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自分は阪神の震災で運よく生き残ったのですが、沢山お世話になったであろう皆さんにお礼ができませんでした。
東日本大震災や、水戸の台風被害でボランティア参加しようと思っていたのですが、なかなか仕事と両立ができず、結果的に今まで参加できませんでした。
今年正月に発生した能登半島地震のボランティア参加登録をしていたのですが、かなりの人が応募しているようで4月上旬までまったく空きがない状態でした。4月中旬になって、急に枠が空いてきたので、日曜日前泊・月曜日ボランティア活動という枠に応募できたので、この日新幹線にのって金沢に向かいました。
新幹線で3時間ちょっと。結構、金沢って遠いよなーと改めて実感。糸魚川あたりから、日本海をみながら~。
金沢に着くと、まずは、ボランティアバスの集合場所を確認(西口)
1時間くらい時間があったので、駅ビル3Fの”らうめん侍”さんに。
一番PRされている”甘えび香味らうめん”をオーダー。細麺でおいしくいただいて、セブンイレブンで現地で食事が買えないので、2日分を買いこみ。重いくらい食事や水分を買うのは、久しぶりだなー。
金沢駅から高速道路にのって、能登半島に。この日は、参加者が少なくバスの定員に対して、おそらく3割くらいのボランティアの方々。のと里山海道に入ると、道路の補修箇所が多くなり、バスもガタガタとする事が多くなる感じでした。途中、PAでトイレ休憩があり、七尾市の一般道に入ってくると、家屋の屋根にブルーシートが目立ち始めてきました。
そして、穴水町のボランティアベースキャンプに到着。
学校を利用して、宿泊型のボランティアの皆さんを受け入れてくれている施設です。
まだ、明るかったので、少し体も動かした方が良いので、周辺を20‐30分ほど散歩させていただきました。
歩道も道路もあちこちがボロボロになって、道路は仮補修していますが、歩道は手つかずな感じ。
まだまだ、片付けがこの周辺も厳しくて、人が少ないなーとは思ったけど、かなりの家屋が”危険”の張り紙があるので、人気がないんだな・・とわかりました。
ベースキャンプに帰り、少しテントの中を整理。かなり綺麗で、ボランティアのみんあが清掃がんばっているだろうな・・。
明日の朝まで、特にMeetingもないので、自由行動なので、他の皆さんは共有スペースで夕食を食べたり、本読まれたりなどなど、自由にされていました。もっと、わいわい話する方が多いのかな?って、勝手に想像していたけど、意外と皆さん個別に静かに楽しんでいるかんじでした。
こういった温める物もあったりと、徐々に充実させているんだろうなーと思いました。
体育館には高校の書道の方のすごく大きくて、立派な書道があって、圧倒されました!すごいっす!
翌朝は、22時に消灯だったので、6時前には起きてしまい、金沢で買ってきたおにぎりをパクパク。天気も良いなー。有志の皆さんで6時半からモップをかけたりして、ベースキャンプ内を清掃して、バスで珠洲市のボランティアセンターへ移動。一般道をいくので1時間程度かかったかなー。
こちらが、珠洲市のボランティアセンター。仕切り役の方々がてきぱきと誘導してくれて、チーム編成をしてくれます。
自分は、運転ができるので手をあげて、軽トラ運転手になり、いろんな資材を積んで、6人で漁港近くのお宅へ。
車で5分くらいの所ですが、その周辺はかなり津波と揺れで崩れたお宅が沢山あり、且つ液状化もあり、道も凸凹。震災後4か月目となっていますが、とりあえず、道路を通れるようにしているのが精いっぱいで、個人宅の中は2次非難をされている事もあって、ほとんど進んでおらず、これから・・・という感じが一目でわかりました。。
ボランティア先のお宅の写真はプライバシーもあるので撮らないようにセンターから言われているので、写真掲載無しで、状況を簡単に文章で記載します。(とは言っても、運転や片付けを集中していたのでスマホに触る暇は全くありませんでしたが。)
1軒目に伺ったお宅は鰤漁の漁師さんのお宅で、お子さんが数人いそうな30後半か40前半のお父さんでした。漁港に比較的近かったので、津波も来たので、1階はおうちの物や、流れ来たものなどが山積。入口の土間のサッシが歪んで、かなりみんなで苦労して開けてこれも大変でした。大物の棚・テレビ・冷蔵庫などを、みんなで運んでいると、応援で追加6名の方が来てくれて、一気に作業効率があがりました。
難敵だったのが、冷凍庫に3か月以上入っていたイカなどの魚介類。これを外に出した瞬間に腐敗臭が広がりビニール袋にいれるのに複数人でやりましたが、何人かは嗚咽がして離脱。自分はきちっとした防塵マスクをしていましたが、それでもかなりの物で息を止めて、一気にいきましたが、その後も鼻にずっと残って厳しかった。
