先週、会社で今年定年の方と話をしていると、もうすぐ阪神大震災の日がくるのを思い出しました。自分で思え出せないほど、世の中も記憶が薄れて、ニュースなんかも話題にしなくなってきているんだなーと思う(減ったんだろうなー)。
当時神戸市灘区にいた自分は、立派な被災者。その被災者でも、東京で暮らしているとこの状態ですから、被災者でない人や、神戸以外の人はいたしかたないか。
写真は、Webからもらったものですが、改めてみてもすごい事が起こっていた。
前日は、”船上ねるとんパーティー”に、会社の友達と行って知り合いになった女の子達といっしょに、自分の部屋でのんきに鍋をしていたのですが、その時、こんな大きな地震が起きるとは思っていませんでした。
朝何が起こったのか?わかりませんでしたが、電気をつけたまま寝ていた部屋が、起きたら真っ暗。衝撃の後にも、数分揺れているので、すぐに地震とわかりましたが、じっとしているしかなく、おさまりはじめて、ガラス・唐黷トいた物が散乱している床をなんとか、外にでました。
隣の公園にでると、近所の方が数名。みんな不安そうで、どこでどのくらいの地震があったかのか?などわからず、薄暗い中さまよう。
自分は、車に行ってラジオを聞いてみるが、大きな地震が関西地方で起こった以外の情報は全くなし。。。この時、神戸が震源地である事は、まったくわかりませんでした。
少しずつ明るくなる中で、東灘の港の方が、ぼーっと不気味に赤くなるのがみえ、嫌な予感。。更に明るくなると、自宅のマンションの周辺は、全壊、半壊の家ばかり。。
恐ろしい事になっているのが、徐々にわかってきました。
自分は、隣の駅に住む友人(前年に付き合っていた彼女)が心配になり、まるでオフロードのように段差ができた道を車を走らせると、そこらじゅうで火事が発生しているのが、見えてきました。泣きながら、運転しながら六甲道に。。友人は、ドアを叩いても、窓をたたいても返事はなく・・(この日自宅にいなくて、難をのがれ無事である事が後でわかりました。)
灘の自宅に戻り、ガス漏れのにおいがする、部屋でじっとすることに。
後日、報道で、たくさんの人が、がれきの下にいた沢山の人を救っていた事を知りました。自分は、何をやっていたんだろう・・・・。じっとしているのであれば、けがをしている人を運べたのでないか?ひょっとしたら、誰かを1人でも救えたのではないか?避難所にいけば、何かできたのではないか・・・・・・。
毎年・毎年、この日が来る度に、思いだします。
生きている間に、大きな災害があって、運よく生きていたら、何かしよう。絶対しよう。そして、思いっきり偽善者になろうと、今年も決意する。
たまたま、ブログを読んでくれた人にも、是非そんな局面になったら、思いだしてほしいと願う。