今年も11月3日に高砂中の文化祭が開催されていたので、ちょっと顔を出してきました。
玄関には、水槽にチョウザメが飼われていました(^^) キャビアの養殖でもするんでしょうか(笑)
また、太陽光発電システムが試行的に導入されていて、節電対策が図られているようです(゜o゜)
文化祭なので当然ですが、生徒たちが作成した作品があちこちで展示されていました。
趣向が変わっていて面白かったのが、高中で見つかったカラスの巣です(^○^)
現在の制服も展示されていました。 ブレザーに変わっていて、我々の頃の学ラン・セーラー服などは過去の遺物のようです(・_・;)
今回も懐かしい廊下を一通り撮影してみました。
パンフレットに配置図があったので、ピンボケですが載せちゃいます(^^ゞ
全学年とも3組までしかなく、8組まであった我々の頃とは教室の用途がかなり違っています(・_・;)
ところで、小中一貫校になることを紹介したパンフレットが用意されていました。
そうしたら、来年度から「高砂けやき学園」という名称に変わるようです(@_@;)
学園章も決定され、職員室付近や玄関に展示されていました。
ということで、今年が葛飾区立高砂中学校としての最後の文化祭だったようです(・_・;)
明石小に続き、母校の名称が存在しなくなることに寂しさを感じずにはいられませんでした(*_*)
高中まで名前が変わってしまうんですね・・・小、高校と今では形は残ってますが、名称が変わってしまい、住んでた団地も姿を変えて、自分が東京に住んでたのが本当に大昔の出来事になったと(実際は大昔ですが・・・)思い知らされた感じがします。
ありがとうございました。
ちょっと振り返ってみたのですが、私たちが学んでいた1970年代の更に30年前はどうだったかというと、戦争中ないしは戦争直後で、その頃は高砂中学校も無ければ、私が最初に通った鎌倉小学校も存在していませんでした。
もちろん、明石小も無いし、細田小もありません。既に存在していたのは、高砂小くらいのようです。
そのように考えれば、このくらいの変化は当たり前なのかと思ってしまいました(・_・;)
私が通っていた高校は、校名は変わっていませんが、校舎は建替えられてしまい、通学していた頃の面影はほとんどありません(*_*)
名称が残っている方がいいのか、校舎が残っていた方がいいと思うのかは、人それぞれなのかもしれませんね(゜o゜)
確か平成35年度に高砂中が解体される予定とのことでしたので、もう来年のことなんですね。。。
できることなら、現校舎での最後の文化祭には何とか顔を出したいと思います。