キョロキョロ散歩の雑記帳

あちらこちらの里山や緑地公園・史跡を探訪しながらキョロキョロ歩き回って思いつくまま記します。

ブログ再開

2015-03-20 15:44:52 | 日記

2013年2月甲状腺治療の副作用があまりにきつく、ブログ作成一時中止する。

結果は長期に亘り休止となったが、病状も安定してきたのでそろそろ再開。

再開にあたり目の調子に不安があったので、眼科でメガネの処方をもらい、メガネを新調。

休会していたウオーキングクラブにも再加入。早速例会に参加。

今までも自宅近くは歩いていたが、人に迷惑かけられないので一人で気ままにやってきた。

約3年のブランクでブログの作成にやや戸惑いがあるものの継続的にアップするつもり。

また、お付き合いください。

先日東大寺修二会を見てきました。その時の松明の写真を載せます

夕闇迫る二月堂前広場 松明行事は7時から。

松明が舞台を駆け抜ける。

舞台の端で燃え尽きる様子。

 この後一旦ホテルに帰り、22時から二月堂内耳の僧侶の修行を外陣から見守る。

結局ホテルに帰ったのが夜中の一時。

おやすみなさい!

 

 

 

 


副作用

2013-02-16 09:41:44 | 知識

キツーイ副作用発生。

4日~6日 ステロイドパルス療法受診。

一般的に言われている副作用でズ

ところが、終了した翌日7日から腹具合おかしくなる

8日完全に下痢。

医者に下剤処方して貰う。

午後、収まったと感じたので、下剤服用中止して様子見る。

体重たく動けない。でも法務局へどうして御相談しておきたいことあり、気力を振り絞って相談に。

途中でトイレに飛び込むかとにならないか、不安を抱えながらも何とか持ち堪えた。

やれやれ。

代わりに、帰宅後全く動けず。

毎晩就寝前に体重計量しているが、何と 昨日と比べて3kg減。

よく9日、一段ときつい下痢。この期に及んで下痢止め服用躊躇できないと一包使う。

結局11日まで、へろへろ状態が続き完全に DOWN。

PCにも向かう気力なし。食事だけはとれるので助かる。

Drから治療始めても、ウオーキングOKと。

ただし、免疫低下中なので人との接触禁止。

だから平和公園の中や一通りのない路地裏などを選んで歩いてきた。

治療中は、歩きだして20分ほど、胸が苦しくどうなる事か心配しながら歩いていたが、20分過ぎると何事もなく歩けて。

しかし今は、30分くらい歩くのがやっと。帰ってくるとぐったり。

やはり、1日で3kg減が 体調異常に影響しているようだ

18日から第2クールに入るが、このままでは心配。

12日 血液検査しに医院へ。

早速血糖値検査。 結果は血糖値115、HbA1c 5.8。問題なし。

血液検査は、金曜日15日昼、私からDrに電話確認。

結果は、肝臓を含め異状なしとのこと。

それでは、月曜日からの第2クールGOとしましょうと決める。

でも、15日外出して帰るとまた動けない。どうするかな?

16日 今日は結構このブログ書けるぐらい元気。

明日は、NPO総会。

動けないならと、資料作成とプリント。

資料が多く、手直しも発生。

頭の中混乱しながらも、何とか完成。

仲間から、病状どう? なんで血糖値が上がるの? 歩けるのに会合に出てこないとは理解できない?

他の医者に至っては、なんでそんな治療をするのと聞かれこちらが???。

面倒だから分からないと回答すると、いまどき説明なしに治療する医者も珍しいと結構本気で批難。

云う事がいい。内分泌は私には分からないけどだと。ならいちいち聞くな バーカ!

あーメンドクサイ

この病気説明し始めるときりがない。

バセドウ眼症専門が名古屋にいない、甲状腺専門も少ない、患者も少ない、患者の中でも男の患者はもっと少ない。だから説明しても聞く相手に情報がないので、理解させるの大変。

だから、病気の話はもうしない。

あーメンドクサイ。

さて、来週の治療でまた副作用を覚悟。

治療終わるまでじーと我慢。

よって、治療終了して、体調戻るまでブログ お休み。

 

 

 

 

 


