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昭和34年に結婚

2012-05-10 09:35:35 | Weblog
『妻18歳若くして結婚という事は私が23歳の事になる』
(我が田舎の吹き割れの滝)
そこの会社での待遇が余りにも良く、未だ23歳の私達を大事にして会社の幹部までさせて頂きました。未だ若かったのに何故か職場に50名ほどいたのに組合の委員長を遣ったり社員寮の寮長を遣ったり本当にこの頃に今の生活の基本が出来たように思います。
友達の紹介で見合い結婚、今流行の出来ちゃった結婚で妻が18才でした。本当に若かったです。結婚式はしましたが披露宴は遣りませんでした。当時は私のような結婚の遣り方が多かったようです。
最初は3畳間からの出発、今考えるとそんな部屋が本当に有ったのかと言われる位でしたが本当の話、三畳間に狭い流しもありました。トイレと洗濯場は共同でしたがアパートは皆そうでしたので、それが普通でした。この頃社員寮が出来てそこの管理人として6畳2間になりましたが一部屋は管理人用小さなのぞき窓がありましたので、でも急に地獄から天国になったような感じでした。子供が生まれたのもこの時でした。
生まれたところをメモしておきます。
東京都武蔵野市関町の関病院で昭和35年長男生れた。ぎょうざの満洲チーフ長  利行
同じく      今の社長 昭和37年長女生れた             ひろみ

最初の仕事はローリー車で地方に源乳を引き取りに行く仕事でした。後は雑用をして皆さんの仕事の遣り易いようにする仕事でした。
其の頃の思い出に3年ぐらい一日も休まず働いた事を今でも自慢しています。
東京オリンピックの年に会社から所沢に行かないかと言う話があり、牛乳販売店の手伝いをする様にと言われ、所沢に行く事になった。これには色々とありましたが、とにかく此れがきっかけで、所沢で牛乳販売店を遣る事に成り私の脱サラ人生が始まりました。

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