ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

70歳の 花冷えから青葉へ

2018-06-16 11:16:49 | ジョギング
 (1)
 昨年11月末、ハーフマラソンで11回目の完走をした。
ゴール直後、私はつぶやいていた。
 「もっと走れた。」
「俺はまだできる。来年は必ず自己ベストをだしてやる。」
 「とんでもない年寄りだこと!? それで十分だ!」

 その後の私は、やけに意欲的だった。
「もっと走れる。できる。」
 そんな思いで朝のジョギングに熱が入った。

 ところが、年が明け、伊達の冬が変わった。
それまでの暖冬から、冷え込みが厳しくなった。
 積雪も増した。

 同時に、私の体調も変わっていた。
なのに、走りたい気持ちが強かった。
 加えて、年令を忘れ、何の根拠もなく、
体調の回復を信じた。
 「今に、良くなる」と。

 しかし、総合体育館のランニングコースを
5キロ走るたびに、翌日まで疲労感が残った。
 最近は、5キロ走でそんなことはなかった。

 咳や喉の痛みが続いた。頭痛もあった。
それでも、少し良くなったと思うと、
「もう大丈夫。」とまた走った。

 1月、2月と、そんな日を過ごした。
しかし、いつもと違う体に慎重であるべきだった。
 とうとう、3月には通院、投薬の日々となった。

 薬剤師さんからは、
「いくら薬を飲んでも、体をゆっくり休めないと治りませんよ。」
と、言われた。

 私は、自己ベストは別にしても、
4月15日の『伊達ハーフマラソン』を走りたかった。
 70歳になって最初の大会なのだ。

 薬が効いて、少し体調が良くなると、
薬剤師さんの忠告を無視し、5キロならと走った。
 そして、また疲労感が残り、風邪の症状をぶり返した。

 ついに、ため息がもれ、うつむく回数が多くなった。
落ちこんだ。

 渋々、70歳の誕生日の夜、日記にこう記した。
 「体力の衰えを、素直に認めよう。年なんだ。」
無念さにおおわれた。気づくと、小さく唇を噛んでいた。

 大会当日は、
沿道から声援を送るだけの人になっていた。
 今年も道内各地から3000人のランナーが、伊達に集まった。
参加者には、『春一番』を走る熱気があった。
 なのに、曇天に加え、私の周りだけは、『花冷え』がしていた。

 もう5月20日の洞爺湖マラソンで、
42,195キロにチャレンジする気持ちも萎えていた。
 「体調回復が先決だろう」。
自分に言い聞かせた。

 70歳を迎えた私から、すっかり自信も気力も消えていった。
「年令以上のことをしようとしていたのではないか・・。
 健康どころか、健康を害することをしているのでは・・。」
 そんな自問で、私はますます『花冷え』に囲まれた。

 (2)
 チャレンジを捨てた洞爺湖マラソンの日がきた。
快晴だった。
 車で20分も行けば会場に着く。
なのに、朝食後、自宅の庭に立ち、
草花を眺め、ばく然と緩い時間を過ごしていた。

 その時、お隣さんの玄関ドアが開いた。
若い夫妻がおそろいだった。
 奥さんは、ランナースタイルで、
ご主人は、車で洞爺湖まで送ると言う。

 「今年も、10キロ、走ってきます。」
その声が、生き生きと輝いた。
 「そうですか。頑張って!」
私は、陽春を受け、スクスク伸びる『青葉』の花壇で、
静かに2人の車を見送った。

 わずかな時間が過ぎた。
それは突然だった。
 沈んでいる私の足元から、湧き上がるものがあった。
青臭い言葉の数々だった。

 「声援を送っているより、送られる方がいいに決まっている。」
「俺、見送ってばっかり。」
 「矢っ張り、走りたい!」
「俺だって、走ってきますと言いたい。」

 「も一度、チャレンジしよう。」
「年甲斐もなく、無理している!? それでいいじゃないか。」
 「どれだけやれるか。しょぼくれているより、立ち向かう方がいい。」

 背筋がすっと伸びた。
少しだけ空を見た。
 澄んだ青色が広がっていた。

 「青くて、いいじゃないか」。
また年令を忘れた。

 翌朝から、再び走り始めた。
3週間後の『八雲ミルクロードレース大会』だ。
 ハーフを完走しょう。
それを目指そうと、朝を走った。

 (3)
 体調は、ほぼ回復した。
2週間前には、医師からの薬の処方もなくなった。

 だが、ハーフを完走するには、不安があった。
明らかに、今日までのジョギングが足りない。
 なのに、この場にいることにウキウキしていた。
 
 10キロとハーフのランナー約300人が、一緒にスタートした。
私は、最後尾から走り始めた。
 後ろには、10人程の足音があった。

 6月10日午前10時、八雲陸上競技場から一般道に出た。
15分も走らないのに、周りのランナーはまばらになった。

 当然、沿道に人影を見ることはなかった。
時々、柵のむこうから牛が私を見ていた。

 5キロ過ぎからは、
20メートル以上も前に、女性ランナーが1人いるだけになった。
 後ろからの足音もいつしか消えた。

 去年より、酪農家の廃屋が増えた気がした。
一瞬、切なさで胸がつまった。

 牧場と牧草地の間の一本道を、1人走った。
その広大さが、スピード感覚を奪った。
 それでも、1歩1歩足を前へ進め、規則正しくリズムを刻んだ。
私を邪魔する何物もなかった。
 走ることに、集中するだけだった。

 ところが、私の心が動きだした。
嬉しかったのだ。

 遠くのゴールを信じ、前を向いて走り続けていた。
絶対に完走できると思い込んで走っていた。
 そして、ゆっくりでも確かな足どりだった。

 『体力の衰え』と認め、肩を落とした日。
もうマラソン大会を走る日が来ないのではと、凹んだ時。
 「あれは昔の昔」と回顧するだけになると、湿った私。

 ところが、胸にゼッケンをつけて走っている。
それが、嬉しいのだ。

 1キロごとのラップは、どんどん落ちていった。
息が苦しい。足も重たい。
 なのに、どこかがずっと弾んでいた。

 記録は、自己記録ワースト1。
不思議と、そこに悔しさなどない。
 それより、
私は70歳の『花冷え』から『青葉』へと走り抜けた。
 「やった」と小さく言いながら、ゴールした。
 

 
  

  満開を迎えた ヤマボウシ

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