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東横『学芸大学駅』近くの産直パブ、地元に必要なお店として。明るく楽しく、天を敬い、人を愛する。楽しく飲みたい

美味しい産直料理 元気楽しいスタッフ、カラオケ&トークで盛り上がり、ストレス解消♪、常に新風!良心的なお店。

鎮魂、

2014年08月12日 12時39分36秒 | 大震災復興支援


鎮魂の願い、
魂が安らかなる事を




3.11が生み出した悲劇の凄さ、多さ、
先ずは犠牲者の方々へのご冥福、

その後、多くの方が、仮設住宅で孤独死、

嘆いていても始まらない、
前へ、


原発を考える


感謝

2014年08月11日 14時44分00秒 | 大震災復興支援

予報は、台風の影響で、雨風強く、鎮魂の花火も上がらないかあ、、ところが、現地到着したら、雨上がり、風も収まり、花火も上がり、
たまや~



極上の席で、玉や♪

ビール、つまみがドンドン出てくる、


ありがたや、♪

仮設住宅のイベントも無事終わり、よかった、
撤収、撤収





なんも出来ずに、すいません、それにしても、台風の影響全くなく、感謝。雨にも、風にも祟られず、ありがたや、♪

感謝、

奇跡が起きたか?

2014年08月10日 11時44分39秒 | 大震災復興支援


福島県地方、予報では完璧に雨。
ところが、到着したら、急に晴れ間が見えてきた、

これでキャンドル流し(灯篭流し)も出来る、
花火も上がる。


御霊安らかなる事祈願、

2014年08月06日 13時11分35秒 | 大震災復興支援
先祖の霊をなぐさめる供養として行われる花火大会

霊まつり流灯花火大会

亡き霊の法要のために圓蔵寺の菊光堂で祈願祭を催したあとで、稚児たちが流灯を持って魚渕まで行列し
ます。
夕闇迫る頃に流灯を流し、その夜は盛大な花火が打上げられ幻想的なムードとなります。
花火の迫力は川岸の崖の影響か、大変素晴らしく、多くの人々で賑わいます。

8月10日(日)7:30~

大震災で被災された方々の御霊を供養しに参ります。




書籍寄贈

2014年07月25日 21時45分32秒 | 大震災復興支援
『新日本古典文学大系』全巻 寄贈の件、

I氏より、以前より、福島県への書籍の寄贈の話が有り、

福島県の方に話をして、快くどちらの方も応じて頂き、感謝感謝、









全巻105冊、



岩波書店のHPを見ると
https://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/24/8/240001=.html#SERIES

寄贈先は結果公立の図書館へ、
ザベリオ学園では難しい、
大学でもいいが、
なるべく多くの方に!

