遠野では稲が咲いていました。
見落としそうな小さな花
雨に当たらないまま開花を迎えたなら、米も期待できるでしょう。
途中の岩手、宮城、福島、栃木と田園風景を眺め続けました。
花咲く稲、色づく稲、そして頭を垂れ始める稲穂。
農の時代、農の見直しと言われて久しいが
難しいことはわからないけど、この国の土地で
この国の民が食べるものを育てている姿は美しい。
そう思った。
埼玉に戻り、自宅近くの農家の畑を見たときに、
なんと畑が申し訳なさそうに有るのだろう…そう思った
それが当たり前のように畑が潰され、
宅地にされ積み木のような家が並んでいく。
それは都心に向かう人たちのベッドタウンとなる土地の
当たり前の景色なのかもしれない。
でも、それでいいのだろうか…
潰し壊してから、そのものの持つ意味に気づく。
気づいたときには取り戻すことも、作り直すことも出来ない。
人は生きていく為には食べ物が要る。
その食べ物を育てる場所、育てる業こそが
当たり前に存在できなければ、人は生きていけないだろう。
もう一度、言う。
この国の民が食べるものを育てている姿は美しい。
見落としそうな小さな花
雨に当たらないまま開花を迎えたなら、米も期待できるでしょう。
途中の岩手、宮城、福島、栃木と田園風景を眺め続けました。
花咲く稲、色づく稲、そして頭を垂れ始める稲穂。
農の時代、農の見直しと言われて久しいが
難しいことはわからないけど、この国の土地で
この国の民が食べるものを育てている姿は美しい。
そう思った。
埼玉に戻り、自宅近くの農家の畑を見たときに、
なんと畑が申し訳なさそうに有るのだろう…そう思った
それが当たり前のように畑が潰され、
宅地にされ積み木のような家が並んでいく。
それは都心に向かう人たちのベッドタウンとなる土地の
当たり前の景色なのかもしれない。
でも、それでいいのだろうか…
潰し壊してから、そのものの持つ意味に気づく。
気づいたときには取り戻すことも、作り直すことも出来ない。
人は生きていく為には食べ物が要る。
その食べ物を育てる場所、育てる業こそが
当たり前に存在できなければ、人は生きていけないだろう。
もう一度、言う。
この国の民が食べるものを育てている姿は美しい。