」と訳された。しかし、肝心の「希」の部分が削られ、なんだか偉そうに「哲学」となってしまった。
「これでは、知識を売り物にする輩(やから)とソクラテスが批判したソフィストと同じになってしまう」
難しいが面白い
だからといって哲学を無用とは思わない。「役には立たないし、悟りの境地とは程遠い。でも、僕のように答えの出そうもないことにしか興味がもてない病気の人はいるし、哲学することで、問題をすり抜ける方法を発見できるかもしれない」と信じている。
今年、80歳になる木田さんが考えているのは「技術の本性」である。人間は、技術をコントロール出来ると考えているが、そもそも火を使い石器などの技術を使えるようになったことで、人間が人間らしい生活が出来るようになった。実は、技術こそ人間を生み出したのではないか。
「だとすれば、人間が技術をコントロール出来るという考えは傲慢(ごうまん)かもしれない。実際、人間は技術の自己運動に振り回され、利益を追い求める資本の自己増殖運動に翻弄(ほんろう)され、地球温暖化や格差拡大といった問題に直面している」
病気してから酒、たばこをやめ、朝7時には起きるようになった。「哲学は複雑で難しいけれど、やっぱり面白いよね」
いつまでも元気でいて欲しい、
読んだ感想は、とてもためになる、