津波を逃れた犬

2014年03月16日 21時49分25秒 | 大震災復興支援
気仙沼の漁港、
或る海産物会社の社長さん一家の飼い犬、
ゴールデンリトリバー、

社長の家は、津波に備え、道路より石垣を積み、高くして建っている。
それはご先祖様からの言い伝えで、津波の備え、家を高くして建てた。

津波はリアス式の海岸線に入り込むと、狭くなった分、
波の力が一つにまとまり奥へ、

波は高くして有る石垣を越え、その自宅を飲み込んだ、幸い、高台で波の力が弱く、
お留守番の飼い犬は助かった。

それからが大変な『人生』ならぬ、『犬生』

飼い主の社長は東京の病院に入院、
その奥さんは東京のマンションに仮住まい。
東京のマンションンは住めない。

避難所には入られず、
やっとボランティア団体の施設へ、

月に2度程、東京から飼い主が訪ねては来てくれるが、
寂しいのなんの

不便な生活、

それからボランティア団体がいよいよ解散、
次は千葉の方へ一時避難、

飼い主は
動物愛護団体から里親を探しますと言われても、
復興で再度、
気仙沼で会社を再興の夢が有り、
その時は引き取りたい。

そんな時、
一時預かりを快く引き受けてくれたドック訓練所が有った。

なんとそれが、
それが東京の仮住まいのマンションの隣のドック訓練所、

感謝、飼い主と対面

飼い主と毎日お散歩出来るようになったワンちゃん
しかし、
心労甚だしかったのか?
数日後、
突然、死んだ。


海の幸さんから
今日、沢山のお土産を頂いた、
有難うございます。

辰巳芳子さんプロディースの牡蠣・
帆立のオリーブオイル漬け、
雲丹、
笹かまぼこ










3.11 あれから丸3年。

2014年03月11日 05時35分51秒 | 大震災復興支援
あの日から、福島へ、何度行った事か?
延べ何百人一緒に行ったか?
物資搬送、炊き出し、数度の紙芝居、毎度のクリスマスイベント、ひな祭り、
子供の為に本配布、プロレス興行、復興祈願祭、福島への旅、
くまもんも行った。
福島の物産販売、
しかし、
ささやか過ぎて、
過ぎてみれば、何も出来ていない。

その間にどれだけの不幸を見たか



3月と言えば、11日

2014年02月28日 21時53分41秒 | 大震災復興支援
東北大震災、
津波で亡くなられた方には心よりご冥福をお祈り致します。

問題はその後の原発事故。
その後の風評被害、

原発事故&その後の風評被害は人災、

原発事故後の要点、

チェルノブィリ事故は福島の50倍の汚染。
しかし、チェルノブイリの住民は1年八ヶ月で現場から50キロの地点でニュータウンを作りあげた。

広島は福島の1700万倍の放射線量を浴びた
しかし、市民は現場にすぐ戻り、復興を自らの力で行い、
五年後には完全に復興を遂げたと言われる。

IAEAの放射能安全基準は20ミリシーベルト、
それを民主党政権で
安全基準を1ミリシーベルトまで下げてしまった。


その影響で何兆円と言う国の資金が垂れ流され、今は利権となり果てている。

小宮山某と言うバカな厚労大臣がいた。
菅と言う、恥知らずの目立ちたがり屋の日本嫌いな奴がいた。

それにより強制疎開をさせられた住民、

数万人、
既に仮設住宅で亡くなった高齢者は1300人を超す。
失意のうちに亡くなった。

私の存じ折の方も亡くなった。

危ない、危ないと危険を煽るメディア 
朝日新聞・毎日新聞・東京新聞、NHKやそれに繋がる連中の影響で、
悲惨な事故が風評被害。

因みに広島でその後、アメリカ政府は広島の事を随分調査した。
その調査結果、
原爆による癌患者が多くなったとはなっていない事実。



頑張れ福島県民、











いい話を聞きました。

2014年02月08日 02時14分49秒 | 大震災復興支援
これ涙が止まらなくなる。

或る米軍の女性兵士の日本の思い出、
3.11大震災時、
米軍の『ともだち作戦』
その女性兵士はヘリコプターの操縦士。
孤立した住民の皆さんに、
支援物資を届ける任務。

彼女はこれまでアフリカ等で何度もそのような任務をやって来た。
いつも物資を届ける際、
ヘリコプター着陸時、
まだ着陸していないうちから、
群衆が群がり、兵士にも危険が及ぶ事、しばしば、

『今回も大変だな~、どうなる事やら』
目的地の上空へ来た。
『お~~皆集まってるなあ~~』
ヘリコプターを着陸、
『あれ、誰も寄って来ない』
誰も来ない
すると老人が一人近寄って来て、
先ず、深々と礼をし、
お礼を述べ、
それから、みんなで整然とバケツリレーで物資を運ぶのでそのようにして良いか?
と尋ねて来た。
『勿論OK』
しばらくすると、

すると、突然、それを中止。
『え~!どうした。』
すると老人が、
『もうこの地区はこれぐらいで、他の地区の方へ行って下さい』
老人は深々とお礼をする。
すると周りの群衆も笑顔で、お礼をしてる。

彼女は次の目的地へ、ヘリをテイクオフ、
下を眺めたら、皆、大きく手を振っている。

彼女は涙が溢れて止まらない。
『なんて、日本人、凄いクレイジー、』
『日本人て、素敵』
軍に入隊し、最高の思い出の任務だったと今でも皆に話す。

大震災時、物資運んだ時、
会津の体育館で物資を貰いに来る大勢の人達、
入場制限、整然と並ぶ人達、
あの光景と重なる。

炊き出しの時、
大勢の人達が並ぶ、
子供達は自分達が食べる前に、
並んで食事を取り、
動けない高齢者の為にご飯を運ぶ姿にどれだけ感動したか、
あの時の子供達、偉かったなあ~