ステロイドパルス

2013-02-07 15:59:03 | 知識

甲状腺発症からついに1年経過。

バセドウ眼症治療開始。

昨年の放射線照射による治療は、結局眼症の改善に役立たず。

2月4日~6日の3日間をステロイドパルス療法。

以下は日本眼科学会のHPにバセドウ眼症の紹介。

http://www.nichigan.or.jp/public/disease/hoka_koujyo.jsp

実際には以下のような治療。 

ステロイドパルス療法は100mlの輸液に1gステロイドを入れて点滴。

副作用はいろいろ言われているので不安はあったが、実際に自分の体験では、血糖値が上昇。

1日目169、2日目208、3日目229と完全に糖尿病値。

普通第2クールは1週間後だが、私は2週間ごとに治療することになる。

ステロイドに糖質分が多量に入っているようだ。

ネットで云われている副作用は以下のようなもの。

---*体重増加、顔貌変化*---
一時的なものでステロイドの減量とともに改善します。

   結果:やや体重増加したが問題にするほどではなかった。

 ---*高血糖、糖尿病*---
一過性に悪化します。
糖尿病が悪化し、インスリン治療を必要とすることがあります。

   結果:先に書いた状態。一過性と思われるが、要注意。

 ---*消化管潰瘍*---
ステロイド投与中は潰瘍予防薬を内服してもらいます。
また場合によっては胃カメラなどを治療前におこないます。

   結果:下痢気味になるが、・・・。

 ---*骨粗鬆症、大腿部骨頭壊死*---
骨量の減少が疑われるときには予防薬の内服をおこないます。

 ---*精神症状*---
不眠、精神の不安定が見られます。
入眠剤などで対応します。

   結果:入眠剤使うが2時間おき位に覚醒。(デパス・ハルシオン)

 ---*心不全、劇症肝炎*---
稀ですが報告があります。

   結果:歩くとき息苦しさを感じたが20分くらいで解消。

---*感染症*---
免疫が抑制されるため感染しやすい状態になります。
マスク着用やうがいなどで対応します。

   結果:人との接触を翌日まで禁止。

以上のような結果だが、歩く時の息苦しさは収まってきた。下痢のほうも、何とか収まってきた塩梅。

入眠剤は通常に戻りそう。外出ももうOK。

あとは、血糖値がどうなるかだが、このところ息苦しい中でも毎日1万歩歩いているので効果期待。

今日も、午前中に11000歩歩いてきた。

本来は入院して、パルス療法と同時に放射線照射をすることが望ましいのだろうが、通院で治療できれば、それに越してことなし。

前にー進め。

 

 

 

 


120キロ

2013-01-31 18:02:57 | 日記

30日の日記。

午前中、バセドウ眼症2回目の治療法について医師と面談。

血糖値が糖尿病を疑うほどの数値になると、ステロイド点滴治療は入院して病院が血糖値管理をしながら治療することになる。

甲状腺炎によろ血糖値上昇はあること。医師によると、昨年の検査であなたは糖尿病判定の下限近くの数値だったので心配したが、今年の検査では安定しているので、ステロイドパルス療法(点滴)を実施しても大丈夫と思うと。

よって、当面通院で治療で行く。どうしても血糖値コントロールが困難になるようなら、その時は入院治療を覚悟するように言われる。

さてどうなりますか。通院でも治療効果が出るか。

来週月曜日から連続3日間の通院。そのあと1~2週間開けてまた3日間点滴の繰り返し。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

