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ミラノで「東北六魂祭」

2015年05月09日 15時42分17秒 | 大震災復興支援
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嬉しいニュース

イタリア・ミラノでことし開かれる国際博覧会(万博)に、
東北の県庁所在地の祭りが集結し、
東日本大震災の犠牲者らを悼む「東北六魂祭」が参加する方向で調整を進めていることを明らかにした。

 仙台市内であった自民党外交部会長の秋葉賢也衆院議員(宮城2区)の会合で示した。
奥山市長は「万博期間中のジャパンデーに、東北六魂祭が行くことにほぼ決まりつつある」と説明。
「秋田市で5月末に開かれる六魂祭の後、7月のミラノという新たな目標ができた」と話した。

なんとこれに『北会津百庄3人衆』の星さんも出る。

会津の獅子舞で!
ほ~~
イタリア行くんだ~~
いいなあ~~
ただで行ける、
いいなあ~~

会津獅子舞はNHK大河ドラマ『八重の桜』でも出演した経歴がモノをいったのか!

会津獅子舞の歴史

そして、この小松獅子舞が幕末

時は江戸末期
場所は落城目前の会津『鶴ヶ城』

もう落城寸前
風前の灯火の『鶴ヶ城』へ入城した痛快事。


新政府軍により鶴ヶ城が包囲される中を、
地元に伝わる彼岸獅子の姿で堂々と入城するという出来事があった。

悲惨な物語しか伝えられない会津戦争の中で、
唯一の痛快事!
これを指揮したのは山川大蔵、後に白虎隊士で東京帝国大学総長になった山川健次郎の兄である。

山川大蔵は朱雀隊などを指揮し、
日光口の五十里に宿陣していたが、他の国境が破られ、
鶴ヶ城での籠城戦が決定されると、
帰城の命令を受け会津城下に駆け戻った。

飯寺まで来ると鶴ヶ城がすでに新政府軍の包囲網の中にあることを知った。

ここで大蔵は一計を案じ、
会津伝統の彼岸獅子の姿で入城することを思いついた。

笛と太鼓を先頭に堂々と敵陣を進む。
鶴ヶ城の城兵は味方と気づき砲撃を止め、
敵はあっけに取られただ見送るだけであった。

(のんびりした時代だったと言えなくもない)

否、判っていながら、
攻撃をしなかった薩摩軍も凄い、
もう絶対絶命の城に自ら入城する武士、
負けると判っていて
死地に赴くのも武士、
それを阻止しないのも武士、
武士の情け、

山川大蔵の一団は味方が開いた西追手門を通り抜け城内に消えた。

この入城を支援した小松獅子舞の子孫が星さん達、

余談として、
若くして家老に昇進した大蔵は、
よく守り、よく戦い抜いた。
そして、
明治4年(1871)の廃藩置県で斗南藩が消滅すると、
明治政府のたっての勧めで陸軍に入り、

今度は
西南戦争では熊本城で薩摩軍を相手に篭城戦を

しかし、今度は薩摩軍を撃破する功績を挙げる。

なんと皮肉な巡り合わせ、

陸軍少将、東京高等師範校長、貴族院議員となり、
そして明治31年には男爵となる。
弟の山川健次郎と同様に会津藩からは異例の出世コースを歩んだ。 

星さ~ん、、
ミラノで獅子舞、楽しんで来てね~~


この百姓3人衆が作る北会津コシヒカリ
美味しい、
まあ、こんな物語なんぞを思い浮かべながら食べるともっと美味しい

しゃれで販売しているお握り


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