これが日本人、
炊き出し

クリスマスに寄せて、

2013年12月25日 17時10分33秒 | 大震災復興支援
クリスマスに寄せて、
(クリスマスプレゼントを原発避難の方々へ渡しに行って感じた事。)

現代社会の歪みに憂いを感じています。

日本人が余りにも利己的性が益々酷くなって来ている。

いつから日本人は人間的魅力の必要性を捨てたのか?

日本が世界から尊敬され絶賛された人物が雲霞の如くいた時代
日本は全体的に眺めれば、貧しい国だったと言える。
しかし、
そこには未来に対する希望が有り、国民は自分の事より家族の事、
貧しい人々すら国の行く末に心を寄せていた。

確かな事は日本は戦争に負け、アメリカGHQの占領により『閉ざされた言語空間』の中に閉じ込められ、
戦前の事は全て悪、欧米的なモノが善とされ指導誘導された、
そして日本人はその民族性を極端に失わされた。
代わりに得たモノは物質文明と経済大国。

国が富んだ事で日本人は何を得、何を失ったか。
今を見渡せば、
家族殺し、
ストーカー殺人、
イジメは悲惨さが増し、
些細な事で暴力事件、
老人をターゲットにした各種詐欺事件。
老人は孤独な生活者が多くなり、
若者は今、遊ばなきゃいつ遊ぶ、

こんな世の中を我々の先祖は望んだのだろうか?

それにしても、原発事故以来、3度目の冬を迎えた皆さん、置き去りにされた悲しみ

それにしてみ現代人、現世、利己的性格の人が多くなってしまった悲しむべき現実。
自分の事より、人の為、世の為、

三度目のクリスマス、

2013年12月23日 23時55分42秒 | 大震災復興支援
何度もお会いしていると、なんだかんだ、話をせずとも、なんかいいなあ、それにしてもあれから三度目のクリスマスを仮設住宅で迎える皆さん、まるで置き去り、、考えると涙が出て来る。

お米がクリスマスプレゼントに化けるわけ、

2013年09月27日 16時58分38秒 | 大震災復興支援
しゃれでお握りやお弁当を販売しております

押し売りして、スイマセン。
いつも義理で買って頂いて有難うございます

この売上げは全額、

原発避難で仮設住宅に住んでる子供達や高齢者の皆様へのクリスマス資金となります。

今年も行きます。
今年で3度目の冬を迎える仮設住宅の皆さん、
子供達、3年で随分大きくなりました。

一年でこんなに違う、

びっくり、


毎回、こんな感じ、ラッピングに半日掛かるので前もってやって頂く、

さて、お米は『会津産コシヒカリ』です。
農地モデル地区の北会津百姓3人衆のお米です。
美味しいお米です。

さて、たまに出してます。季節のお弁当、
使ってるモノは全て国産品、
油は昔ながらの製法の『高級菜種油』
熊本県産、堀内精油生産の『エゴマ』『地あぶら』『ゴマ油』
山江村産の菜種、自家製



もう来年はやりたくない、
といつも思うのですが、
結果、クリスマスが一日、一日、近づいて来ると、
『行かねえば、なんべえ~』
物だけ送ろうかとも考えます。
しかし、やっぱ、顔ださねば、なんめえ~

曽野綾子はボランティアが楽しくなったら辞める。
と言った。

今年は23日(月・祝)
サンタになって仮設住宅を廻る方、一緒に行きませんか?




