本日(10/5)23時~、ニコニコ動画[緊急特番]『徹底討論!民主党小沢氏強制起訴を問う 』に注目!
(出演;社民党 保坂のぶと/民主党 原口一博衆議院議員/郷原信郎弁護士)
「日本固有の領土」?
井上澄夫(沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック)
すべての人がそうだとは言わないが、「我が国固有の領土」の話になると、日頃冷静な人が突然、熱くなるのはなぜだろうか。まるで「愛国感情」や「国家主義」という地下のマグマが理性の地殻を突き破って噴出するかのようである。
日本側が尖閣諸島と言い、中国側が釣魚台などと呼ぶ島嶼を以下「あの島嶼(とうしょ)」と呼ぶことにするが、「あの島嶼」が日中どちらの領土かという話になると、いわゆる左翼や左翼的な人びとも、その多くが街宣右翼みたいな思考にとらわれてしまう。それは日本固有の病気ではなく、世界の各地で広く見られるものだが、それでも地上のすべての人びとが等しく罹(かか)る病気ではないことが、唯一、救いと言えば救いである。
そもそも地球はいったい誰のものか。地球はそこに住むすべての人、すべての生き物の共有財産である。北米や台湾の先住民、アイヌの人びとなどは、土地を私有するという考え方を持たないが、それこそ人類の良識である。その良識が暴力的に無惨にも踏みにじられてきたのが近代史の実相だった。帝国主義列強がそれぞれ植民地獲得に狂奔した時代、領土の拡大はひたすら侵略と占領によって強行された。
真っ先に侵入し、国旗を押し立てた国が、その地、その島を領有できるという「ルール」は、互いに出し抜き合って競合しつつ植民地獲得に邁進した帝国主義列強間の危うい「相互了解」であり、それゆえその「相互了解」が破られると、最後は決まって列強間の戦争で決着をつけたのだが、そんな「ルール」は侵略され併合される側にとっては、まったくあずかり知らぬことだった。
2007年8月2日、ロシアの小型潜水艇ミール1号と2号が北極点周辺の海底を探し、海底にサビに強いチタン製のロシア国旗を立てた(2007年8月3日付『朝日』)。また最近、10月6日号の『ニューズウィーク日本版』は、今年8月、中国の有人深海潜水艇「蛟龍1号」が、海底資源が豊富とみられる「南シナ海の海底に中国国旗を立てた」と伝えている(「深海底に眠る資源の争奪バトル」)。それは明らかに資源開発権を主張する意思表示だが、海底に国旗を据え付けたからといって、国際法上、ロシアや中国に排他的な開発権が認められるわけではない。ロシアの行為について、前述の『朝日』の記事には、
〈ロイター通信によるとカナダのマッケイ外相は同日、「15世紀ではないのだから、世界のどこかに行って旗を立てただけで『我々のものだ』ということはできない」と、警戒感を表明した。〉
とあるが、それこそあたりまえのことである。
民主党の一部国会議員は「あの島嶼」に自衛隊を常駐させよと主張しているが、それは「我が国固有の領土に軍事的空白があってはならない」という強迫観念に突き動かされてのことだ。中国が領有を強行するなら「あえて一戦も辞さず」という覚悟を見せたいのだろうが、実際に本気で日中戦争を想定しているのだろうか。北沢防衛相はさすがに「あの島嶼」への自衛隊派遣に消極的だが、沖縄の「先島諸島への部隊配備」(北沢)には非常に前のめりである。台湾の隣り島、与那国に陸上自衛隊を送り込むことにも熱心だが、それが台湾や中国とどのような政治的・軍事的緊張を引き起こすか、真摯に検討したのだろうか。明白なボタンの掛け違いである今回の中国漁船拿捕の顛末から何ら学ばないのでは、この国の先行きはいよいよ危うい。拿捕を仕掛けたと公言している好戦的な前原外相とともに即座に辞任すべきである。
米国のクリントン国務長官は「尖閣諸島は安保条約第5条の対象」と明言したが、だからイザというときは米軍が「あの島嶼」を守ると確約したわけではない。アフガンの底なし沼にはまりこんでいる米国にそんな余裕はないから、日本とのつきあい上、ちょっと中国を牽制したという程度のことである。そんな言を安全保障の確保として舞い上がる菅政権の愚昧さは歴史に刻まれるだろう。