集積場に軽トラ3台で2回ほど運んで、家主さんがなんとか納得できるレベルまでになり作業終了に11時ごろなりました。マンパワーがこういう時は、本当に必要だなーと、強く実感しました。そして、子供さんの絵本やおもちゃなど、本当に沢山捨てることになって、なんともやりきれない気持ちになりながら、処分しなければいけない方も苦しいだろうなー思いました。
家主さんも言われていましたが、今まで、避難所→2次非難所→やっと仮設住宅となってきて、徐々に心が落ち着いてきたけど、それまでは、まったく片づけを始めるような心境になれなかったと言われていたそうで、これが現実なんだろうなーと自分も感じました。なので、ニュースではボランティアが必要になりそうもなくなってきたというのも耳にする事もありますが、現場は5月以降もボランティア活動が必要という住民の方の声を肌身で感じました。
ボランティアセンターから戻り、気持ちの良い空の下で、持ってきた調理パンを食べながら小休止。午前中一緒に活動させていただいた方々と世間話をさせていただきました。皆さんいろんなところからこられている方で、複数回来られている方がほとんどでした。
午後は、能登半島の北端に近い”狼煙”地区(のろし)に向かうことになりました。ボランティアセンターから車で30分くらいかかる能登湾と逆側の漁港の集落でした。作業させていただく家屋は、この写真のように自身で壁材が崩れ落ちてしまって、厳しい状況。
76歳の漁師のお父さんが現在1人で住まわれていて、立て壊す予定の離れから、家財を運び出して集積場所に持っていくというご依頼でした。ベッドを解体したりと、午前中にはなかった作業もありました。濡れている畳はほんとに重いとは切っていましたが、ほんとに激重でやばかったです。高齢のお父さんには、ほんとうに無理です。
予定より早く終わって、お父さんが築70年のお家の被害の状況や、周辺の住居の状況を我々に説明をしてくれて、再度ボランティアの応援を頼みたいとおっしゃっていました。この倒壊した家屋は、震災時に女性の方が、閉じ込められて、なんとか数時間後助けられた現場であることもご説明いただきました。
ほんとに、手が届いていない状況が、能登半島では無数にあるんだと、実感しました。(プロパンガスだけでも処理しないとまずいよね。。)
今回、一緒にハイエースで移動・運転してくださった方が、金沢出身でボランティアも沢山来られている方で、道中色々なお話をしただきました。途中、海岸に立ち寄り、この写真で白っぽくなっているところは、全部隆起してきた海底だった所だった所と、教えていただきました。4-10mあがった場所もあるようなので、こうやって地震・自然のパワーを感じられてる所も多いそうです。ニュースではみていたものの、これでは漁港も船がつけられず厳しい状況が続ていているのもわかります・・・。
途中トイレ休憩で、道の駅に寄りました。鯉のぼりがなびいていましたが、なぜかちょっと物悲しく感じてしまいました。
山中を通って、ボランティアセンターに帰るのですが、揺れて写真うまく撮れなかったのですが、右から大きな岩が落ちてきてる場所が何か所もあって、これもやばかったです。この道を仮復旧してくれたであろう自衛隊の皆さんなどに本当に感謝です。。
最後はボランティアセンターに戻り、バスにのり、金沢に19時半くらいに到着しました。
昨日。今日といろんな事を経験させていただいて感謝しつつ、少しだけでもお役に立てていれば、自分の心も軽くなるなーと思いました。
次の日のボランティアの追加募集がなかったので、今晩は金沢で一晩ゆっくりすることに。
こちらは、きっと新しいカプセルホテル。昭和のカプセルの2段式ではなく、背の高い海外の方も大丈夫な1段式の広いカプセルです。これは、かなり快適でした♪
ホテルのフロントのお兄さんにご紹介いただいた片町の”魚吟”さんに。運よく入れましたが、自分の3人後からお断りする感じになっていました。
こちらはおでん5種盛り。海外の観光客の方も多く、価格はあんまり大衆価格でなく、観光客価格でしたが、美味しいです!
特にこの”のどぐろ一本焼き”は、ほんとふわふわに焼いてくれて、日本酒にほんと合います!今度は、はるぞうも連れてきたい♪
金沢もかなり震災時には揺れたそうですが、街中は観光の方も多くて通常にみえました。
BAR巡りもしたかったのですが、どうも観光地なので土日営業されて月曜日休みが多いようで、近場のサントリージガーBARで一人2次会。隣のタイから観光に来られているかたと、世間話を楽しくさせてもらいました。
最後に、気がゆるんで、ラーメン(麺半分)を。。
とはいえ、日曜日から移動して、自分が今までできなかった災害ボランティアをさせてもらって、本当に感謝の2日間であることを感じる夜でした。神戸の震災以降に、なかなか貢献できずに、ずっと心にひかかっていた物が、少しだけ軽くなった気がします。自分の為に、そして震災して苦しんでいる方々の為に、また時間を作って、伺おうと思った金沢のラーメン屋さんでした。