以前のクリスマス

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感謝

2013年08月27日 13時48分46秒 | 大震災復興支援

今回の福島県会津若松市、大江戸温泉にての『ちびっ子プロレス教室』&復興支援大会


多くの方にご協力頂き、誠に感謝感謝、

会場となった
大江戸温泉会津、

北会津百姓3人衆、

大熊町
楢葉町
各仮設住宅のみなさん、
ことに市川さん、


かさね寿司様

あぶらや様
彩花様、
石田さんご一家

最年少でリングへ上がったお嬢ちゃんの林りんちゃん、
河東町皆鶴祭り実行委員会。
会津商工会
読売新聞


連戦の選手の皆さん、お疲れ様でした。
特に子供さんにお付き合い頂いた
伊藤馨さん、サリーさん、井上京子さん

会わずに終わったソースかつの白孔雀さん、

ほんと皆様有難うございました。






打ち上げでお世話になった作蔵の元気で優しい皆さん、
ジャガーさんと写真。


パジャマで居酒屋で登場したNちゃん、
居酒屋の店長もびっくりしてたぜ、

ホテルの部屋で暴れた皆さん、お疲れ
ホテルの廊下で幽霊かと勘違いさせてくれた地元のデリヘルのお姉ちゃん
(病気にならないように仕事して下さいね)

お土産を頂いた皆さんにも感謝

車往復運転お疲れ様のNさん、Yさん、成田からの小川さん、
最後まで事故無く、感謝、


遠方から来た、サラリーマン武道家
行く日、帰った日、見送ってくれた杉浦さん、帰った日も来てくれた。

人は心、梅は匂い、

最後にずーと、でれでれしてて、人の目を気にせず、
黄色嬌声をあげ、やりたい放題のカップルお疲れでしたね。
夏に燃えがる恋
頑張って燃えて下さい。

でも、すぐに秋ですが、











置き去りにされた悲しみ

2013年08月26日 21時38分54秒 | 大震災復興支援
ちびっ子プロレス教室&復興支援会津大会の翌日、
東京へ帰る前に1ヶ所でも仮設住宅に挨拶しなきゃ、

もう何度も会っている方の家を覗いたら、
元自治会長さん、丁度在宅、
みなさんおじいいさん、おばあさんが集まって茶を飲んでいた。

『昨日、行きたかったけど、足がなくて行けなかった!』
電話してくれたらお迎えに来ましたのに、

え!
確かにお集まりの皆様80歳代~70歳代の皆様、

色々話をしているうちに、
『なんとかちゃん!あそこの家はイワキへ行ったとか、』
『お盆は一時帰宅が許され、行ったけど、もう、散々だった、』


『オラも来年3月までだここ、白川の方に家を建てるだ』
我々はそれまで何度ここを訪れる事なるのだろうか

家の前で話していると現在の自治会長も来て立ち話、

仮設住まいも3度目の夏、
敷地の至るところに野菜を栽培してる、
プランターが小さいからなかなか難しいだろうが、
色々作られている、
『茄子、胡瓜はシッカリ剪定しないと、』
などと云いながら、指で不要な葉を切り、
『これはいい茄子だ、』
と云ったら元自治会長は茄子をちぎり、

『持ってて、』
とにっこり、
なんだか涙が出そうになるのを我慢、

その笑顔が今でも目に焼き付いている、

日当たりの悪い場所に、
それもゴロタ石の間から、大葉が立派に咲いていた。

昨年の大葉の種が落ちて、ごろた石の下から目を出し、
立派に大きな葉を咲かせたのだろう。


この大葉も忘れられた存在だったが、こんな過酷場所でも、こんな立派に育ってる。

人もどのような過酷な条件でも強く生きて行かなければイケない。

そんな事、お構いしな、
同行のカップル達は昼の宴会の酒のせいか、
何が楽しいのか、
幸せそうに、
駐車場のところで大きな嬌声をあげながら騒いでいる。

そうだな、
来年は大きなプランター、土を持って来よう、
大量に持って来よう。
そして、北会津の野菜農家さんにも手伝いって頂き、
本格的な家庭菜園を作ろう~~~


苗に牛乳と黒糖、少し大きくなって、葉に酢と焼酎に黒砂糖、
害虫駆除にハエ取り紙、

因みに原発避難の皆様へのこれからの生活の拠点の指針は一切決まっていない。

お盆に一時帰宅された方から、
放置されたままの避難地区は見るも悲惨な状態だったと聞く、
道路にも草が生え、どうしようもない感じだったと聞いた。

確かに金銭的には充分なモノがあてがわれてはいる、
しかし、住まいは仮設のまま、
どんどん孤独死して行く老人達も多い、







目黒 学芸大学駅 パブスナックj

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