さて、「あの島嶼」は日清戦争の末期、日本政府が領有を閣議決定した。日清戦争は1894年7月に始まり95年4月まで続いた。講和条約=下関条約が締結されたのは95年4月17日である。日本政府による領有─沖縄県所轄とし国標を立てる─の閣議決定は条約締結のほぼ3カ月前、95年1月14日になされたが、その閣議決定は公表されなかった。つまり、日本の勝利が確実になった段階で、清国からドサクサ紛れに略奪したのである。マスメディアはそのいきさつに触れないが、侵略戦争を背景に「あの島嶼」が「日本固有の領土」に編入されたという事実に目をつぶることは許されない。先に「ボタンの掛け違い」とのべたが、そもそも「ボタンの掛け違い」は「あの島嶼」の帝国主義むき出しの強引な奪取から始まったのだ。
「あの島嶼」をめぐる日中間の軋轢は出口のない問題ではない。これほど紛争の種になるのなら、いっそ「領土問題」を丸ごと棚上げして、「あの島嶼」をとりあえず日中共同管理地域とし、双方が漁業基地として使えばいいではないか。日中両国のみならず、韓国、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)、ロシアの船も航行する海域だから、海難事故の国際救急センターにすることもできるだろう。そういう暫定措置を講じた上で、日中両国が頭を冷やして協議すればいい。
いわゆる中ソ対立が続いていた時期、両国間では国境紛争が絶えず、1969年の珍宝島(ダマンスキー島)事件のような軍事衝突まで起きた。しかし冷戦の終結をはさんで中ロ(中ソ)は交渉で国境線を確定し、紛争は過去の歴史になった。かつての中ソの対立は核戦争の危機まではらみ、両国政府はモスクワや北京の地下に巨大な核シェルターを掘ったのである。日中間で問題が解決しないと主張するのは解決を望まない人たちだろう。
私は領土を求めない。だれもが安心して暮らせる地域のつながりが地球上に広がっていれば、それでいい。そしてそのような世界を実現するために、政府があり、外交がある、いや、あるべきだと思う。軍事的緊張をひたすら煽って激化させ、最後の解決法は戦争しかないと考える政府は、イラナイ。
(出演;社民党 保坂のぶと/民主党 原口一博衆議院議員/郷原信郎弁護士)
「日本固有の領土」?
井上澄夫(沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック)
すべての人がそうだとは言わないが、「我が国固有の領土」の話になると、日頃冷静な人が突然、熱くなるのはなぜだろうか。まるで「愛国感情」や「国家主義」という地下のマグマが理性の地殻を突き破って噴出するかのようである。
日本側が尖閣諸島と言い、中国側が釣魚台などと呼ぶ島嶼を以下「あの島嶼(とうしょ)」と呼ぶことにするが、「あの島嶼」が日中どちらの領土かという話になると、いわゆる左翼や左翼的な人びとも、その多くが街宣右翼みたいな思考にとらわれてしまう。それは日本固有の病気ではなく、世界の各地で広く見られるものだが、それでも地上のすべての人びとが等しく罹(かか)る病気ではないことが、唯一、救いと言えば救いである。
そもそも地球はいったい誰のものか。地球はそこに住むすべての人、すべての生き物の共有財産である。北米や台湾の先住民、アイヌの人びとなどは、土地を私有するという考え方を持たないが、それこそ人類の良識である。その良識が暴力的に無惨にも踏みにじられてきたのが近代史の実相だった。帝国主義列強がそれぞれ植民地獲得に狂奔した時代、領土の拡大はひたすら侵略と占領によって強行された。
真っ先に侵入し、国旗を押し立てた国が、その地、その島を領有できるという「ルール」は、互いに出し抜き合って競合しつつ植民地獲得に邁進した帝国主義列強間の危うい「相互了解」であり、それゆえその「相互了解」が破られると、最後は決まって列強間の戦争で決着をつけたのだが、そんな「ルール」は侵略され併合される側にとっては、まったくあずかり知らぬことだった。