午後、女房同伴で、木の冬芽を見に平和公園北エリアへ出掛ける。

カメラ持たずに出たので、携帯のカメラ。解像度悪いが何とか見れる。

ネジキ芽

気がねじれているように見えるが写真ではうまくねじれ感でない。

ひと山越えるとトチの木の芽。 女房によると芽がテカっていると。大きい。

結構大きい。

梅園の梅もスタンバイ。

こんな桜があったのに今までじっくり見ていない。

エドヒガンサクラで薄墨桜と同類。

隣に

ヤマコウバシというらしい。葉っぱが枯れても落ちないことから、広島では受験生に人気とか。

平和公園北エリアの東側だけなので、大してふゆ芽見られなかったが、先日歩いた時、モクレンも相当大きくなっていた。

その時気がついたが、コアラ用ユーカリ温室の奥を歩いていたら、奥のほうに建物あり。

今までこんな方にきたことないので、行ってみる。

名古屋動物愛護センター。こんなところにあるとは全く知らなかった。

塀に案内。管理棟は引き取り、捕獲。愛護感は分譲のようだ。

帰り道平和堂へ。

平和堂の東西南北に四神像が配置されているが、この写真は朱雀。

今年の公開日は3月16日・17日・20日の3日間。行くつもり。

今月も今日で終わり。早い。

今月の歩行距離 120キロ。

NPO資料造りで神経使い、気分転換に歩いたのが距離を稼いだようだ。

まぁー運動量としては結構な距離になった。

2月もいろいろありそう。

明日は、名古屋市市民活動推進センター(名古屋市に事務所を構えるNPOの指導機関)へ作成資料チェックに行く。

センターのチェック終了後、名古屋法務局へ変更登記申請の書類一式を確認に行くつもり。

これらの資料が、去年までと字句や書式が変わっているため、注意深く作成したが、厳しくチェックされるので、総会終了後に作成すると、議事録署名人の実印を押しなおすことになり、大変。

治療と官庁提出資料(会計、登記)どうなりますか。

来月も歩くぞ。

 

 


東京眼科とスカイツリーと連続ウオーキングその3

2013-01-28 09:42:30 | 日記

「東京眼科とスカイツリーと連続ウオーキングその2」まで書いて、その3はすぐ書くつもりでいたが、NPOの決算資料作成に、多大な労力を要してしまい今日まで遅延。

昨日、NPOの委員会が開催され、決算の大枠が決定。

事業費の区分、勘定科目の統一、金額の確認等が決定。

来月の総会・理事会に向けての資料と監査役の承認をもらう段取りが確定した。

一段落したので、ようやく「その3」へ。

さて、1月20日は名鉄ウオーキング。昨日JR岐阜ウオーキングに参加したので、二日続き。

今日のコースは、名鉄布袋駅(ほてい)~江南(こうなん)駅の間 約10キロ。3時間くらい掛かるかな。

コース案内をもらってすぐにスタート。

  

駅前の大通り名”布袋(ほてい)プラタナス通り”。

通りのなめに合わせ、通りにはいろいろなスタイルの布袋さんの像が出迎えてくれた。

街中の通りを歩くので、風景があまり変わらず、何かないかとキョロキョロ。

道路の反対側で、焚火を囲んだ一団がいる。????と思い寄ってみる。

「何してるんですか?」、「あぁ先週左義鳥=正月のお飾りやしめ縄を燃やす火祭り=が雨でできなかったので、今日はその残念会だよ。」

「どこに神社があるんです」「そこだよ」と指差す先に倉庫のような建物。隣には洞がある。

すると、一人の人が黙って、左義鳥の云われが書かれたプリントをくれる。

洞には”役行者”が祀られている。村では行者様と呼んで参詣していたようだ。

建物のほうは、石造の如意輪観音。プリントに”えんのぎょうじゃ一切の願望を満たし、衆生を苦しみから救うとされる、如意輪観音像。隣の洞は、津島神社。

毎年1月上旬に津島神社のお札を受けて、この祠に納める。民が水害・疫病などを護ってもらうためお祈りしていると書かれている。

このは、小折の桜雲(こおりのさくも)という地区だそうで、粋な名前ですねと言うとまぁなぁと。

お礼を言ってコースに戻る。

道の傍に案内板。

般若寺と生駒屋敷跡の案内。

生駒屋敷跡250mとあるが、しばらく行くも見当たらず残念。

歴史の中に信長の側室”吉乃(きつの)”の生家が生駒屋敷。生駒屋敷は小折城の跡にあったようだ。

是非寄ってみたかったが、コース上で発見できず、帰宅後調べると、コースの反対側の奥のほうにあったようで、案内板でもあれば行けたが(自分が見落としたかな)残念。ネットで確認して自己満足。

大きい通りから田園地帯に入ってゆくが、曲がるとき右手奥に鳥居。

神明社。コースから離れて参拝に行く。この鳥居の幅一杯に参道があるが、何か人が歩いた様子なし。

結構奥に拝殿本殿。本殿は千木・鰹木もしっかり上がった本格的神明社。でも参拝者なし。

コースに戻る。

桜で有名な五条川に出る。

未だ蕾も堅く殺風景。

五条川に沿って延々と。尾北自然歩道。

川の中に、遊び心で石で亀の形。他にも文字があったり、造形が造られていたり。

鳥が遊んでいたり。

尾北自然歩道について、愛知県観光案内では次のように案内されている。 

所要約6時間半。東海自然歩道の支線で、五条川堤防を利用した傾斜のゆるやかなコース。上流から下流まで、両岸には日本さくら百選に選ばれた見事な桜並木が続く。照明、ベンチ、標識、トイレ、休憩所が随所に設置され整備の行き届いている散策路。

