IPSO FACTO

アメリカの首都ワシントンで活動するジャーナリストの独り言を活字化してみました。気軽に読んでください。

マヨの謎

2006-05-08 13:45:00 | 医療・健康
まさかシャレでは無いと思うけど、5日午後にワシントンで記者会見を開いたパトリック・ケネディ議員の話で友人と盛り上がった。5月5日といえば、シンコ・デ・マヨと呼ばれるメキシコの祝日で(1862年5月5日にメキシコ軍がフランス軍に勝利したため)、アメリカ国内でもこれを祝って各地で盛大な飲み会が開かれるからだ。そしてケネディ議員が5月5日に薬物依存治療を受ける場所として語ったのが、ミネソタ州にあるマヨ・クリニック…。念のために言っておくと、マヨ・クリニックはイギリス出身のウイリアム・マヨ博士によって19世紀後半その前身が設立されている。マヨはスペイン語で5月を意味する単語だけど、ケネディの遠い祖先が使っていたゲール語では「イチイの咲く平原」を意味し、アイルランド西部にはマヨ州という地域も存在する(いつかここに別荘を建てて、釣りを楽しみたいほどグッドな場所なのです)。そんなわけで、5月5日とマヨ・クリニックの関係は何も無さそうだけど、ケネディ家の場合は全てがネタになってしまうということもあって、妙なタイミングに友人と苦笑した…。さてさて、今日はワシントンポスト紙が伝えたナイジェリアでの医療実験に関する話を。映画『ナイロビの蜂』のような話です。

7日のワシントンポスト紙によると、ナイジェリア国内の医療関係者らで構成された調査委員会は製薬業界最大手のファイザー社による国際法違反を指摘し、1996年に同国で未認可の薬を子供達に対して実験的に投与していたと結論付けている。ナイジェリア政府によって実施された未認可薬品の投与実験をめぐる調査では、その結果が5年以上にわたって機密扱いされているものの、ポスト紙は最近になって報告書のコピーを入手している。ファイザー社は1996年にナイジェリア北部のカノという町に設けられた野外診療所で100人近くの子供や乳児に未認可薬を投与したが、この薬の投与はナイジェリア政府から何の承認も行われないまま実施されていた模様だ。薬を投与された子供達は野外診療所で脊髄縁の治療を受けていた。この病院では「国境なき医師団」のメンバーが正式に認可された抗生物質を用いて患者の治療にあたっていたが、ファイザー社による実験作業も密かに行われていた。

前出の委員会は報告書の中でファイザー社による実験を「未認可薬の違法なテスト」と一蹴し、同社の行動を「営利目的だけを追及した行動」と激しく非難している。ワシントンポスト紙は2000年5月にファイザー社による違法な実験の詳細を報じており、ナイジェリア国内では大規模なデモや訴訟問題にまで発展していた。委員会による調査の結果、薬を投与された子供やその家族らは、薬の投与が新薬開発における実験であった事を知らされていなかった可能性が高くなっている。委員会はファイザー社による実験がナイジェリア国内の法律だけではなく、ヘルシンキ宣言や国連子供の権利条約にも違反していると主張する。ファイザー社が開発した薬の影響だという確固たる証拠は存在しないものの、カノの診療所で未認可薬の投与を受けた子供のうち、5人が死亡し、その他の数名にも関節炎の兆候が見られるとの事だ。

ファイザー社はワシントンポスト紙の取材に対し、問題の薬はナイジェリアの子供達に使われる以前からすでに数千人に実験投与され、良好な結果を残していたと反論した。また、子供達への投与が行われる直前、地元の看護師らの協力を得て薬についての説明し、子供達の親からは口約束で承認を得ていたとも主張している。トロバンと呼ばれる問題の薬は1997年に米食品医薬品局(FDA)によって成人のみの使用が認可されたものの、現在も子供が使用することは認められていない。また、副作用が原因と思われる肝臓障害(死亡例も含む)が幾つも報告されたため、FDAは1999年にトロバンに対して厳しい使用制限を与え、ヨーロッパでは完全な使用禁止に踏み切った国もあるほどだ。ファイザー社は薬の投与がナイジェリア人医師らの主導で行われたとナイジェリア捜査当局に語っていたが、その後の調査で実験はファイザーのアメリカ本社から来たリサーチャーらによって取り仕切られていた実態が判明している。

レアル・マドリーのジデディーヌ・ジダンとして本拠地サンチャゴ・ベルナベウで行った最後の試合。今日は昼過ぎからスペイン人の友人家族と地元のスポーツバーで対ビジャレアル戦を観戦。この家族はカタルーニャ出身で、僕はといえばアラゴンの小さなクラブ(レアル・サラゴサです)を普段は応援しているんだけど、今日はさすがにフランスが生んだ偉大な10番の最後の勇姿をどうしても見ておこうと思い、みんなでレアルを応援した。2-1でビジャレアルにリードされていたレアルだけど、後半67分にデーヴィッド・ベッカムからのクロスで送られたボールをジダンが頭でファーポストに流し込む同点弾!レアルの勝ち負けなんかどうでもよく、僕らはテレビに向かってしばらくスタンディング・オベーションを繰り返した。試合は3-3の引き分けで終わってしまったけれど、ジダンは最後の最後まで威厳とともにあった気がした。プラティ二、カントナ、そしてジダン。フランスが輩出してきたゲームメイカーに共通するのは、その引退時期の早さ。「まだ数年はできるのに…」と僕のような凡人は思ってしまうけれど、この3人が残した美学も理解したいと思う。


写真:7日に行われたビジャレアルとの試合後、ホームのファンに最後の挨拶をするレアル・マドリーのジデディーヌ・ジダン選手 (AP通信より)


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