2007年8月2日、ロシアの小型潜水艇ミール1号と2号が北極点周辺の海底を探し、海底にサビに強いチタン製のロシア国旗を立てた(2007年8月3日付『朝日』)。また最近、10月6日号の『ニューズウィーク日本版』は、今年8月、中国の有人深海潜水艇「蛟龍1号」が、海底資源が豊富とみられる「南シナ海の海底に中国国旗を立てた」と伝えている(「深海底に眠る資源の争奪バトル」)。それは明らかに資源開発権を主張する意思表示だが、海底に国旗を据え付けたからといって、国際法上、ロシアや中国に排他的な開発権が認められるわけではない。ロシアの行為について、前述の『朝日』の記事には、
〈ロイター通信によるとカナダのマッケイ外相は同日、「15世紀ではないのだから、世界のどこかに行って旗を立てただけで『我々のものだ』ということはできない」と、警戒感を表明した。〉
とあるが、それこそあたりまえのことである。
民主党の一部国会議員は「あの島嶼」に自衛隊を常駐させよと主張しているが、それは「我が国固有の領土に軍事的空白があってはならない」という強迫観念に突き動かされてのことだ。中国が領有を強行するなら「あえて一戦も辞さず」という覚悟を見せたいのだろうが、実際に本気で日中戦争を想定しているのだろうか。北沢防衛相はさすがに「あの島嶼」への自衛隊派遣に消極的だが、沖縄の「先島諸島への部隊配備」(北沢)には非常に前のめりである。台湾の隣り島、与那国に陸上自衛隊を送り込むことにも熱心だが、それが台湾や中国とどのような政治的・軍事的緊張を引き起こすか、真摯に検討したのだろうか。明白なボタンの掛け違いである今回の中国漁船拿捕の顛末から何ら学ばないのでは、この国の先行きはいよいよ危うい。拿捕を仕掛けたと公言している好戦的な前原外相とともに即座に辞任すべきである。
米国のクリントン国務長官は「尖閣諸島は安保条約第5条の対象」と明言したが、だからイザというときは米軍が「あの島嶼」を守ると確約したわけではない。アフガンの底なし沼にはまりこんでいる米国にそんな余裕はないから、日本とのつきあい上、ちょっと中国を牽制したという程度のことである。そんな言を安全保障の確保として舞い上がる菅政権の愚昧さは歴史に刻まれるだろう。
さて、「あの島嶼」は日清戦争の末期、日本政府が領有を閣議決定した。日清戦争は1894年7月に始まり95年4月まで続いた。講和条約=下関条約が締結されたのは95年4月17日である。日本政府による領有─沖縄県所轄とし国標を立てる─の閣議決定は条約締結のほぼ3カ月前、95年1月14日になされたが、その閣議決定は公表されなかった。つまり、日本の勝利が確実になった段階で、清国からドサクサ紛れに略奪したのである。マスメディアはそのいきさつに触れないが、侵略戦争を背景に「あの島嶼」が「日本固有の領土」に編入されたという事実に目をつぶることは許されない。先に「ボタンの掛け違い」とのべたが、そもそも「ボタンの掛け違い」は「あの島嶼」の帝国主義むき出しの強引な奪取から始まったのだ。
「あの島嶼」をめぐる日中間の軋轢は出口のない問題ではない。これほど紛争の種になるのなら、いっそ「領土問題」を丸ごと棚上げして、「あの島嶼」をとりあえず日中共同管理地域とし、双方が漁業基地として使えばいいではないか。日中両国のみならず、韓国、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)、ロシアの船も航行する海域だから、海難事故の国際救急センターにすることもできるだろう。そういう暫定措置を講じた上で、日中両国が頭を冷やして協議すればいい。
いわゆる中ソ対立が続いていた時期、両国間では国境紛争が絶えず、1969年の珍宝島(ダマンスキー島)事件のような軍事衝突まで起きた。しかし冷戦の終結をはさんで中ロ(中ソ)は交渉で国境線を確定し、紛争は過去の歴史になった。かつての中ソの対立は核戦争の危機まではらみ、両国政府はモスクワや北京の地下に巨大な核シェルターを掘ったのである。日中間で問題が解決しないと主張するのは解決を望まない人たちだろう。
私は領土を求めない。だれもが安心して暮らせる地域のつながりが地球上に広がっていれば、それでいい。そしてそのような世界を実現するために、政府があり、外交がある、いや、あるべきだと思う。軍事的緊張をひたすら煽って激化させ、最後の解決法は戦争しかないと考える政府は、イラナイ。