  区間:犬山市奥入鹿橋~岩倉市希望の家  距離:  27.11㎞

川沿いに ”堀尾史跡 裁断橋物語 堀尾金助とその母出生地”の案内。

熱田区のまちかど案内に、堀尾金助と母の話が掲載されているので、いかにコピペする。

 大正時代まで熱田区内には精進川が流れ、東海道には裁断橋が架けられていました。また、精進川を三途の川と見立て、橋のたもとには死者の衣服を奪い取る奪衣婆(だつえば)をまつる姥堂がありました。橋の名の由来には、死者を閻魔大王が裁断する場という説もあります。

1926年に川が埋め立てられ橋は撤去されましたが、1953年に近くの姥堂境内に縮小して復元されました。元の橋の欄干の擬宝珠(ぎぼし)は名古屋市の文化財に指定され、名古屋市博物館に所蔵されています。そして、この擬宝珠の一つには、私財を投じて橋の架け替えを行った堀尾金助の母が、亡き子をしのんで書いたとされる和文の銘が刻まれています。

1590年、18歳の堀尾金助は小田原の戦いに出発しましたが、病に倒れ帰らぬ人となりました。裁断橋まで出征を見送った母は、翌年、供養のために裁断橋を架け替えました。その後、33回忌にも再度架け替えを行い、擬宝珠に刻まれたわが子に対する母の想いが人々に語り継がれました。

なお、愛知県大口町に堀尾一族の屋敷があったことから、同町の五条川にも裁断橋と擬宝珠が復元され堀尾跡公園となっています。

この案内を過ぎると、川沿いの公園に 姥堂と裁断橋 が設けられている。

  

姥堂をくぐると見事な四季桜。

  

桜の木の下に”巖倉寺四季桜”の案内。巖倉寺についての案内なし。

次は”秋葉山 地蔵時” ここはよく分からない。

ここの門前に秋葉様と書かれた案内板が置かれている。

それには、秋葉様(秋葉三尺坊地蔵堂)となっている。すると門柱の左に秋葉山、右に地蔵堂だからここのことだと理解。

間もなく五条川を渡って、自然歩道から離れ、大きな通りに出る。

通りには近い距離に神社が続く。

諏訪神社。ひっそりとしている。ウオーキングの参加者もほとんど立ち寄らず。

  

次は若宮八幡宮。こちらは国旗を立てて、参拝客も多い。

  

境内には末社が祀られている。

近づいてよく見ると、神明社、源太夫社がある。

  

神明社はよく分かるが、源太夫社が祀られている神社は初めて。

源太夫社(上知我痲神社=かみちかま)は、知恵の神様として「知恵の文殊(もんじゅ)さま」と呼ばれ、現在は熱田神宮の境内に鎮座。

拝殿んで参拝。すると本殿から親子3代が出てくる。誕生まもない子供の宮参りだったようだ。

壁際に、お参りした札かけがあり、札にお参りした子供の名前を書いて書けるのが習わしのようだ。

参拝を終え次に。次は”石作神社神明宮”という変わった神社名。境内誰もいないので尋ねられず。

そろそろゴールが近いか。

北野天満宮に到着。

筆祀りを催行中でにぎわっている。

  

社務所の脇に24年度の習字の入賞作品が掲額されている。中学生の作品。

境内奥の集会所で、習字の展覧会。覗いてみる。

すごい枚数だ。正面には入賞者の作品が飾られている。

北野天満宮を出ると、江南駅はすぐそこ。

ゴールして、すぐにホームへ。

ホームからゴール受付を見る。

そうだ、ここ江南は曼荼羅寺の藤で有名だったことに気がつく。ゴール受付と線路の間に曼荼羅寺の案内があった。

考えてみれば、布袋も江南も初めて歩いてみて、戦国時代の舞台でもあったと後で気づくとは。

でも二日続きのウオーキングも無事終了。今日は都合11キロくらいかな。

次回は来月。